謁見前

 あれかね。年上のオッサンを叱る因果でも背負ってんのか、俺は。

 

 数多くのG1馬を輩出してきた名トレーナーが自信がないだの怖いだの言ってたらその風下に立ってる奴らはどうなると思ってんのかね。

 ウィルさんも俺も誰かを蹴落としてこの場所≪ちい≫に立ってるんだからさ、外面だけでも自信満々で行かないといけないよな。


 そんなこんなで、ウィルさんは俺の説教? で、気持ちが持ち直したみたいなんで大丈夫だろう。あれ以上は知らん、実績的にも年齢的にも叱る側が逆なんだよ普通。

 あの後、百七十頭全部見てウィルさんとあーじゃないこーじゃないって個別に語っていたらトンデモない時間になってオリビアに怒られたしな。

 あ、滞在中の住居だがウィルさん家≪ち≫に宿泊した。オリビアが作ってくれた晩飯のフィッシュパイは美味かったな。


 そして、九月十二日。運命のセントレジャー。

 正直、なんで怖気づいたかウィルさんに聞きたいくらいの馬並びだ。

 近年はクラシック三冠取れそうか、ステイヤー気質の馬しか出走しないもんな。クラシックディスタンスを狙える陣営的には凱旋門賞やチャンピオンステークスを走ったほうがうま味があるし。

 今回も牡馬で有力なのはイッツソーラックだけ、牝馬もキャッチアイとワイルドレーンの二頭。間違いなく、優勝するのはこの三頭だ。

 この有力馬の少なさ、実は裏がある。お察しの通り、女王陛下に対する忖度だ。

 勝負では手が抜けないから、出走しない手段を取った陣営が結構いるとウィルさんが言っていたからな。元々そんなに伝統はあるが人気があるレースではないから陛下はそんなに不審に思っていないらしいのが幸いだ。


 アムス邸のあるニューマーケットからセントレジャーの行われるドンカスター競馬場までおおよそ二時間半かかる。

 前日からあちらの厩舎に泊まりがけのウィルさんはもう家におらず、俺たちはオリビアの車に二人でアムス邸から準備をして朝から向かう。ぎっくりがまだ直っていないセオドアさんはお家でお留守番だ。


 俺はレースが終わればそのまま帰国する予定なのでオリビアの車にトランクケースを詰め込ませてもらう。よし、出発だ。


 道中、オリビアは俺が退屈しないように色々教えてくれた。とりあえず通り道のグランサムのジンジャーブレッドは美味しいらしい。食べる暇なかったけど。

 そもそも観客席に入るためのドレスコードがあるので、俺は着替えてからの食事を控えるように大塚さんから口酸っぱく言い含められている。オカンか。それ言ったら俺は口元汚す幼児だけども。


 関係者用のスペースに駐車して少し崩れていたタキシード…。英国ではディナージャケットって言うんだったかな? レンタル品のそれをキッチリと着こなす。


『どうかな、オリビア』


『大丈夫、女王陛下の横に並んでも見劣りしないわ』


『過言が過ぎねぇか?』


 綺麗なおべべで取り繕っても一般人に毛が生えた程度やぞ。


『アハハ! でも、正装に着られてないのは本当よ。自信もっていきなさい!』


 背中をポンと叩かれて、喝を入れられる。

 

『じゃあ、レースの後でね』


 スタスタと競馬場内に歩いていくオリビア。

 ちょっと待て!


『え? え? オリビアが付き添ってくれるんじゃないの?』


『私のお手馬が出走するから無理よ』


 確かにオリビアは作業着だったけど! 


『は? え? もしかして俺一人で女王陛下と?』


『SPが一緒にいるから二人きりじゃないわよ』


『そうじゃないわ! え? 異国の地で国主と補助なしでお話しするの? 無理だよ!?』


『ガンバ!』


 胸の前に両手で握りこぶしを作ってウインクをするオリビア。あらカワイイ。

 じゃねーわ! オイオイオイ! 聞いてねえぞこれ!


『いやマジで傍にいてくれよオリビ…。もういねぇし!』


 いやいやいや、どうすんのよこれ! 礼儀作法なんざ焼き付け刃もいいとこなんだぞ!?

 ボロが出るよボロが! クソがよ! ボロだけに! やかましいわ!


『あ、あの…。どうなされました?』


『ハァハァ…。世の不条理を嘆いておりました…』


『は、はぁ…。そうですか。

 私、女王陛下のSPを務めさせていただいております。ジョンと申します。

 ミスター鈴鹿でお間違いないですね?』


『ええ、そうですが…。よくわかりましたね、見た感じアジア人も少ないわけではないようですが』


 ジョンさんは、少し言葉を考えながら。


『えー、オリビアさんから。そのー…。関係者駐車場で変な踊りを踊っているアジア人が鈴鹿さんだと…』


 あの野郎…。女だったわ。


『そのようなことはよろしいのです。陛下はまだいらっしゃっていませんが、急いで謁見の場所まで同行願います』


『あ、ああ。了解です。

 ちょっと待った、これは陛下への献上品なんですが…』


 ジャケットの内ポケットから、綺麗な小箱を取り出してジョンさんに手渡す。

 彼は眉をピクリと動かして警戒の表情を見せた。


『拝見しても?』


『ええ、そうするだろうと思って包装はしてませんから』


 助かります、彼はそういって小箱を開く。

 中身は蹄鉄の形をした例の蹄鉄合金製のハットピン。銀器職人のオッちゃんがレジェンのオークスの時に履いていた蹄鉄をハットピンに加工しなおして、木工と染物職人が綺麗な小箱を仕立てたんだ。合金特有の艶やかな色合いがポイント。


『美しい…』


『でしょう? 我々の技術を詰め込んでますから』


『それはそれは…、陛下もお喜びになるでしょう』


 ジョンさんは小箱の蓋を閉めて、丁寧にスーツの内胸ポケットに収納する。


『参りましょう、鈴鹿さん』


 あー、いよいよか。緊張するなぁ、もう…。




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