愛娘への想い
夏だと言うのに、青白い顔をして帰国した娘を心配した両親は、とにかく娘をのんびりと過ごさせた。
八月の誕生日に合わせて行われる成人式は、絶対に出席させなくてはならないのだ。
セヤの国では、手厚いもてなしを受け、元気に暮らしていたようだが、王都に何度も出向いて歩き回ったという楽しげな話を聞いても、にわかには信じられないほど、娘は儚げに見えた。
「辛かったことと言えば、家族に会えなかったことと、試験の為のお勉強くらいですわ。」
肩をすくめて笑っている娘は、確かに内面は元気そうだが、そうだとすると、よほど勉強が辛く、寂しかったに違いない。
よかれと思って留学させたが、父は後悔し始めていた。
セヤであれば、待遇に不安はないと思っている。
タラにいる間にも勉強はさせていた。
特に心配するような実力でもなかったはずだ。
確かに最近のセヤは、高度な教育を展開しているとは聞いていたが、ルチェドラトは難なくこなしていた。
だが、ヴィオラはずいぶん苦労しているらしい。
学ぶことは大事だが、身体を壊してまで好成績を求めているわけではない。
それに、ヴィオラの身体に負担をかけたくないあまり、ルチェドラトの時のように頻繁にタラに戻ることを禁じた為に、かなり寂しい思いをさせたようだ。
何か手を打たなければ…。
とにかく今は、ただのんびり過ごさせたい。
来月は成人式の式典や夜会でかなり忙しくなるだろうが、それぞれを盛大にして必要最低限のものだけにしたつもりだ。
そもそも、王太子ではないのだから、「社交界デビューの年」と言うだけで大きな式典などする必要はなかった。
だが、できるだけ社交界デビューを遅くするために、誕生月の八月に成人の式典を行い、それまではいかなる夜会にも出席しないと国内外に発表してしまっていた。
タラの夏は、うだるほどの暑さにはならないが、それでもやはり暑い。
何も
ごく小規模なものにするつもりが、こうも出席率がよいとそうも行かない。
留学がもう少し早く決まっていれば、「留学中の身にて、成人式は行わず」と通達し、秋の舞踏会をヴィオラの『社交界デビュー』とすることも出来たのに…。
今さらどうにもならないことはわかっているが、国王はヴィオラに負担をかけることが心配でならなかった。
とにかく、一週間は忙しくなるだろうが、それが終われば、また一ヶ月はしっかりと休養させなければ…。
娘の人生にとって、この三年間の留学が多くのものを得る唯一の機会に違いないと、強い信念を持っている妻とは違い、ただ、この国で何不自由無く暮らせばいいと考えている父は、「留学などやめて、もうこのままタラに残ってはどうか。」と言いたい自分を圧し殺すのに苦労した。
王妃が、娘の持っている社会の数が自身の娘時代と比べ圧倒的に少ないと気がついたのは、迂闊にもヴィオラが初めてのお茶会を済ませた後だった。
身体が弱く、外出もままならず、目の届く範囲で、幸せに暮らすことができればそれでいいと思っていたし、娘も不幸には見えなかった。
だが、兄が留学で国を放れ、寂しそうにしている娘に、同じ年頃の貴族の子女と触れあう機会を作ろうとその人選に取りかかった時、娘には幼馴染みと呼べる存在がいないことに愕然とした。
そう言えば、初めてのお茶会の時でさえ、娘は既に王女としてしかそこにいなかった。
娘にとっては同じ年頃の令嬢も、その親である貴族の夫人も全く同等だったのだ。
随分昔のことではあるが、自身が王太子妃になった時、想像していたよりも立場や習慣が大きく異なることになり戸惑った。
友人達とも、それまでと同じような付き合いは出来なくなった。
それでも幼い頃からお互いを知る気安さは残っていた。
中でも数名の友人とは、今でも娘時代と同じように話すことが出来るし、何を話しても許される安心感がある。
娘は生まれながらの王家の人間であり、貴族の子女と幼い頃から付き合いがあったとしても、気安い付き合いは難しかったかも知れない。
ただ、それでも機会がありさえすれば心許せる友人が出来ていたかも知れないのだ。
その機会は、私が作るべきだった。
夫も息子も生まれながらの王族だが、側近候補と言う名の幼馴染みが数多く確保されている。
成長と共に、家格や能力などにより選別されて行くが、それでも触れあう機会は国によって数多く確保されているのだ。
家格が低くとも、その優れた人柄や能力により王太子に与える影響が好ましいものだと判断されれば側近として取り上げられる。
貴族も、こぞって息子を王太子の側に置きたがるし、王太子を支えるための教育を熱心に施すことも珍しくない。
タラの貴族の家々に、ルチェドラトと年の近い子女が多いのも偶然では無いだろう。
王太子であれば、その豊富な人材から、様々な分野において友人を持つことが出来るのだ。
娘にはそれがなかった。
それを埋めるかのように、息子と娘はとても仲がいい。
それは、喜ばしいことには違いない。
ただ、
「可愛い妹がいればそれでいい。」
「優しい兄がいればそれでいい。」
それは、家族としては、幸せそのものではあるけれど…。
それぞれの人生と役割を考えた時には、それでけでは済まない。
王妃は、明確に何をどうすればよいかはわからなかったが、このままではいけないとは思っていた。
息子が三年もこの国を離れることは寂しいことではあったが、息子はこの国と共に歩む運命だ。
三年経てばまた戻ってくる。
それに、この機会を逃しては、国から離れ伸び伸びと自由に暮らすような機会は訪れないのだ。
一方の娘は、この国から出る機会が多くないだけでなく、幼い頃から城の外に出ることも皆無に等しかった。
身体のこともあるので仕方の無いことでもあったが、夫と息子の愛情の深さによって、娘の世界はとても狭くなっていた。
留学は、娘にとって世界を広げるまたとないチャンスだ。
王太子である息子に当然のように与えたものを、娘には与えないつもりかというその一点だけで、ヴィオラの留学を夫に了承させた。
手放したいわけではないが、娘にとって最良と考えて、王妃は粘り強く夫を説き伏せた。
兄と妹。
二人が、二人だけで仲睦まじく暮らせるならそれはそれで構わない。
でも、それが許される立場ではないのだ。
お互いへの想いのバランスが崩れたときに、どちらかが不幸になるようなことは避けなければならない。
自身の弟が、姉の結婚を喜べず、つい最近まで女性との関わりを持たないように過ごしていたことは、幸せな王妃にとって唯一の苦しみだった。
家族と言う社会以外に、大小問わず数多くの社会をそれぞれが持つ中で、大切な人を大切にすることが、人生を豊かにし、心のバランスを整えることに繋がる。
二人を引き離したいわけではないが、このままでは、どちらかが、もしかしたらどちらともバランスを保てなくなるに違いない。
息子にはいつかは妃が必要だ。
長い目で見たときに、未来の妃を不幸にせず、妹も不幸にしないことが、息子にとっての幸せとなるだろう。
そのためには、兄も妹も己の居場所を多く持たねばならない。
娘の留学はまたとない機会だ。
先日、思いのほか儚げに帰国した娘に衝撃を受けたが、改善点を丁寧に探して留学は続けさせねばならない。
幸い、セヤの兄妹はヴィオラを随分気に入って受け入れてくれているようだ。
共通点の多い王族の友人は娘にとって宝となるだろう。
ヴィオラの事だから、級友であるセヤの貴族の子女とは、知らぬ間に一定の距離を持って接しているに違いない。
『王女としてそこにあること。』
それは、この年頃ならば必要なことでもあるが、友人を作るには足枷でもある。
だが、三年間、毎日のように触れあえば、お互いの心が自然に溶け合うこともあるだろう。
――私が幸せだと思うことが、娘にとっても幸せだとは思ってはいないけれど、それでも娘の人生が豊かになるように、夫や息子とは違う観点から心を尽くして行かなくては…。
王妃は、大きくなった兄妹が、自分の手から少しずつはなれていく寂しさを感じながら、幼いルイにどうしても目が行きがちな自身を戒めるように、親としてやるべきことはまだたくさんあるはずだと自身を励ました。
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