ウィル・アムス

 最初は風の噂で極東の日本にトンデモないオーナーブリーダーがいるって話を弟のセオドアから聞いたことがきっかけだった。

 本当に興味本位だったんだ。バーベキューの鉄串より捻くれてるセオドアが素直に褒めるなんて初めてだったからね。慣れないスマートフォンをオリビアに操作方法をレクチャーしてもらいながら扱って彼の出演したというTVショーに辿り着いたんだ。


 日本には度肝を抜かれるという慣用句があるらしい。この場合の肝は【魂】だとか【心】を表しているようだ。

 なるほど、素晴らしい言葉だ。

 まさか馬身差まで読んでレースを的中させるモンスターがいるとは思わなかったよ。文字通り、私は肝を抜かれたのだろうね。

 そして、慣用句の指し示す通りなら抜かれてしまったはずの心の底から彼に一度会ってみたいと思うようになったんだ。


 チャンスの女神ってのはいるみたいでね。麗しき女王陛下がイッツソーラックの様子を見にいらっしゃった時に、ウェスコッティを彼の牧場に売却したことを聞いたときは心が躍ったよ。

 しかも、出産初頭の購入権を持ってるって聞かされたら、もうブリタニアの三叉鉾でポールダンスしてもいいぐらいだった。

 畏れ多くも陛下に彼の島に私を派遣してください、見極めてきます。そう懇願して、受け入れられた。今思えば陛下は私の心の内を理解して下さっていたのかも知れない、本当にありがたいことだ。


 そうして私は日本に向けて旅立ち、件の島に辿り着いた。

 だが、ここでアクシデント。私が一番に会いたかった彼は管理馬のために島を空けているというではないか。

 非常に残念ではあったが、これもめぐり合わせだ。仕方がないと思ったときに彼女に出会った。そう、モウイチドノコイの38だ。

 

 人には第六感が備わっている。

 それは感覚器ではなく、日々の経験の積み重ねが直感的に答えを教えてくれるというものだがね。勝負の世界に生きている以上、私はそれをとても大事にしている。

 その第六感が教えてくれたのは彼女を他の者に渡してはならない、これだ。

 足の向きだ、胴体の繋ぎがどうだ、跳ね方が素晴らしかった、理由はいくつも思いついたが、私の脳内の答え、それは、この子は【障害の神】になれる。そう感じたからだ。


 一生に一度あるかないかの天啓に興奮してしまった。

 山田さんに急いで鈴鹿さんに取り次いでもらったよ、その時ばかりは彼に対して構っている暇はなかったね。


 結局、彼女の能力には彼も気づいていたみたいだ。

 私の意見とほぼ一致したよ。私が三十年かけて磨いてきた相馬眼を彼は持っていたんだ。

 悔しくもあり、歓喜でもあった。彼なら…、彼ならば私と同じ苦悩を抱えているかも知れないってね。

 残念だが帰国まで彼と会うことはできなかったが、その時点では少しスッキリしていたんだ。これは本当さ。

 次の転機は女王陛下に再びお会いした時さ。エプソムダービーを制した際にありがたいことに、私にお声がけをして頂いた。


「ウィル、かの牧場に訪れた際に頂いた銀器。覚えているかしら?」


「はい、精巧に作られた馬のカトラリーでございましたね」


「あのように素晴らしいものを献上した彼に一言お礼を言いたいわ。お願いできるかしら?」


 ああ、本当に女王陛下は尊い御方だ。

 彼に会うことができなかった私にもう一度チャンスをくださるなんて。

 それから私は急いで手紙をしたためてエアメールで彼に送ったさ。急なお願いになってしまって申し訳なかったが、こちらは女王陛下のお願いだ。どうにかしてくれるだろう。


 案の定、彼は慌ててこちらの招待を受けてくれたようだ。

 申し訳ないが、私が訪れたときにいなかった彼が悪いと責任転嫁しておく。

 

 約束の日。

 セオドアが魔女に一撃をもらったりしたハプニングも起こったが、オリビアに送迎を頼みなんとかなった。

 もうすぐ、もうすぐだ。彼に会える。そう思うとドキドキしてきた。


 そして、運命の時は来た。

 オリビアに連れられて来た彼は…。まあ、一般人然とした、言っては悪いがそこら辺に居そうな人だった。イギリスの有名なバンドのジャケットの写真を撮りに行ったりホームズの博物館に行ったり、ただの観光客と変わりなかったさ。もちろん人柄は良かったよ。


 子供と話す気持ちで雑談をしていると、思わず口を滑らせた。


「思った通りだ。私と貴方はよく似ている」


 彼はニヒルに笑って、「そんなに老けてます俺?」だってさ。

 彼はユーモアもあるようだ。私は軽い気持ちでそのまま踏み込んでしまった。それがいけなかったのかも知れないね。


「私は先達から引き継いだ身に余る巨大な厩舎、君は人を抱えても賄える大きな牧場。

 我々が答えを間違えれば、歯車が狂い崩壊する。上に立つには力が足りないのさ、我々は」


 我ながら一経営者に対してかなり失礼な言葉だ。

 訂正しようと口を開こうとしたら。


「あー? まあ、上に立つカリスマなんてないと自覚はしてますがね…?

 あぁ、そうか、ビビってるんですねウィルさん」


 心臓が跳ねた。

 やはり、鈴鹿さんも私と同士なのか? 傷を舐め合える仲間なのか?


「わかるかい?」


 喜びが前面に出てしまった笑顔で、問うた。


「小難しいこと言ってないでハッキリ言ってくださいよ。陛下の愛馬がクラシック三冠獲るってなったら、そりゃ誰でもビビるでしょうよ」


 常識的な反応だ。だが、私が欲しい答えじゃない。


「こんなチャンスもう巡ってこないかもしれない。そう思うと震えが止まらなくてね。

 私の厩舎のスタッフは百人を超えているんだ、その全員から見放されないかと悪い考えばかりしてしまって…」


 君も、そんな気持ちになったことがあるだろう?

 その若さで! 人々の目を引き! 失望されることを恐れる! そんな気持ちに!

 さあ! 見えない傷を舐め合おう!


 だが、彼は違った。


 恐ろしい。

 その目と視線があった瞬間、私、ウィル・アムスは背筋に氷柱が突き刺さったような感覚を覚えた。

 目の前にいるのは自身の半分ほどしか生きていないはずの男に、白状しよう、ビビっているというやつだ。情けない。


「わかりましたよ。馬を見せてください」


 彼の顔を見つめるために振り上げた私の顔は弾丸より速かっただろう。

 その顔は、自信に満ち溢れていて。自身が失敗することなんて微塵も考えていない表情だった。


 私は思わず、身体がひるんでしまった。

 

「確かに俺は一流の馬主でもなければ一流の経営者でもないさ」


 そんなことはない、前人未到の記録を打ち立てておいて一流ではないは通らない。

 そんなことはない、難しい牧場経営において黒字にできる者が一流ではないは通らない。


「けどね」


 その先の言葉は言わないでくれ。

 きっとその言葉は私と君の差を明確に示すから。


「俺は一流の勝負師ではあるんだよ」


 足場が崩れ落ちる感覚がする。 

 ああ、分かってるさ。俺は…。

 君のように、堂々と育てた馬に全てをかけられない小心者なんだよ…。

 管理馬数が多いのも、人から「育てる馬が多いとしょうがない」と言ってもらって逃げたいだけなんだ。

 私は…。私は……。




「胸を張れ!!」



 反射的に気をつけの姿勢をとってしまう。


「アンタがどんなこと考えてるかわかりませんがね? 弱音はちゃんと吐きなさい! 経営ってのはアンタ一人でやってんじゃないですから」


「一人じゃ…ない…」


「貴方の弟も、オリビアさんだっている。他の厩務員さんだっているでしょう。

 彼らは弱音を吐いたぐらいで見捨てるような薄情な人間ですか? 違うでしょう!

 私だって牧場のみんながいなければ経営なんてできませんし、ミスしたら叱られますよ。当たり前じゃないですか、仲間なんだから。

 ウダウダ悩む前に相談して笑い話にしろよ! 懸命にレースを走る馬に失礼だろうが」


 馬に…、失礼か。

 頭に被ったキャップを目深に下ろし、問う。


「君にとって、馬は一体なんだい?」


「家族ですよ、大事な」


 ……。

 一流≪きみ≫と、二流≪わたし≫の違いはその考え方だったかも知れないな…。

 

「ありがとう」


「感謝なんていいですよ。さあ、見せてくださいよ。

 貴方の大事な家族を」


「ああ、是非とも見てくれ。私の自慢の子供たちを」


 今からでも変わろう。

 幻滅されてもいい、呆れられてもいい。二流のトレーナーでもいい。

 だが、一流の父親にはなれるはずだ。


 陛下、彼に会わせていただいて感謝します。

 私は少しだけ成長できたみたいです。


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