ルチェドラトと黒猫ルルの関係
私が彼に出会ったのは、十三歳の時。
夕暮れの森を歩いていると、小さな黒猫がじっとこちらを見ていた。
「よぉ、相棒。久しぶり。」
そんな声がどこからか聞こえてきた。
「誰?」
「俺だよ。」
「…?」
――もしかして黒猫が話してる?
「なんか…。あんた…色々忘れてそうだな…。まぁ…、そうか…。」
「君が話しているの?」
「うん。まぁ、説明は
「っ?何を言って…。」
「大丈夫。死ぬとしてももっと大きくなってからだし、俺も、あんたの妹が死んだら困るから真面目に守るつもりでいるし…。」
「ヴィオラが死ぬなんてこと…。」
「大丈夫。とにかくあんたは俺を信じて妹を大事にしてれば…。そのうち色々思い出させてやるから…。でも、今はまだダメだ。ああ、そんな顔するなよ…。ちょっと一旦記憶を消そう。詳しくは追々な。それから、俺とは頭の中で会話した方がいいよ。俺は話しても周りの人間にはニャーニャー言ってるようにしか聞こえないけど、あんたの言葉はみんなに聞こえるから…。」
物語に出てくるような、言葉を話す動物を実際に観たことがなかったから、あの時は本当に驚いたけど…、最初から不思議と怖さはなかった。
最初は、声に出さずに話しかけるということが意外に難しくて苦労したけど、それもいつの間にか慣れた。
ヴィオラにルルと名付けられた黒猫は、ヴィオラのことを何でもよく知っていた。
「あの子が熱を出すのは、魔力が大きすぎるからだよ。あの子にとって魔力は馴染みがないんだ。ついこの間、急に魔力を得たようなものだから。でも、段々魔力も馴染んでくるだろうし、大きくなればあんたと同じように普通に扱えるようになるはずだよ。だけど、まだちょっと時間が必要だな。倒れると毎回辛そうで、さすがに俺も可哀想になってくるよ。まだ前回の心の寒さが相当残ってるから、あんたはとにかく優しくしてやった方がいい。俺はあの子がドバッと魔力を出した時には吸い取ってなるべく楽にしてやるから。」
初めは半信半疑だったが、いつの間にかルルの言うことを全面的に信じるべきだと思うような事が次々に起きた。
いつものようにヴィオラが熱を出した時、ルルがピクリと何かに気がついた。
「あ…。ルチェドラト。ヴィオたんの額にに手をあてて。」
言われた通りに手をあててみると、突然、夢か
「お母様が毒殺される夢を見る。」
「自分も毒殺されるかも知れない。」
「タラの国の飢饉に備えたいのに何も出来ない。」
確かにヴィオラの声がするし、泣き顔も見える。でもそれと同時に、ただ苦しそうに眼を閉じている妹も見える。
不安と心配でルルを見ると、
「大丈夫。二人とも夢を見てるんだ。でも、ヴィオたんがこの事を心配してるのは本当だから、とにかく今はちゃんと聞いてやって。本人は起きたらたぶん忘れてる。」
それから妙に明るくこう言った。
「これからは俺とあんたで、ヴィオたんの心配ごとをなくしてやろうぜ。」
ヴィオラが黒いモヤが見えると怯えた時も、少し前にルルが予言していた。
「ルチェドラト。もうすぐヴィオたんが、なんか言い出すと思うけど、とにかく信じてやって。」
ルルは毎回、詳しくは教えてくれない。
なんだろう…。
何が起きるんだろう。
あの時はしばらく不安な時間を過ごした。
その後すぐにヴィオラは黒いモヤを見て怯えていたし、「ルルの言っていたのは、この事かな。」とすぐに信じてやると、妹は本当に嬉しそうに安心していた。
私としか話さず、ヴィオラのことをよく知っていて、予言めいたことを言って導く小さな黒猫ルル。
普通の猫ではないことはよくわかっているが、周りの者には、「いつまでたっても大きくならないヴィオラ王女を守る幸運の黒猫」でしかない。
「ルル、君はいったいなんなの?」
何回聞いたかわからないが、ルルは毎回こう答えた。
「俺?俺はルチェドラトの分身みたいなものだよ。でも、今はまだ話せない。どうしても聞きたいならそのうち話すけど、なるべくなら話したくないんだ。」
「ヴィオたんが、なんか悩んでる。話を聞いてやって。」
「南の方に最近入ってきたオリーブの木ってのがあるから、それについて調べてみてからヴィオたんに聞いてみなよ。」
「そろそろ熱を出すかも…。」
そんな風に僕とルルはヴィオラと関わってきた。
ルルに導かれても、その都度動くのは常に自分だったが、王太子として兄として当然の事ばかりだったし、それによって得られる結果にも満足して過ごしていた。
「はぁ~。ルチェドラトが優秀で助かるよ。俺だけだったらちょっと危なかった。」
「え…?何が?」
「ヴィオたんが色々書いてたやつあるじゃん?あれ、俺にはうまく使えなかっただろうなと思って…。」
「褒めてる?」
「うん。褒めてる褒めてる。まぁ今後もヴィオたんの相談にのって、ヴィオたんが決めたことには反対しないようにして色々助けてやってよ。」
「うん…。そのつもりだけど…。」
「あと、大事なのはヴィオたんが話すつもりのないことをあれこれ聞かないことだね。」
「どうして?」
「今までのように頼りにされなくなるからさ。」
「どうして…!」
「大丈夫。ルチェドラトは頼りにされてるから必要なことは絶対に相談してくる。相談してきたらよく聞いてやって、その都度動いてやればうまく行くから。」
ルルはそれ以上話すつもりはなさそうだった。
わからないことが多すぎて、不安になることもあったが、ヴィオラと仲良しでいられなくなるなら、全て飲み込んでみせるつもりだ。
それなりに苦労もあったが、ルルのおかげで、ヴィオラにとって頼れる兄となれたし、国も豊かにすることが出来た。
あの頃、ルルによればヴィオラがまた近いうちに何か相談してくるはずだった。
毎日、待ち構えていたがそうはならず、視察に出掛けて戻ったところで、母上に特殊能力を移したいと相談を受けた。
「ああ…。この為の『複写』か…。」
ルチェドラトは、ルルによって『複写』を教え込まれたことの意味を理解した。
『複写』が終わった時の、ヴィオラのあの安堵の表情。
「終わったな。これでしばらくは何も心配ない。あんたも俺も安心して過ごせる。まぁ、ほどほどに国を豊かにしながらのんびり過ごして…、安心して留学の準備しろよ。」
その頃十五歳になった私は、のんびりなどできる身分では無かったが、とにかくルルが心配ないと言うのならと、安心して公務に取り組めたし、ヴィオラものびのびと楽しそうに過ごしていた。
ルイが生まれると、家族は皆で喜んだが、意外なことにルルもかなり喜んでいた。
「ああ…。新しい命っていいな。世界がうまく行ってる証拠だよ!」
「ルイの魔力はどこもかしこも新しくって、本当に気分がいいよ。嫌なことを思い出さずに済むし…。ヴィオたんの熱も大分少なくなってきただろ?まぁ、思っていたよりもヴィオたんのクセが手強かったから、熱を全く出さないって訳にはいかないんだけど、でも熱を出しても前よりもずっと早く楽にしてやれるからあんたは安心して留学してこいよ。」
ヴィオラが留学することになった時は、当然ルルも反対するだろうと思っていた。
そうなれば、自分も全力で反対するつもりでいたが、ルルは反対どころか、絶対に行かせなくてはならないと強く主張した。
「心配するのもよくわかるよ。確かにヴィオたんは、思っていたよりも魔力が馴染んでないし、身体も強くなってない。でも、ヴィオたんが行くって決めたんなら反対しちゃダメだ。離れてるときに体調を崩しても死にはしない程度には強くなってるから大丈夫だよ。行かせないと大変なことになるかもしれないし…。」
この時ばかりは、本当に参った。
タラに戻ってやっとまた一緒に過ごす時間が増えるとばかり思っていたのに…。
ただ、ルルの最後の言葉に恐怖を抱いた。
「大変なことってなんなんだ。それがわかればどうにか動けるかもしれないし、自分が避けてやれるかも知れないのに…。」
でもルルは、何も話すつもりは無いらしかった。
夏に戻ってきた時にはヴィオラはとても疲れた様子だった。心配で堪らず、留学をやめさせてはいけないのかとルルに突っかかった。
ルルは「まだダメだ。留学は続けないと…。」そう言って自分はルイと気ままに過ごしていた。
秋に再びタラに戻ったヴィオラは、痩せて顔色もとても悪かった。その後もなかなか体調が戻らず、休学を余儀なくされた時には、今度こそ絶対に退学するべきだと思った。
「うん。もういいと思う。」
ルルの言葉にどれだけ救われたことか。
だが結局ヴィオラは復学した。
それからのヴィオラは、休みの度に帰国しても元気そうだった。
セヤでの話を楽しげに話していたし、体調もまずまずと言ったところで高熱は出さなくなっていた。
留学に反対する理由がなくなった私は、ヴィオラが学園を卒業するのをひたすら待ちわびた。
喜ばしいことに、妹が学園生活を楽しんでいることは間違いなかった。
ヴィオラが王立学園の二学年を終え、この春休みに帰国した時。
とうとうルルが話を切り出した。
「ルチェドラト。あんたが聞きたいならだけど…。そろそろ俺とあんたの関係を話してもいい頃合いだと思う…。でも、聞かなくても何も問題はないとは思う…。ただ…。」
「ただ?」
「うん…。ヴィオたんの事なんだけど…。」
「ヴィオラがなに?」
「ヴィオたんをセヤの王城に連れていくのはまだやめておいた方がいいと思う…。宮殿なら大丈夫みたいだけど…。」
「……?」
「あと…。話すとなったら何もかも知ることになるけど…、何も聞かずにこのままヴィオたんと仲良くしていた方がいいんじゃないかな…。あんたも辛くなるだろうし、あんたの態度が変わればヴィオたんが悲しむよ…。」
「……。」
「ひとまずさ、簡単に説明するから…、それだけでいいんじゃないかな…。」
ルルがその時に説明した話は、何もかもがあやふやだった。思い出しながら説明するから、途中で邪魔しないでくれと断って、ルルは話し始めた。
「昔…。その…あんたが今のあんたとして生まれる前、俺とあんたは同じものだったんだ。でもどうにもならなくなって…本体を残して…。つまり…元々は一つのものだったんだけど、本体とあんたとに分裂して、その後また俺とあんたとで別れてから生まれたんだだよ…。俺は少しの間、別のところに残されて…。あんたの成長を待って、後から来たんだ。俺と一緒に戻ったんじゃ、あんたはちょっとまずかった。たぶんだけど、平穏な世界を望んだ何かによってやり直しが始まったから…。あんたが俺を含んで生まれると昔の記憶って言うか…身体に馴染んだものが鮮明過ぎてすぐに元に戻る可能性があったんだと思う…。どういうわけかこの世界には、魔力も魔法も当たり前に存在してるし…。で…。ヴィオたんはちょっと事情があって…、あんただけでも何とかなる可能性も無い訳じゃなかったけど、俺がいないとやっぱりまた同じことになる可能性が高いってんで、俺は後から別のものとして、つまり黒猫としてここに来たって訳。でも、もう何も心配ない。ただ、ヴィオたんはまだちょっと昔の事を引きずってる…。だから、それはまぁ、これまでと同じようにあんたが助けてやればいいんじゃないかな…。」
ルルは、自分が話し終わっても何も言わないルチェドラトを見て、自分の今後について話し始めた。
「もう、これからは未来しかないし、俺はあんたと話さなくちゃならないこともなくなるから、普通の…ちょっと魔力の強い、長生きな猫として生きようと思ってるんだ。俺はルイの魔力が好きだし、あの子も俺が気に入ってる。だからルイの友達として。ただの猫としてさ…。ルイは以前の世界にはなかった新しい命だから、近くにいてもただ美味しい魔力を吸収してるっていう安心感があるんだ。」
ルチェドラトは、掴み所のない話を必死に理解しようとしていた。
「もう、何も心配はない。」
ルルはそう言った。
これからも、私が妹を助けてやればそれでいいとも。
なんとなくだが、不思議と概要を理解できていた。
もっと詳しく知りたい自分と、知らない方がいいと言ったルルの言葉を信じる自分と…、しばらく繰り返し考え、後者に傾きかけていた。
そんな時、父がヴィオラに「ノワール王太子殿下の二十歳の誕生祭に、国王の名代として出席するルチェドラトと共に出席するように。」と命じた。
ヴィオラは頷きながらも「それは…。あの…お城での催しでしょうか…。」と不安そうに尋ねていた。
端から観ればただの質問だろうが、あれは不安から来るものだ。
――城…。
「ヴィオたんをセヤの王城に連れていくのはまだやめた方がいいと思う…。宮殿なら大丈夫みたいだけど…。」
ルルは確かそう言っていた。
――なんだ…?
父から出席を命じられたのだから断るわけにはいかない。
それでも思わず確認してしまうほど、城に何かあるのだろうか…。
ルチェドラトは覚悟を決めた。
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