ヴィオラの成人式
タラの王女 成年の祝典は、
初日の昼に式典。
同日の夜会。
二日あけて王都での祝賀パレード
そして貴族からの要望による追加の夜会
この三日間となっている。
いつもなら、多くの貴族が領地に戻っていくタラの夏。
貴族が大口顧客である店の大半は、夏場は客足が遠のくため、夏季休暇に入ったり、営業時間を短縮することにしており、例年は自然と王都全体にゆったりとした時間が流れる。
だが今年は、ルチェドラトの読み通り、七月には既に王女の祝賀パレード目当ての人々で、例年にない賑わいをみせていた。
ほんの数回、兄とともに王都の街に来たことのあるヴィオラだが、その可憐で愛らしい王女を心から愛している街の人々は、今年の始め、年が明けるとすぐに店の看板や家の窓辺に菫の花のガラス細工や刺繍、ポスターや絵はがきを飾ってヴィオラの成人式を迎える年を祝福していた。
国として大変喜ばしいことに、祝福を示す可愛らしい菫の飾りつけで彩られた街並みや、これまで滅多に人前に姿を表さなかった王女のパレードを
商品は飛ぶように売れ、どこの店もこの数週間だけで、昨年一年間の売り上げに迫る勢いとなっている。
さらに、この七月八月に限って、国から
貴族が好む宿屋は、あっという間に予約が埋まった為に、王都に屋敷を構える貴族にも、王都に近い領地を持つ貴族にも、国内の親戚や、何代も遡って調べないとわからないような遥か遠い時代に嫁いでいった異国の親戚からも、王都の屋敷に滞在を願い出る知らせが、矢のように舞い込んだ
今まで特に交流のなかったような、本当に親戚かどうかもわからない家からも滞在を願い出る手紙が届いたが、その手紙に使用されている上質な紙と、封蝋に押された紋章から異国の貴族であることに間違いはないので、豊かなタラの貴族達は皆、屋敷がパンパンになるまで親戚達を歓迎した。
何より、異国の文化を知る絶好の機会でもあり、出会いの場にもなる。と、祝賀パレードの日の随分前から異国の貴族を屋敷に迎え入れ、それぞれに交流を深めていた。
普段は、涼しい領地に引っ込んでいるような夏の時期にも関わらず、王都の多くの屋敷で茶会が行われ、貴族達はそれぞれの客人を伴ってあちこちの茶会に出席していた。
式典と、当日の夜会は、国賓である異国の王族と、タラの高位貴族の一部しか出席出来ないが、祝賀パレードは沿道に立てば誰でも観ることができるし、祝典最終日の夜会は、タラの成年貴族は全員出席が許されている。
その貴族の親戚であれば異国の貴族であっても同伴可能だ。
パレードも夜会も、きっと驚くほど多くの客がひしめき合うに違いない。
タラの貴族も異国の貴族も、楽しみではち切れそうになりながら待っていた。
「ヴィオラ…。とても綺麗だよ。ヴィオ…?ああ…。緊張してるね。」
無理もない。
これまで、自身の成人式に出席しただけの妹が、いきなり今日は主役なのだ。
帰国してから毎日のんびりと過ごしてきた甲斐あって、顔色もよくなっていたが今は真っ青だ。
「お兄様…。私…。緊張で招待客の皆様のお名前を忘れそうです…。」
「大丈夫だよ。式典は、父上の話を聞いて、お辞儀して、勲章を受け取って退場すれば終わるよ。夜会は僕がずっと隣にいるから何も心配ない。誰かに何か言われたらヴィオラは微笑んでお礼を言えばいいんだよ。」
少し力が抜けたのか、ヴィオラは無言で何度も頷きながら微笑んだ。
「脅かしたくないけれど、父上の前まで歩いて行くときだけ、両側に大勢の人が並んでいるから…。緊張して転ばないように気を付けるんだよ。」
「はい…。」
ヴィオラはまた緊張で顔を歪めた。
「ああ…。ごめんっ。練習の通りにただ歩けばいいんだよ。いつも上手だったから大丈夫だよ。緊張するかもしれないけど、ゆっくり歩けば大丈夫。美しいドレス姿のヴィオラを皆が観たいだろうから、歩くのはゆっくり過ぎるくらいでいいんだよ…。」
「はい。」
――そうだ。このドレスを着ていれば大丈夫。お兄様とお母様とマダムが作ってくださったこの素敵なドレスを着ているんだもの。素敵な気持ちでいよう。
「このドレス…。とても素敵です。お兄様ありがとう。」
「うん。よく似合ってる。ヴィオラは真珠が似合うね。」
繊細なレースと絹で作られた、クリーム色のほんのり光沢のあるドレス。
そこに少しのダイヤモンドと多くの真珠が散りばめられ、ヴィオラの持つ柔らかく上品な雰囲気を引き立たせていた。
髪をゆるく綺麗に結い上げ、小さなティアラをのせた横顔は、妖精の女王のような気品と初々しさがある。
ルチェドラトの服の襟元や袖口にも、ヴィオラのドレスにふんだんに使われている繊細なレースがさりげなく使われており、それもまたヴィオラを喜ばせた。
二人が並ぶと絵のような美しさだ。
「おめでとう。僕のブルーベル。」
「お兄様。ありがとうございます。」
「これからもよろしくね。」
ヴィオラは、輝く笑顔を見せた。
今日の式典と夜会は、城で行われることになっている。
城の中は、ヴィオラをイメージしたパールブルー、パールピンク、パールパープル等の幅広のリボンが、小さく可憐な花々とともに美しく飾り付けられており、招待客は、これから会う王女と、王女を愛する人々に想いを馳せながら式場に入っていく。
式場の席で楽しげに控えていた人々は、長く敷かれたカーペットの両脇に整列を促されると、「いよいよヴィオラ王女を間近で見ることができる。」と、期待で高鳴る胸を悟られぬよう、努めて静かに待っていた。
国王夫妻とルチェドラト王太子が上座に近い扉から重々しく入場するのを見届けると、やがて反対側の重そうな扉がゆっくりと開き、光を放っているのかと見紛うほど清廉なヴィオラが、閉じた扇子を持ってゆっくりと入場して来た。
一同は息をのみ、瞬きするのも惜しい気がした。
ヴィオラ本人は、心を無にして上座に立つ父を見ながら一歩一歩ゆっくりと進んでいく。
父は愛しい娘を誇らしく見つめており、涙がじわりと出るのを堪えるのに苦労した。
母と兄、父。
気高いなかに愛に溢れた家族の眼差しに気づいたヴィオラは、両脇に整列する多くの客人の存在に圧倒されることなく、ゆっくりと父の前に歩いて行き、指定されていた少し手前で止まる。
――惜しい。ヴィオラあと一歩前だ。でも、まぁ許容範囲かな…。
ルチェドラトは、至極真面目な表情を保ちながらヴィオラを見たが、本人は気がついていないようだ。
よかった。
ヴィオラが気がついていないなら、それでいい。
本人が気がついて動揺したり慌てたりしたら、笑顔を見せて式を和やかなものにしてしまおうと思っていた兄は、真面目な表情を崩さなかった。
静寂のなか、厳かに式が続いたが、式の終盤にちょっとしたハプニングが起きた。
国王から勲章を賜り、ヴィオラが退場する為に身体の向きを変えた時、思わずと言ったように誰かが拍手をし始めた。
すると、真面目な顔をしていた皆が顔を綻ばせ、いつしか割れんばかりの拍手を贈り、ヴィオラは両脇にゆっくり笑顔で答えている。
――おお。
ルチェドラトは驚いたが、笑顔で祝福された返礼に、両側に向け小さく頷くように笑顔で答えながら、落ちついた足取りで式場をゆっくりとあとにする頼もしい妹の後ろ姿を見送った。
式が終われば後は、夜会だ。
ヴィオラは、兄と共に部屋で一息ついていた。
「ヴィオラ!素晴らしかったじゃないか。私の娘は素晴らしい。各国から集まってくれた招待客が、まさか式典であのように温かい拍手を贈ってくれるとは予想外だった。心を込めて接待しないとな。」
思いのほか出席率のよい招待客に、少しばかりうんざりしていた国王は、式の最後に思いがけず沸き起こったヴィオラへの祝福の拍手に感動し、今では来てくれた全ての客に感謝の気持ちしかなかった。
「ベルちゃん。夜会ではとにかく微笑んで。皆様と平等に接してね。ルチェドラト、頼んだわよ。」
国王と王妃は、昼餐会のために急いで城の広間に行かねばならず、とにかく「娘に何か一言」と言う思いで娘の部屋を訪れ、緊張から解放されてぐったりとしている娘に笑顔で声をかけると、また慌ただしく部屋を出ていった。
「ヴィオラ、お疲れ様。とても立派だったよ。とにかく式が済んだね。緊張した?」
「お兄様。思っていたよりは落ち着いていられましたが、でもやっぱりとても緊張しましたわ。」
「ふふ。あんな風に笑顔で見送られて式が終わるとは思わなかったよ。僕の時は静かなものだった。」
「確かに、お兄様の時にはもっと厳粛な雰囲気でしたわね。私、とても感動して…。お兄様が、なんだか遠くなってしまうような気がしたのを覚えていますわ。お兄様が退場される時には、走って追いかけたいような気持ちになって…。」
「そうだったの?そうしてくれてもよかったのに…。たぶん手を繋いで笑顔で退場したよ。」
「まぁ、あの時私はもう十二歳だったんですよ。そんなことしたらどうなっていたか…。」
「ルイだったら許されるね。」
「ふふ。ルイが走って追いかけてきてくれたら私もきっと手を繋いで退場してましたわ。そういえば…、ルイは機嫌なおったかしら…。」
「いや、まだご機嫌斜めだ。」
「そうですか…。」
三歳にしては、お行儀のよいルイも、さすがに式の間はじっとしていられないと、出席を許されなかった。
夜会は当然出席できず、ルイ王子は、たいそう『おかんむり』なのだ。
「夜会まで少し休むといいよ。」
「ええ。でも、このドレスをルイにも見せたいので、ルイの部屋に行ってみますわ。」
「そう?それじゃ後で迎えに来るね。」
ルチェドラトは、自身も昼餐会に出席するために城の広間に向かった。
ルイは、泣いていたらしく、姉が部屋に入るなり布団のなかに潜り込んだ。
「ルイ。お姉さまのドレス姿を見てくれないの?」
ヴィオラはベッドに腰を掛け、こんもりとした布団の上に手を置いて優しくポンポンと慰めた。
しばらくして、モゾモゾと無言で出てきたルイは姉に静かにしがみつき、ひとしきり泣いていたが、急に気を取り直したのか
「お姉さま。勲章を見せて。」
と立ち上がった。
姉の美しいドレスの左胸に付けられた勲章を、触らないように気を付けながらじっくりと見ていたルイは、姉を立たせて、遠くから近くから、横から後ろからと真剣な様子で観察し始めた。
「お姉さま。」
「なぁに?」
「僕だってお姉さまのお祝いに出たかった。」
「…。そうね。でもわかっていてよ。式に出なくても、ルイがお祝いしてくれてるってこと。素敵なカードをくれたわね。もう、字が書けるようになっていて、とっても誇らしかったわ。大切に飾るわね。」
ルイは、まだ少し萎れた心を残しながら無言で頷いた。
ヴィオラは、まだ涙を溢しそうな弟をソファに連れていき、膝に乗せた。
「ルイは、パレードでは隣に座ってお姉さまを助けてくれるんでしょう?」
「うん。僕がいないと困るんでしょう?」
「そうなの。ルイとお兄様が一緒にいてくれないと元気が出ないんだもの。」
「任せてよ。僕が隣にいるからお姉さまはきっと楽しいよ。」
「ルイも一緒に手を振ってくれる?」
「いいよ。僕、いっぱい手を振るよ。」
「頼もしいわ。可愛いルイが手を振ったら皆喜ぶもの。」
「うん。僕いっぱい手を振る。」
どうやら機嫌がなおったらしい弟の髪を、ヴィオラは優しく撫でた。
不満と失望により『荒ぶる小さな王子』だったルイは、朝から侍女を途方に暮れさせていたが、今は笑顔が弾けている。
「ああ…。やっとご機嫌がなおった…。」
侍女達は、心からほっとした。
「これから少し休んで、夜会のドレスを着るのだけれど、見に来てくれる?ダンスの練習をルイ王子にお願いしたいわ。」
「いいよ!じゃぁ僕も着替えておくよ。」
ルイはすっかり元気を取り戻した。
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