毒矢を放たれた関係に過ぎない。

 午後の日差しが差し込み始めたルチェドラトの部屋。


「なんかさぁ…。すごいかわいそうだった…。」

 ルルがぐにゃぐにゃと動きながらそう答えた。


「どうして…。」


 昨日、少し心配になったルチェドラトは、ルルにスィートピーの様子を観てくるように頼んだ。

 ルルは、夜になっても報告に来ずに、昼間にひょこっと現れた。


「スィピーちゃん泣いてた。」

「…。」


「ヴィオたんが、スィピーちゃんに『複写』をしたのは聞いてる?」


「聞いてない。するだろうなとは思っていたけど。」

「その時に…、ヴィオたんが、スィピーちゃんに『一回目』のこともみせちゃったんだよ。ちょっとだけど…。もちろんヴィオたんは気がついてないけど…。」


「えっ!」


「うん…。で…。スィピーちゃんはヴィオたんに内緒で、毒見の『複写』をノワ君にすることにしたんだ。


 でも、ヴィオたんからその力を『複写』して貰ったってことは、誰にも言わないってヴィオたんと約束したみたいで…。


 ノワ君には内緒にしてる。


 その辺りの内緒だの嘘だのもスィピーちゃんの中ではかなり重くてどろどろした感じになっちゃってるんだけど、それよりヤバいのは、その時に意思を持ってノワ君の記憶を読んだみたい…。『複写』の時ならお互いの魔力が動くからね…。


 ノワ君は、記憶を読まれたことわかってないと思う。


 記憶を読むのはダメなんでしょ?


 スィピーちゃんの意識の中にいけないことをしたんだって言うすごい強い負い目みたいなのがあって…。


 あと…。


『一回目』のことも自分が発端だって思いが強くて。


 今回は自分が皆を幸せにしたいんだって感じ…?」



「記憶を読んだ…?ああ…。それでか…。」


 全部知った上での、昨日のあれだったのか…。


 確かに記憶を読むのは、禁書にしか書かれていないかもしれない…。

 やろうと思ってすぐに出来ることでもないし…。


 おそらく、ヴィオラが記憶を無意識に移してしまった時に、体感として手がかりを得たに違いない。


 ルチェドラトは、誰に習ったわけでも無いが自分もやろうと思えばやれると言う意識がある為、さして驚きはしなかったが、普通の人ならば大騒ぎするだろうなとは思った。


 それにしてもスィートピーも『一回目』のことを知っていたとは…。


 ――また、面倒な…。


「ルチェドラトさ…。スィピーちゃんとホントに結婚するの?」

「うん。すると思う。」

「優しくできる?」

「努力する。でも、あちらが自分とは極力関わらないようにするような気がする…。」

「なんで?」

「ヴィオラとノワールのことに反対だから…かな。」


「ふぅん。じゃぁ、スィピーちゃんの必死の訴えも届かなかったんだな…。」


 ルチェドラトは面白くない話題になったことで、不機嫌になった。


 昨日のスィートピーの訴えが理解できないわけではないが、ヴィオラがセヤでの多くのことに怯えているのは確かだ。

 その証拠に、いつまで経っても王女には色々と不便な寮生活を続けている。


 わざわざ苦労することがわかっているセヤでの生活に送り出すつもりはない。

 スィートピーがそれによって自分に不信感を抱いてもいっこうに構わない。


 ルルは、スィートピーにどこまでも冷淡なルチェドラトに何か言ってやりたくなった。


「『一回目』のノワ君のことをあれだけ責めたルチェドラトが、『二回目』ではスィピーちゃんに似たようなことをやるわけだ。」


「!!」


 ルチェドラトの反応に満足したルルは、あえて話題を変えた。


「昨日の晩餐会では、スィピーちゃんはどんな感じだった?」

「いや…。それが二人でいる時とは別人みたいに楽しそうで…。」

「そうだろな…。スィピーちゃんのあの感じ…。可哀想に…。」

「どうして可哀想なんだ。向こうが勝手に始めた話で勝手に泣いて…、婚約もあちらからの申し入れなのに…。」

「全く同じじゃないか『一回目』と。冷静になれよ。ヴィオたんが悲しむぞ。」


「…。」


 ルチェドラトは、見たくないものを見ないようにしている自分も理解し始めてはいたが、まだ妹を失うまいとする自分に囚われ諦めきれなかった。


 扉をノックする音がし、ダンテが入ってきた。

「ルチェドラト様、そろそろスィートピー王女をお迎えに行くお時間です。」


 ルチェドラトは頭を抱えた。


 ――ああ、面倒だ…。


 これまで女性をあしらうことに苦労したこと等なかった美しい金色の王子は、スィートピーとのお茶の時間が負担でしかなかった。

 かわすことが許されない不快な内容の話に身をおかねばならず、精神的に追い詰められていくことに嫌悪感を感じていた。


 何故、これほどまでに追い詰められていくのか…、まだじっくりと自分と向き合って気持ちの整理もしておらず、ただ嫌悪感を募らせるばかりだった。



 スィートピーは、明らかに元気のない様子だったが、気高いほどに毅然とした態度でルチェドラトに接した。


「ひとまず、今回で二人でお茶を飲むのは最後にいたしましょう。王妃様にはもう十分に親睦を深めたと言うことをお伝えしました。ルチェドラト様もそのようにご説明なさってください。」


「わ…かりました。」


 ――ああ、今日も彼女のペースだ…。


 ルチェドラトは、スィートピーが『一回目』のことを知ったことも、彼女が昨日までに話していたことも、禁忌を犯して心に重荷を背負っていることも今はどうでもよかった。

 ひとまず、今日でこの不快な時間でしかないお茶会が最後になるのだと安堵する気持ちしか持っていなかった。



 遠巻きに見ている侍女や側近の手前、それらしく微笑んではいるが、全く温かみのないルチェドラトの様子を冷静に眺めていたスィートピーは、憧れ続けた相手に一歩踏み込んでみた結果、甚だ面倒な相手として嫌悪感を持たれたことを確信していた。


 だが、全ては覚悟のうえ。

 こうなることは想定内だ。


 もしかしたら…何か奇跡的に好転するようなことが起きるかもしれない。という一縷の望みが絶たれたことは、想像していたよりも深くスィートピーにダメージを与えたが、自分が犯した罪に対する罰が増えたに過ぎなかった。


 ルチェドラトから向けられる氷のような感情が、自分を麻痺させていくような感覚を覚えたが、覚悟を持って始めたことを投げ出して負けるわけにはいかなかった。


「全ては愛のため」


 その信念だけで戦うつもりだった。



「ルチェドラト様にとって私は…、お互いに顔も声も知らぬまま遠方より毒矢を放たれた存在に過ぎません。

 もしかしたら、あの頃はお互いに名前も知らなかったかもしれませんね。

 こうして、お話出来るようになってからも、ルチェドラト様にとって私があの頃とさして変わらぬ存在であることも承知しております。


 その私からの言葉が、ルチェドラト様にとって響き難いこともよく理解しております。


 ルチェドラト様はご自身の幸せを考えた時に、ヴィオラ様が心に浮かぶことでしょう。


 ヴィオラ様の幸せとルチェドラト様の幸せは同じもののはずです。


 このままでは、違う方向に進み、どちらの幸せも影を持ったものになってしまいます。


 どうか、後悔なさいませんように、今一度お考えください。」


 スィートピーは、ルチェドラトに何の変化もないことを見てとると、もうこれ以上話しても無意味だと悟った。


 何よりルチェドラトの幸せの為に、この件に関して諦めるつもりは無いが、今何を伝えても彼の心に響かないことは間違いない。


 スィートピーは、グィと話題を変えた。

 先ほどまでの必死な様子が一転し、まるで別人のように朗らかに話し始める。


「そういえば、明日は『バーモントの庭』で一日過ごすそうですね。ヴィオラ様が大好きな場所で一日過ごすのが楽しみです。」


 ルチェドラトは、別人のように雰囲気を変えたスィートピーに気味の悪ささえ覚えた。


 スィートピーは、ルチェドラトの気味悪そうな視線にも負けず、その後はずっと朗らかで慎ましやかな王女として振る舞った。

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