秋の冷たい風

 新学期が始まって四日が過ぎた。

 今日も、サロンに訪れなかったヴィオラを心配したノワールの側近リカルドとディビッドの二人は、放課後になってヴィオラの様子を見に一年生の教室にやって来た。


 そこには、教室のあちこちでボードゲームで遊ぶ一年生の姿があった。


 全く同じものがセヤの王宮にもたくさんあり、違う素材のものが王太子と王女に贈られているので、皆が遊んでいるのは、ヴィオラが贈ったであろう『タラゲーム』であることはすぐにわかった。


 だが、ヴィオラの姿はなかった。

 一学期の後半は、毎日、昼休みや放課後のどちらかは必ずサロンに来ており、時にはクラスでしばらく級友と話し込み、こちらが迎えに来ると嬉しそうにサロンについてくるといった具合だった。

 サロンでは勉強をしたり、すぐにノワールと王都の街へ出掛けたり、皆で話をしたり、とにかく、毎日必ず来ていた。


 まさか、夏休み中に成人式を迎えたため、異性と無闇に関わらないようにし始めたのだろうかとも考えたが、それならそれでヴィオラは予め知らせてくるに違いない。


 心配になった側近たちは、王太子に聞いてみたが、ここのところずっと機嫌の悪い王太子は「知らない。」としか答えなかった。


 王太子の機嫌が悪いのは、思っていたような夏休みが過ごせなかったからなのだが、先日ヴィオラが王宮に訪れた時に起こったことは、側近たちにはよくわからなかった。


 ヴィオラ姫は、九月の半ばには戻ると聞いていたが、九月の後半になってやっとセヤに戻ってきた。

 それも、その週のその日その半日だけ視察の予定が入ったノワールが、ちょうど不在だったその数時間のうちに宮殿を訪れたのだ。


 公務が終わって、さぁ帰る支度を…と言うところで、宮殿から「ヴィオラ姫ご来訪」の知らせを受けたノワールは、国王や側近をおいて一人馬で駆けていった。


 なんとか会えたらしいが、ヴィオラ姫は夕食も断わりすぐに帰ってしまい、全然話せなかったらしい。


 一学期に聞いていた通り、九月の半ばにヴィオラが戻るなら、少しだが夏休みを一緒に過ごせると思っていたノワールは、海辺の離宮にヴィオラを連れていこうと思っていた。

「長旅の後で、また旅をさせるのは…。」

 と言う、側近の意見に素直に応じ「では…。あそこはどうか。」「ここはどうか。」と楽しげに計画を立てていた。


 それが、夏休みの最終週になってもヴィオラ姫はセヤに戻らず、運悪くほんの数時間の公務で留守にしていた間にヴィオラ姫が訪ねてきた。

 一人、馬で駆けていく後ろ姿を見送った後に事情を飲み込めた者たちは、ここのところ機嫌が悪かった王太子も、これでやっと扱いやすくなると思っていた。

 だが、宮殿に戻ると王太子はよりいっそう不機嫌になっていた。


 自分が帰るとすぐに、夕食を断わり帰ってしまったことも、セヤに戻るのが遅くなったことについての説明がなかったことも、久しぶりに会えたのに嬉しそうにしてくれなかったことも、極めつけには、自分にはお土産がなかったことも、信じられない思いだったらしい。


 なんでも、妹君のスィートピー王女には、ヴィオラ個人からのお土産も贈り物もあったそうだが、ノワール殿下にはルチェドラト王太子殿下からのものしか無かった。

 しかも、スィートピー王女はルチェドラト殿下からも受け取っている。


 荒れるノワールに手を焼いたリカルドが、スィートピー王女に聞いたところ

「まぁ、そうなの?お兄さまの分もありそうな感じだったけれど…。直接お渡ししようと思って長机に置かなかったのではなくて?わたくしにもハンドバッグから取り出して渡してくださったわ。」

 との返事が返ってきた。


 だが昨日になって、あの日若草のに控えていた最年少の侍女が気になることを言ってきた。

「それが…。ヴィオラ王女様はノワール殿下がお戻りになる前に、長机の上に確かに一度紙の包みを置かれましたが、ノワール殿下とお話になりながらその包みをまた手の中にお隠しになりました。」

 侍女はその後すぐにその場を離れた為、手渡しされたものとばかり思っていたそうだが、スィートピーとの会話の中でそうではなかったことが発覚した。


 ヴィオラの事だから、直接手渡そうと思ったが、うっかり忘れて持ち帰ったのだろう。

 なに、新学期が始まれば、サロンに持ってきて皆で笑い話に出来る。


 そう思っていたが、もう今日は木曜日だ。

 十月の王立学園は週三日から四日程度。明日は学園の授業はない。



「君たち、今日はヴィオラ王女はお元気そうだった?」

 ディビッドが、ヴィオラの級友にたずねた。

「はい。お元気そうでしたよ?」

 王太子の側近が放課後にこの教室に来るのは、サロンへのお迎えだと気づいた者たちが気を利かせた。

「そう言えば…、ヴィオラ王女は、昨日誰かに、二学期はサロンに行かれないのですか?と聞かれてましたよ…。王女は、新学期は生徒会の皆様もお忙しいし、秋は国全体がお忙しいと思うから、しばらくは控えるつもり。とおっしゃってましたけど…。お約束があったんですか?」

「いや、そう言うわけでは…。そうか。ありがとう。」


 サロンへの帰り道、リカルドとディビッドは難しい顔で話し始めた。

「どうする?困ったことになったね。」

「うん…。」


 殿下の機嫌は悪いし、ヴィオラ姫はお土産を渡し忘れたことにどうやら気がついていない。

 こちらからお土産を催促するわけにもいかないし、こちらを気遣ってサロンに来ることを控えている王女をサロンに呼ぶには理由がいる。

 だが、呼んでおいて不機嫌なノワールがいたのでは失礼だ。

 そもそも本当にノワール殿下への個人的なお土産があるかどうかもわからない。

「ノワール殿下へのお土産を渡し忘れていませんか?」と聞くことなど自分達には出来ない。


「でも、侍女が見たのだろう?一度机に置いてまた手にしたものを、その時渡し忘れたとしても、そのままずっと忘れたままなんてことあるかな…。」

「確かに…そうだよね…。アーノルドに聞いてもらおうよ。」

 こう言うときに頼りになるのはアーノルドだ。

 ヴィオラ姫はなぜかアーノルドをとても信頼している。自分たちが信頼されていないわけではないが、とにかく、アーノルドはいつの間にか大きな信頼を勝ち得ていたのだ。

 なぜ、信頼されているのかよくわかっていないアーノルドも、信頼に答えるかたちで何かにつけヴィオラ姫の世話を焼く。

 時には、ノワールから鋭い眼差しを向けられることもあるが、とにかく、アーノルドを間に挟めば大抵のことはうまく行った。





「え?それじゃ…ノワール殿下のせいじゃない!」

「うん…。」

「では、仕方ないな。殿下にはいくらでも機嫌悪くなっていてもらうとしよう…。だが、このままと言うわけにはいかない…。」

「…。」

 アーノルドが、ヴィオラを訪ねて話をしたところ、ヴィオラは、新学期初日にはサロンを訪れていた。

「先日、前触れもなく王宮をお訪ねしたご無礼を改めてお詫びするつもりでおりましたのと、皆さまに、ささやかながらお土産を持ち帰りましたので、お渡ししようと思いまして…。」


 新学期初日の朝、サロンに向かったヴィオラは、ちょうど角を曲がって正面にサロンの扉が見えたところで、たった今サロンから出ようとしたノワールと目があった。

 ノワールは、ヴィオラを見て少し驚いた様子で、以前ならそのまま笑顔になるところだった。

 ヴィオラもそれを期待したが、ノワールはそのままサロンの扉を閉めた。


 廊下に残されたヴィオラは、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、開かない扉を少し眺めたのちに教室に引き返した。


「ひどい!」

「うん…。ひどいな。」

「ヴィオラ姫、可哀想…。」


「ヴィオラ姫、何か言ってた?」

「大変お世話になりながら、考えが足りませず、ご不快な思いをさせてしまい申し訳なく存じます。これからは何かとお忙しい時季かと存じますし、元々過分なご配慮をいただいておりましたので、皆さまにおかれましては、今後はお気遣いなくお健やかにお過ごしくださいますようお伝えください。って…。」

「ヴィオラ姫のおっしゃってるご不快な思いっていうのと、事実に開きがある気がするけど…。」

「そうなんだけど…。そこを否定すると殿下がヘソを曲げている理由を説明しないといけなくなるから…。来訪の前触れがなかったことについては何の問題もないってかなり強調してきたけど、言葉通り受け取ってくれたかどうかはわからない…。」

「ふぅ…。こじれたな…。時間を置くしかないか…。ヴィオラ姫とは定期的に面会出来そうだった?」

「スィートピー王女とは約束があるらしいけど、ノワール殿下に会うのはちょっと避けたそうな感じだったな…。」

「ああ…。そうなのか…。そうだよね…。ノワール殿下のこと怖くなっちゃったかな…。殿下、笑わないと怖いもんね…。じゃぁ、僕たちで引き続きヴィオラ姫のフォローをしつつ、スィートピー姫とは仲良くしていただこうよ。ノワール殿下もいつまでも拗ねてないでしょ。あんなに仲良くしてたんだし…。」

「殿下のことは放っておくとしても、ヴィオラ姫に誤解されたままなのはマズイ…。殿下が怒っているのではなくて拗ねているんだって、あれこれ説明せずにわかっていただく方法があればいいが…。」

「もういいよ。仕方ないよ。しばらくは国王陛下の国内巡りにノワール殿下もついて行かないといけないし、ノワール殿下がいない時にはヴィオラ王女を王宮にお招きするようにしてスィートピー王女と仲良くしていただこうよ。」

 大国セヤの秋の社交シーズンは、国王主催の舞踏会以外にも、各地で晩餐会や舞踏会が開かれる。

 国王は毎年いくつかの貴族を指定し、その領地で晩餐会、次の日には別の領地の屋敷で舞踏会と移動しながら地方貴族たちと交流する。


 晩餐会や舞踏会の会場に選ばれた、誉れ高き地方の貴族たちは、領地を整備し、屋敷や銀器を磨き上げ、ドレスを作り、王家を迎える準備に励む。


 秋は貴族にとっても王家にとってもかなり忙しい季節だ。


 王太子の側近にとってもかなり忙しい時季のため、スィートピー王女が未成年であることが今年はとても有り難かった。


 ヴィオラ姫がいれば、スィートピー王女も楽しいだろうし、スィートピー王女しかいない王宮ならヴィオラ王女も訪ねやすいだろう。






 ノワールは、一向に収まらないイライラした気持ちをもてあまし始めていた。

 もう、今となっては何がこんなに自分をイライラさせるのかわからなかった。

 一つずつ考えれば、たいしたことではないような気がしたが、期待が大きかった為に失望も大きかった。

 ノワールは珍しく椅子をドカッと蹴飛ばした。

 先日、ヴィオラから丁寧な詫び状が届いた。

「そんなこと全く気にしていなかったのに…。そこじゃないんだよ…。」

 久しぶりに会えたのに、終始こわばったような笑顔で…。

 口数もとても少なく、再会を喜んでいるように見えなかった。


 手紙と一緒に届けられたスミレのガラス細工には、「旅の安全」が願われていた。

「お忙しいとは存じますが、お身体にお気をつけて。」

 そう書き添えられたスミレのガラス細工は、アーノルドやリカルド、ディビッドと同じものだ。

 ヴィオラにとって、自分が特別で無いことをまざまざと思い知らされたノワールは、頭を抱えて苦悩した。


 サロンでのことは、本当に悪かった。


 あの時は、まだイライラが収まらず、甚だ理不尽な言い分でヴィオラを責めそうな気がしたのだ。


 時間が経てば経つほど、あの時の自分の振る舞いが取り返しがつかないほど、子どもじみたひどいものだった事を自覚させられたが、あの時サロンに招き入れなかったことは、結果的にヴィオラを守るためにしたことだったのだとも思っていた。



 側近たちは、今ではヴィオラの話を一切しない。


 入学式の日には、「ヴィオラ姫と仲良くなるには」とサロンでうるさいほど助言や指導をしてくれ、その後も協力を惜しまず、励まし喜んでくれた友が、今は無言を貫いている。


 今こそ助けや励ましが必要なのに…。



 ノワールは、自分を憐れんだ。




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