ルチェドラトの攻撃

 花が咲き誇るセヤ国の五月。


 セヤ国の王太子、ノワールの二十歳の祝いが盛大に執り行われる事になり、タラ国の王太子ルチェドラトは国王の名代として出席した。


 セヤ国の王立学園に留学中で、最高学年になったヴィオラも、数日間に渡る王宮での祝賀会に兄ルチェドラトと参列する予定だったが、体調が優れずに学園の寮で休んでいた。


 祝賀会の最終日になって、セヤの王宮に滞在中のルチェドラトから、セヤの王城にいたノワールに手紙が届けられた。


「妹が回復したので、よければ庭園の花々が素晴らしいと評判の離宮に、妹と自分を招待して貰えないだろうか。」


 ノワールは、思わず口元が緩むのを感じた。


 数日に渡る盛大な催しを無事終えて、大きな安堵あんどと同時に心身の疲れを覚えていた彼は、自身も妹を伴って数日間離宮でのんびり過ごそうと喜んだ。


 何しろ、祝賀会での晴れ姿を誰より見せたかったヴィオラが欠席となり、彼女に祝って貰えなかった事だけが心残りだったのだから断る理由はどこにも見つからない。


 約束の日に、城での所用が思いのほか長引き、ノワールが一人遅れて離宮に到着した時には午後のお茶の時間をとうに過ぎていた。


 にこやかに迎えたルチェドラトから、「妹たちは池に向かったが、迎えに行く前にお茶を飲もう。」と促され、ノワールはテラスに設えられたテーブルに着いた。


「おめでとう。君もこれでだね。」


 二十歳を祝われたことの返礼として軽く笑顔で頷いたノワールは、ふとルチェドラトの「ひと安心」と言う言葉が気にかかり相手を見た。


 金の王子は、口元に笑みを浮かべながらも、その目は少しも笑っていなかった。


 先ほどまで、いつも通りの穏やかな様子だったルチェドラトから、射るような眼差しを向けられ、にわかに緊張を覚えながらも、ノワールはじっと相手を見つめた。


 口元に笑みを残したままのルチェドラトは、金色の髪を風になびかせながら、ほんの少し眩しそうに庭園の方に視線移すと、優しげに呟いた。


「どうやら、ヴィオラは君に好意を抱いているらしい。」


 ノワールはサッと顔が紅潮するのを禁じ得ず、自身も急いで庭園の方を見た。


 視線の先、遠くの池にヴィオラと妹がボートに乗っているのを認めると、思わずその様子に惹き込まれた。


 おそらく舟を漕いでいるのは、妹と先に出発させたアーノルドだろう。

 陽の光で水面がキラキラと輝き、周囲の木々が新緑の葉を揺らして、表情を伺い知ることはできずとも楽しげな様子の可憐な二人が、美しく穏やかな風景画のように見えた。


 ――ヴィオラが僕に好意を抱いている!


 ヴィオラが一学年の冬に復学してから、自分が卒業する春までの二ヶ月間、制服を着て二人で毎日のように出歩いた。

 凍えそうな冬の街並みも、息を白くさせながら楽しく語り合って歩き、別の日には少しずつ春を迎える街並みを歩きながら、外套が要らなくなったと話し、あと何回二人で制服を着て歩けるだろうと切なさを覚えたり…。


 自身が卒業し、妹が入学すると、ヴィオラは妹と二人、また友人たちと連れだって王都の街に行くようになったが、時には自分が王都に連れ出すことも小旅行に連れていくこともあった。

 その多くは妹も一緒で、二人の間にあの夜桜を観た時のような時間が流れることはなかったが、それでもとても親しく過ごしていた。

 だがやはり、そのヴィオラからの親しげな笑顔が「友好以上のもの」と呼べるかについては確信が持てないままだった。


 それが今、ヴィオラが自分に好意を抱いていることが、おそらく彼女を誰よりも理解しているルチェドラトから知らされたのだ。


 ――嬉しい…。


 思わず笑みの溢れる口許を手でおさえ、喜びの知らせをもたらしたルチェドラトを再び見ると、目の前で冷たく光る敵意を帯びた彼の瞳にノワールは改めて驚いた。


 少しの間、彼は敵意を隠すことなくノワールを見ていたが、またいつものようにニッコリと微笑んだ。


「でもね。それだけなんだ。」


 優しげに話しているが、内容に好意は感じられない。

 旧知の仲だったはずの隣国の王子は、まるで別人のようだ。


 いったい、彼は何を言い出すつもりなのだろうとノワールは身構える。


 先程から一言も話さない相手に構わず、ルチェドラトは続けた。

「ヴィオラが君に好意を抱いているのは本当だよ。でも…、それだけなんだ。ヴィーは君と今以上に親しくなりたいわけでも、ましてや結婚したいわけでもない。これまで君の国で君や妹君の為に動いていたのも、全てはこの世界の平穏の為。学園生活を続けたのは母の意向によるものなんだ。可哀想にヴィーは昔、この国でとても辛い日々を過ごしたんだ。ああ、もちろん今の君は何も悪くないよ。全ては昔の君がしたことだし、君に思い当たる事が無いこともわかってる。」


 そう言うと、また池の方に視線を移した彼は、普段と変わらない様子で穏やかに微笑んでいる。


 ノワールは、これまでに感じたことのない畏怖を抱きながら努めて冷静に口を開いた。


「おっしゃっている意味が…」


 感情が読み取れない表情で、静かにノワールを見たルチェドラトは、茶の注がれたカップを優雅に持ち上げ一口飲むと

「ヴィーから聞いてない?昔、君と一年間だけ結婚していたって。あれ?聞いてないみたいだね。じゃぁ誰に話したんだろ…。誰かに伝わったような感じがあったんだけど…。まぁ、いいか。あのね、昔、君はヴィーと一年間だけ結婚していたんだ。でも、君はヴィーが嫌いだったんだね。ああ…、嫌いとはまた違うのかな…。まぁ、とにかく仲良くするつもりがなかったんだよね。知っていればセヤに嫁ぐのを全力で阻止したのにな…。でもヴィーは、君が好きだったし…。」


「……。」


「とにかく…。十六歳で一人セヤの国にやって来たヴィーには、味方は一人もいなかった。ああ、もちろんタラからの侍女がいたけど…。侍女に出来ることなんて寄り添う事くらいだよね。食事も一人、散歩も一人、お茶も一人。友人も…あれでは出来る機会なんてなかったな。僕からの手紙も届かない。僕への手紙も送ってもらえない。頼りの夫は、徹底的に妻を無視したんだ。一年もの間ね。君の大切な女性は妹君だけ。好きの反対は嫌いじゃなくて無関心だって言うけど…。ここまで徹底出来るものかな。相手は隣国から嫁いできた十六歳の王女だよ?もう少しいたわってあげてもよかったんじゃない?あ、ごめん。話がそれたかな。とにかく、二人がちゃんと顔を会わせたのは、婚礼の時と最後の時の二回。確かに昔のヴィーはずいぶんお転婆だったし我が儘だったかもしれないけど、あそこまで無視する必要あったかな。僕からの手紙をヴィーに届けなかったのが君じゃないのは知ってる。でも、君が城の人たちに、ヴィーに関することは一切「報告不要」だって報告そのものを禁止事項にしたからね。手紙を渡していいか、送っていいかの許可も取れなかったんだと思う。そしてヴィーは死んだんだよ。君たちを守ろうとして…。でも君はヴィーに感謝するどころか、ヴィーが死んでいくのを冷たい目で見ていたね…。僕に会いたいと願いながら…僕に恥じない妹であろうとした可愛いヴィーが…死ぬ間際に感じたのは絶望だ。想像してみてよ。もし君の妹君がそんな目にあったらって。」


 時折笑顔を見せながら静かに話し…いたって穏やかな様子だが、目の奥に憎悪を宿らせたルチェドラトの瞳はいつもと異なる色をして不気味に輝いていた。


 ノワールは、不穏な話の内容が全く理解できず、気味の悪い空気をどうすることも出来ないまま、呆然と相手を見つめていた。


 これまで、兄のように慕い、親友のようにも思っていた相手が、何を言っているのか全くわからず、真意を確かめようとルチェドラトの瞳を必死で観察したが、彼が冗談を言っているようにも嘘を言っているようにも見えなかった。


「ああ、ごめん。驚いたよね。勘違いならいいんだけど、今の君がヴィーを婚約者にしようと考えているなら、それは諦めてもらわないとと思って。もちろん、今の君が悪いわけじゃないんだ。それはヴィーも僕もよくわかっているよ。今の君のことは僕もヴィーも大好きだ。でも、ヴィーにとって、昔の君もやっぱり君なんだ。セヤの城はヴィーにとって辛い思い出しかないし、あの城で暮らすなんて無理だと思う。ああ、本来王太子妃が暮らすのは宮殿かな?まぁ、とにかく、ヴィーのことは僕がタラの国で守る。タラの国にはヴィーの愛するものがたくさんあるし、タラの国のすべてがヴィーを愛している。今、ヴィーは僕の婚約者探しに一生懸命だけど、僕は結婚しなくていい。ルイがいるからね。ルイが大きくなるまで僕とヴィーで国を治めて、二人で彼を王太子に育てるのもいいかなと思ってるんだよ。」


 何一つ理解できないまま呆然と聞いていたが、理解不能な話で妹への愛と執着を落ち着き払って語るルチェドラトに対し、静かな怒りが込み上げてきた。


「お言葉ですが、そのような話は…到底理解できません。」

 落ち着いた口調で、瞳に怒りを込めながらまっすぐにルチェドラトに異を唱えたノワールに、ルチェドラトはゆっくりと頷いた。


「わからないよね。でも、僕も君も確かに魔王になったんだ。僕だけがわかっていればいいと思っていたけど、君がヴィーを手に入れようとしているようだから、ヴィーを諦められるように君にも昔のことを思い出させてあげるよ。きっと明日になれば今の話を何もかも理解出来る。」


「魔王…?」


 再び気味の悪い空気にのまれるのを感じながら、もっと何か言わなければと必死で頭を動かしたが、何故か不安が押し寄せ、それ以上は言葉にならなかった。


 気がついた時には、ルチェドラトの冷たい手が自身の額にあったが、抵抗しようにも身体は石のように重く動かなかった。


「ボートがこちらに戻ってくる。そろそろ愛する妹を迎えに行こうか。」


 朗らかなルチェドラトの声にハッとした時、ノワールはテラスでの会話をすっかり忘れていた。

 何か嫌な事があったような気がするが、その残像のような僅かな気持ちを抱えただけのノワールは、信用しているはずのルチェドラトを不安げに見つめた。


「ノワール。大丈夫だよ。明日の朝には何もかも思い出すはずだから。」

 ルチェドラトは、気の毒そうに微笑んだ。


「思い出す?」

「うん。だから、今は愛しい妹との時間を楽しもう。」

 そうだ。スィートピーがいてヴィオラがいる。

 ヴィオラに会うのは久しぶりだ。

 ノワールは、楽しい気分を取り戻し、ルチェドラトと池に向かった。



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