ルイ王子と国王

 九月の最終週、ヴィオラはセヤに戻ることになった。


 予定では、九月の中旬にセヤに戻り、新学期に向けて体調を整えながら準備をすることになっていたが、出来るだけ娘を手元に置いておきたい国王は、八月末になってこう切り出した。

「ヴィオラのセヤ行きだが、何も新学期初日から行くこともなかろう。九月末までタラの国で過ごし、それからのんびりと時間をかけてセヤに入り、体調が調い次第通学してはどうか。」


 家族は呆気にとられた。

 ルチェドラトですら、それは王女としてはいささか…。と思ったが、王妃は断固として許さなかった。


 ヴィオラ本人も、新学期初日から出席するつもりではあったが、旅の行程を短く出来るのではないかと発言してみた。


 前回、セヤに向かった時よりも体力がついている自覚があった為、前回三日の行程だったものを二日間にできると訴えたが、それは旅の間に周囲が判断するべきだと、あまり重要視されず、ほんのり傷ついた。


 何しろ兄の時には一日の行程だったのだ。

 もう随分丈夫になったのに、三日もかけるのは逆に疲れるような気がしたが、万が一自分が体調を崩したら困るのは周囲の人々だ。

 ヴィオラは、大人しく家族会議の様子を見守った。


 父は、随分頑張ったが、母も負けてはいなかった。



 そこで、折衷案として「遅くとも新学期の始まる三日前にはセヤに到着できるように」と、最終週のはじめに出発することが決まったのだ。


 だが、これは、ルイには極秘事項だった。


 三歳にしては賢いが、どうやら彼は、姉がまた留学先のセヤに戻ることは理解できていない。

 だが、前回侍女に抱かれニコニコしながら手を振って見送った頃とは異なり、日々成長している彼が理解したら最後、きっとまた『荒ぶる王子』と化すだろう。


 ヴィオラはかなり悩んだが、自分で弟に伝えることにした。


 旅立つ三日前のこと。


「ルイ。今日はお姉さまと一緒に『バーモントの庭』に行かないこと?一緒にお茶を飲みましょうよ。」

「うん。いいよ!」

 王子は快く引き受けた。


 二人でベンチに腰を掛け、ルイはしばらく上機嫌だったが、姉がまたいなくなることを理解すると泣き出した。


「お姉さま行かないでよ。」

 あまりにも激しく弟が悲しむので、ヴィオラも涙が出てきた。

「ルイ。秋にはまた帰ってくるわ。お手紙も書くし、ルイも書いてちょうだいよ。絵もとても上手だから、絵も描いて?」

「お姉さまがここにいてくれたら書くけど、行ってしまうなら書かない!」

「ルイ…。」

「お兄さまだってきっと反対するよ!」

「……。」

「そうでしょ?お兄さまだって嫌だって言ってたでしょ?」

「……。」

 ヴィオラは何と答えたらよいかわからず、かろうじて笑顔を保ちながら弟の頭を撫で続けた。

 どうやら兄は味方ではないのかもしれない…。不安になったルイはしばらく無言になったが、たとえ孤立無援な状況だとしても戦う覚悟を決めた。


「お姉さまがいなくなったらイヤだ!」

「ルイ…。」

 王子には、わけがわからなかった。


 お姉さまは僕のこと大好きなはずだ!

 それなのに、一緒にいられないなんておかしいじゃないか。



「お姉さまは僕のこと大好きなんでしょ?」

「もちろん、大好きよ。心から愛しているわ。」

「じゃぁ…。」

「大好きな人とは、離れていてもずっと仲良しなのよ。」

「…。」

「秋には帰ってくるわ。ほんの少しの間よ。本当にあっという間よ。前よりもずっと早く帰ってくるの。」

「僕…。知らない。お手紙なんか書いてあげないよ!」

 ルイはそう言い放つと、庭から飛び出していった。


 ルイの侍女や護衛があわてて追いかけて行き、ヴィオラは一人ベンチに残された。

 涙を拭いて、大きくため息をつき、何も言わないでいなくなるよりもよいと思ったが、もしかしたらそうでなかったのかもしれないと、ルイの悲しそうな顔を思い出していた。


 近くに控えていたヴィオラの侍女と護衛は、涙ぐんだり、同情したりしながらその場に控えている。


 ただ、そうは言っても今回はほんの一ヶ月程度でまた帰国することを知っている皆は、たった今、目の前で繰り広げられた「今生の別れ」のような激しい愛のやり取りを微笑ましくも思っていた。


 黙っていなくなり、一ヶ月ほどしてしれっと戻った方が、ヴィオラ王女にはどんなにか楽であったろうが、ある日突然、姉がいなくなったことを知った弟王子がどんなに傷つくだろうという思いで、またそれにより彼がどんな風に荒れるかわからないと、残された者達のことも思って、今回のやり取りがあったわけだが、どうやらルチェドラト王太子は「黙っていなくなって構わない。」というお考えのようだった。

「ルイはまた荒れるだろうが、皆よろしく頼む。」と笑っていたくらいだ。



 ヴィオラは、ぼんやりと『バーモントの庭』を眺めるうちに慰められ、話したことを後悔はしていなかったが、ルイのことを思うと胸が痛んだ。


 ――また皆にも迷惑をかけるわ…。私がもっと上手く話せればよかったのだけれど…。



 ルイはそのまま宮殿で泣きじゃくり、昼食も夕食も断固拒否して、泣きつかれて眠ってしまった。



 ルチェドラトは、放っておけばそのうち機嫌もなおるだろうし、なおらずにそのままヴィオラが旅立って弟が後悔しても、それはそれで構わないと思っていた。

 寂しいのはルイだけではないのだし、ヴィオラはルイに甘すぎる。


 母は、ルイを大いに慰めたが、姉の留学に大賛成の人物だ。

 ルイはベタベタに甘えても、結果として慰められた気がしなかった。


 ところが、いつもは近寄りがたい父が部屋を訪れ、大いに同情し、深く理解してくれた。

 ルイは父は仲間なのだと喜んだ。

 父が味方ならこんなに心強いことはない。

 何しろ父はこの国の王様なのだ。


「ルイ。お前の気持ちはよくわかる。私もヴィオラがセヤに行くのは寂しいし、行かないで欲しいと思っている。」

「!」

「本当?お父さま!お父さまが言ったらきっとお姉さま行くのやめるよ!お父さま!お姉さまに命令してよ。行っちゃダメだって。」

「ルイ。それがダメだったんだ。私もやってみたが…。」

 少しばかり話が噛み合っていないが、国王と王子は仲間同士都合よく話し合った。

「お父さまの命令を聞かないなんて、お姉さまをお城に閉じ込めた方がいいんじゃない?そうしたらずっとここにいられるもの。もちろん、ご飯はちゃんとあげて…。お城から出なければ何をしてもいいってことにして…。お菓子もアイスクリームも、なんでも好きなものたくさん食べていいことにして…。牢屋とかじゃなくて、お部屋もいつものお部屋みたいにして。出ていかないって約束したら宮殿の方のお部屋にしてあげようよ。きれいなドレスも作ってあげて?」

 国王は、段々可笑しくなってきた。

「そうか!その手があったか!ルイ!」

「そうだよ!そうしようよ。お父さま!」

「うん。だが、そうすると…。」

「なぁに?できるでしょ?お父さま。」

「もちろん出来る。」

「じゃあやろうよ!」

「だが、そうすると、私もルイも…。」

「なに?」

「ルイは、アイスクリームが好きだったな。」

「?」

「…はい…。」

 ルイは、わけがわからず急に父が仲間ではないような気持ちになった。

「時々、アイスクリームを食べすぎてお腹が痛くなるな?」

「…。」

 間違いない。お父さまは仲間ではないのだ。

 ルイは身構えた。


「毎日好きなだけアイスクリームを食べてもよい代わりに、部屋から出てはいけないと言われたらどうする?」

「毎日好きなだけ…。」

「そう。毎日好きなだけアイスクリームを食べられるが、外では遊べないし、会えるのはルルだけだ。」

「ルルだけ?そんなの嫌に決まってます。」

 ルイは近くにいるルルをチラと見て答えた。

「ルルは…、僕の大事な友達だけど、ルルにしか会えないのはイヤだ…。ルルがいないと悲しいけれど、ルルにしか会えないのは…。それにそんなにアイスクリームばかり食べていたら毎日お腹が痛くなります。」

「そうなんだ。そこが難しい。アイスクリームは美味しいが、他にも大好きなものがたくさんあると、アイスクリームだけたくさんあっても幸せじゃないんだ。」

「?」

「う~ん…。そうだな…。ちょっとわかりにくいか…。つまり、お姉さまはお前のことも家族のこともこの国も大好きだが、セヤの国にお友だちがいるんだ。お勉強もした方がいいと思ってる。お姉さまは今、自分のために学園に通わなければいけないんだ。」

「でも…、お父さまが学園に行かなくてもいいって言ってあげたら行かなくてもいいんじゃない?お姉さまお勉強大変だっておっしゃっていたもの。」

「…うん。行かなくてもいいが、お姉さまは行きたいんだよ。それに行った方がお姉さまの宝物が増えるんだ。お前は大好きなお姉さまに我慢させて嬉しいか?」

「僕…。」

「私のことが大好きなら、アイスクリームを食べないで。とお姉さまが言ったらどうする?」

「…。お姉さまは…そんなこと言わないもの。」

「うん。まぁ…。そうだが…。もし言ったらどうする?アイスクリームだけじゃない。お姉さまのことが好きなら、お庭で遊ぶのもルルと遊ぶのも、美味しい苺も食べてはダメだと言われたら…。」

「そんなことヴィオラお姉さまは言わないよ。」

「うん。お姉さまは言わない。でもそんなお姉さまだったらルイは大好きなままでいられるかな?」

「…。僕…、わかりません。」

 国王は自分でも段々よくわからなくなってきたが、もうひと踏ん張りしなければと頑張った。

「お姉さまは、お前のことを嫌いになったりしないが、大好きなお前がお姉さまを閉じ込めたりしたら、きっととても悲しむ…。」

「…。」

「お姉さまが、悲しんでもいいから閉じ込めるか?」

「…。ううん。閉じ込めない。お父さま、やっぱり命令するのやめてくれる?」

「よし、わかった。じゃあお前も私も寂しいが、お姉さまに元気よく行ってらっしゃいと言おうじゃないか。なに、すぐに帰ってくる。」

 国王は慣れないことをしたせいで、中盤あたり自分でも混乱し始めたが、なんとか着地出来た気がした。

「お姉さまもすぐに帰ってくるって言ってた。僕、やっぱりお姉さまにお手紙書くって行ってくる。」


 飛び出していった息子を見送り、国王はどっと疲れを感じた。


 ――大変だった…。


 国王は、序盤で危うく「そんなことをしたらヴィオラに嫌われるぞ。」と言いそうになった。

 だが、嫌われない為にわがままを言うなと言うのは違う気がした。

 大好きだからこそ、相手の幸せを願って相手にとって大切なものを、同じように大切にしてやるんだ。

 と言いたかったが、三歳児相手にどう伝えるべきか迷いながら話した為、自分でもどんどん混乱してきた。


「伝わっただろうか…。変な影響を与えていないといいが…。」


 だが、とにかくルイはヴィオラに会いに行ったし、不思議なことに自分の心の整理もついたような気がする。


 子どもに教えられるとは、こう言うことを言うのだろうか。

 と、父はフと苦笑いした。


 ――とにかく疲れた…。次はもっと上手く話せるようにしたいものだ。







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