ヴィオラからの招待状

「ノワール様、少し休まれてはいかがですか?」


 アーノルドは思わず声をかけた。


 そうは言っても、あるじが休むわけは無い…と半ば諦めているアーノルドは、何も答えずに机に向かうノワールを見て小さくため息をついた。


 二十歳の祝賀会が終わった頃から、ノワールの様子が変わった。


 妹君のスィートピー王女が学園に入学してからの一年間は、卒業生であるにも関わらず何かと理由をつけては学園に赴き、毎日のようにスィートピー姫やヴィオラ姫に会いに行っていたが、五月の半ばに祝賀会が終わると、早朝の剣術の稽古は欠かさないまま、午前中は執務室に籠って恐るべき集中力で書類と向き合い、午後には城外に出て精力的に視察を重ね、夕刻になるとまた仕事に没頭するようになった。


 初めのうちは、「成人して五年という節目を迎え、王太子として何か思うところがあるのでは。」と、ますますご立派なことだと自分も他の側近たちも喜ばしく思っていた。

 だが、取り付かれたように執務室で仕事に没頭し、書類が片付くと視察におもむく。それも終わると古書を片っ端から読み漁る日々。

 加えて、楽しそうに声をあげて笑うことも、優しげに微笑むこともなくなった王太子を一ヶ月以上も見れば、側近ばかりでなく城内の者も皆、心配し始めていた。


 それでも、休日に王宮に帰ってきた妹君と一緒に過ごす時だけは穏やかな表情になる。


 ただ、その時間も以前に比べれば圧倒的に少なくなった。

 少し前までは、妹君の誘いを断ることなど一度も無かったのに、今は再三の誘いを断りきれずに時間を作ると言った様子なのだ。


 こんなことを続けていては、いつか倒れてしまう…。


 だが、今日はとっておきの切り札がある。


 アーノルドは主の机に一歩近づき、なるべく事務的に声をかけた。

「そう言えば、ヴィオラ姫が…、帰国前に一度、スィートピー王女とのお茶会にノワール様をご招待したいと話されていました。」


 目の前でピタと止まった主を見て、アーノルドは脈ありとばかりに続ける。

「その際、学園内の王室専用サロンで、ノワール様にお見せしたいものがあるそうですよ。」


 何故か不安げな顔でこちらを見上げる主を見たアーノルドは、心配そうに主を見つめて声をかけた。

「殿下…?」

「お前達が、ヴィオラ姫にそう言わせたのではないだろうな。」


 不安そうにしながらも、ジッと射貫くような視線を向ける主にたじろぎながら、アーノルドは急いで首を振った。

「何故、私たちがヴィオラ姫にお茶会を頼むのですか。そんな恐れ多いこと出来る者はおりません…。」


 ノワールは、ジッと目を細めて疑わしそうな様子だが、その瞳の中にいつになく光が戻ったのを見つけたアーノルドは、勇気を取り戻した。


「実は、招待状も頂いておりまして…。」

 懐からヴィオラ王女の封蝋で閉じられた封筒を取り出すと、うやうやしく主に捧げた。

 ノワールは、明らかに瞳を輝かせながらも恐る恐るその封筒を受け取り、大事そうに封蝋を見つめた。


 菫の花とヴィオラの名が複雑にデザインされた金の封蝋は、間違いなくいつもヴィオラの指にある指輪印章と同じものだった。


 しばらく封蝋を見つめ、やがて立ち上がると

「後で呼ぶ。」と言ってアーノルドを下がらせた。


 アーノルドは、恭しく部屋を後にしたが、部屋を出てすぐに呼び戻された。


「七月五日。この日は一日空けておけ。絶対に何も入れるな。」


 封蝋を壊すことを嫌ったのだろう、主には珍しく、机の上にはハサミで丁寧に開けられた封筒が置かれていた。

 それをチラと見ながら


 ――お茶会は七月五日なんだな。


 と納得しつつ、アーノルドはヴィオラ姫に心から感謝した。


「お返事は殿下が書かれますか?」


 素でハッとしたところを見ると、返事のことは全く考えていなかったようだ。

 真面目な顔を保ちつつ、アーノルドは嬉しくて仕方がなかった。

 ああ、こんな人間らしいノワール様を見るのは久しぶりだ。


「うん…。僕が書く。もういいぞ。」


 ああ、ノワール様がご自身を「僕」と呼ぶなんていつ以来だろう!

 ヴィオラ姫!ありがとう!

 あなたはやはりこのセヤ国になくてはならぬ女神だ!


 アーノルドは、またすぐに呼び戻されるやも知れぬと執務室の前で待っていたが、今度は一時間以上待たされた。



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