俺、なんかやっちゃいました?(猛省)
「そういえば、繁殖牝馬はどうなさるんです?」
長妻さんがビッグロールの芝張り機を操作しながら尋ねてくる。
レジェンを厩舎に預けたことで≪愛馬を調教師に預ける≫のミッションをクリアしたので報酬がまた牧場に送られてきた。
山のような、いや、芝の山だ。そしていつの間にか牧場の裏手が拡充されてレース場並みの広さになっていた。そこまでしてくれるなら、ついでに芝張ってくれよ…。
グチグチ文句を重ねたところで現状は変わらず。しかも、レジェンがいなくなったことで管理馬がゼロに。厩務員二人組と俺は手が空きまくっている状況だ。やる気満々の柴田さんと妻橋さんに連行されて一か月かけて芝を毎日毎日張っているのである。
「山田君に頼んだ北海道出張は人の伝手を得ましたが馬は駄目でしたし、一月末のセールを覗いてみるしかないですね」
「私も知り合いに聞いてみましたが全滅でしたね」
「俺も手ごろなのがいないか逆に尋ねられましたわ」
「ですよねー」
本日最後の芝をアメリカンレーキで綺麗に寄せて固定する。柴田さんが転圧機に乗り込み圧をかける間に、散布するための目地砂を用意する。これがまた重いのだ。
「最近ゲームの影響で馬主になる人が地方中央問わずに多いらしいですから」
よっ、と掛け声とともに砂の散布機に妻橋さんが乗り込む。俺は散水機を持って待機だ。
それにしてもゲームねぇ…。
ポケットに入れておいたスマートフォンのスリープを解除し、例のアプリを起動する。
「あん?」
「どうかなされましたか?」
「いや、ちと電話みたいですね。すいませんけど散水頼みます」
「承知しました。柴田君にも伝えておきます」
頼みますと断りを入れて無人の厩舎へと駆ける。
例のアプリにアップデートのポップアップが出ていたからだ。
誰にも見られないように大仲に入ると施錠する。逸る気持ちとともにポップアップをタップする。
タップすると繁殖牝馬取引機能と特別アイテムショップ機能追加のお知らせと表示されている。
今欲しい機能の追加か!? やっぱり誰か俺のこと見てない?
「ほんほん…。繁殖牝馬取引は庭先取引形式で毎月ラインナップが変わるのね」
試しに表示されている牝馬の名前を魔法の手帳に書いてみる。
『その名前の競走馬は存在しません』
「ワッツ?」
存在しないって…。もしかしてとは思っていたがアプリ君、無から有を生み出してないか君。
ある種の上位存在が俺たちを使って遊んでる…? わからないことを考えてもしょうがない。つかオカルトすぎて考えたくない。
ともかく牧場の繁殖牝馬問題はこれで解決しそうだ、ありがとう神様(仮)。
悩みも解決したのでアプリのもう一つの追加機能をタップしてみる。すると真っ白な画面に切り替わり、サイドバーが横からスライドしてきた。そこにはセール、繁殖、現役の三つのアイコンが順に並んでいる。
試しにセールの文字をタップすると画像と一緒に名前と値段が表示された。
『セール! 絶対ナンデモナオール、六百万円、飲み薬、馬の病気が一つ治る』
『セール! 最高チョウシヨクナール、五百万、飲み薬、馬の調子が一晩かけて治る』
『セール! 発情フジュタイシナーイ、千五百万、飲み薬、繁殖牝馬に種付けする前に飲用させると絶対に受胎する』
はい、オカルト。
事象の書き換えをやってくる相手だから身構えていたけど思ったよりドストレートだ。
深く考えるのはやめよう。魔法の手帳を持っていることで他の生産者より数段も有利だし、今更全部手放すなんてのは持った力の責任の放棄に過ぎないのだ。
アイテムはレジェンに問題が発生したときに、もう一度よく調べてみよう。
「これで繁殖牝馬のことも解決か…」
「そうなんですか?」
「おわぁああああああああ!?」
施錠したはずの大仲のドアが開き大塚さんが声をかけてきた。
「ど、どうしてここに」
「柴田さんと妻橋さんが仕事が終わったから帰宅する旨を社長に伝えたいからどこにいるか知らないかって聞かれたんで探してたんです。もし電話中だったら申し訳ないから電話も使えなくって」
「ああ、それはすまなかった。先に戻って上がっていいって伝えてくれるかい?」
「でも繁殖牝馬の件に目途がついたんですよね? お二人にお知らせしなくてもいいんですか?」
「連絡が来ただけだから資料を明日まとめて持ってくるよ」
「なるほど、納得です。それではお先に失礼しますね」
「うん、気をつけて帰るんだよ」
大仲のドアが再び閉まる。
突如起こったハプニングに動揺したが、ちょうどいいのでこの場でアプリを使って品定めしてみようか。
驚いてスリープにしてしまったスマートフォンをアクティブにしてアプリを立ち上げる。
繁殖牝馬のアイコンをタッチすると、取引に必要な情報が表示される。名前、馬齢、一言コメント、希望掲示金額、特殊な条件の順だ。サイアーラインは見ることができない。いや、手帳が教えてくれなかったのでまだ存在してないのではなかろうか? 俺が購入すると逆説的に親が生まれるのでは? 仮説として一考する。
『ロストシュシュ、七歳、驚異的な末脚で短距離戦線を走りぬいた、千九百万円、とくになし』
『ジェネレーションズ、十歳、スタミナとスピードに優れた良血馬、一億百十万円、とくになし』
『ウェスコッティ、四歳、屈腱炎で引退したオークス馬、五千九百四十万円、初産の一頭の購入権を譲渡者が持つ』
『リリカルエース、六歳、零細血統の肌馬、千二百三十万円、とくになし』
なるほど、良血統だと条件が付いたり価格が高かったりするのか。
デメリットがよくわからないから一通り購入して駄目なところを洗い出すか。
ページに並んでいた八頭全ての繁殖牝馬を購入した。
購入してしまったのだ。
ーーーーーーーーー
俺はアホである。
今まで特典なんかはどうやって送られてきた? 少しは考えるべきだったのだ。
「社長、この状況の原因、お聞かせ願えますか?」
妻橋さんがぶちぎれている。
「俺も擁護できませんよこれは」
柴田さんは呆れ。
「アンタさぁ、防疫って知ってる?」
尾根さんは土下座している俺の頭をチョップで連打し。
「領収書、だして」
「わ、わかんないっピ」
「あ”ぁ”?」
大塚さんが比喩できないほどの怒りの化身になった。
つまり、何も考えずに全購入した俺はよく眠り。翌朝出勤したときに秋華棟にいつの間にか連れ込まれていた牝馬たちに絶句。その十分後に出勤した妻橋さんも絶句。柴田さんは右人差し指を額に持っていきシワのマッサージを始め、尾根さんは俺にワクチン接種の有無を聞いた後、わからないと答えたらガチビンタを右ほほにプレゼントしてくれた。ちなみにワクチン接種証が知らず知らず俺の仕事鞄に入っていた、ありがとう神様(仮)。大塚さんは領収証が無くて普通にキレてる。山田は…なんかもういいや。
「確かにね、社長。繫殖牝馬は必要です。でもね、いきなり八頭は困りますよ。準備ってものがあるんです」
「おっしゃる通りです」
「山田も大概だと思ってましたが社長はスケールが違いますね」
「いやそれは…、はい、その通りです」
柴田さんに反論しようとしたら、大塚さんの殺人鬼めいた視線が俺を襲う。
しゃべったら獲られる(生命が)。
「あのね、牧場内にいきなり動物を連れ込まないで。病原菌はちょっと油断しただけですぐに蔓延するの。馬たちだけじゃない、私たちにだって感染する可能性のある重篤な病気だってあるんだから」
「はい、ごめんなさい…」
普段おちゃらけた尾根さんも真剣に注意してくる。
「フシュウウウウウウウ…」
「あの、領収証はないですけど俺のポケットマネーで買ったことにするんで許してください」
「あ、なら大丈夫です」
女の変わり身は早い。
一通りお説教が終わったところで妻橋さんは嘆息し。
「とにかく馬体のチェックをしましょう。昨晩のうちに運び込まれたなら完璧にチェックしたとは言い切れないでしょうから」
「そうですね、芝張りは延期ですなこりゃ」
「すまぬ…すまぬ……」
「申し訳ないと思ってるなら、さっさと立ち上がってアタシたちの倍は働きなさい!」
最後に一発、俺の脳天にチョップを決めて尾根さんは検査道具を診察室に取りに行く。
厩務員の二人も大八車を引いて飼い葉を積み込みに、大塚さんは事務所に戻るようだ。
とんでもないやらかしをしたことを反省しながら一足先に秋華棟へ向かう。
「あ、社長! すごいですね! どうやってこんなに繁殖馬を集められたんですか! すごいすごい!」
「山田君…」
やっぱりコイツと同列は納得いかないわ。
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