乗るか乗らないか

「うーん、やりすぎたか?」


「当たり前ですよね!?」


 桜花牧場、事務室で俺と大塚さんは鳴りやまない着信と戦っていた。

 理由はもちろん、お分かりですね?

 私が生放送で三十八億の配当を出したからです、過労死の準備をしておいてください! 追加の事務員にも来てもらいますいいですね!


 アホなこと考えているが絶賛ピンチである。桜花牧場唯一の電話、これが投資やら詐欺やらでバカのように鳴り続けている。それだけならいい、いや大塚さんがブチ切れてるのでよくはないんだが問題はこの電話が内線も兼ねていること。緊急の用事のときにすぐ連絡が回せないのが本当に困るのだ。


「どうすっぺかなー」


「どうしようもないので無線機買いましょうよ」


「そうすっかー」


 電話線を抜いて深いため息をつく大塚さんを見て即判断、ストレスで大塚さんが暴れだしたらことだからな。


「社長、国営放送から取材の依頼が」


「断っといて」


「わっかりましたー」


 山田君はパソコンでメールのチェックをしてくれている。捌くのが俺や大塚さんの倍は速い。仕事はできるんだよなぁ。


「疲れたからレジェンのところに行ってくるわ」


「了解しました」


 肩をぐるぐる回しながら放牧のために牧場に戻ってきているレジェンに会いに行く。今は温泉に浸かっているらしい。

 馬券で出たあぶく銭を馬用の温泉施設代にしたので日本では数少ない温泉のある育成牧場に桜花牧場は成長したのだ。

 

 そんなわけで温泉施設に到着、牧場奥の山裾の手前に施設があるから歩いていくにはちょっと不便ではある。

 中に入ると妻橋さんと柴田さんと数人の厩務員が居た。

 とろけるようにお湯につかっていたレジェンだったが俺に気づくとすぐに温泉から上がろうとする。


「レジェン、まだゆっくり浸かってなさい」


 レジェンはヒヒンと返事をして湯に浸かる態勢に戻る。

 気持ちがいいらしい。


「社長が来てくださって助かりました」


 サウナよりも少し温度が低い程度の気温を保っている温泉施設だからか、妻橋さんは汗をかきつつ、そう言った。

 言っている言葉の意味がよくわからない。


「レジェンが温泉から出たがらないんですよ。社長がいると擦り寄っていくので」


「なるほど」


 誘蛾灯の役割ってことね。

 温泉の入りすぎは蹄に悪影響が出るから人間と違って長風呂はできない。


「あと五分したら湯から出すのでそれまで居てくださると助かります」


「OK、君たちは他の仕事に行っていいよ」


 わかりました、と補助をしていた厩務員の二人は温泉施設から出ていった。

 完全にいなくなったことを確認して妻橋さんと柴田さんに小声で尋ねる。


「で? 新しく入った人たちはどう?」


「そうですね、牧場で働いていただけあって基本的なことは完璧ですね。問題があるとすれば普段使わないような高価な機械の操作ができないくらいですか」


「俺らでもイマイチわかってませんからそこを責めるのはちょっとって感じもしますがね」


「来年の種付けを終えた後、緊急事態が起こっても冷静に対処できる人たちではありますか?」


「大丈夫でしょう、失敗をして隠すタイプの人間ではありません」


「同意します」


 で、あるならば。来年は今年のように制限をかけて悩むことはなさそうだ。

 山田君は話し合いに参加させないが。

 話し合いをしているとレジェンが首を伸ばして俺の手に擦り付けてきた、嫉妬か? このこのー。ういやつめ。


「機嫌もいいみたいですし、このまま風呂から上げましょう」


「あいよー」


 



ーーーーーーーーーーーー



 羅田は栗東の自身の事務所で二人の騎手と面談をしている。

 ソファに腰掛けるその横には海老原が居た。


「阪神JFのことですが」


 口にすると目の前の二人の騎手が体を堅くする。

 羅田の言いたいことは既に理解しているようだ。


「足立君、君は本来グリゼルダレジェンの主戦の予定だった。落馬事故の影響で吉騎手、浅井騎手に乗り替わってもらっていた。ここまではいいね?」


 浅井、足立両騎手が頷く。


「そこで問題が発生します。次の阪神JF、足立騎手も骨折が完治しているので騎乗することは可能です。ですがG3を二つ獲った鞍上をミスもないのに変えるのは憚られます。」


「世間体ってやつだな」


 俺もよく悪く言われるからわかるわー、と海老原が頷く。口の悪さが原因だと気づいても修正しないあたり、気にもしていないのだろう。


「足立、お前の性格だ。浅井を乗せるべきと言うだろう」


「当然です。彼女の努力を馬鹿にする乗せ換えだけは許せませんよ羅田先生」


「理解していますよ足立君。ですが、浅井騎手にかかる重責はわかってますか?」


 重責? 足立は頭をひねる


「マイペースな貴方は理解しがたいでしょう。彼女は今回の阪神JFがG1初騎乗です。年に二十四競争しかない平地のグレードワン区分のレース、そのプレッシャーは半端ではないものです。しかもそれが勝って当たり前と言われるような名馬に騎乗するのであればなおさらです」


「ようは浅井が下手こいて騎手として再起不能にならねぇかって話だ。橘田きったの奴もG1初騎乗の時にスタートでドジってな? 今でも夢に見るらしいぞ」


「そういうこともあって、足立君は鞍上を譲るつもりであっても浅井騎手はどうだと思いましてね。是非をここで問いたいです」


 段々と曇っていく浅井の顔を見て羅田は、


「一日、差し上げます。よく悩んで答えを出してください」


 羅田は立ち上がり事務所の外に出ていく、足立もそれに追従し、室内には海老原と浅井のみになった。


「恵まれてんな、お前」


 海老原は笑顔で浅井に言う。


「普通は問答無用で乗り替わりだ、G1出場経験もない奴をあのUMAに乗せる理由なんざねぇ。周りの評判なんざはお前を乗せて負けたほうがよっぽど悪くなる。しかも新馬戦は吉が乗ったんだ、声をかければ簡単に乗ってくれるだろうよ」


 今回の阪神JFでお手馬はいなかったはずだしな。そう言い海老原はペットボトルの水を口に含み、口内を湿らす。


「本当にありがたいです…」


「そうだな、だからお前も真剣に悩め。悩んで悩んで悩んで、乗る乗らないは別に後悔はするな。この件に関しては中途半端な気持ちで答えを出されるのが一番の迷惑だろうよ。羅田にとっても、グリにとってもな」


 海老原も立ち上がり、外に出ようとする。

 その背後から、声がかかる。


「乗ります。そして勝ちます。私を乗せてくれたグリゼルダレジェンと羅田先生のために、絶対に!」


 そうか。そう呟き、海老原は自厩舎へ消えていった。






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