夏の終わり

 ルチェドラトとスィートピーは陽射しが高くなる前に馬車でどこかに出掛けていき、ルイはポツポツ王都に戻り始めた友人との約束で朝からいなかった。


 残された二人は、夏から秋にかけて咲く薔薇や小さな葉を揺らす細い木立を愛でながら、銀葉が足元に茂る『バーモントの庭』で昼食を取り、決して派手ではないが、色とりどりの小さな花や大きな花、陽の光で輝く青、緑、黄緑、銀の葉の混在する庭園を散策して、また庭の木陰に置かれたテーブルに戻って来た。


 テーブルには、庭で摘んだ花が美しく生けられている。

 風が通り抜けると、たった今踏んできたらしいハーブがどこからか香る。


「ノワール様。これは…。ずいぶん前にお渡しするはずが、渡せずにいたものなのだけれど…。よかったら…。」

 ヴィオラは、少し傷んだ小さな紙の包みをテーブルの上に二つ差し出した。


「これは…。開けていい?」

 ノワールは大事そうに紙包みを開けた。


「あ…。ブルーベルだ。」


 手のひらに、小さな『ブルーベル』のガラス細工をのせてヴィオラに微笑むと、ヴィオラは、一目で『ブルーベル』だとわかったノワールに驚いていた。


「僕は、この花が好きなんだ。もうずいぶん見ていないな。」


 ノワールは、そう言って手のひらのガラス細工を軽く握ると目を閉じた。

 以前贈られた『スミレ』のガラス細工とは少し違うが、間違いなくヴィオラの魔力が感じられる。



『スミレ』の置物は今回の旅にも持ち込まれ、ノワールの部屋の机に置かれている。


「ありがとう。あの時、本当は、これくれようとしていたの?」

「ええ…。」

「あの時は…。ごめんね。」

「いいえ…。私の方こそ…。」

「これには、何を願ってくれたの?」

「それは…。」

 ヴィオラは、今更ながらなんだか大胆な願いを込めたことが恥ずかしくなった。


『仲良くいられますように』

 それを口に出すのが妙に恥ずかしい。


 モジモジしだした可愛いヴィオラをみて、自分まで照れだしたノワールは、真面目な顔を作った。

「よし…。当ててみよう。」

「当てなくていいわ。それよりそちらの包みも開けてみて。」


 フと笑いながら紙包みを開け、ヴィオラの手による『ブルーベル』の刺繍のハンカチをしばらく人差し指でなぞるようにしながら嬉しそうに眺めていたノワールは、大事そうにハンカチをしまい、テーブルの上に置いたガラス細工にそっと触れた。


「僕も、君に何か贈り物がしたい…。何がいい?」

「まぁ…。」

 ヴィオラは瞳を輝かせて喜んだ。

「何か欲しいものある?」

「何でもいいの?」

「何でもいいよ。」

「では…。思いきって言うけれど…。無理なら断ってくださらないとダメよ?」

「うん。わかった。」

 ノワールは笑いながらワクワクしている。


「学園に戻ったら…、月に二回はお会いしたいわ。場所はどこでもいいから。」


 ――なんて可愛いことを言うんだ…。


 ノワールは、緩む口許に手を当て、難しそうな顔をしてみせた。


 すぐに、「いいよ。」と言ってくれると思っていたノワールの難しそうな表情に、ヴィオラはガッカリした。


「お忙しい?」


「いや…。」


「月に一度でも…、難しいかしら…。」


 確かに、夏になるまでノワールはとても忙しそうだった。

 多忙な恋人を思いやれない幼い望みだったかと、ちょっと切なくなり、この夏は毎日会っていたのに、新学期からは月に一度会うことも難しくなるのかと寂しくなった。


 それなら、会えなくてもノワールを近くに感じられるようなものをねだろうか…。と考え始めると、難しい表情のままのノワールが口を開いた。

「月に二回だけでいいなんて…寂しいことを言う…。」

「えっ…?まぁ!」


 ノワールは不敵な笑みを浮かべた。

「そうだな…。週に二回は必ず。そのうち一回は絶対に二人だけで。お互いに忙しい時にはその都度連絡して、会える時には何度でも…。秋休みは難しいが、冬休みはルチェドラトとルイを呼んでセヤで過ごさないか?」

「まぁ…!もぅ!」

「僕が学園を卒業した時よりもずっと仲良くなってるし、毎日会うのが当たり前になっていたからね。月に二回だなんて少なすぎるよ…。そう考えると、スィートピーは気の毒だな。」

「スィートピー様とお兄様…。ご婚約内定も驚いたけれど、いつの間にあんなに仲良くなられたのかしら…。私、舟で聞いてとても驚いたわ。」

「僕も驚いた。あの時まで君が何も知らなかったなんて…。毎日二人でお茶を飲んでいたじゃないか…。」

「確かに…そうだけれど…。そうよね…。確かに、お兄様がスィートピー様を舟遊びにお誘いした時に気がついていいはずだわ…。あんなこと初めてだもの。それに…。お兄様は、なんだかとってもまろやかになられたわ…。お兄様ってとってもお優しいけれど、女性にはちょっと無関心なことが多くって…。でも、なんだかスィートピー様とご一緒の時にはお可愛らしいというか…。」

「…。」


 ――いや…、もっと早く気がつくだろう…。


「お可愛らしいと言えば…。ノワール様も…。入学式の日、サロンでとってもお可愛らしいご様子で…。」

「えっ?」


「ただいま~。」

「ルイ!お帰りなさい。」

「お帰り…。ルイ。」

「あ~。疲れた。お二人がこちらにいると聞いて走ってきたんだ。ダンテ、僕にレモン水をちょうだい。暑いよ。ちょっと涼しくしていい?」

 ルイは、こともなげに周囲を涼しくしてみせた。

 まだ少し高い椅子によじ登ると、レモン水を飲み干しておかわりを要求しながら、残念そうに話し出した。

「ノワール様、明日お帰りになってしまうんですね。明日からはノワール様とお兄様の剣術のお稽古を見られないのか…。友だちにも見せたかったな~。」

「そうねぇ…。寂しいわね。」

 大きなグラスを両手で持ちながらルイは話したいことをどんどん話す。


「二人とも本当にお強かったなぁ…。でもさ…。お二人は、護られる側でしょ?あんなに強い必要ある?お兄様がダンテたちとお稽古してるのを何回も観たことあるけど、あんなにスゴいとは知らなかったよ。ノワール様と対戦なさっている時のお兄様はすごく楽しそうだし、ノワール様も笑いながらでもスゴい速くて、スゴい激しくて…。見るの楽しかったんだけどな~。」

「ルイは剣術頑張ってるかい?」

「う~ん。僕はさ~。戦うなら剣術よりも魔術だな~。」

「そうなのね…。ルイは、もう私よりたくさんの魔法を使えるものね…。」

「まぁ、お姉さまよりは…。ノワール様、本当に明日帰ってしまうの?僕ノワール様とも『タラゲーム』対戦してみたかったな~。スィートピー様とは何回も対戦していただいたけれど…。ノワール様もお強いんでしょ?」

「どうかな…。ヴィオラよりは強いと思うけど…。ルイは手強そうだ。」

 ルイは、不敵な笑みを浮かべるノワールを見て嬉しそうにニヤッと笑った。

 弟にも恋人にもバカにされ、憤慨しようとしたが、タイミングを逃したヴィオラは、「もう…。」とため息をついた。


「あ~明日にはお二人が帰ってしまうし、それから少ししたらお姉さまもセヤに行ってしまうなんて…僕つまらない。」

「でもね、ルイ。冬にはセヤにご招待くださるそうよ。」

「えっ?本当?ノワール様!それならいいや。早く冬にならないかな~。僕暑いのは嫌いだよ。冬生まれだからかな。ノワール様、もしセヤでお誕生日を迎えることになったら、お誕生日会を開いてくれる?」


「もちろん!盛大にやろう!」

「ルイは行ってはダメとお母様に言われないように、お勉強も剣術も頑張ってね。」

「お姉さま、なんだか最近、ちょっと意地悪になった気がする。お兄様はすごく優しくなったのに…。」

「ま…ぁ!ルイったら…。」


「私がなんだって?」

 小道に少し暴れだした枝をおさえながら、ルチェドラトがスィートピーを先に通した。

「あっ、お兄様!スィートピー様!お帰りなさい。どちらに行ってたの?」

「うん。馬車で薔薇園まで行ってきたんだよ。」

「ええっ。あんなに遠くまで?」

「薔薇は綺麗でした?」

「う…ん。そうだね…。」

「咲いていなかったのですか?」

「いや…咲いてた。と思う…。」

「?」

「うん…。今度、新たに薔薇園を作ろうと思って…その為に色々観てきたんだ。」

「へぇ…新しく?」


 ――新しく薔薇園をお作りになるの?お兄様は、私のためにお花を集めてくださったり、庭園作りに関わったりなさっても、ご自分はさほどお花にご興味がないのに…。


 ――あっ!


「わかりましたわ!スィートピー様の為の薔薇園ですね!セヤは薔薇がとても有名ですものね!確か、スィートピー様のお名前の薔薇も…。」

「ヴィオラ様!」

 真っ赤になっているスィートピーから抗議のような声を出されて、ヴィオラはポカンとした。


「まぁ…。スィートピー様どうなさったの?お顔が…。お暑いのではなくて?どうぞこちらに…。ここは一日ずっと日陰でしたから涼しいわ。お兄様もどうぞ。冷たいものを召し上がって…。」

 ヴィオラは、二人に冷たいレモン水を用意させ、自分も座るとまた元気よく話し出した。

「スィートピー様。楽しみになさってよろしいわ。お兄様ってご自分はさほどお花にご興味がないのに、贈る相手の好みのお庭を作るのは本当にお上手なの。この『バーモントの庭』もお兄様が考えてくださったの。素敵でしょう?だから、きっと薔薇園もスィートピー様が気に入るようなものを作ってくださるわ。だって愛する婚約者の為のお庭ですもの…それはそれは素敵なものになさるに違いないわ…。」


「ヴィオラ…。もう…その辺で…。」


 ノワールに微笑まれ、ヴィオラが「ん?」と薔薇園に行った二人を見ると、ルチェドラトもスィートピーも真っ赤になっていた。

 ルチェドラトは目を閉じて天を仰ぎ、スィートピーは両手で顔を覆っている。


「お姉さまって…、そう言うところお母様に似てるよね。」


 顔の半分を隠すほど大きなグラスのレモン水から目を離さずに、五歳らしからぬルイが冷静に指摘すると、ヴィオラは怒るところなのか喜ぶところなのかわからずに戸惑ったが、皆は吹き出した。


 陽が傾き、なま暖かい風が、涼しい風とともに通り抜けると、庭には秋を告げる珍しいトンボが飛び始めていた。


「明日には一度サヨナラだけど、また冬には皆で楽しく過ごせるんだよね?」

「そうだね。ルイ。」

「楽しみね。」

「セヤに来たら何がしたいか考えておくといいよ。」

「また『タラゲーム』をしましょうね。」



「うん。皆さんもそれぞれに頑張ってください。」


 五歳の第二王子は、精一杯大人っぽく締めくくったが、大事なことを言い忘れていたことに気がついた。



「僕のお誕生日プレゼント…みんな忘れないでね。」

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『金の魔王と黒の魔王 完全攻略大辞典』の愛読者ですが、ゲームはやったことないんです。 のこもこ @ajisai616

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