ノワールの記憶


 ノワールは、自室の机の上に置いた封筒をそっと撫でると、金の封蝋ふうろうを壊さぬよう大切に引き出しにしまった。


 引き出しに手を添え微笑むと、喜びを噛み締めた。


 ――ああ、ヴィオラに招待されたのだ。


 今日はきっとよく眠れるだろう。

 いや、眠れないかもしれない。

 この締め付けるような胸の痛みは、幸せによるものだ。


 先程までの暗い世界が嘘のように、見慣れた自室でさえも彩り溢れるものに思えた。


 あの五月のよく晴れた午後、離宮でヴィオラとスィートピー、ルチェドラトの四人で楽しく過ごしたひとときは、ノワールにとって人生最良の日と言ってよかった。


 二十歳を迎え、その行事を無事終えたことによる充足感。

 愛しい妹スィートピーと、大切な友人のルチェドラト、近くにいるだけで幸せな気持ちにさせてくれる優しいヴィオラ。

 三人に祝われ、久しぶりにゆったりとした、ただ幸せな時間を過ごした。

 あの午後に観たキラキラした庭の景色は、これからの輝く未来そのもののように眩しかった。



 その夜には、ルチェドラトの予言通りに一回目の自分を思い出し、つい先程まで最悪の日々を過ごすことになった。



 夢の中では様々なシーンをみたが、ところどころ俯瞰的ふかんてきに見えたのはルチェドラトによる演出なのかもしれない。

 朝、目覚めると、身体中にじっとりと汗をかき、払い除けることの許されない嫌な気分がまとわりついていた。


 夢の中のヴィオラは、自分の知っているヴィオラとは別人のようだったが、自分もまた気分の悪くなるような人物であった。


 彼女は自分との婚礼の為に、今では絶対に選ばないであろう濃い色の生地に宝石の散りばめられた豪奢ごうしゃなドレスで意気揚々と城に入って来た。

 タラ国の民が飢饉ききんによって不自由な生活を送っているにも関わらず、豪奢なドレスに身を包み、得意気に輿入れしてきたヴィオラから美しい笑顔で挨拶された時、彼女の自信過剰で無遠慮な性格を感じ取ったノワールは、舌打ちしたくなるような嫌悪感を抱いた。


 婚礼の数日前、身体が丈夫でない慎ましやかな妹のスィートピーがこう言った。

「お兄様がご結婚なさったら、もう今までのように大好きなお兄様を独り占め出来なくなるのね…。」

 大切な妹に寂しそうに微笑まれたその瞬間、自分の心は決まっていたが、輿入れしてきたヴィオラを見てその決意は更に強くなった。

 この女性は、国への援助の返礼として嫁いできたのだから、丁重ていちょうにもてなすが、出来る限り関わらないようにしよう。


 これからも、スィートピーとの時間が最優先であることにかわりはない。


 妹との時間だけが大切だった自分は、甚だ礼節を欠いた考えと振る舞いで、ヴィオラを徹底的に避けた。


 宮殿での催しにさえ、ヴィオラには出席させなかった。

 いつでもスィートピーと二人で出席し、ダンスを踊った。


 婚礼から一年ほど経った頃、ヴィオラが自分との面会を希望しているとアーノルドが伝えてきた。


「何を今さら」と、当然のように退しりぞけたが、彼女はこの一年大人しくしていたのが嘘のように、かなりしつこく面会を申し込んでいるらしかった。


 そしてあの日、ヴィオラは謀反人によって殺された。


 そこで一度夢の中の視点が変わる。



 彼女の輿入れの衣装は、ヴィオラの亡き母、タラの王妃が輿入れの際に着用したドレスを、侍女達が手直ししたものだった。

 あわせて彼女の首もとを飾った宝石も、豪奢なドレスも輿入れの後すぐに自国に送り返されている。


 セヤ国への礼儀の為にも、自身の乙女らしい虚栄心の為にも、輿入れにはそれなりの衣装で行きたいが、新しい衣装である必要はなく「その時なんとか形になっていればよい。」と言う彼女のおおらかな人柄によるものだった。


 豊かなセヤの国で美味しい食事と茶菓子を食べられることを素直に喜び、ドレスを新しく作ることが決まると、セヤ国の王太子妃として相応しい装いはどんなものかと時間をかけて楽しそうに選んでいた。


 大胆で、決して慎ましやかではないが、おおらかな明るい性格で、なぜ自分があれほどまでに嫌悪感を抱いたのかわからなかった。


 クヨクヨしない性格の彼女も、だんだん元気が無くなっていった。

 大きなテーブルで一人静かに食事をしている姿を何度も見せられた。


 高い窓から、庭を歩く私とスィートピーを観ている彼女は、本当に寂しそうだ。


 日に幾度も「ルチェお兄様…。」と兄の名を小さく呼び、私とスィートピーの睦まじい様子を観ては

「いいなぁ。仲良しね…。」と寂しげに呟く彼女の姿に胸が締め付けられた。



 彼女が自分と妹を庇って切りつけられたその時でさえ、私は妹しか見ていなかった。

 背中から大量の血を流すヴィオラを見ても、彼女が私達を害するつもりのところを護衛によって切りつけられたものだと思っている。


 アーノルドがヴィオラの傍らで彼女の名を必死に呼んでいるが、私はいぶかしみながらも彼女に憎悪の視線を送っていた。


 捕らえられた謀反人むほんにんは、私の護衛の一人だった。


 ヴィオラが私たちの為に奔走ほんそうしていたことを知ってもなお、さしたる後悔もなくスィートピーの無事を喜ぶだけだった。


 ヴィオラの死を知ったルチェドラトは、タラの国に雷鳴をとどろかせて魔王となった。


 すると、いつの間にか最愛の妹スィートピーが私の腕の中で死に絶えている。


 抑えきれない感情で私は暗黒の煙と共にセヤの国を滅ぼした。

 おそらく私だった何かと、ルチェドラトだった魔王が、死の無い世界で恐ろしく長い間戦い続け、正気を失っていくのを感じながら目が覚めた。



 そうか…。


 ルチェドラトの言う通り、私は魔王になっていた。


 そしてその時には『魔王育成ゲーム』の内容も理解できていた。


 この夢の全ては彼が見せたものに違いないが、実際に起こったことなのだと言う確信があった。


 その証拠にその時々の自身の細かな感情をしっかりと思い出せた。


 冷静に考えて、現実には王太子妃を宮殿での催しに出席させない等あり得ない。

 自分のしたことは軟禁でしかないし、例え私が命じたとしても、今のこの国では許されはしないだろう。


 だが、もし仮に実際には起こっていないことだとしても、ヴィオラもルチェドラトも同様の夢を見て、それを事実として受けとめているはずだ。


「妹の死によって魔王が誕生する。」


 両国の滅亡と魔王誕生がヴィオラによって阻止された今、彼女はタラの国で静かに暮らすことを望み、愛し愛されることを願っている。

 その事を知っているルチェドラトは、彼女の望みを叶えるべく私に夢を見せたのだ。



 あの日のルチェドラトの憎悪に満ちた視線も当然のように思われた。


 掴めそうで掴みきれないヴィオラの心を理解できず、好意を感じながらも決して距離が縮まらないことに焦れて、時には冷たく接していた自分も…、『一回目』とされる夢の中の冷酷な自分も…、今はただ呪ってやりたい気持ちだった。



 そういえば、ヴィオラが自分を見て不安そうな表情になっていたことがある…。

 毎回、ほんの一瞬のことで、すぐにいつもの穏やかな微笑みになったので、ほとんど気にしていなかったが、あれは毎回『一回目』の事を思い出していたのではないだろうか…。



 これからのことは気を付けられるが、『一回目』のことはどうしようもない…。


 自分と関わることで、ヴィオラが辛い思いをするなら、関わらない方がいい。


 そう思って、公務に没頭してきた。



 だが、今回はヴィオラの方から関わりを持とうとしてくれているのだ。


 わざわざ招待状まで届けて来たのだから、私に会いたくないわけではないのだ。


 ノワールは、久しぶりに幸せな気分に包まれながら、一日の終わりを迎えた。


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