本格的に動き出す

 結論から示すとアメリカでの買い付けはうまくいかなかった。

 要因はいくつもあるが一番大きなものは某国の大富豪が良馬を根こそぎ持って行ったこと。これに尽きる。

 いいなと思った馬は結構な数いたのだが金の暴力によって全て掻っ攫われた。許容の倍額を叩きつけられると手も足も出なかった。

 今回セリにかけられた馬の名簿記載数はおよそ五百七十頭で落札は三百四十頭だった。例年に比べ記載数が明らかに少ないのもあって俺たち弱小牧場はお財布のたたき合いに敗れるか誰の目も引かない零細血統の馬を買うしかなかったのがイヤリングセールの総評だ。

 もちろん日本からやってきた馬主からセリ代行を引き受けた調教師もおり、そちらはまずまずの馬をそこそこの値段で購入していた。やはり俺たちとは経験値が違い買い物が上手だ。

 おおよそ失敗と言っていいセリの結果はさておき、よかったこともあった。

 まずはさきほどの調教師との誼を持てたこと。大森調教師、海外馬をメインに取り扱う厩舎の長だ。比率でいえば厩舎内の八割が海外馬とのこと。将来預託を頼むかもしれないから名刺交換はしておいた。他の調教師とも名刺交換はしたが有名どころは大森さんだけだ。

 次にアプリのミッションが一気にクリアできたこと。


≪外国の競馬場に赴く。をクリアしました≫

≪一歳馬のセリに参加しよう。をクリアしました≫

≪調教師と名刺交換をしよう。をクリアしました≫

≪ミッションを五つクリアしました。特典を付与します≫


 今回のクリアで得たものは大きい。

 資金(十億円)。特に言うことはない。妻橋さんからメールが飛んできて十億円が桜花島の牧場に寄付されているとのこと。いきなり渡し方が雑になった。

 高栄養飼い葉キューブ(二セット計八週分)。書いて字のごとく高栄養の飼い葉がキューブ状になっているもの。同じく妻橋さんからのメールで使い方の記された手紙とともに宅配便で牧場宛てに届いたそうだ。よかった、空から降ってこなくて。

 そして最後に五つクリアの特典。日本での達成数が三つ、アメリカに来て三つの計六つ。達成数クリアの報酬は即時でなく、日付の切り替えと同時に行われるようで俺がホテルで休んでいると、達成のアナウンスとともに特典である黒革の手帳が顔面の上に飛んできて思わず叫んでしまった。反省。

 そして、この黒革の手帳は人には教えられぬファンタジーアイテムだ。

 俺は手帳が顔面に落ちてきたときに思わず手に取った。その瞬間、使い方が一気に脳内を駆け巡る感覚を覚えた。久しぶりのオカルトにもう一度叫んだ。反省。

 どうやら、この手帳は見開きのページの左側に知りたいことを書くと右側に答えが出る魔法の手帳らしい。なお、競馬にかかわることだけ返答してくれる。明日の株価を聞いたら右側ページいっぱいのクエスチョンマークで返された。

 魔法の手帳を手に入れたのはセリの一日目の夜。セリは十一日間行われるので二日目に出品される馬の名前、公的に名前はついていないためオビシュディアンの2036(オビシュディアンから生まれた2036年の子供の意味)のステータスを知りたいと記入すると帰ってきた答えは。


『オビシュディアンの2036。適距離1600メートルから2000メートル。脚元が弱く体質も良くはないため競走馬にあまり向いていない。性格も気弱。総合評価G。購入推奨価格は二百万円前後』


 すごく辛口だった。だがすごい手帳だ。

 セリ素人の俺は手帳を持って天意を得たとばかりに張り切ってセリに臨んだが結果は上記の通り、マネーパワーのゴリ押しで大敗。なまじステータスが見えるせいで売れ残った片手落ちの馬を買う気にもならなかった。


 帰国して三日後、山田君も北海道から帰ってきた。


「いやぁ、いい出張でした」


「幸せそうでなによりだよ」


 比喩でなく山のような大量の北海道土産を倉庫に収め、事務所でニコニコしながら名刺整理を行う山田君。

 手元の名刺はシュバババと音が鳴りそうなほど素早く、そして綺麗に整頓されていく。


「何枚ぐらい交換したんだい?」


 二週間程度の出張で貰うにはあまりにも多すぎる名刺量にいささか引きながら問う。


「牧場関係の方が百枚程度です。それ以外の競馬関係者、調教師の方が四枚にジョッキーは二枚ですね。ジョッキーは吉さんと新田さんですよ! すごくないですか!? レジェンドとミスターいぶし銀に会えたのが本当に嬉しくて嬉しくて!」


 名刺にキスしそうなほど興奮している。本当に競馬が好きなんだなと思い暖かな気持ちになると同時に普通に気持ち悪いと感じる一般感性の俺が共存する不思議な感覚に陥った。


「普通に引きます」


「あ、言っちゃうんだそれ」


 山田君から領収書を受けとった大塚さんが瞼を引き攣らせながらキーボードを打ち込んでいく。

 

「なんとでもおっしゃってください。お馬さん成分を吸収した僕は今無敵なんです」


「この北海道ホースパーク入園料は私用なので領収書きれません」


「そんなァ!」


「君、本当に仕事してた?」


 やいのやいの言い合う二人を尻目に山田君が貰ってきた名刺を一枚手に取る。

 表面には牧場名と牧場長の名前、裏面には山田君のメモが書いてある。どうやらこの牧場長はロマンある種付けを好んで行い嫁と子供に逃げられたとのこと。

 他にも数枚手に取って見ると裏面には似たような趣味趣向やら性格なんかが一言ずつ記載されていた。山田君はマメだ。


「あ、それでですね。社長に名刺を渡してほしいと調教師さんが」


 山田君は急に振り返り、整理しファイリングした名刺の一枚を俺に手渡した。

 それには『羅田武臣』と書かれていた。裏面を見ると栗東、十五、抱えありと刻まれている。


「栗東の調教師さんですね。管理馬房は十五でかなり少ないです。でも厩舎所属騎手がいるので主戦に据えると乗り替わりなんかはほぼ起こらないです」


「へぇ、所属馬は?」


「有名…と言っては語弊があるかもしれませんが、レイブンダンスやフラワーマニューバですかね。G1馬は管理馬から出ていませんね。懐の暖かいクラブやオーナーブリーダーが一部の調教師を贔屓にしてるのもあるでしょうけど、畳むのも時間の問題って感じの厩舎ですね」


「諦めきれないから少しでもいい馬を…。一縷の望みを持って北海道で挨拶道中ってことかい?」


「そういうことみたいです。零細牧場を回って少しでもいい馬がいたら馬主さんに繋いでもらって再起したいらしいですね」


「私は他所の事情をよくわかりませんが調教師だからってボンボン預託が来るわけじゃないんですね」


「それはそうですよ。大塚さんも美容院は桜花島の床屋じゃなくて博多の有名店に行ってるじゃないですか。お金出して綺麗にしてもらうんですから少しでも腕のいいところに行きますよね? 馬主さんも同じです。競走馬を買ったからには稼いでほしい、G1を獲ってほしいって考えるのはおかしくありません。一頭は安くても国産車程度は絶対購入資金がかかってるんですから有名調教師に預託を望み、一流騎手に鞍上を委ねたいのは当然のことなんです」


 熱弁する山田君を尻目に手帳に先にあがった二頭の競走馬の名前と戦績と書く。


『レイブンダンス、引退済み、十六戦六勝、主要獲得タイトル、愛知杯』

『フラワーマニューバ、引退済み、八戦四勝、主要獲得タイトル、アイビスサマーダッシュ』


 これは…、なんとも寂しい戦績である。

 

「山田君、羅田調教師は開業何年目だい?」


「えっと、八年目だったと思います。騎手にならずにストレートで調教師になられたんで四十歳前ですけど開業して結構経ってます」


 それでこの戦績か…。

 いや、逆に返せばいいのか。藁をもすがりたい状況なのは間違いないはず。スターを預託したとして俺の我が儘を通しやすいのはプラスに働くはず。

 一度会ってみるか。


「決めた。一度会ってくるよ」


「本当ですか!? 頼まれたからお伝えしただけでオススメはできませんよ?」


「いいんだよ。小規模牧場と零細調教師が手を取り合ってG1制覇。燃えないか?」


 山田君はポカンとして、硬直し。ブルブルと身体を震わせて。


「メッチャ燃えます!」


「そういうことだ。先方と連絡を頼む」


「分かりました!」


 鞄からスマートフォンを引っ張り出して外へ駆け出した山田君。

 外へ出ても大声で事務所の中まで通話の内容が聞こえる。


「楽しそうですね山田さん」


「元々から馬が好きでエリート街道蹴とばしてこっちに来た筋金入りだからね」


「九州の島で馬産をしてる社長も人のこと言えないですけどね」


「いやまったくだ」


 笑顔で再び事務所に入室する山田君の顔を見ながら無理矢理始まったこの生活も案外悪くないと思い始めていた。


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