二人の王女
「先日、学園の森で紫陽花が一斉に咲いていましたね…。ヴィオラ様、ご覧になりました?」
スィートピーが、視線をテーブルの上に広げた大きな布に向け、刺繍針を忙しく動かしながらそう問いかけた。
スィートピーと同じ大きな布の反対側に自身も刺繍を刺していたヴィオラは、ピタと動きをとめた。
「…。」
「やっぱり…。ヴィオラ様の仕業ですね?」
「…。」
「ヴィオラ様…。何か理由があったのですか?」
何も理由はなかった。
「毒を見る」と言う特殊能力を『複写』したことと、栄養指導のようなものを行ったことへの返礼のように、自分より遥かに多くの魔法を使いこなしているスィートピーから、折に触れ魔法を教わってきたヴィオラは、つい最近、新たに「植物との対話」と言う魔法を教わった。
その素敵な魔法を覚えた事で少し舞い上がり、大好きな紫陽花を見頃にしたいと言う理由だけで、森の紫陽花を一斉に咲かせた。
「申し開きできるような理由はないです。」
ヴィオラは申し訳なさそうにうつむいた。
「いけませんよ。力を
「はい…。」
ヴィオラは、「植物との対話」を教わった時にも、他の魔法を教わった時にも、年下とは思えぬしっかりとした口ぶりでスィートピーから諭されていた。
「私たちの力は、国の為にいつでも使えるようにしておく必要がありますが、恒常的に使ったり、どのような能力があるかを広めすぎると国力が下がってしまいます。私たちの力さえあれば何とかなるという認識が民に定着してしまうからです。国民が自身の力も国のために役立っているという思いを持っていなければ、大きい力を持つ王族に対して、無用な依存と畏怖とを抱き、やがて反発を招く恐れがあります。そうなると、王族は国民達の日々の暮らしを永く守るという大きな視点から外れて、日々の暮らしに必要なほんの小さな多くのことや、長期的に見守る必要のあること…全ての事を担わなくてはならなくなります。互いに協力しながら国を豊かにしていく為には、力の使い方やタイミングをはかるための多角的な視野と考察、そしてバランス感覚が求められるんですよ。」
そう言われていたにも関わらず、しかもその話に感動すらしていたのに、誘惑に負けたという自覚のあるヴィオラは子どものようにシュンとした。
幼い頃より、身体の心配をされながらも出来る限りの経験を積ませようと父と兄に体験授業を施されていたスィートピーは、その経験値の高さからヴィオラよりも大人びていた。
ヴィオラが、この世界において自分の役目が終わったような気がしていた頃、スィートピーに「平民になりたい。」と話したことがあった。
「私は、王女としてもさほど役に立っているとは思えないし、いち平民として国を支える何かを探しながら、幸せな家庭を持ちたいなと考えているの。」
少しばかり
ただ、「平民になったら何がしたいか。」と言う楽しげな話に発展することを期待する気持ちの方が大きかった。
スィートピーは、普段は真面目でよく言葉を選ぶヴィオラには珍しいその突飛な発言に少々驚きながらも、お互いそんなことを考えてみたくなる立場であることは、なんとなく理解できた。
だが、「私が、空想のなかの都合の良い自分で遊んで、外部に発表していたのはもっと幼い頃のことだ。」と、なんだかあぶなっかしいヴィオラの事が心配になった。
今でも、そう言った空想遊びを楽しむことはありはするが、それを口に出すことの危うさや他に与える影響を理解できるようになってからは、馬車に長時間揺られる際の暇潰しや、眠る前、辛いことがあったことを引きずっている自分に気がついた時、素敵な気分になって元気付けるための遊びとして、自分に都合のよいだけの好き勝手な物語を作って楽しんでいる。
スィートピーは、一つ年上の王女の発言に対し嬉々として乗っかるほど幼くもなく、穏やかに聞いてやるほど大人でもなかった。
そこで、大親友となっているヴィオラに、これまで自分が教えられてきたこと、考えてきたことについてを話し始めた。
「ヴィオラ様。今のお話は、共に王女である私を信じて、お話しくださっていることと存じますが…。
何も策の無い状態で平民になりたい等と発言することはお控えになった方がよろしいかと存じます。
私達は、好んで王族に生まれたわけではございませんが、義務と引き換えに高い教育と豊かな生活が約束されております。
高い教育と豊かな生活を長い
務めは務め、
平民は自由に見えることもありましょう。
ですが、平民はどんなに望んでも王族にはなれません。
平民に、高い教育と豊かな生活が約束され、皆が同等になることが
支配ではなく統治を行い、国を豊かにするために私達王族は高い教育を享受することが許されているのです。
自由な恋愛は、王族の務めを果たしながらなさればよいかと存じます。愛に奔放な王女であっても、王族としての義務を十分に果たしていれば、愛に生きることも許される日が来るかと存じます。
まずは義務を果たし、民を愛し、その上で幸せを見つけることが出来れば、国民は祝福しますが、王族が自らの幸せのみに目を向ければ国が良くない方向に向かいます。
ヴィオラ様はこれまでも、ルチェドラト様とご一緒に御国を豊かにしてこられました。
御国の発展は目覚ましく、タラの民も王家に感謝していると聞きます。
ヴィオラ様が平民になることが国の為になりうる何かがあれば、民も王家の皆さまもご納得されることでしょう。
ですが今は、タラ国の王女としての義務は何かを考えるべきです。その中には王女であるヴィオラ様にしか出来ないことがあるはずです。」
素直なヴィオラは、まだほんのり幼さの残る顔つきの王女の見識の深さに舌を巻いた。
先ほど口にした願いは、今では少し遠く感じるものではあったが、本心でもあった。
世界の平穏の為に魔王を誕生させないこと。
国を豊かにすること。
それさえ叶えば、後は自身の愛に溢れた生活の為に平民になりたい。
平民になりさえすれば幸せになれると軽く考えていた事もまた事実だった。
自分と同様に、狭い世界で生活しているはずのこの王女は、はるかに広い視野で物事を観ていた。
兄やノワールは、どんなに願っても平民になることなど許されない。
自分は王女という立場で、国を豊かにすることにそれなりに貢献してきたという自負から、また自分に甘い家族への甘えから、平民になって気楽に暮らすことも許され、その際には前世の知識や経験を活かせば生活に困るようなことにはならないだろうと安易に考えていたのだ。
王族としての権利と義務。
なんとなくしか考えたことが無かったが、目の前の王女はそれを常々深く考えているのだろう。
まだ幾分幼さの残るふっくらとした指で、優雅に茶器を扱う王女の、背負っているものの大きさの自覚と覚悟に、ヴィオラは尊敬の念を抱いた。
同時に、幼少の頃から身体が弱かったと言う共通点があり、共に『王女』であるスィートピーとヴィオラでは、その実大きな違いがあることを痛感した。
スィートピー王女は「丈夫でない。」との理由から「無理はさせられない。」「無理はしない。」と言う幼少期ではあったが、父や兄の私的な外出に連れ出されることもあり、幼い頃から貴族の子女との茶会も頻繁に行われ多くの友人に恵まれていた。
一方、自身はいつ高熱が出るか、なぜ高熱が出るか原因不明の時期が長く、お茶会と言えば、そう呼ぶことにしているだけの家族の
十二歳の頃に初めて公式なお茶会に出席し、十六歳になる年で初めて世に出たようなヴィオラには、喧嘩をしたり、勝ち負けで悔しい思いをしたりしながら共に成長してきたような友はなく、その時、
前世の記憶を持ち、『一回目』のスィートピーとノワールの関係に憧れ続けたヴィオラにとって、『理想の妹』『理想の王女』であろうとする日々は決して平坦なものではなかった。
『王女』は、誰にでも優しく、誰をも慈しみ、どんな時にもその場に相応しい表情でいなければならない。
誰からも優しくされ、大切な人々から愛されていたために、誰にでも優しく、慈しみ深くあることは、さほど難しくなかったが、幼い頃から言葉を選び、『王女』としてその時最良と思われる行動を心がけることは、言わば『キャラ設定』に囚われて自分が見えなくなることでもあった。
『王女』と言う立場でありながら、公務に出ることも叶わぬほどの身体の弱さ。
にもかかわらず、家族から甘く愛され、大切に守られていることはこの上ない幸せであると同時に、本来の自分を考える暇もないまま埋没していく自分への喪失感と不甲斐なさを痛感する日々であったこともまた事実だった。
こんな自分を、大切にしてくれる家族の愛に報いたい。
誰をも傷つけず、誰にでも優しく。
それは、ヴィオラの最大の美徳となったが、魔力と同様、願望を抑え込むクセとなって彼女を苦しめていた。
やっと得る事が出来た友人に、甘えた気持ちで心情を吐露したところ、大々的に諭された。
ヴィオラはショックを受けると共に自分の浅慮によって親友を失うのではないかと言う不安を抱いた。
だがスィートピーの中で、先ほどの大演説は、関係断絶のためにしたものではなく、自分の持っているものを大切な友人に分ける意味合いの方が強かった。
他国の年下の王女から、少しばかり偉そうに諭されたにも関わらず、ヴィオラは気分を害した様子もなければ、反論することもなく、少し寂しそうに大人しくそこにいた。
スィートピーは、善意から出たはずが話すうちに悦に入り、傲慢と評されてもおかしくない自身の先ほどの演説を、素直に受け止めているらしいヴィオラに愛しさを覚えた。
先ほどの意見を
「もしよろしければ、私もヴィオラ様が首尾よく平民になられる為にはどうすればよいか一緒に考えます。
ノートを一冊作って、そこに書き出してみませんか?
ですがこれはあくまでも、もし「平民になるとしたら」という夢物語として、遊びとして行っているというものにいたしましょう。
書き起こすことにより、平民で無くても叶うものや、王家としての務めも見えてくることと存じます。」
こうして二人は、お互いを大切な友人として再認識した。
そして、今再び姉のようなスィートピーに妹のようなヴィオラが「 魔法の使い方」で注意を受けながら、同じ作品に取りかかっていた。
その作品を贈られる予定の相手を案じる妹が口を開いた。
「兄は最近、仕事ばかりして元気がないの。早くこれを完成させて喜ぶ顔が見たいわ。」
「そういえば、学園にもしばらくいらしていないものね…。お身体は大丈夫なの?」
「たぶん…。毎日朝は剣術のお稽古をなさっているし視察にも出掛けていらっしゃるから…。でも顔色はあまりよくないわ…。」
「まぁ…。お顔の色が…?心配ね…。そうだ。この作品が出来上がったら、サロンにお呼びしましょうよ。夏休みにタラに帰る前にお会いしたいし。」
「それはいいわ!ヴィオラ様招待状書いてくださらない?私が誘っても逃げられてしまう気がするの。」
「もちろんいいわ!早めにご招待出来るように頑張って仕上げましょう!」
美しい二人の刺繍職人は、猛烈な勢いで刺繍に励んだ。
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