アプリは停滞を許さぬ
安田記念も終わり、レアシンジュが優勝した。
開幕から好スタートを切って大逃げを打ち、古馬さえ寄せ付けずに五馬身差の大勝だ。
安田記念が終わったその日の夜に新田騎手から連絡があって陣営で相談した結果、府中牝馬に進むことが確定した、とのこと。
ついでにレアシンジュを放牧するので桜花牧場は空いているかと聞かれた。向こうのオーナーさん的にはレアシンジュが喜ぶことをなんでもしてあげたいのだろう。レジェンと仲がいいみたいだしな。
だが、俺には問題がある。
「社長! この前の配信の受けが良かったんで土曜日に長時間配信を通してやりません?」
「何やるのさ、長時間しゃべるの得意じゃないよ俺」
「生配信でレースの着順当てましょうよ! 12R全てを当てるって企画どうです?」
「君も大塚さんに蹴られたほうがいいんじゃないか?」
呆れながら同じく事務室で仕事をしていた大塚さんに視線を向ける。
それを受けた大塚さんはノータイムでスッと立ち上がった。
「待ってください、いや本当に。実は企業の方々から案件の提示を受けてまして。それも数社から。NOを出すのはもったいないなって」
「え、いつの間に。俺聞いてないよ」
報連相を大事にするんじゃなかったのか。
「私たちは聞いてましたから」
「話しが粗方まとまって社長に通そうと」
うーん、有能。
立て続けに似たような話を聞いても忘れそうだからな…。
「ビール会社にテレビゲームの会社、アイスクリームの新作の案件と…」
「多くない?」
予想以上の案件の多さに辟易していると。
「社長はもう少し自身の知名度に敏感になってほしいですね」
「それはそうですね」
二人にため息をつかれた。どういうこっちゃ。
「いいですか社長? アナタは日本でも有数のインフルエンサーだって自覚を持ってください」
「はい」
「大衆と言うのは簡単にお金を集められる人間をプラスの感情でもマイナスの感情でも注目してしまうものなんです。
一瞬で数億を積み上げられる実力を持った社長は良くも悪くも目立ってしまっているので、それを牧場のために使ってください。いいですね」
「はい」
導かれてしまった…。
「決定ということで、桜花島の見学ツアーが終わったらやりましょう」
「はい…」
「六月末に見学ですから、七月の中旬辺りに…」
「はいはいはーい! 俺はアイビスサマーダッシュを皆で見たいから八月頭がいいでーす!」
「あー、いいですねー。新潟1000直。力いっぱい全力で駆け抜けるのいいですよねー」
「いいよねー」
パンパンっと大塚さんの手拍子によるカット。
「話しがずれてますよ。山田さんは企業の方と交渉を重ねてください。社長は配信までに片付けないといけない仕事があるなら今のうちに吐いてください」
強引に纏めるなんて、強くなったね大塚さん…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
≪特別ミッションが発生しました≫
「おっげぇ!?」
仕事も終わり家で眠っていると、スマートフォンからいきなり機械音声が発せられ、俺の腹部に重いものが落下してきた。
構えるなんて出来ようこともなく、無防備な腹部に結構な重量物がジャストミート。危うく晩御飯のミートスパが出るところだった。
「んじゃこれぇ!」
痛みを怒りで捻じ伏せて起き上がり、腹部に落ちてきた物を掴む。それは紙束。
表題に≪桜花ホースランドパーク建設企画書≫と書いてある。
もう、嫌な予感がビンビンする。
覚悟を決めて、巨大クリップで留められた紙束をパラパラめくると出るわ出るわ無理難題。
まず、桜花島の一角を使って件のホースランドパークを建設するのがミッションの内容だ。これは別にいい、桜花島は俺たちの牧場と職人さんたちの住んでいる商店街エリア以外は全く切り開かれておらず、島全体の七パーセントぐらいしか現状使われていないのである。
問題はこちらだ。資金。ようは金。建設費百億。狂いそう…。森を切り開いて整備して、建造物の値段を含めて、つまり計百億ポッキリかかると企画書には書かれている。
桜花牧場も、当然俺もそんな金あるわけなく。いや無いわけではないのだが、素寒貧になる。なので無理にクリアする必要ないかなと思っていると。一つの手段を思いついてしまった。いいのか、人としてと正気を疑う手段だが。
頭が痛くなってきたのでアプリを開くと特別ミッションの時間制限が表示されていた。以前まではなかった機能である。
そっかー制限時間があるのか…。すっごい嫌な予感がする、達成できなかったらゲームオーバーとかないよな? 逆にこれまでの道のりでデメリットが示されてなかったから怖いんですけど!
うーん、眠れない。一気に不安になってきたぞ。
ちょっと散歩するか…。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
カランカランとドアに取り付けられた鐘が鳴り、喫茶スターホースに来客が訪れる。
時刻は二十二時、島の住人は朝が早く、この時間に珍しいとマスターは思いつつ入り口に目を見やると珍しい人物が立っていた。
「鈴鹿さん、お久しぶりですね」
「やぁマスター久しぶり、寝付けなくてね。おいしいコーヒーでも貰おうかと思ってね」
鈴鹿はゆったりと歩を進めてカウンター席に腰を下ろすと「いつものをお願いするよ」と言った。
マスターはニッコリと笑顔を浮かべて承知しましたと、電気ロースターを起動する。
鈴鹿の「いつもの」はマンデリンのシナモンロースト。常連のお嬢さんと一緒なのだ、とマスターは微笑ましい気持ちに包まれる。
無言の時間が続き、ふと鈴鹿が言葉を漏らす。
「マスターはさ」
「なんでしょう?」
「島の南西にホースパークを作るって言ったらどう感じる?」
「ホースパークですか?」
また、鈴鹿がなにか突拍子のないものを建設しようとしているのかと考えていると。ローストが終わりコーヒーを淹れる準備が整った。
手際よくコーヒーを注ぎ鈴鹿の前にそれを出すマスター。添え物として手製のクッキーがある。
「これは?」
「サービスのジンジャークッキーです」
鈴鹿が一口齧る。意識せずに口角があがる、気に入ったようだ。
満足気にコーヒーを啜り、再び鈴鹿は口を開く。
「おいしい」
「ありがとうございます。皆さんにも好評なんですよ」
「だろうね、優しい味だ」
くぁ…、っと鈴鹿は生欠伸をする。中断された眠りが再び襲ってきたようだ。
「ごちそうさま、そろそろ帰るよ」
彼はフラフラしながら席を立とうとする。
それをマスターは制止した。
「閉店まで時間がございます。少し休まれて行かれては?」
「うーん…。原付だしね、そうさせてもらおうかな」
言うが早いか、そのままカウンターにうつ伏せになる鈴鹿。
すぐにスゥスゥと寝息が聞こえてきた。
ふふっ、とアルカイックスマイルを浮かべてマスターは鈴鹿の背中にタオルケットを掛ける。
「鈴鹿さんは少し一人で頑張りすぎだと思いますよ」
マスターはそう独りごちて、入り口のプレートをオープンからクローズドに替えたのだった。
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