秋の薔薇
寮に戻ると、旅の一行は数名だけ残して他は大使館へと向かう為、ヴィオラは別れる前に同行してくれた皆に感謝を伝えて、温かいお風呂に入った。
もう、その辺りが限界だった。
「セヤの王宮で振る舞われた美味しいお茶菓子でお腹がいっぱいだから、今日はもう休む。」
一刻も早く一人になりたいヴィオラは、そう言ってベッドに入った。
部屋で一人、押し潰されそうな心を慰めようと試みた。
だがまずは、自分が何をしでかしたのかよく考えなければ…。
ああ…。
新学期が始まるまで待てなかった自分が恨めしい。
少しでも早く、僅かな時間でもいいからお顔が見たいと思って、約束もせずにウキウキと押し掛けることの非常識さに気付けなかった自分に、
ノワールは呆れたに違いない。
せっかく、良好な関係が築けていたのに…。
私の浅はかな行動のせいで、台無しにしてしまった。
新学期、サロンでお土産を渡せばきっと喜んで貰えた。
でも…、彼にだけ『ブルーベル』のガラス細工を贈るなんて馬鹿げた考えだった。
とんだ勘違いだった。
全員に同じスミレのガラス細工を渡そう。
もちろんハンカチなんて渡せない。
危なかった。
いつの間に、こんなに親しい間柄になったつもりでいたんだろう。
初めはあんなに気を付けていたのに…。
約束もせずに宮殿に押し掛けて…。
お土産を長机いっぱいにに広げさせたりして…。
少しでも早くお土産を渡したかったと言えば許されると思っていたなんて…。
許されるどころか…。
喜ばれるとさえ思っていた。
ノワールにしてみれば、異国から留学してきた王女に、心を砕いて何ヵ月も親切にしてやったにも関わらず、相手は無礼にも突然宮殿に押し掛け、土産だから受け取れとテーブルいっぱいに品物を広げて見せたのだ。
嫌悪感を抱かないはずがない。
その土産の品の中に、ノワールのために特別に作らせたブルーベルのガラス細工と、自身で刺したブルーベルの刺繍のハンカチを紛れ込ませようと考えていた自分にゾッとした。
しかも、きっと喜んでくれるに違いないとさえ思っていたのだ。
恥ずかしい。
「お土産」だなんて言って、自分が刺繍を施したハンカチを贈ろうとしていたなんて…。
恋人にでもなったつもりでいたみたい。
それも…、大昔の思い出のブルーベルの花を刺したりして…。
重い重い。
ダメだ。どこにも救いがない…。
いつの間にか彼の厚意を勘違いしていた。
好意があるのではと思い上がっていた。
ヴィオラは、
あの、ノワールの厳しい眼差し。
――確か…『一回目』にもこんなことがあった。
ヴィオラは、遠のく意識の中でそう思った。
「ヴィオラ王太子妃殿下、何度おっしゃられても同じことしかお答えできません。ノワール王太子殿下はヴィオラ様にお会いするおつもりはないそうです。」
「でも、大事なことなのよ!殿下が難しければ側近でも構わないわ。伝えたいことがあるの!」
セヤ国の侍女は、静かに首を振った。
この二週間、幾度となく繰り返されてきたやり取りだが、セヤの王太子妃ヴィオラは粘り強く訴えた。
先ほど、セヤ国王城の王太子の執務室に乗り込もうとしたところを護衛の騎士に見つかり、部屋に連れ戻された今、ヴィオラは自室でセヤの侍女に、王太子との面会の取り次ぎを訴えているが、内容が内容だけに侍女に詳細を説明するわけにはいかなかった。
部屋までヴィオラを連れてきた護衛も、王太子の側近ではないことをヴィオラは知っている。
「ああ、どうすれば…。」
じりじりとした気持ちで、どうにかノワールに会わなければと思っていたのだが、気がついた時にはベッドの中だった。
先ほど出されたお茶に薬が盛られていたのだ。
「仮にも、王太子妃をお茶で眠らせるなんて…。」
ヴィオラは心身ともにぐったりとした。
この国に来て一年。
ノワールと会話したのは婚礼の日だけだ。
ついこの間までは、ノワールと会話することなどとうに諦めていた。
だが、あの夜茂みの中からの恐ろしい会話を耳にしてから、悩みに悩んで彼との接触を試み始めた。
あの人が私のことを嫌っていることはもうわかってる。
そんなの、ここに来て数ヵ月で理解したわ。
愛されたいとか、大事にされたいとか、もうそんなことは願ってない。
とにかく今の私の願いは「優しいお兄様に会いたい。」「タラの国に帰りたい。」それだけよ。
それが叶うなら、これからは絶対に優しくて素敵な妹になってお兄様を大事にするわ。
でもそれが叶わないことはわかってる。
だからこそ、せめてお兄様にとって恥じない妹でいようと決めた私自身のために、良心に従って行動するべきなのよ。
あの恐ろしい会話を伝えたら、ノワールにだって絶対に感謝されると思う。
もしかしたら感謝の証に私をタラの国に帰してくれるかもしれないわ。
ある日、珍しく夜の庭園を散歩していたヴィオラは、誰かがセヤ国の王太子か王女を狙っているらしい会話を耳にした。
なんだか知らない名前がたくさん出てきたけれど、王太子か王女の、もしかしたら両方の暗殺を企てている内容であることは確かだ。
内容が内容なだけに本人にしか伝える気はなかった。
私には、誰が味方で誰が敵かなんて判断できない。
再三の要請にも関わらず、セヤ国に仕える者たちは皆一様に首を振った。
今さら言っても遅いが、初めの頃に庭で偶然出くわしたあの側近に、何もかも話すべきだった。
今思えば、あのアーノルドと言う名の側近だけが、その場で断らずにノワール殿下に伝えてくれた唯一の人物だったのだ。
でも、あの時はまだ、これほどまでにノワールに会うことが難しいとは思っていなかった。
「甘かったわ…。」
今まで一度もそうしたことのない自分が、ここまで強く望めば、夫との面会が叶うだろうと思っていたのだ。
あの側近はすぐにノワールに伝えてくれたらしかった。
ただ、ノワールは面会に応じる気は全くなく、今後側近との接触もしないようにと伝えてきた。
誠実な側近は申し訳なさそうな表情で
「今後は私もこのように会ってお話することは出来なくなります。」
と言って去っていった。
あの時、あの側近に何もかも話せばよかった。
でも、あの時は周りに人が大勢いたのよ。
ああ、でもあの側近がそうしたように私も小声で話せば!
だが、ヴィオラはすぐにその時の事を思い出してうなだれた。
ヴィオラはいつものように侍女と庭を散歩していた。
すると突然、数日前にノワールへの伝言を頼んだ側近が他数名の側近とともに、目の前に現れ、立ち塞がった。
側近の話を聞きながら、ヴィオラは、彼の肩の向こうにスィートピー王女と一緒に歩くノワールの姿を認めた。
ノワールは、いつものように愛しそうに妹を見つめて笑っていた。
二人はいつもはこちらの庭園には来ない。おそらく今こちらに咲いている秋の薔薇を二人で観に来たのだろう。
スィートピー王女の髪色は、あの薔薇の花の色によく似ている。
二人の仲睦まじい様子は、ヴィオラにとって既に見慣れたものだったが、こんなに近くで見るのは初めてだった。
自分が庭にいる時に、二人が庭に出て来ることは今までに一度も無かったが、あの薔薇は今日が見頃だ。
側近に私を足止めさせても、妹に見頃の花を見せたかったに違いない。
ヴィオラは、仲睦まじい兄と妹の様子に、蓋をしたはずの様々な感情が溢れて来るのをどうすることもできなかった。
夫に会えないこと以外は、ヴィオラは、大切にもてなされたと言っていいかもしれない。
何しろ新しいドレスは二年以上作っていなかった。
タラの国を思うとほんの少し心が痛んだが、王太子妃なのだから、品位を保つ程度の上質なドレスは立場的に必要だろうと心を弾ませ、かなりの時間をかけて数着作らせた。
その美しい上質なドレスは未だに袖を通す機会のないまま仕舞われている。
毎日のようにタラから連れてきた侍女二人を伴って元気よく庭園を散歩した。
だが、お茶をするのも食事をするのも一人。
あまりにも
誰からも手紙は届かず、自分が出したはずの手紙も本当に出されたかどうか確かめようが無かった。
そんな日々がもうすぐ一年になろうと言う頃には、夫と接点を持つことはすっかり諦め、タラの国が恋しくて仕方がなかった。
数年前の
父と兄は今も必死になって国をたて直しているだろう。
寂しくても、私がこの国で大人しくしていれば問題ないことなのだ。
好んで嫁いできたのだから人質ではないが、お客様でもない。
この国の王太子妃となったが妃としては扱われない。
その証拠にヴィオラに与えられた部屋は城内だった。
国王も王太子も妹王女も、城の近くの宮殿で生活し、城は公務のために訪れるいわば仕事場だ。
自分は、広々とした豪華な部屋を与えられ、美味しい食事とお茶菓子を提供される城の亡霊のような存在。
タラのために、なるべく大人しくしようとは思うけれど、こんな生活があと何年続くのかと考えるのは恐ろしかった。
そんな時、夜の庭園で恐ろしい会話を聞いたのだ。
あの恐ろしい会話から考えられる犯行場所は城のバルコニー
暗殺対象は王子か王女、もしくは両方。
バルコニーということは、何かの式典の日に違いない。
これからの式典と言えば、建国記念日に違いなかった。
もちろん私が出席する予定はない。
でも、どうにかして出席しなければ…。
そうして、今日も面会を申し出たが、叶うどころか、おそらく夫の命によって睡眠薬が紅茶に入れられたのだ。
ああ、きっと明日大変なことが起こるのに…。
嫌な夢から覚め、窓の外を見ると、まだ夜明け前だった。
ここのところ高熱も滅多に出さなくなっていたせいか、あそこまで詳細な夢を観ていなかった。
苦しかったな…。
死ぬ瞬間までは出てこなかった事がせめてもの救いよね…。
昨晩、セヤの王宮で馬車に乗る前、遠い記憶の中にある秋の涼しい空気を感じた。
秋の冷たい風に、かすかに感じた薔薇のかおり…。
そうだ。
『一回目』の私が輿入れしたのは、十六歳の秋の夜だった。
秋の薔薇が美しく飾られていた。
――私が嫁げば、タラの国の為になりながら、あのノワールとの楽しい毎日が待っている!
はち切れそうな期待に胸を膨らませて輿入れしたヴィオラを待っていたのは、ノワールの冷たい眼差しだった。
――『一回目』も『二回目』も、十六歳の秋に嫌われることになるなんて…。
もしかしたら!ゲームの強制力とか言うものかしら…。
ヴィオラはクスクスと笑ってから、ため息をついた。
この世界は魔王育成ゲームなのだから、恋愛の強制力なんてあるはずがないのに…。
――よくわかっております!
何が原因かわからなかった『一回目』とは異なり…。
今回は確実に、自分の浅慮による過失で嫌悪感を抱かれたのだ。
久方ぶりに『一回目』の最後の時を夢に見たことで、昨夜一度凍りついた心臓から、少しずつ凍る部分が拡がっていき、身体の熱が奪われ、いつしか感情も自由に動かすことができなくなったような感覚になっていた。
泣き出したい気持ちを通り越して、感情が麻痺してしまい、ぼんやりしながら頭の中に事実をゆっくりと受け入れることに全力を注いだ。
――嫌われてまでは、いないかも知れないけれど…。
これまでの事が…、万が一勘違いでなかったとしても、勘違いだったとしても、もはや関係のないことのように思えた。
彼のあの眼差しを再び見た時に、何かが消えた気がした。
どんなに思いを巡らせても、ヴィオラの中に芽吹いていた「恋に酔う甘い期待」が、消えてなくなった事に変わりはなかった。
もともと、恋をするつもりでいたわけじゃない。
ただ…、仲良くなれたらいいな。と思っていただけで。
もし、昨日のことで距離をおかれても、隣国の王族同士これからも関係は続いていくのだ。
昨夜、宮殿に着くまでの、キラキラと輝きながら溢れだす甘やかな感情は、生まれて初めて経験したものだった。
あんな感情を味わうことが出来たのだから、私は幸せだ。
好意を寄せる相手を想って、一針一針刺繍を施したあの時間は本当に幸せだった。
ガラス細工もハンカチも渡さなくて本当によかった。
渡していたら、軽蔑どころか恐れられていたかもしれない。
今なら、まだ気味が悪いとまでは思われていないはず。
彼は優しい人だ。
こちらが気を付ければ、きっと今後も笑顔で接する間柄でいられるだろう。
ただ、もう、絶対に間違えてはいけない。
さぁ、王女として何が最善か考えよう。
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