庭先取引・内藤後編
内藤さんと町下さんを伴って放牧地へ向かう。
放牧地では39世代の仔馬たちがじゃれ合ったりかけっこしたりしている。38世代はこの時間は調教していてここにはいない。
「かわいー!」
内藤さんがウキウキで仔馬たちを眺める。分かる。
「これから馬体も膨らんで大きくなっていくので今が一番かわいいかもしれないですね。もう少し小さいと心配のほうが勝るので」
「この子たちはまだ売れていないんですか?」
町下さんが疑問に思ったのか俺に尋ねてきた。脚なんかを見てなぜ売れていないか分からなかったんだろうな。
「ええ、39世代はまだ育ち切っていないのでオススメはしてないんですよ。渡辺さんは重賞候補が欲しいとのことだったのでフィンキー…、カンノンダッシュの38をオススメしてそのまま購入していただきました。
螺子山さんはノン…、センガンドリルの38ですね。のんびり屋なんですが賢い馬なんで螺子山さんが気に入ったみたいでマッチングしました」
両者とも一目ぼれに近かったな。
「値段は聞いても?」
「内藤さんが委縮するんでやめといたほうがいいですよ」
ちなみに交渉前の値段はフィンキーが四千八百万円、ノンが三千七百万円だ。
ここから、大塚さんと山田君の交渉で値段が上下する。財布預かってる大塚さんの交渉は怖いぞぉ。
「ささ、柵内に入って触れ合ってきてください」
「だ、大丈夫なんですか? 襲い掛かってきたりとか」
「うちの馬はジョッキー降り落として殺そうとしたりしないから大丈夫ですよ」
「僕が怪我させてしまうかも…」
「優しく接すればそのようなことは起こりませんよ」
ガチでビビッてるな内藤さん。まぁ、不躾に気も使わず雑に撫でまわすような輩よりは好感が持てるが。
おそるおそる柵内に入り、内藤さんが一瞬で囲まれる。事前に渡しておいた氷砂糖の臭いに気づいたな?
「うわ、うわわわ。鈴鹿さんこれはどうすれば!」
「さっき渡した氷砂糖あげてくださーい」
ポケットから氷砂糖の入った袋を出すと仔馬たちはそれに群がった。
うーん、地獄絵図。流石に可哀想になってきたので口笛で何頭かこちらに呼ぶ。やってきたのはウェスコッティの39とジェネレーションズの39だ。
「よしよし。よく噛んで食べろよ」
氷砂糖を二個ずつ食べると満足したのか二頭は遠くへ向かって走り出した。それを見た他の馬も後を追うように駆けだした。
「いやぁ、凄かったです」
「甘いものはみんな大好物ですからね。レジェンみたいな変わり者もいますが」
アイツはレモンとか柑橘類を好んで食べるからな。
「内藤さん、どの子がいいとかあります?」
「あんだけわちゃわちゃしてたらわかんなかったよ町下さん」
「ははは」
そりゃそうだ。
「そろそろ夕飼い(馬の夕食のこと)の時間なんで厩舎でじっくり見ましょうか。こっちです」
新しくできた優駿棟へ向かう。
「綺麗ですねー」
「新しく建てたばかりなので」
建てたというよりは生えたの方が正しいような気がするがな。
そんなことを話していると39世代を一頭ずつ引き連れたスタッフが彼らを宥めながら馬房に収めていく。走り足りないんだろうなぁ、若いわ。
「これからお馬さんの夕食ですよね?」
「そうですよ」
「月に食費はいくらぐらいかかるんですか?」
「あ、それは僕も気になります」
町下さんの疑問に内藤さんも乗っかるように聞いてくる。関係者じゃないと分からないもんな。
「競走馬、うちで育てているのはサラブレッドですね。これを軽種馬と呼称するんですが彼らは一日に大体、大体ですよ? 体重の二パーセントから二・五パーセントを食べさせます。
内容は乾燥牧草、これが馬の主食ですね。イネ科とマメ科がありますがあまり関係ないので割愛します。そして、塩。この二つが絶対に食べさせるものです。
この二つを合わせると、おおよそ一頭につき一月の食費は二万円前後。ここに個別のデザート、林檎やバナナに人参。ここらへんはスタンダードですね。贅沢な子はメロンや桃にイチゴ、変わり者は柑橘類やレタスなんてのもいます。
なので差違は出るんですが、まぁ、平均で三万五千円ぐらいが一頭当たりの食費ですかね」
変わりもの枠は当然レジェンである。レースに向けて調教が強くなってくると胃腸が弱り、ガッツリしたものは食べられなくなってくるので、レタスにレモンを絞ればガツガツ食べるレジェンはそういう意味でも名馬だ。
それでいてレースに勝った後でご褒美にねだるのは北海道の一玉二万円するマスクメロンなあたり本当にグルメな奴なのだ。
「思ったより安いですね」
「主食の乾燥牧草は一括買い付けして安く済ませたりしてますからね。確かキロ百円いかなかったと思います。
それにうちは炎症予防のサプリメントタブレットなんかを配合したりしているのでむしろ高いほうだと思いますよ」
「はー、勉強になります」
「内藤さん、芸人のアナタより鈴鹿さんのほうが取れ高くださってますよ」
「うるさいよ! 今日は真面目な日なんだよ!」
あんまりな町下さんの言いぐさに思わず声をあげて笑ってしまった。
「鈴鹿さんも酷い!」
「いやぁ、面白いですね」
そんなことをやっていると全頭を馬房に入れ終えたので端から見ていく。
一番最初はジェネレーションズの39。栗毛の牡馬で左前足に靴下を履いている。
「目がクリっとしてますね」
「栗毛だけに」
内藤さん、さっきの町下さんの発言で気にしてるのかもしれないけど親父ギャグはちょっと…。
「ごほん。かわいい子ですね」
「……。そうですね、先程私に寄ってきた二頭のうちの片方です。母はジェネレーションズ、父はクーアリイです。」
「クーアリイ!? 短距離覇者じゃないですか!」
クーアリイはスプリンターステークスと香港スプリントを二連覇、安田記念と高松宮記念を勝ち、重賞も数多く買っている短距離において最強格の一頭である。
「既に買えない子ですよね、この子」
種付け料を知っているのか町下さんが苦笑いで俺に言う。
「そうですね。二千六百万円をベースで取引を考えています」
「うわ、五分の一にも満たない…」
そりゃ種付け料だけで千二百万するからな。胴回りを見ても間違いなく走るから値段は強気の設定よ。
「まぁ、買うとなれば条件付き売却でいいので候補には入れて頂いて構いません」
「条件ですか?」
「内藤さん、庭先取引はセリと違って条件付きで値引きしてもらえたりするんですよ。多分鈴鹿さんは引退後のこの子の扱いで条件付けたいんじゃないですかね」
「その通り、この子だけに限りませんが39世代は一律五百万円で売却で構いません。条件としては競技生活を全うしたのち所属を桜花牧場に戻して繁殖・種牡馬入りするというのが条件です。今から他の子を見ていく時にこのことを頭の片隅に置いてください」
「は、はい。ありがとうございます!」
「それと!」
「はい!」
「放牧地で言った競走生活の展望について考えてください。内藤さん、貴方の将来にも関わりますから」
行き当たりばったりでレースを出して預託料も稼げないってのは誰も幸せにならないからな。
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