初デート


 タラの夏の夜は少し冷える。


『初デート』に大いに張り切ったルチェドラトは、とにかく自分の持てる技術を余すことなく発揮してスィートピーをもてなしたかった。


 二人で歩き回るであろうエリアを適温にし、万が一雨が振りだしてもこの庭園にいる間には濡れないように、虫が寄り付かないように、良い風だけが抜けていくようにと結界を張った。


 庭園は、それはもう誰もがうっとりするほど幻想的にライトアップが施され、全てのベンチにはクッションや敷物が置かれている。


 歩くうちにほんの少し夜風が冷たくなれば、上着を貸してやれる。


 ――どのくらいで夜風を冷たくしよう…。



 不吉な本の愛読者であったヴィオラによってデザインされた、「お兄様の魅力を最大限に引き出すこの時季に相応しい服」でありながら、上着を貸してやった時にスィートピーが重くないものを選び、ウキウキしながら夕食に向かった。


 ソワソワするルチェドラトを見て、皆はしたり顔で微笑みあい、スィートピーは、周りから向けられるその微笑ましげな視線に、生きた心地がしないほどの緊張と恥ずかしさを感じた。


 ルチェドラトは、周囲の反応などお構いなしに甘い視線を送ってくるし、皆は「わかっていますよ。」と言った楽しそうな視線を送ってくる。

 唯一の助けは、無邪気なルイだけだ。


「今日はやけにスィートピー様から話しかけられるな…。」

 ルイは戸惑いながらも、行儀よく話を弾ませた。




 すぐ横にルチェドラトの体温を感じながら、美しくライトアップされた庭園を歩くスィートピーは、「まだ信じられないけれど…、ルチェドラト様は、私に好意を寄せ始めてくださったのかしら…。」と考えた。


 急激な状況の変化についていけず、フワフワとした夢の中にいるようで、幸せすぎる今の状況もなんだか現実ではないような気がする。


 ルチェドラト様も黙っていることだし、美しい庭園を眺めながらも、ちょっと冷静になってみようと、少し前まで考えていたことを思い出した。


 世界が終わる発端となった自分と、世界を実際に終わらせたルチェドラト。


 スィートピーの中で、どちらが辛いかはわかりきっていた。


 今の自分は、兄を愛して、セヤを愛し、ルチェドラトに恋をして、ヴィオラを姉妹のように愛している。

 タラの国王は大好きな父の大親友ではあるし、タラの王妃は、母のいない自分にとって想像以上に頼れる女性だった。


 私がタラに嫁ぎ、タラの為に尽くすことが当然のように思えるほど恵まれている。


 だが、ルチェドラトは少し前まで兄を敵と見なし、私にはそれまで何の感情も持っていなかったにも関わらず、今回の言動によって私を甚だ不快な人物と認定したはずだ。


 幼い頃からヴィオラを愛して守り、いつしか側に置いて守ることに固執して、自分の愛するタラから、それ以上に愛する妹がいなくなることを恐れているのだ。


 ――兄とのことを賛成しても、彼がヴィオラ様を失うことを恐れているのがよくわかる。



 魔王だった時のことをどのくらい覚えているのだろうか…。


 どれだけの時を戦って来たのだろう。


 その時の苦しみを二度と味わわない為に、ヴィオラ様をどうしても手放したくなかったのだわ。



「ルチェドラト様…。魔王でいらした時…。どのくらい戦っていたのですか?」



 度肝を抜くようなタイミングで、フワと恐ろしい質問をしてくるスィートピーに、ルチェドラトは呆気にとられた。

 自分を見上げている彼女は、ただ心配そうで、彼女になら話しても構わないと自然に答えが口から出た。


「わからない。十年か百年か…。」


「そうですか。お辛かったでしょうね…。」


 魔王であった時のことをそんな風に慰められるとは思っていなかったルチェドラトは、身体の奥底に置いていた小さく固められた硬い石が、急にサラサラと砂のように浄化していくような感覚になって、涙が頬を伝ったことに驚いた。


 自分の意思よりも先に涙が出たことに驚きながら頬を拭うと、スィートピーがハンカチをそっとあててくれた。



「ルチェドラト様、少し座りましょう。」


 流すつもりも、見せるつもりもなかった涙をスィートピーに拭かれながら、ルチェドラトは半ば呆然とベンチに腰かけた。



「魔王でいらした時のことを覚えていらっしゃいますか?」


 ルチェドラトは、スィートピーの瞳を見つめながら頷いた。

 覚えていると言うよりは、思い出したと言った方が近いのだろうが、今は何も言葉に出来なかった。


 スィートピーは、非の打ち所がなく全てに優れたルチェドラトの、切なく打ちひしがれた姿に、全身から愛しさを覚えた。


「ルチェドラト様…。もう何も心配はないのですよ。


 あなたとヴィオラ様とでこの世界を守ったのですから。


 あなたは二度と再び魔王になることはないんです。


 何でも出来てしまうあなたが、魔王の時の力を色濃く残しているご自身を恐れていても、魔王になる為の条件が揃うことはもうないんです。


 ヴィオラ様も私も元気に暮らしているのですから。



 大切にしてきたヴィオラ様を、あなたが失うことは絶対にありませんし、万が一あなたが魔王になった時には、どこかにいるはずの聖女を私が必ず探して来ます。ご存じでしょう?聖女に倒されたあなたは王子に戻って聖女と幸せになるんですよ。


 でも、もしあなたが魔王になったとして…、聖女にあなたを倒して貰うまでの間、タラの国とセヤの国が無事でいられるように、取り敢えず、雷を起こすようなことを封印なさってみてはいかがですか?毒矢を放つことを封印するのもよいかも知れません。


 ですが…。あなたはもう魔王にはならないんですよ。


 なりたいと思われたとしても、なれないんです。


 だって…。もう私たちは歳を取りましたから…。


 私やヴィオラ様が、ルチェドラト様や兄の魔王としてのお姿をどうしても観てみたいと望んだとしても、無理なんです。



 私たちは…、王太子として、国王としてのお姿で我慢するしかありませんわ。」


 スィートピーはそう言って、小さな子どもをあやす母親のように、ルチェドラトの髪を優しく撫でた。


「君は…。君って人は…。」


 ――ああ、これではやりたかったこととまるで逆だ…。


 ルチェドラトは、自分より小さなスィートピーに両手で頭を抱き締められながら、その心地よさに目を閉じた。







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