無事これ名馬なり

「初めまして、調教師の羅田と申します」


「どうも初めまして。桜花生産育成牧場、社長の鈴鹿と申します」


「僕は山田です! お久しぶりです!」


 山田がうるせぇ。トレセンの中に入るのが初めてだからってテンション高すぎるわ。


「あー、申し訳ないんですがコイツにトレセンの中を見て回らせても?」


「え、えぇ。構いませんが」


「だってよ山田君」


「行ってきまーす!」


 厩舎の休憩所で面会していた俺たちだったが山田があまりにも邪魔だったので見学を頼んだらOKが出た。首から来賓証をかけてるし一人で出回っても大丈夫だろう。

 外へ飛び出した山田を見て羅田さんは苦笑。そうだよね、あいつキャラ濃いよね。


「改めまして、私たちの牧場では現在一頭の競走馬を所有しております。育成の視点から見るとかなり走る馬です」


「おぉ、それではその馬を我々に預託していただけると?」


「もちろんと言いたいところですが、失礼ながら質問をさせていただきたい。テストとも言い換えていいかもしれません」


「テスト、ですか…?」


 不安そうな顔をしてこちらを見つめる羅田さん。

 いきなりテストなんて言われれば不安になるよな。


「簡単なことです。ええ、簡単なことなんですよ」


 そう、本当に簡単なことだ。


「あなた、私の馬を預かって勝てますか?」






ーーーーーーーーー



「勝てますかって…、それは当然のことでしょう?」


 その質問に羅田は動揺した。

 なんて質問をぶつけてくるのだと、憤りさえ感じた。勝ちを目指さない調教師なんていない。そんな当たり前のこと。

 そう、当たり前のことなのだーーー。


「質問の答えになっていませんね」


「いえ、ですから当然のことだと」


「勝つと言えと言っているんですよ私は」


 ゾッとする程の覇気。無表情の面目を鈴鹿は羅田に向けた。

 身体が竦む。これが一つの牧場を経営する男の圧力か。羅田はモゾりと身じろぎし、相対する。


「勝ち、ます」


 羅田はとてもとても小さな声を絞り出す。

 鈴鹿は呆れるように右中指で額を掻いた。


「あなた、怯えてますね」


「いや、それはその」


「私にではなく、競走馬を育てることにですよ」


 クリティカルヒット、誰にも知られていない秘密が会って間もない人間にバレた。

 気の弱い羅田は顔を伏せる。それしかできないのだ。


「あなたの管理馬の戦績を調べました。レイブンダンス、フラワーマニューバ。それぞれ愛知杯、アイビスサマーダッシュを勝利していますがおかしな話です。二頭とも適性を縮めた距離だ。あなた、この時までは勝とうと闇雲に戦っていたのでしょう」


 しかし、そう続けられた鈴鹿の言葉を羅田は聞きたくなかった。


「結果、彼らは怪我を負い引退した。それがあなたの調教師としての一年目のことです。そこからあなた、恐れましたね?」


 羅田は生まれたての小鹿のように震える。だが鈴鹿は止まらない。


「ただひたすらに適距離以外を走らせずに、かつ調教も無理をしない! だから仕上がったとしても万全ではない! それでも怪我を恐れキツイ調教を施せなかった。違いますか?」


「ち、ちが…」


「違わないでしょう。現にあなたの所にいたエクセルトップは別厩舎でG2を取っている! 私は一目でわかりましたよ、あなたは本当に管理しているだけだとね!」


 いつの間にか座っていた椅子から前のめりに飛び出していた鈴鹿は、コホンと咳ばらいをして座りなおす。


「信用してくださいよ」


 不意の言葉に羅田は思わず顔を上げる、涙で目の周りが真っ赤だ。


「我々は競走馬を生産し、育成を施すのが仕事です。ですがね、もちろん怪我のことが頭から離れないんです。当たり前ですよね。自分の子供と変わらないぐらいかわいいんですから」


 私、子供いませんけどね。鈴鹿はそう言って両手を挙げおどけて見せる。


「しかし、私たちはそれでも競走馬として送り出します。それが彼らの生まれた意味だから。経済動物である彼らの存在する意味を我々は途絶えさせてはいけないから。だから、信用してくださいよ。私たちじゃなく、彼らを。走るために生まれた彼らを」


「信じる…」


「レイブンダンス、フラワーマニューバのことは大変ショックだったと思います。重賞馬を出したと思ったら、そのまま怪我で引退。トラウマになっても仕方ありません。でもね、あなたがそのまま失敗したと思い込んだまま沈んでいくと彼らの頑張った証も埋もれます。どうです? もう一度だけ聞きますよ」

 

 右手で顎をさすりながら、鈴鹿は静かな声で告げた。


「あなた、私の馬で勝てますか?」


 羅田は一拍置き、震える声で。


「勝ちます…。勝たせます!」


 鈴鹿は口角をあげ、よろしいと言った。






ーーーーーーーーーーー



 一人になりたいであろう羅田さんを置いて休憩所のドアを開けて外に出る。

 中から見えない位置のドアの傍に屈みこんだオッサンがいてビビった。

 指を口の前に立ててシーッとジェスチャーを俺に送ると、前を指さして移動を促す。

 それに従い休憩所から少し離れた場所でその男は息を吐いた。


「わりぃなアンちゃん」


「いえ、どうしてあそこに?」


 盗み聞きが趣味とか言ったら守衛呼ぶぞ。


「羅田が心配でな。俺の言いたいこと代わりに言ってくれて助かったわ」


「お気づきなら自らおっしゃればよかったのでは」


「まーな、でもよ羅田はあの性格だろ? 調教師の俺が言ったら逆に才能なしと思って辞めちまうんじゃないかって心配でな、踏み切れなかったんだわ」


 なるほど、万里ある。


「韮澤も牡蛎山も足立のハナたれもみんな心配してたんだ。長い付き合いだから気を使って誰も言えなかったしな。

 ま、アンちゃんには感謝してるってことだ」


「そうですか。私は信用できる調教師を求めての結果なのでお気になさらず」


「だから俺はアンちゃんに恩返しの代わりにトレセンの中を案内しようと思ってな? どうだい?」


 それはありがたいな。


「では遠慮なく」


「おう、坂路スタンドから行こうぜ!」


 彼に連れられ坂路スタンドに行くと。


「うっひょーお! アルメジアンラド! あっちにはメルメルミー! 素晴らしい!!」


 恥が、いた。


「なんだあの坊主」


 震える声で俺は。


「うちの従業員です…」


 頭を抱えた。

 もう二度と連れてこねぇ。

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