受け継がれるホースマンのタスキ

 2038年、五月二十三日。東京競馬場にて行われる第99回牝馬優駿オークス。

 この日の東京競馬場は数十年ぶりに最多入場者数を更新していた。


「恐ろしい人だかりだな…」


 競馬場でトンカツを食べながら、人の多さに辟易する。

 

「しょーがないでしょ。アンタが散々レジが2400メートルだったら強いっていいふらかしたんだから」


「事実陳列罪ってことですかねぇ」


「謙虚にしてたらしてたで、うちらの牧場は見向きもされなかったでしょうけどね」


 俺の真正面の席には尾根さん。珍しい人選だがもちろん理由がある。

 レジェンはオークスからダービーへ連闘する。連闘とは一週間も休まずに出走することだな、ようは身体にかなりの負担がかかる。

 そしてレースが終わった後に、必ず馬体検査と言われる馬の身体に不調が出ていないかを検査しなければならない。今回の話のミソはそこだ。

 本来検査するのは競馬場に雇われている獣医師だ。まあ、わざわざ個人で獣医師を雇って連れてくる奴のほうが少数だろう。

 つまり、俺との雇用関係があるわけではないので、連闘しても問題ないかどうかの判断は本来のアウトとセーフのラインよりかなり手前でストップがかかることが予想される。軽率に大丈夫と言うと責任問題にもなるかもしれないからな、忖度ってやつだ。

 なので、本当に行けるかどうかを確認するために、今回は尾根さんにお願いしたのだ。

 彼女なら無理だとかハッキリした言葉で伝えてくれる。

 

「それよりアンタはご飯を溢さないようにしなさいよ」


「ウィッス、気を付けます」


 オークスが終わって口取り式の時に勝者インタビューが行われるのだが、もし勝利した場合は今回だけでも一緒にインタビューを受けてくれないかと中央協会の担当者に懇願された。故に今日はバッチリとスーツを決めてきているのだ。

 尾根さんは大塚さんにスーツを汚さないように監視してくれとキツく言われているらしい。俺は幼児じゃないんだけどなぁ。

 尾根さんはお代わり無料のキャベツ山盛り食ってるけどなんで溢さないんだろう…。





ーーーーーーーーーーーーーーー



 今年の競馬は熱い。

 トラックマンの丹羽早秀は肌でそれを感じている。

 これまで東京レース場の最大入場者数は約十九万七千人、1990年の第二次競馬ブームの真っ只中の東京優駿がメインレースの時の記録だ。

 それが、時を超えて今日塗り替えられた。

 二十二万五千人。消防法に定められたこの人数を超える入場者が東京競馬場に集まったのだ。

 要因はただ一つ、今まで無敗の二冠馬グリゼルダレジェン。

 だが、彼女だけの人気ではここまでの人は集まらなかった。つまり、遠因がある。

 この業界に携わっているのならわからないわけもなく。鈴鹿オーナー、彼のせいだ。

 テレビに出ては馬券を完璧に当て。競争中止が危ぶまれようなら自ら悪役になって愛馬の対戦相手の求める。プロレスラーだったら団体に大感謝されるヒールの素質だ。

 おかげで、地上波のスポーツ番組では競馬が取り上げられることが多くなり有名ジョッキーをテレビで見ることも多くなった。

 この流れはパチンコや競艇に人を取られて下火になっていた競馬において、再燃の兆しとなる第三次競馬ブームと言っても過言ではないだろう。

 

「お、丹羽さんじゃないですか」


「おや、成田さん」


 こうも人が多ければ見知った顔に会うもので。

 イーストスポーツの番記者である丹羽と名駿の記者である成田と偶然出会うとは両者とも思ってもみなかっただろう。


「お久しぶりです。今日はお仕事で?」


「ええ、プライベートで来たかったんですが親会社のトラックマンが潰瘍でね。

 急に倒れたもんだから大慌てでピンチヒッターを探してたらしくて、鈴鹿社長と面識のある私が選ばれたってわけで。

 口取り式から逃げてばかりいる鈴鹿社長がおめかしして待機してるって話も流れてきたんで、各社がレース後の取材に期待してることらしいです」


 なるほど、鈴鹿社長は時の人だ。

 インタビューも滅多に応じないので今日がチャンスと意気込んでいる会社も多いのか、と丹羽は納得する。


「それより、どう見ます? 今日のレース」


 成田が軽い口調で聞く。


「グリゼルダレジェンでしょうな」


 わかりきったことを、とでも言うように丹羽は答える。


「ですよね」


「鈴鹿社長は馬に真摯です。2400メートルが得意と言うのは事実でしょう」


「ええ、そうですね。追い切りの時計は文句なしでしたし」


「羅田調教師が言うに、1600ではスピードに乗り切れないとのことです。

 2400だと無理のない道中での加速ができるんでしょうね、牝馬で勝てるのはいないでしょう」


 丹羽はそう言い切る。

 その様を見て、くつくつと成田は笑う。


「お見事。一流のトラックマンは全員同じことをおっしゃります。そして、続く言葉がある」


「本番は来週、ですね」


「その通り」


 ニッコリと笑い、成田はターフを見やる。

 それに釣られて丹羽もそちらを向いてしまう。


「後十五分でレースが始まります」


 何をいまさら、そう思いながら無言で続きを促す。


「桜花島にお邪魔したとき、例のレースマシンに乗せていただきました。

 あれは本当にすごくてね。興奮しながら楽しませてもらいましたよ。

 同時に、騎手の方々が一体何を背負ってターフを馬と駆けるか。それが少し理解できました」


「ほう、それは?」


「ファンの期待、調教師の意地、馬主の願い、出走馬の誇り、そしてーーーー」





 そのレースで競ってきた馬たちの軌跡ですよ。




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