ボートの二人

『バーモントの庭』を気に入ったセヤの二人と、それを喜んだヴィオラは、それからは毎日のように『バーモントの庭』を訪れた。


 ルイを泣かせてしまったことさえ今は楽しい思い出となっているヴィオラは、楽しい思い出しかないこの庭を大切な二人も気に入ってくれたことが何より嬉しかった。


 大好きな兄と弟、大切なノワールとスィートピー。


 大切な『バーモントの庭』で、大切な人たちと楽しく過ごせることが奇跡のようで、切ないほどの幸せを感じていた。



 モーガン夫妻を宮殿に招き、夫人の楽しいおしゃべりに耳を傾け、持ち込まれたたくさんのガラス細工を選んだり、兄の手配によって様々なタラの特産品が運び込まれると、その都度皆で選んでノワールとスィートピーに贈った。


 セヤへのお土産にと、二人がそれらを大量に追加購入し始めると、そろそろ二人がタラを旅立つ日が近いことが意識され、皆は寂しさを覚えた。


 あと数日で二人がセヤに帰っていく。


 この時季は「ブルーベル」の花を見ることは出来ないが、五名であの懐かしい池にピクニックに行こうと、ピクニックの予定が組まれた。



 この頃には、ルチェドラトの気持ちに大きな変化が現れていた。


 婚約者になることで思い上がっているのではないか。

 とにかくノワール寄りの意見なのではないか。


 そんなことが先に頭に浮かんだ為に、スィートピーの必死の訴えも心に届かず、意識して届かないようにも努めていたが、どうしてこうも不快な気持ちになるのかとじっくりと向き合ってみると、スィートピーの言うことを心の奥底ではわかっている自分がいた。


 どこかでわかっていたが、「認めたくない自分」の痛いところを突かれたことによる拒絶反応が大きいことを認めざるを得なかった。


『一回目』のことをあれこれ話したくない気持ちも大きく、それにしても四歳も年下のスィートピーに反撃出来るほどの言葉が出てこなかったのは、駄々をこねている自分がいることも心のどこかで承知していたからだ。


 だが、それを自覚してもなおヴィオラとノワールのことを認めることには解読不能な恐怖があった。


 じっくりと自分と向き合い、一つ一つ片付けて考えていくと、スィートピーの訴えは、どこまでも腑に落ちるものだった。


 自分とヴィオラのことを思って必死に訴えていたことも、そこに打算がないことも、むしろ損な役回りを買って出ていたのだと言うことも、今ではよくわかっている。


 ヴィオラとノワールのことは、自分がどんなに反対しようとも、動くときには動き、決まる時には決まることだ。

 スィートピーは放っておくことも出来た。


 でも、そうなった時に私が取り残され、後悔するだろうと言葉を尽くして案じてくれたのだ。

 しかも、二人でその話題に触れた時以外は、全く別人のように朗らかに接した。


 その配慮に気がつかず、気味の悪さを感じ、嫌悪感だけでなく侮蔑さえ感じていた。


 これまでのことの全体が見えた時、まだあどけなさの残る、成人して間もない四歳も年下の王女がしている事とは思えなかった。


「どうしてここまで…。」


「そりゃ…。スィピーちゃんはあんたの事が昔から好きだから…。」


 ルチェドラトは、生まれて始めて「人は、こんなに顔が火照るものなのか」と思うほどに真っ赤になった。


 ――だって、タラに来た初日から好意があるとは思えない様子だったじゃないか。


 スンとして、貼り付けたような微笑みで、こちらが不快になる話題でもズンズン切り込んで…。



 同時に、自分の冷たい視線に対して、怯んだような大きな瞳、話し終えてぼんやりとちからなく座っていた寂しそうな姿、「ルチェドラト様にとって私は…、お互いに顔も声も知らぬまま遠方より毒矢を放たれた存在に過ぎません。」と言った時の、妙に落ち着いた静かな声が次々と思い出された。



 自惚れたくなるような相手の気持ちの深さと、それに対する恥ずべき自分の態度がひとまとめに押し寄せて、しばらく顔が火照って汗が出るほどだった。


「ルチェドラト様にとって私は…、お互いに顔も声も知らぬまま遠方より毒矢を放たれた存在に過ぎません。」


 そうだ…。私は彼女を殺したんだ。


 今までそんなことにも気がついていなかった。


 ヴィオラのこともノワールのことも案じながら、自分にしか出来ないことと言ってルチェドラトを最優先に案じてくれていたスィートピーに、ルチェドラトの心は大きく傾いた。



 池のほとりで昼食を終えると、ルチェドラトが動いた。


「スィートピー王女、よろしければ私とボートに乗りませんか?」

 数年前のセヤの宮殿でのように優しく、さらに今まで受けたことのないような温かい眼差しでこちらを見ているルチェドラトに、スィートピーはポカンとした。


 ルチェドラトとの仲が、半ば冷戦のような状態にあったとしても、それは自分の撒いた種。周囲に心配をかけるつもりもないし、心配されたくもない。

「心から楽しもう。」と、貼り付けた笑顔に、さらに楽しさが乗るように、努力して様々なことを楽しむようにしていたが、その全てが一度剥がされ、驚くことしか出来なかった。

「私…とでしょうか…。」

「ええ…。」

 困ったように微笑むルチェドラトが見ている相手はどうやら自分らしいと認めても、戸惑う気持ちの方が大きく、不安そうな笑顔しか出せなかった。


「あら…。いいわね。それでは、私とルイはノワール様に乗せていただきましょう。」

「仰せのままに。」

 ヴィオラとノワールは、穏やかな雰囲気で微笑み合う。

 喜んだルイは、皆より先に立ち上がりルルを抱えて舟着き場にかけていったが、自分で漕いでみたくなったのか、ルルを乗せてどんどん池の中央に行ってしまった。



 ノワールとヴィオラは仲睦まじく肩を寄せあい、ノワールの左腕にかけられたヴィオラの手にはノワールの右手がのせられている。



 ――まぁ…。


 自分とルチェドラトがお茶をしている数日間、二人で森を散歩するようになっていた兄とヴィオラは、急激に仲睦まじくなっていた。


 少し先を歩く二人の、どちらが婚約者同士かわからないその様子を、ルチェドラトはどんな思いで見ているだろう。


 スィートピーは、隣を歩くルチェドラトを心配そうにそっと見上げた。


 ルチェドラトは、妹がノワールとすっかり仲睦まじく幸せそうにしている姿を見て、諦めと、優しさとが入り交じったような顔でフとため息をつき、隣のスィートピーが心配そうに見上げていることに気がつくと、


 ――ああ、心配してくれているんだな。


 と笑顔で応じた。


「大丈夫。もう、反対していませんよ。」

 スィートピーの方に顔を少し傾けてそう微笑むと、彼女は少し驚きながらも嬉しそうに微笑んだ。


 三艘の舟が池に浮かぶ。

 皆に櫂を上手に操るところを見せたいルイだけが、怯えるルルに構わず派手に水しぶきをあげてあちこちをグルグルするなかで、二艘の舟はそれぞれ離れた木陰に漂っていた。


 王女は日傘をさし、王太子が櫂を操る。

 遠く離れたところで、ノワールとルチェドラトの目が合い、二人は満ち足りたような笑顔を交わした。



 日傘をさし、景色を楽しんでいるスィートピーに、ルチェドラトは穏やかに話しかけた。


「しばらく二人でお話する機会がありませんでしたね。」

「…はい。」

 彼の目に映りたい。と願っていたが、急にこんなに甘い瞳で見つめられることになるとは思っていなかったスィートピーは、頬が染まって行く自分にまごついた。

「よく…考えてみたところ…。あなたともっと話がしたくなりました。」

「…。」

 何が起きているのかわからなくなるほど混乱したスィートピーは、ただ不安そうな笑顔でルチェドラトを見つめている。

「よろしければ…。今晩夕食のあとで、庭園を歩きませんか?二人で。」

 なんだろう…。このデートのお誘いのような甘い言葉は…。

 スィートピーは、急いで小さく二回頷いた。

 二人でお茶を飲んだときにはあれほど饒舌だった彼女が、今は頬を染めて頷くのが精一杯な様子だ。


 ルチェドラトは、急激に恋に落ちた自分を認め、「愛しいとはこういうことか。」と、蕩けるような感情を隠すことなく未来の婚約者に向けた。


 逃げ場のないスィートピーは居心地が悪くなるほど紅くなったが、それすらも愛おしいルチェドラトは切なげに見続けた。

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