女王陛下の御成り

 SPのジョンさんに連れられて、専用のプライベートスペースで待たされる俺。

 そこはターフが一望できる素晴らしい場所だった。わかるよ、絶対天覧試合でしか使われないスペースでしょこれ!


 あー! あー!


 頭痛がする! 吐き気もだ…、くっ…、ぐぅ。

 な…、なんてことだ…、この鈴鹿が……、気分が悪いだと?


『陛下はお優しい方ですから、そのように緊張せずとも…』


『わかってますけど! それとこれとは別なんですよ! 圧倒的に立場が違う方とお話したことなんてないんですよ俺ェ…』


 顔が赤くなったり青くなったりする俺がおかしいのか、ジョンさんはクスクス笑っている。

 だが、ふと急に右耳を押さえるジョンさん。ボソリと了解と言った。


『今からいらっしゃるそうです』


 ヒエーッ! 怖えぇ…。

 頼むからポカをやらかしませんように…。

 そんな風に祈っていたら俺がいる来賓用の高級エリアのスタンドに彼女は現れた。


 ひざ下丈のテーラードドレスとコート。その着こなしに合わせたツバが広くないハット。パールネックレスは三連で、王室代々に引き継がれてきたブローチ、御用達のブランドのローファー、白コットンのグローブ、お気に入りのハンドバッグといったお決まりのスタイル。

 あぁ、メディアでよく見る、あのお方だ。

 ヒェエエエエエ! オーラが違うでやんす!


『初めましてミスター。お会いできて光栄だわ』


『とんでもないです、こちらこそお会いできて光栄です』


『あら、随分と私たちの言葉がお上手なのね?』


『馬たちに携わるならば英語とフランス語は必須ですから』


『あらあら、勤勉なのね』


 コロコロと笑顔で笑いかけてくれる陛下。

 凄い、メッチャ話しやすい。これがカリスマか…!


『御歓談中申し訳ありません陛下。鈴鹿さんより贈り物があるそうです』


『あら、気を使わせてしまったかしら?』


『いえ、私たちの島の製品を喜んでいただけたのは彼ら職人にとって至上の誉れです。

 私がお誘いいただいたときに彼らは、是非、陛下に気に入っていただける一点物を作りたいと言い出しまして。こちらを用意させていただきました』


 ジョンさんがスッと陛下に傅き、例の小箱を差し出す。

 陛下の傍に立っていた男がそれを受け取ると蓋を開き、中を確認した。


『これは…』


『あら、一体何かしら?』


 微笑みながら陛下は男の差し出した手の内にある小箱を見た。


『あらあら、まあまあ、とっても素敵ね』


 ゆっくりと小箱の中のハットピンを取り出す。


『それは日本でクラシック三冠を制覇した私の愛馬の蹄鉄を融かして制作したハットピンです。

 グリゼルダレジェンからイッツソーラックへのバトンに良いと思いまして』


 手のひらに収まるそれを、陛下は愛しそうに撫でながら。


『素敵なバトンね』


 そう、おっしゃって、陛下は自らの帽子を手に取り、ハットピンを左側に固定した。


『似合うかしら? ミスター?』


『大変お似合いです陛下、職人たちも大喜びでしょう』


『また感謝状を書かないといけないわね』


『以前いただいた感謝状を見た彼らは大泣きしておりました』


 商店街にある公民館に額に入れて飾ってるくらいだからな。


『招待したはずなのに、気を使わせてばかりね』


 陛下は困ったように笑い、ガラスの向こうを見る。

 目下のレースコース前のブックメイカーが大騒ぎしながら馬券を売っている様子が分かる。

 大変にぎやかだ。


『そんなことは…』


『素敵な贈り物のことだけじゃないわ』


 コツリとローファーが音を立てながら、陛下が一歩前に進み、俺は陛下の表情が見えなくなる。


『ウィルの悩み、押し付けてしまって申し訳なかったわ』


『はぁ…? 私は彼の話を聞いただけですが』


『うふふ、オリビアが教えてくれたわよ? なかなか情熱的に馬に対しての愛情を教えてたってね』


 あ、あのアマァ…!?

 そうか、そりゃ結構な大きな声だったから近くに居れば聞こえる! 聞き耳たててたなアイツ!


『「ウダウダ悩む前に相談して笑い話にしろよ! 懸命にレースを走る馬に失礼だろうが」、…だったかしら?』


『あー、それは…』


 齢七十越えの貴婦人から聞けると思わなかったセリフでひるむ。


『聞かせていただける? 貴方にとってグリゼルダレジェンって何かしら?』


『家族ですよ』


 ノータイムで言い切る。当然のことだ。


『あらあら…。それは何故?』


 何故って…?


『そりゃあ、彼女は生まれてすぐに母親と引き離されて、私の島に来ました。

 その時から私たちのかけがえのない娘ですよ、競走馬であろうとなかろうとね』


『種族が違うのにかしら?』


『ははは、鼻も耳も目も同じ数なんです。種族なんて些細な違いですよ』


 うふふ、と陛下は口に手を当てて笑っている。

 後ろ姿でさえ気品に溢れている。


『素敵な考え方ね』


『ありがとうございます』


 …沈黙。

 ガラスの向こうからは人々の大きな歓声が伝わってくる。

 

『ウィルは…』


 ポツリと陛下が溢す。


『私を恨んでいるかしらね』


 トンデモないことをおっしゃる。

 ジョンさんも陛下と一緒に来た男も黙ったまま、こちらに視線を向ける。

 いや、フォローしてよ…。しかたない。


『どうしてそう思われるんです?』


『彼の厩舎、私が先代から引き継いではどうかと提案したのよ』


『なるほど…』


 遠因だが、彼の悩みの種を作ったのは陛下だと。

 うーん。


『選んだのは彼なのですか? それとも陛下自身が強く?』


『いえ、彼が是非と言ったのよ』


『でしたら陛下がお気になさる必要はないでしょう? 選んだのは彼だ』


『でも、彼はあの時若かったわ』


『私もまだ三十路前ですよ。年齢でなく、自分で選んだかどうかです』


 俺の場合はアプリのパワーで半強制だったけど、それでもここまで歩いてきたのは自分の意思だ。


『選んだかどうか…』


『薦めたのは貴方だ、しかし、飲んだのはウィルさんです。

 それを過ちだったと思っていらっしゃるのならば、それは彼のこれまでに対する冒涜ですよ』


『冒涜…』


 あ! ヤベェ! つい知った風な口聞いちまった!

 

『そう、冒涜よね…。彼の人生を間違いなんて言ったらオリビアに怒られちゃうわ』


 こちらに向き直り、おだやかな笑みで冗談めかして陛下は言った。

 胸に刺さった棘がとれたようで何より。

 だから不敬罪は許して…。


『勝てるかしら?』


『当然ですよ』


『あら、自信満々ね。理由を聞かせてもらっても?』


『簡単ですよ』


 一歩進み、陛下と肩を並べる。


『貴方の息子で、ウィルさんが育てた馬ですから』







 イッツソーラック。

 ドンカスター競馬場で行われたセントレジャーステークスにて、後続に三馬身差をつけて勝利し。堂々のクラシック三冠を達成。

 記念撮影でのウィル師は満面の笑みだったと翌日の新聞の載っていた。



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