スィートピーの想い

「ああ…。終わったのだわ…。」


 スィートピーはベッドに突っ伏して泣いた。


 後悔は無いが、ルチェドラトに冷たい瞳を向けられた衝撃は大きかった。



 スィートピーが十二歳の頃、留学してきたルチェドラトが宮殿に住まうようになり、彼女はルチェドラトに恋をした。


「大人っぽくて、優しくて、穏やかで…。なんて素敵な方なのだろう。」


 それまでも兄の友人に恋をしたり、憧れたりと可愛らしく恋をしてきたスィートピーは、甘え上手でもあり兄の友人たちから可愛がられてきた。

 どちらかと言えば恋愛体質である彼女は、想いを口に出しはしないが常に誰かに恋をしてきた。



 けれど、「ルチェドラト様の美しさは、人ではない妖精のような気高さがある。」


 ルチェドラトには、甘えられなかったし、甘えるつもりもなかった。


「素敵な王女と思われたい。」


 その一心で丁寧に慎ましやかに接してきた。


 その頃まだ、兄は側近たちや友人たちと一緒になって、スィートピーを「おチビ」扱いすることがあった。

「おチビ」として可愛がられ、からかわれることに不満はなかったが、既に成人してから現れた紳士な王太子ルチェドラトは、いつでもスィートピーを淑女のように扱った。

 一国の王太子から、一貫して淑女として扱われることにスィートピーは舞い上がった。



 ルチェドラトが宮殿に連れてきた側近ダンテたちは、大人っぽいルチェドラトよりももっと年上で、主と同様スィートピーに丁寧で親切で優しかった。



 ――兄にからかわれ、赤くなってむくれることがある私も、淑女として扱ってくれるルチェドラト様と側近の前では「素敵な王女」になれるような気がした。



「お父様。私、タラの王太子妃になろうと思います!」


 幼かった私は、父に直談判した。

 父は、呆気にとられていたが気の毒そうな顔をして応援してくれた。


「うん…。まぁ、頑張りなさい。」


 お妃教育と呼ばれるもの、その為になりそうなものには片っ端から手をつけた。


 母がいないので、身近にお手本とすべき女性がいないことだけがとても切なくて…。苦労もしたけれど、出来る限りの努力をしてきた。



 三年間の留学を終えて、ルチェドラト様が帰国する時には、『スィートピー王女』と名付けられた、私の髪色によく似た花を咲かせる薔薇を持ち帰って貰おうと、温室に案内した。


 でも、いざとなると恥ずかしくて、「ヴィオラ様へのお土産に。」といくつかの花を紹介して持ち帰って貰おうとしたけれど…。

 ルチェドラト様は、ヴィオラ様の髪色によく似た可憐な花にしかご興味を示さなかった。

 それはそれでもちろん持ち帰っていただいて構わないけれど、どうしても『スィートピー王女』も持ち帰って貰いたい。


 私は、その花の説明に長い時間をかけた。

「とても香りがよいので、ヴィオラ様にもきっと気に入って頂けるはずです。」

「この花びらの外側だけがほんのりオレンジ色で…とても珍しい色味だそうです。」

「お世話もさほど難しくないそうです。」



 結局ルチェドラト様は、薔薇の鉢はお持ち帰りにならなかった。


 私は彼の目には映っていない。

 話も届いていないのだろう。


 どんなに優しく微笑まれてもその笑顔には何も意味はないのだ。


 いつかは、目に止まりたい。


 でも、成人した後に一緒にお茶を頂いても、目の前で話をしても、ルチェドラト様にはなんとも思われていない。



 相変わらず、ルチェドラト様の目の中に私はいないし、話も届いていない。


 全然相手にされていないのだわ。



 初めは本当に偶然だったけれど、覚悟を持って禁忌きんきを犯した私は、禁忌を犯したと言う理由からも、それによって知ることになった内容からも、もうタラの王太子妃に立候補することを諦めた。



 ――前回の、大切な人たちの不幸は、私が発端だったのだ。



 父が決めてくれた相手と結婚して、その国の為に精一杯務めよう。

 お妃教育は無駄にはならない。



 父が内々に決めた相手がルチェドラト様だった時には、嬉しい気持ちと絶望とがひとまとめに襲ってきた。


 全く自分のことを見ていない相手に恋い焦がれながら生きていくのかしら…。


 いっそのこと、初対面の相手と結婚する方がまだ楽な気がする。



 でも、これは天命のようなものかもしれない。


 それならば…。何か、意味のあることをしたい。


 今でもルチェドラト様には何の感情も抱かれていないのだから、嫌われたとしてもむしろ彼の目にきちんと自分が映るチャンスかも知れないわ。


 ルチェドラト様とヴィオラ様と兄の為に自分ができることをしよう。


 禁忌を犯した自分が…、昔、世界を滅ぼすことに大きく関わった私が、少しは救われるかも知れないわ。


 婚約を受け入れたはずのルチェドラト様はその事には触れなかった。



 二人きりの時にしか話せないと覚悟を決めて、思いきって訴えてみたけれど…。



 それでも、どこかで期待していたのね。

 ルチェドラト様の冷たい瞳に怯んで傷ついてる…。


 ルチェドラト様もお気の毒に…。

 冷戦を強いられるような相手が妃になるなんて…。


 でも、まだ時間はある。

 ヴィオラ様と兄が結婚することになれば、ルチェドラト様のお相手は私でなくてもよくなるのだもの。


 どうか、私の言葉がルチェドラト様の心に響いていますように。


 ルチェドラト様が、ヴィオラ様の幸せについて今までとは違う視点から考えてみるきっかけが作れていますように…。


 ――ああ、こんなに泣いては目がれてしまう。夜にはまた皆で食事をするのに…。


「ニャぁ…。」


「?」


 人払いをしたはずの部屋に、いつの間にか小さな黒猫がいた。


「あら…。あなたは…、ルルちゃん?」


「ニャぁ…。」


「まぁ…。やっぱりそうなの?」

 ルチェドラト、ヴィオラ、ルイの口から何度も話題にのぼる「ヴィオラ姫の守り神」


 聞いていた通りに黒々とした艶やかな毛並みのオッドアイの小さな猫。


「初めまして。ルルちゃん。」

 そう声をかけると、黒猫はスィートピーの膝に飛び乗り、頬に残る涙を舐めた。


「ありがとう…。」

 スィートピーは、涙をとめられなくなった。


「あなたは、ヴィオラ様の守り神なのでしょう?あなたには、どうすればヴィオラ様とルチェドラト様が幸せになれるのかわかっているのかしら…。」


 ギュゥとしがみつくように、抱きついてきたルルを撫でながら、スィートピーはぼんやりと呟いた。


「お兄様の幸せも、もちろんとっても大切だけれど、私には、ルチェドラト様とヴィオラ様の幸せもとっても大切なことなの。今回は、私の言動が皆を幸せにするといいわ…。今の私にはそれができる…。そう思いたいの。」


 ――そう、今の私なら…。

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