それぞれの秋空
スィートピー王女への栄養指導がうまく行き、特殊能力の複写を済ませたヴィオラは、いよいよセヤの国に留まることの意味を見いだせなくなっていた。
――あんなにたくさん持ち込んだ刺繍糸も残り僅か…。
学園で学ぶことは多いが、秋は休みも多く、授業の進みも緩やかだ。
ヴィオラは、寮にいる時間が長くなり、一心不乱に刺繍に励んだ為、様々な作品が大きな箱いっぱいに納められていた。
あと数日で秋休みだ。
箱の中身をタラの皆に見せる楽しいひとときが待ち遠しい。
『ルイが大きくなる頃には、タラ国にも王立学園を創設する。』
その為の留学でもあったはずだが、その大義名分は、春から初夏にかけて味わったあのキラキラとした甘い時間に比べれば、色褪せた難解な書物のように思えた。
それでも、自分にも何か役に立つことがあるだろうと努力はしていたが、書き留めたものを読み返してみると、どれも陳腐なものでしかないような気がした。
留学期間はあと二年以上ある。
どうにか前向きに取り組めるものを見つけなければと、ただ過ぎ去っていくだけのような日々を前に、ヴィオラは必死で足掻いていた。
救いなのが、スィートピー王女の存在だ。
来年の春には王立学園に入学してくるスィートピー王女とは、相変わらず会うたびに楽しい時間を過ごしている。
特殊能力の複写をとても喜んでくれたし、来年のドレスをあれこれ考えたり、一緒に刺繍を刺しながらのんびりとした午後を過ごしたり。
どちらが姉でどちらが妹かわからないが、姉妹のように仲良くなれた気がしている。
何もしていないのに、疲れやすい身体をもてあましたヴィオラは、寮の窓辺に座り、遅々として進まない刺繍を膝に置いたまま、なんだかよそよそしい秋の青空を見上げた。
今月三度目の国王の地方視察。
昨日の晩餐会とはまた異なる貴族の屋敷で舞踏会が行われる。
王都を出発し、一日か二日かけて到着。
その日の夜には晩餐会、次の日には舞踏会。その次の日には王都に戻る。
毎回、全ての日に移動がある なかなかハードな日々だ。
それでも朝、ノワールは必ず剣を振る。
無心になりながら、時には自分をじっくりと見つめ直す大切な時間だ。
側近たちは、相変わらずヴィオラの話を一切しなかった。
自分が、子どもじみた行いをしたことは、初めから理解していたが、つい先日までどうにも気持ちの整理がつかなかった。
地方を巡る間も、ヴィオラから贈られたスミレのガラス細工は常にノワールと共にあった。
夜、その花に触れるとヴィオラが近くで微笑んでいるような心地よさがある。
こんなはずではなかったのに…。
油断するとすぐに自己憐憫に陥る自分を、ノワールは見つめ直し始めていた。
様々な晩餐会や舞踏会に出席し、この秋ほど多くの人間模様を観察したことはなかった。
想い人であろう相手にダンスに誘われず、落胆していく令嬢の寂しげな笑顔の中に気高さを見つけた時。
昨年の舞踏会には隣に妻がいたが、今年は孫と来たと話す老伯爵が、妻にも国王陛下のお姿を見せてやりたかったと笑顔を見せた時。
不遜な振る舞いで高慢そうに見えた妻が、よろけた際に夫にそっと支えられ、驚くほど素直に嬉しそうに微笑んだ時。
全ての人々のちょっとした表情の変化や動作が、それぞれに愛しく思えた。
豪華な衣装に身を包み、笑顔で話している人々も、それぞれに悩みや傷を抱えている。
そんな当たり前のことが、今まではよく理解できていなかった。
夜、慣れない部屋の窓辺で、小さな発見をすることが出来た自分の、ほんの少しの成長を喜びながらスミレの花に触れると、心が穏やかになり世の中の全てのものが愛しいと思えた。
部屋に飾られた花や、自分の為に用意された全ての物に、思いが込められていることも、幼い頃から繰り返し教育されて来たが、今初めて本当の意味で気がついたような気持ちだった。
『自分がこんなに大切に思っているのだから、ヴィオラにも自分を特別に思ってほしい。』
『特別に思ってくれないのなら、こちらにも考えがある。』
そんな風に思っていたんだな…。
身勝手な話だ…。
皆と同じガラス細工だと不満がっていたが、今、こうしてこのスミレのガラス細工に穏やかな幸せを与えられている…。
なぜ、幸せを感じているかと言えば、ヴィオラがくれたものだからだ。
「より多くのものを」「より大きなものを」と欲しがって、目の前にあったはずの幸せを遠ざけたんだ…。
子どもだ…。
心身ともに大きくなったつもりでいたが、心はまだ、ずいぶん幼かったんだな…。
そんな考えを穏やかに受け入れ、「そんな自分もまた自分なのだ」と大切に思えた時、ノワールは成長するチャンスを得たような気持ちになった。
忙しい日々のなかでも、ヴィオラに会いにいく時間は作ろうと思えば作れた。
だが今は、自分の義務に丁寧に取り組み、多くのことを学ぼう。
晩餐会や舞踏会で触れあう人々との時間は、毎回ほんの数時間だ。
その短い時間で全てがわかるわけではないが、人々の機微に触れ、自分の来訪を喜んでくれることに感謝しながら、自分を見つめ直すチャンスを逃さないようにしよう。
そうして、少しずつ成長しながら、もう一度ヴィオラと良好な関係を築いてみせる。
彼女はまだあと二年はこの国で生活するのだ。
秋休みには、ヴィオラはタラの国で国王主催の舞踏会に初めて出席するだろうが、王女と言う立場から自国の貴族と踊るようなことは無いはずだ。
成人式の時でさえ、兄のルチェドラト以外とは踊らなかったのだから、そこは安心していいだろう。
そんな考えに慰められ、ノワールは自分のやるべき事を考え始めた。
今日もまた別の領地へ向かう。
朝の日課である剣を振り終えたノワールは、澄みきった秋の青空を眺めながら久しぶりに清々しい気持ちになっていた。
ノワールは、この頃から多くの貴族と会話を持つようになっていった。
相変わらず秋波を送るようなご令嬢には冷静かつ冷淡ではあったが、主催者側や招待客の中に時折見られる、自身の母や祖母のような年代の未亡人たちが、その一族を陰ながら懸命にまとめていると知ると、自ら歩みよって会話を持ち、時にはダンスを踊るようになった。
「伯爵家のことは、私に任せていただきたい。母上はもうゆっくりなさってください。」と親不孝な息子に冷遇されながらも、一族の為にきめ細やかな配慮を忘れなかった貴婦人たちは、王太子と話したことで、また踊ったことで、後日かわいい孫たちからその時の話をせがまれ、息子夫妻も一目置かざるを得なくなり、一族においての存在感と発言権を取り戻した。
だが、王太子と側近たちの優れた調査と洞察力によって対象に選ばれた気高い未亡人たちは、それを間違った方向には使わなかった。
貴族社会には明確な序列がある。
その序列を蔑ろにすることはあってはならず、その序列による立場の違いを理解出来ない者は多くない。
王族として、その序列に配慮した対応をすることは秩序を保つ為に大きな意味を持つ。
だが、その序列を重んじ秩序を保つ為にはそれだけでは済まない。
立場が上だからと言うだけで何もかも
王太子は、以前より深く自身のことも貴族社会のことも理解し始めていた。
そして、まだいくらか気楽な立場の自分は優先順位を重んじながらも、それとは別に優先度の高いことにも目を向け行動することが出来ると思い始めていた。
王族である王太子の行動の変化は、大きなものも小さなものも貴族社会に影響をもたらす。
――適切な判断や効果的な改善策を考える時、丁寧な調査と洞察力を
彼は大きく成長しようとしていた。
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