レジェンド・オブ・グリゼルダ
栗東に赴いてから幾数か月。
スターも順調に育成が進み、入厩ができる状態になった。しかし問題発生、知っての通り羅田調教師の馬房は少ない。十五しかないなんて新人調教師と変わらないのだ。
俺の説教が効いたのかグングン成績を伸ばしてきた羅田調教師。スッカスカだった馬房が埋まるほどにラブコールを貰ったらしい。嬉しい悲鳴は結構だが何せまったくそんなことが今までなかった羅田調教師は全て二つ返事でOKを出してしまい、限りある馬房が全部埋まってしまうヒューマンエラーが発生した。アホである。
約束していた馬を入厩できないなんて、まああり得ないことである。電話口で強烈に謝罪されたがそんなことはどうでもいいのだ。問題はこのままいけば身体が出来上がっているのにスターは暇を持て余す羽目になることだ。
そこであの盗み聞きオッサン、海老原調教師と言うらしいのだが、声をかけてくれた。
海老原調教師の馬房が空いているので臨時で入厩させて羅田厩舎の房が空き次第、転厩するのはどうだ。無論、調教は羅田調教師が行う。
海老原的には俺に借りを返すつもりなのだろう。俺にとっては大変助かるので二つ返事で頼んだ。
そして、今日スターは牧場を旅立つ。
まずはスターを通常のものより小さな桜花島専用の馬運車に乗せて港へ、港で下車して桜花島管理大型船に乗り込み博多へ向かう。博多港に到着したら通常サイズの馬運車にスターを乗せ換えて栗東へ出発する。同行するのは俺、柴田さん、雇いの運転手さんだ。
馬運車には休憩スペースがあり二時間ごとに柴田さんと運転手さんが交代で栗東に向かう手はずになっている。運転手さんは大丈夫と言ったが安全確保と柴田さんが大型免許を持っていたのでこの形になった。ちなみに俺は普通免許しか持ってないので戦力外、スターのご機嫌取りに専念だ。
「着きましたよ」
特に何事もなく栗東トレーニングセンターに到着。まあ、なにかあったらとても困るのだが。
今回は山田君がいないので平和なもんである。
「スター、ついたどーほらほらー」
朝七時に到着したので俺もスターもお眠である。半寝の状態でスターに無口頭絡をつける。もう慣れたもんだわ。
「社長、羅田調教師がいらっしゃいました」
朝の仕事をしていた羅田さんが急いでやってきたようだ。
到着時刻は大雑把にしか伝えていなかったからな。馬運車が見えたので慌てたんだろう。
「お久しぶりです鈴鹿オーナー。この度は本当に申し訳なく…」
「過ぎたことです、私に謝るより海老原さんに感謝してください」
「おー、そうだそうだ感謝しろよ、たわけ」
お、海老原のオッサンのエントリーだ。
あくびを噛み殺しながら羅田調教師の後ろ頭を小突く。
「馬房の管理ができないベテラン調教師なんざ聞いたことねぇぞ」
「まったくですよね、我が身を恥じるばかりです」
「まあ、その辺にしときましょう。羅田さん土下座まで行きそうな雰囲気ですし」
つか、十一月の朝早くなので寒いから早く暖かいとこ行きたいんだわ。
羅田さんに挨拶をする俺と交代した柴田さんに連れられてゆっくりとスターが馬運車から降りてくる。
眠くてちょっとイラついてるがいつも通りの調子だ。
「輸送負担は少なそうですね」
「図太いですからね」
「海老原さんどう見ます?」
「繋ぎなんかを見るに1600から2400ぐらいが適距離か? 毛艶もかなりいい、足元もしっかりしてる。強くなるな、こいつぁ。アンちゃんサイアーライン(血統表)は?」
ちょっと待ってくださいねといい、馬運車に積んである鞄からクリアファイルを取り出して海老原に渡す。
「母父ドゥラックに父ゲイリーヘル!? 超良血馬じゃねーか! 羅田! 俺にこの馬くれ!」
「だ、駄目ですよ!」
母父のドゥラックはカナダの名馬で1600メートルから2800メートルまで堅実な走りをする知る人ぞ知る馬。父ゲイリーヘルはオーストラリアで短距離から中距離まで荒らしまわったこれまた名馬だ。海老原は言わなかったが母もヴィクトリアダービーとクラウンオークスを獲っているので血統的には超エリートなのだ。ちなみにこのサイアーラインは手帳に聞いてデータを丸写ししたので間違いはない。
「正直もう走って勝ち負けまで行けるほどには仕上がってます。あとは成長に合わせて調整するしかないですね」
「おう、任せろ!」
「海老原さんあげませんよ! あげませんからね!」
この人たちにスターを預けて本当に大丈夫だろうか…。
やいのやいの騒いでいた羅田さんと海老原だったがふと思い出したように羅田さんが俺に聞いてきた
「そういえばこの子の名前を聞いてませんでした」
「ああ、この子の名前はですねグリゼルダレジェン。黒色の戦いって意味に伝説を付け加えた名前にしました」
「なるほど、黒鹿毛が映えるいい名前だと思います」
「カッコいい名前貰ったな、おめぇさん」
引綱を付けたスター、いやグリゼルダレジェンが柴田さんに連れられて俺たちの目の前にやってくる。
海老原が名前を褒めながら顔を撫でると、レジェンは「でしょでしょ」と言わんばかりに鼻息を荒げてもっと撫でろと催促する。
「人懐っこいな」
「賢いですからね、人の迷惑になるような悪戯なんかもしないし、いい子ですよ。ただ…」
「ただ? 何か問題でも?」
俺と柴田さんが顔を向けあい苦笑する。
「いやね? スター、グリゼルダレジェンは社長が大好きでね。牧場で一日一回は顔を合わせるうちはよかったんですがね、出張なんかで社長がいないときはキュンキュン鳴いて大変だったんですよ」
「それは…」
「これについてはうちの牧場に他の馬がいないってのもあると思うんですよ。牧場にやってきたときに別の厩務員さんと私が付きっきりだったので、すんなりと懐いたってのも大きいと思います」
厩舎やらレースやらで友達が増えれば寂しがることは無くなると思う。
「んじゃあとりあえず厩舎に入れるか。俺の厩舎はこっちだ、アンちゃん」
「あ、柴田さん。海老原さんと一緒に先に行っててください。私は羅田さんと今後について少し話すので」
了解です、と柴田さんの海老原の後を追う。
ついでに、運転手さんに出発は明日なので今日は好きにしていいというと、彼は喜んで出かけて行った。レンタカーでも借りて観光するのだろうか。
「新馬戦のことですね?」
「ええ、その通りです。羅田さん的にはどう見ます?」
「身体が出来上がっていないとは言えど鈴鹿オーナーの調教がいいのでしょう、既に出走はできる状態にはなっていると思われます。六月頭の牝馬限定の1600メートルを目標にしませんか?」
「なるほど、うまくいった場合の展望は?」
「そうですね、適性を把握しないといけませんが重賞の新潟、小倉、札幌2歳ステークスのいずれかに挑みましょう。そこからは調子を見てになりますが2歳期の締めは母親も勝った阪神ジュベナイルフィリーズにしましょう。いかがです?」
「結構です。それにしても…」
俺は羅田さんを見てニヤリと悪い顔をする。
「一皮むけましたね」
「もう四十路前なんですけどね。まさか年下に説教されて考えさせられるなんて思いもしませんでした」
「心に響いたなら、それはあなたが心の底で考えていたことですよ。私はそれを自覚させる手伝いをしたにすぎません」
「ええ、そうですね。友人や部下には心配をかけました。これから取り戻して行かないといけません」
もうへこたれていた羅田はいないようだ。
安心してレジェンを預けられる。
「では我々も厩舎に向かいましょう。主戦予定の足立君も調教の手伝いが終わり次第、顔合わせに来てくれるそうです」
「そうですか、楽しみです」
この後、足立ジョッキーとの顔合わせも終わらせ、帰島する際にレジェンが寂しさから大暴れしたのは別のお話。
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