ルチェドラトの婚約者

 朝食を終えたルチェドラトは、離宮に滞在しているスィートピー王女を馬車で迎えに行った。


 こう言った場合の常である、涼やかに顔に貼り付けた「王太子スマイル」のルチェドラトは、とにかく当たり障りのない会話を心がけながらスィートピー王女をテラスにエスコートしてきた。




「まぁ、とても美しいデザインの『タラゲーム』ですね。」


 螺鈿細工らでんざいくで作られた『タラゲーム』に、スィートピーは感嘆の声をあげた。


「ええ。スィートピー王女殿下は『タラゲーム』がお強いと伺いましたので、お相手願えればと…。」


 無用な会話を避けるため『タラゲーム』で時間を潰そうというルチェドラトの思惑を知ってか知らずか、スィートピー王女は喜びもしなければ嫌がりもせず、ほんのりとした笑顔で頷いた。


 ルチェドラトは、スィートピーに「私たちは婚約することになった。」という話をするべきか…と迷いながら駒を動かした。


 スィートピーは、序盤からじっくりと考え、時間をかけて駒を動かす。


 ――本当に、いつの間にかずいぶん大きくなったのだな…。


 ルチェドラトがぼんやりとそんなことを考えていると、スィートピーが盤面から目を離さずに口を開いた。


「ルチェドラト様がセヤにご留学中、ヴィオラ様へのお土産に温室で私が育てた花を差し上げたいといくつかの花をお見せしましたことを覚えていらっしゃいますか?」


 ルチェドラトはなんとなく思い出せた。

「ええ…。あの時は、ありがとうございました。」

 ヴィオラならここでニッコリと笑顔を見せるところだろうが、スィートピーは相変わらずほんの少し微笑んだまま盤面から目を離さずに話を続けた。


「ルチェドラト様は、ヴィオラ様の髪色によく似たお花をご覧になると、とても嬉しそうになさっておいででしたね。」


「そう…でしたか…?ああ、今でもあちらの温室にあるあの花かな…。すみません。私は花にあまり詳しくなくて…。」


 スィートピーは、こちらが何と答えようがいっこうに構わぬ様子で続ける。

「あの時、持ち帰られた花の隣には、私の名前がつけられた花がございました。その時私がその花についても説明させていただいた事を覚えていらっしゃいますか?」


 ルチェドラトは覚えていなかった。

「……。」



「ふふ。」

「申し訳ない…。」


 ルチェドラトは、初めてスィートピー王女と言う女性を知ったような気がした。

 この、瞳の大きな可愛らしい顔立ちの、淡いオレンジが混ぜられたようなピンクブロンドの髪色の王女は、妹とは逆の印象だ。

 ヴィオラは、どちらかと言えば涼やかで思慮深げな容姿にも関わらず、中身はとても素直たんじゅんで、何でも喜び何にでも一生懸命だ。

 だが、少し幼い印象を与える容姿のスィートピー王女は、先ほどからずっと微笑んでいるが、内心が読めない。


 これまでとても良好に思えた関係が、そして、親しいというほどではなくともそれなりに好ましいものだろうと考えていた自身の印象が、そうではないのかも知れないと緊張を覚えた。


「ルチェドラト様は、兄とヴィオラ様についてどのようにお考えですか?」

 朗らかに問われたが、ザクッとした、大きな矢が放たれたような感覚だった。


「どう…とは…?」

 昨日、婚約を了承した目の前の相手は、つい先ほどまで「害にならないだろう。」と言う程度の認識でしかなかったが、いつの間にか高度な警戒を必要とする相手となっている。


 ルチェドラトはにわかに会話に身を入れだした。

 相手の様子などお構いなしに、スィートピーは今気がついたようにほわとした様子でこう告げた。


「そういえば…、王妃殿下から、タラに滞在中は毎日このようにルチェドラト様とお茶を頂くようにとお言葉を賜りました。」


 ――毎日?


 こんな難解そうな女性と毎日お茶を飲まなくてはならないのか…。


「あら…。私の勝ちですわね。」

 スィートピーは、盤面を見てのんびりと微笑んだ。


 気がつけば、ルチェドラトは滅多に負けない『タラゲーム』で、手加減する間もなく負けていた。


 スィートピー王女は、何でも無さそうに駒を片付けている。


 だが、今は大きな矢に込められた質問の意図が気になってそれどころではなかった。


「もう一度致しますか?」


 彼はどちらでもよかった。


 返事がないので、スィートピーはそのまま駒を箱にしまい、新しく淹れられたお茶を飲み始めた。


「今日はそろそろお開きでしょうか。先ほどの質問への答えは明日伺うことに致しましょう。」


 年長者にあしらわれるようにお茶の時間の終わりを告げられ、リズムを狂わされたルチェドラトは馬車でスィートピー王女を離宮に送っていった。



 次の日、再びテーブルには『タラゲーム』が用意されていたが、ルチェドラトはゲームの気分ではなく、スィートピーもどちらでもよさそうな様子だった。


 婚約を決めた相手をほどほどにもてなし、この夏を乗り切るつもりだったタラの王太子は、今日も主導権が四つ年下のセヤの王女にあることに居心地の悪さを感じていた。


 本来ならば昨晩の晩餐会の話でもして、朗らかに過ごすところだろうが、どちらもそのような話題は口にしなかった。


「ルチェドラト様。昨日の件ですが、私にどういうお答えをご用意なさいましたか?」


 昨日出した宿題をきちんとやって来たかと、教師が生徒に確認するかのような様子でスィートピーに問われ、ルチェドラトは妙な焦りを感じたが、努めて冷静に穏やかに答えた。


「そうですね。ノワール殿下には妹の留学に際し、大変お世話になっております。それは、スィートピー王女殿下も同様で、お二人には大変感謝しております。」

 我ながら非常につまらない、質問から外れた返答ではあるが、余計な方向に話を向けたくない以上、これしか答えようがなかった。


 ふんわりとした表情でルチェドラトの話を聞いていたスィートピーは、小さく頷いた。

「ヴィオラ様と兄が婚約することになったらどうなさいます?」

 あまりにも単刀直入に発言する王女に驚いて、言葉を失った。

 お互いの立場からも、王女の年齢からも、この話題も会話の運びも無作法過ぎはしないか?


 ルチェドラトは、取り繕うのをやめて、笑顔で応戦することにした。

「そのような話があるとは思えませんが…。何かお心当たりでも?」


 王太子と王女では社交の場数が違う。

 加えて、自分の微笑みの中でも一番威力のあると思われるものを向けて牽制した。



 ――これで、多少は大人しくなるだろう。


 だが、スィートピーは微笑んでいるようには見えないが、怯んでいる様子もなく、こちらを見ていた。

 まるで観察されているように感じたルチェドラトは、相手に敵意があるのか見極めようとその目を静かに見返した。


 ルチェドラトの様子を眺めていたスィートピーはやがてゆっくりと口を開いた。


「ルチェドラト様は、ヴィオラ様の本当の望みをご存じのはずです。」


「?」


「勇気を出して困難に向かい、その先にもし幸せが見つからなければ、その時はいつでも助け、守ると、背中を押されてはいかがですか。」


「あまり、詳しくお話するつもりはございませんが…。ルチェドラト様にとっても、そうなさるのがよろしいかと存じます。」


 ――なんだ…?この王女は何を知っている…?


 ただ単にヴィオラがノワールに寄せる好意と、ノワールがヴィオラに向けるそれ以上の好意を言っているのだろうか。

 そして、それを快く思っていない自分を非難している…?


 だとしたら、余計なお世話だ。


 婚約者となったことで、自分の言葉には影響力があると思い上がっているのではないだろうか。


 ルチェドラトは不快な気分を隠さずに、冷たく微笑んだ。


 王太子の冷たい視線を認めたスィートピーは一瞬怯んだように見えた。

 だが、静かに息を整えると、まっすぐにルチェドラトを見て話し始めた。


「言うまでも無いことかと存じますが…。ヴィオラ様はルチェドラト様をとても大切に思っていらっしゃいますし、ルチェドラト様がヴィオラ様をとても大切に思っていらっしゃることも、よくご存知です。


 私も…。私が…、ルチェドラト様にもヴィオラ様にも幸せになって頂きたいと心から願っていることは…信じて頂きたいことですが…。


 私にしかお伝えできないことと存じますので、申し上げます。」



 先ほどから臨戦態勢に入っていたルチェドラトは、明らかに緊張している王女を見て、これから相手が何を言うにしても、そこに敵意がないことだけは理解できた。


 そこから、スィートピーはルチェドラトの瞳から視線を外し、口許を見ながら話した。


「ヴィオラ様の…不安や心の傷を、誰よりも知っているルチェドラト様がなされるべきことは…、幼い妹君だった頃のようにヴィオラ様をただ庇護するだけでなく、荒波に負けぬ強さを持てるように手を貸し、勇気を出せるように背中を押して差し上げ、いざとなればいつでも助けるから安心するように。と送り出して差し上げることではございませんか。


 このままでは、ヴィオラ様の中に、兄ノワールに立ち向かわなかったご自身の弱さがいつまでも心に残ります。

 勇気を出して立ち向かった結果、望みが叶わなくとも、その時にルチェドラト様が温かくお迎えになると応援して差し上げれば、どんなにか支えとなり、勇気を出したご自身の過去もいつかは心の糧となるはずです。


 また、勇気を出して踏み出した結果、ヴィオラ様が幸せになれたのなら、その幸せの中にルチェドラト様のご尽力に対する感謝が大きく存在し続けることになるかと…。


 ですが…。


 立ち向かわなかった自分を後悔した時…、また…、立ち向かって幸せを掴んだ時にも、ルチェドラト様が反対されていたことはヴィオラ様の心に影を落とすのでは無いでしょうか…。


 ルチェドラト様を、誰よりも大切に思っているヴィオラ様が幸せになる為には、ルチェドラト様の心からの応援は無くてはならないものかと存じます。


 ヴィオラ様がご自身で判断されたことならば、何でも賛成し応援する。


 ルチェドラト様は…、ヴィオラ様にとってそのような存在でいらしたほうがよいのではありませんか?

 それがルチェドラト様の幸せにも繋がるのではないかと…。本来、そのような愛情をお持ちなのではないかと…。」


 スィートピーの話は、一貫してヴィオラと自分の視点から見た「幸せ」というものについてだった。


 ルチェドラトは、臨戦態勢に入り冷たい視線を向けたのが、四歳年下の、婚約者となる他国の王女であることに今更ながら気がつき、瞳に後悔を滲ませた。


 スィートピーが何をどこまで知ってこの話をしているのかが気になって仕方がない。

 でも今は、それを聞き出すために、攻撃を仕掛けるか優しく問いかけるかの判断がつかなかった。




「ルチェドラト様が、ご本心からヴィオラ様の未来のために動かれた上で、ヴィオラ様ご自身が、それでも兄と関わらないことを本心から望まれているならば、私はもう何も申しません。


 兄の心の傷が癒えるよう、尽くして参ります。」


 最後にそう言ったきり、黙って座っているスィートピーは、テーブルの茶器をぼんやりと眺めている。


 心の整理がつかないルチェドラトは、相手の様子を見守るしかなかった。



 ――これで、嫌われたとしても構わないわ。


 スィートピーは、重く冷たい大きな石を抱えたような気持ちを励ますように、微笑んだ。




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