黒モヤ仲間のダッチェス

 年が明けても、ヴィオラはセヤの国に戻れなかった。


 秋休み、疲れはてた様子の娘を見た家族はすぐに侍医を呼び、秋のセヤで娘がどのような生活を送っていたのかが明らかになった。



 社交シーズンになったことで、王立学園の休校が多いことは把握していた。

 タラと同様にセヤの王宮も忙しいことも理解していたが、大国であるためにタラとは比較にならぬほど地方を巡る日程が多い。


 これまで王太子が、毎週のように娘を外出させてくれていた為になんの不自由もなく外出していたが、実際に娘に許されていた外出は、セヤの王宮と、王太子に伴われての王都散策や離宮への小旅行のみ。

 王太子頼みであった外出が、王太子の多忙により激減していた。

 スィートピー王女を週に一度は訪ねてはいたそうだが、娘の行動範囲はかなりせばまり、歩く距離も激減した為に、食欲も落ちた。


 部屋で一日刺繍をすることも珍しくなく、食欲も無いので元気がなく、元気が無いので歩き回ることもなく、歩き回らないことで食欲もない。

 その負の連鎖により、娘はタラに戻るとすぐに本格的な療養が必要だと診断された。


 侍医は、同行の侍女にも話を聞き、タラに帰る旅の疲れでセヤにいる頃よりもずいぶんやつれて見えたことが判明したが、食欲が落ち、運動不足であったことは否めず、ヴィオラがセヤにいる間に痩せたことは間違いなかった。


 たった一ヶ月会わない間に、娘はずいぶん口数が少なくなっていた。


 夏以上に、とにかくのんびり生活させるように心がけ、刺繍をする元気があるのなら『バーモントの庭』に行くように命じた。


『バーモントの庭』には、毎回家族が一人以上ついていく。


 ――可哀想に、多くの時間を寮で過ごしていたために、娘は誰かと話すことに飢えていたに違いない。


 娘は、「それなら『タラゲーム』をしましょう。」と言ったが、本人がどうしてもやりたいと言うのでなければ、やらせる気はなかった。

『バーモントの庭』の小さな家の暖炉に火を燃やし、庭を眺めて、あの花が咲いただの、風が冷たくなってきただのと言う話をしながらのんびりさせようと決めていた。


 セヤから届くヴィオラからの手紙には毎回楽しそうな話がぎっしりと書かれていたが、その手紙の多さと枚数の多さから、ヴィオラが寮に籠りがちだったことに気がついてやるべきだったと両親も兄も自分を責めた。


 家族と毎日話し、ゆっくりだが毎日歩き、食欲も少しずつ戻っては来ていたが、すぐに疲れた様子を見せた。




「私、セヤの国で特に体調が悪いとも思わずに過ごしていたけれど、皆が言うようにやっぱり体力が落ちてしまっているのね…。」

 忙しい家族に、自分の相手ばかりさせられないと、ダッチェスと薬草採取に出たヴィオラは、そう言って力なく笑い、用意された椅子に腰かけた。

 以前の三分の一程度の距離で、ヴィオラの顔に疲れの色を見付けたダッチェスは休憩を提案した。

「ヴィオラ様。ゆっくりですよ。時間をかければまた元のように元気になれるんですから…。寒くないですか?」

「ええ。ちっとも!この外套とても暖かいの…。きっとお兄様が何かしてくださったのね…。ああ…、本当に情けないわ…。学園から戻る度に家族に心配をかけて…。結局ダッチェスにまで迷惑をかけてしまっているわね。少しは役に立てるだろうと思ったのに…。これでは足手まといね。」

「いや…。私は久しぶりにご一緒できて楽しんでいますよ。それに…、留学はやっぱり疲れますよ。私も家に帰る度に、ぐっすり眠るとはこういうことかと、眠ってばかりいました。特にヴィオラ様は王女様ですからタラにいる時とは勝手が違うこともたくさんあるでしょうし…。何より、毎日のように緑豊かなタラの庭を散歩していたのに、それが出来なくなってお辛かったでしょうね。」

「ダッチェス…。ありがとう…。そうかもしれないわ。大きな木がたくさんあるところを毎日歩くことが出来なくなった事は、私にとってとても大きな事だったのかも…。」

「そうでしょうね。私もここで毎日生活するようになって、この環境がなくなったらきっと心のバランスを崩す気がします。」

「そういえば…。最近は、ルイも薬草採取に参加するんですって?」

 ダッチェスは、可笑しそうに笑った。

「はい。」

「あの子、役に立って?」

「ええ、そりゃもう元気いっぱいで見付けてくれるのですが、宝探しのように夢中になられて、見付け次第どんどん抜いてしまうんです。」

「まぁ…。それではあまり役に立っているとは言えないわね。役に立ちたいと頑張ったのでしょうけれど…。」

「でも、最近はしっかり言うことを聞いてくださいます。一度厳しく注意させて頂きましたので。」

「そうなの。よかったわ。あの子あなたの事をとても尊敬しているんですもの。あなたに注意を受けて、それをちゃんと聞けたのなら、みどころがあるわね。ダッチェスありがとう。」

「いえいえ、私も本当に頼りにしてるんです。ルイ王子はとにかく目がよいので…。私が見落とすようなものも見つけてくださるんですよ。それにどんどん新しいことを吸収していらっしゃいます。まだ四歳とは思えませんよ。今に追い抜かされるのではと…。」

「まぁ…。ルイがダッチェスを?」

 ヴィオラは楽しそうに笑った。

「いや、ヴィオラ様。このまま行けば本当にあっという間にそうなりそうですよ。とにかくルイ王子は、興味のあることへの探究心がすごいんですから…。ルチェドラト様も本当に優秀でいらっしゃいますが、ルイ王子もかなりのものですよ。今では薬師庭園の方でも大活躍らしいですし…。なんとかこのまま興味を持ち続けて欲しいものです。」

「そうなのね…。」

 ヴィオラは、少し寂しくなった。

 ついこの間まで赤ちゃんだった弟も、今では側近候補の多くの友人と遊ぶようになっていた。

 家族でいる時には、誰よりも近くにいようと頑張ってくれるし、二人になるといつも通り甘えてくれるが、友人と一緒の時には「姉上」と礼儀正しくお辞儀をしたりするのだ。


 ダッチェスの話が本当なら、国の未来を担うような優秀な王子になるのだろう。

 そう言えば『タラゲーム』も、とても強くなっていた。



 自分は未だに、体調管理も出来ず、学園生活でも特に優秀な成績を修めているわけでもない。いつでも平均点を少し上回る程度だ。

 丈夫でないと言う理由で、成人した今も国の外交には全く役に立たず、ただ、家族に愛されいたわられ、『バーモントの庭』でぼんやりと過ごしている。

 なにか得意な事と問われれば、『刺繍』

 それだけだ。


 ずいぶん昔の事のように思えるが、母の毒殺を阻止したい、国の飢饉を防ぎたい。そう思いながらも、結局自分はなにも出来ず、今と変わらず体調を家族に気遣われ、刺繍ばかりしていた。


 あの頃と何も変わっていない…。


 何か…。何か見つけなければ…。


「私にしか出来ないこと。」等と言う、大それた事でなくとも…、私も役に立てていると感じられる何かを…。


 テーブルの上で、たった今 採取してきた薬草を観察しながら、しきりにノートに何かを書き込んでいるダッチェスはこの国の宝だ。

 ダッチェスのおかげでタラの国の薬事情は大幅に進歩した。

 後輩たちもどんどん育っているようだし、異国からも弟子に志願したいと若者がやってくる。

 タラの安定した薬を求めて、異国から買い付けに来る商人も大使も多く、それにより得た資金で新たな薬の開発が進み、タラはとても潤っている。


「ダッチェスはすごいわね…。」

「…?何がですか?」

 薬草とノートから目を話さずにダッチェスが聞き返した。

「あなたは、この国にとって、なくてはならない存在じゃない。」

「………?あなたこそ、この国にとってなくてはならない存在ではないですか…。」

 ダッチェスは、驚いたようにヴィオラを見た。

「私は違うわ…。王女であることを言っているなら、むしろ、私のような王女で申し訳ないわ…。王女としての役目を何も果たせていないもの…。物語の中に出てくる、何もせずただ綺麗なドレスを着て、美味しいものを食べている悪い王女のようだもの。」

「悪い王女?」

 ダッチェスは、笑いそうになった。

 ヴィオラを見て、『悪い王女』などと思う者が世界にいるとは思えなかった。

「そのうち、贅沢ばかりして何もしなかった罪で断頭台に送られるのではないかと思うけれど、仲良しのあなたは少しは庇ってね。私も薬草採取を少しは手伝っていたのだって。そして、それでも処刑されたら悲しんでほしいわ。」

 ヴィオラは、自分で話し始めた内容で自分を腐らせ始めた。


 大人なダッチェスは、若い娘の大袈裟な妄想に苦笑いしながらも、処刑等というあまりに極端な思考に危うさを覚えた。


 秋のセヤで閉じ籠って生活していたらしいヴィオラには、タラの空気は慰めにはなるだろうが日常を取り戻したに過ぎないのだろう。

 楽しみにしていたであろう舞踏会も、結局ほとんど出席できなかったと聞く。

 出席しても、兄とさえダンスを踊ることは許されず、ただ椅子に座って皆が挨拶に来るのに返答するだけだったそうだし、王立学園の、秋休みから冬休みの間の残り少ない二学期も、セヤに戻れていないので全く出席できていない。

 戻ったところで冬休みまでのほんの数週間しかなく、まだ学園生活を送るには不安が残ると診断され、今もこうして外出と言えば庭園内と言う、昔に逆戻りしたような生活だ。

 もうすぐ三学期が始まるが、まだセヤに戻るのは難しいだろう。


 王女には、何か気の晴れるようなことが必要だ。

 自分の存在意義を考える時期を迎えているのだろうから、その辺りにも力を貸してやりたい。

 ただ、これはルチェドラト様とよく相談した方がよさそうだ。


 ひとまずこれだけは言わなければ…。

「ヴィオラ様。これだけは間違いなく心においてください。あなたは、この国にとっても王家の皆様にとっても、私にとっても、なくてはならない存在ですよ。」


 ヴィオラは、真剣な眼差しで穏やかに話すダッチェスを見て、「ああ、変なことを言ったので心配させてしまったのね。」と思った。

「ありがとう…。ダッチェス。そう言ってくれて嬉しいわ。」


 ダッチェスは、微笑むヴィオラを見ながら、自分もかつてそのような時期があったように、自分の心からの言葉も、今まさに悩みの中にいる王女の心には響かなかったらしいことを見抜いた。


 ただ、今はもう何も言うつもりはなかった。



 自分と同じように、ヴィオラ王女が毒草、薬草を見る力を持っていた事は、私の人生を間違いなく豊かにしたんだ。



 同じ能力を持つ者同士、二人は互いにとても救われていた。

 二人にしかわからない話もずいぶんしたし、一緒に薬草採取をし、魔力の使い方も相談しあった。


 毒草で手がただれた自分に塗り薬を塗ってくれたヴィオラの手から魔力が流れて来たことを感じ、そのあと自分の特殊能力が強まったことで、この力が移動できるのではないかと思い始めた。


 自分にはそれほどの魔力はないが、王女ならばそれが可能なのではないかと話したことで、急展開を見せ、今では王家の皆がその力を持っている。


 その力が、国王から『毒味役』の九名にも「複写」された時には、「まさかこのちからを国全体に広めるおつもりか?」と多少焦りはしたが、その能力の事を知っているのは、そのちからを持つ九名と、王家の皆様の他には私だけだ。

 何しろ、並みの魔力では「複写」等という恐ろしいことは出来ない。




「自分には何もない。」


 若いうちには、そんな考えになることはよく理解できる。

 だが、ヴィオラ王女が「それでも自分は王家の人間なのだから、それだけで価値がある。」と思っていないことこそが、すごいことだと思う。


 若いうちにはどうしたって、財力や肩書きや特殊能力のようなものだけに価値を見出だすものだし、それさえあれば尊敬を得られると思いがちだ。

 王女には、温かい家族も、肩書きも、特殊能力もある。

 それは素晴らしいことだが、何よりも素晴らしいのは、この王宮の人間が皆、彼女を愛しているということだ。

 それは、彼女が幼い頃から皆を思いやり温かく接してきたからだ。

 王女がヴィオラ様でなくても、王宮で働く者は皆、礼儀正しく接するだろうが、ヴィオラ様だからこそ、皆がもう一歩いっぽ自ら歩みより「何か王女の為に」と願いながら動くのだ。



 ただ、それを言葉にしてもきっと伝わらないだろう。

「ありがとう。」

 と微笑むだろうが、今はそう言った言葉の全てが「優しさ」としてしか響かないに違いない。


 家族や、王宮の皆と仲がよいことは、王女も十分理解し喜んではいるが、「私はとても恵まれている。」と感謝しながらも、それが保たれている一因には、自分の存在も言動もも含まれており、どれが欠けても今のかたちにはなっていないことには気がついていないようだ。


 王家の皆様が素晴らしいことも、タラの国民が穏やかで礼儀正しいことも確かだが、ヴィオラ様がヴィオラ様だから、大切に思うのだと言うことが、あまり理解できていないのだろう。


 そのうち少しずつ気がついて行くのだろうが、今は「自分の存在意義」に囚われてしまっている。


 おそらくその悩みは「尊敬されたい」「大切に扱われたい」と言ったものとは違うはずだ。



 今はとにかく、生まれながらにして持っていたものではなく、自分の努力や気付きで得たと確信できるもので自信を得たいのだろう。


 何かしてやりたいが、まずは体力を回復しなければならない。


「ヴィオラ様。体調がよろしい時には、また薬草採取にご一緒願えますか?採取の後にすぐに実験や調査に入りたいので、体力を温存したくて…。」

「まぁ!もちろん手伝わせて!採取に行く日を教えてくれれば、行かれるようにしておくわ!」

 ヴィオラは、嬉しそうに応じた。


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