甘やかな数ヶ月
「殿下!頑張りましたね!」
セヤの宮殿での茶会は、大成功だった。
「殿下なら出来ると思ってましたよ。」
「いや、マジありがとう。俺、結構頑張ったよ。ちゃんとできてたでしょ?ヴィオラも楽しそうにしてくれてたよね?テーブルの茶器とか茶菓子とかもすごい気に入ってくれてたしさ。桜には本当に感動してたみたい…。ヴィオラ、結構長いこと観てたよ。」
「そうでしたねぇ…。」
側近達も笑顔で頷く。
「いや、なんかさぁ…。ホント何してても楽しいんだよね。ヴィオラとだと。」
――はしゃいでるなぁ…。
側近達は微笑ましく王太子を見つめた。
――王太子が、ここまでくだけた口調で話すのを聞くのは久しぶりだ。
うきうきと執務机の書類と向き合い始めたノワールから離れ、アーノルドとディビッド、リカルドの三人は小声で話し始めた。
デ「次のお約束はされた?」
ア「うん…してた。」
「おお~。」
デ「どこ?」
ア「王都の街を案内されることになってる。それと…、ヴィオラ姫がスィートピー王女とお茶をご一緒したいと話されていたから、お三方での茶会を企画する。どちらを先にするか、順番は拘らなくても良さそうだったけど。」
リ「お茶会の前でも後でもいいとは思うが、いずれにせよ王都に行くのは天気のよい日でないと…。」
ア「確かに…。王都を歩いて案内するお約束だった。お国ではルチェドラト様とご一緒に、街へ視察や慰問に行かれたことが数回あったそうなんだけど、私的な用事で歩かれたことはないそうだから、学生が自由に行き来する街並みを観てみたいとおっしゃっていた。」
デ「なるほどね…。そう言えば、ヴィオラ姫は、桜並木を観に行ったのかな。」
ア「それが、結局行かれなかったらしい。急な話で、安全面に関する準備が整わないと大使館の方で許可しなかったそうだ。すごく残念そうにしていらした。来年を楽しみにするっておっしゃっていたけれど…。」
リ「そうか…。こちらで手配して差し上げればよかった。ぬか喜びさせてしまったな…。」
デ「そっか…。そうだね。配慮が足りなかった。あ…。でもさ…。北の方ならまだこれから満開を迎える桜並木があるんじゃない?」
リ「調べてみよう。」
自国においても、一人での公務は皆無に等しかったヴィオラ姫が、来たばかりの異国で、屋根のない無防備な馬車に乗って花見の為だけに出かける等、簡単に許可がおりるはずがなかった。
今だから言えることだが、セヤの国が責任を持って王女の安全を確保し、王太子が同行することにしておけばタラの大使館を煩わせることも、王女をガッカリさせることもなかった。
ディビッドは、サロンで桜並木の公園の話をした時のヴィオラの嬉しそうな顔を思い出した。
「ヴィオラ姫、桜並木を楽しみにしてたもんね。絶対今年の桜を見せて差し上げたいよね。」
「うん。じゃぁディビッドは桜並木の調査をして。俺は日程調整とか細かい段取りやるわ。アーノルドには、殿下との打ち合わせを頼む。」
「わかった。」
ヴィオラは、宮殿でのお茶会が終わってホッとしていた。
――色々心配していたけれど、何事もなく済んで本当によかったわ。
とにかくノワール殿下は親しげで穏やかだったし、スィートピー王女とのお茶会についても引き受けてくれた。
王都の学生街も案内してくださるなんて、なんだか順調過ぎて怖いくらい。
今後は、週に五日学園に通い、週に二日の休みのうち、どちらかは必ず宮殿に招待されるらしい。
セヤの国の貴族である生徒達は、その二日の休日で街に出たり家族の元に帰ったりするらしいが、街に出る許可が容易にはおりないヴィオラにとって、唯一訪問が許されるのがセヤの宮殿だった。
――あの、広々とした庭園を散歩出来るのは有難いわ…。大きな木がたくさんあるところを散策すると、タラにいるようで寂しさが紛れるもの…。それになんと言っても、王都の街に出掛けられるなんて…とても楽しみだわ。
ノワールは「自分と護衛と一緒なら、王都の街にもちょくちょく出掛けられるでしょう。」と、案内を買って出てくれた。
街には、カフェやティールームがたくさんあるらしい。
「セヤの国民は、とにかくカフェとティールームが好きなので、様々な店がありますよ。妹も気に入ったティールームがいくつかあるようで、月に一度は友人と行っています。王宮での茶会とはまた楽しみ方が違うようです。」
「まぁ…。スィートピー王女殿下は、ご友人と王都にお出掛けされることもあるのですか?」
「ええ。月に一度は必ず出掛けているようです。」
「王宮でのお茶会は…。王女様が主催されているのですか?」
「…?そうですね…。妹の友人を招くだけなら、妹が主催してます。」
ヴィオラは、自分と同じような生活を送っているとばかり思っていたスィートピー王女が、思いのほか元気に生活していると知り驚いた。
「お身体は、大丈夫なのですか?」
「ああ…。時々寝込みはしますが、無理をしなければ…。ただ、少食なのに、好き嫌いが多くて…。紅茶ばかり飲んでます。月に一度は怠いと言って寝込むのも、それが原因じゃないかと…。」
それって…。
貧血なのではないかしら…。
仲良くなったら聞いてみよう。
特殊能力を複写する為には体力をつけていただかないと難しいもの。
それからは、夢のような日々が始まった。
セヤの桜並木を観るには、少々急ぐ必要があると、セヤ国の北にある離宮への一泊旅行の予定があっという間に組まれた。
ヴィオラがノワールからその話を聞いた時には、既にタラの大使館にも本国にも連絡がなされ、了承を得た後のことだった。
金曜日の夕方から出掛け、途中の夜桜を楽しんでから離宮に到着。
次の日には、既に離宮で待っているスィートピー王女と共に、咲き誇る桜の元でピクニックをし、その日の夕刻に王都に帰着の予定だ。
ヴィオラの侍女も、大使館の数名も同行し、離宮に宿泊することになっている。
ヴィオラの留学が決定すると、ヴィオラの身体に負担をかけずに一行が留学先へ向かう為に、ただそれだけの為に少なくない数の宿や家が作られるほどにゆっくりとした行程が組まれた、たった一度の旅しか経験のないヴィオラにとって、夕方から旅に出ることも、日が暮れてもなお馬車に揺られることも、生まれて初めての事だった。
途中の小休憩を挟みながらではあるが、外が暗くなってもなお馬車に揺られることに驚きと興奮を抱きながら、何度目かの小休憩として馬車をおり、ノワールに促されるまま少し歩いた。
春にしては少し夜風が冷たいと感じた頃に現れた桜並木には、思わず歓声をあげるほど美しくライトがあてられていた。
その幻想的な美しさは、陽の光の中で観る桜とは全く異なり、たとえ禍々しい何かに囚われようとも、このままいつまでも観ていたいと思うような切ない喜びをもたらした。
いつの間にか夜桜の下にテーブルが整えられ、先に到着していた王宮の料理人によって作られた温かいシチューが振る舞われた。
「旅の途中ですので、ここにいる全員が一緒に食事をとりますが、ヴィオラ姫はこういうことに理解がおありでしたよね?」
ノワールはそう言って楽しそうに微笑んだ。
王太子は、タラの池での日のことを言っているのだ。
その事に気がついたヴィオラは、頬が紅くなるのを禁じ得なかった。
――ノワールが、そんなことまで覚えているなんて…。
押し寄せる幸せと、常に心に
――これでは…。これでは、まるで…幼い頃からの仲良しのようだわ…。
七歳の時に、ただ一度、ほんの数時間会っただけのノワールは、こんなことまで覚えている。
それに…、先日の入学式で、久しぶりに再会したにも関わらず、いつでも温かい眼差しを向け、親しげに手を差し伸べてくれる。
覚悟を持って留学したつもりではいたが、やはりタラの国が恋しいヴィオラにとって、ノワールは、今やとても大きな存在だった。
『一回目』の初恋の相手ではなく、『二回目』の初恋の相手に違いなかった。
大切なものは全てタラに置いてきてしまったと思っていたが、ここにもまた大切なものがあると思えた。
この美しい夜桜の景色と、ノワールの温かい笑顔を忘れることはないだろう。
ヴィオラは、胸が締め付けられるような切ない恋心に、正面から向き合うしかないような気がした。
次の日にスィートピー王女が居てくれたことは誰にとっても有難いことであった。
ノワールは、ヴィオラといると、いつもと違う自分であることをよく理解していたが、昨晩、ヴィオラと夜桜の下で小さなテーブルにつき、切なく儚げな眼差しを向けられてから、募る想いが溢れ出すのを止める自信がなかった。
二人きりになれば、何を言い出すかわからない自覚があった。
ヴィオラを戸惑わせるような、熱を帯びた眼差しを向けるに違いない。
だが、可愛いが生意気な妹がいればそうはなるまいと安心していた。
会話は、スィートピーに任せ、自分はただ咲き誇る桜の中にいるヴィオラを堪能しようと考えていた。
ヴィオラもまた、抗うことを諦めつつある自身の恋心に、どう向き合えばよいか整理がつかず戸惑っていた。
スィートピーは、おしゃべりが大好きな明るい王女だった。
『ヴィオラ姫をセヤの王太子妃に。』と言う国家プロジェクトなど、知る由もなかったが、王女としての重責を担う者同士、また互いに優秀な兄を持つ妹として、共通点が多いに違いないヴィオラの、何より温かそうな人柄に惹かれ、絶対に仲良くなりたいと思っていた。
女性同士の会話には、兄は加わらないことを知っているスィートピーは、素敵な招待客を心からもてなしながら、思う存分おしゃべりを楽しんだ。
こうして、側近達はヴィオラにセヤの桜並木を見せる事ができ、さらに三人でのお茶会の一回目も済ませた。
何より喜ばしいのは、この旅で少し近づいたらしいノワールとヴィオラの微笑ましい距離感だ。
側近達も、ノワールも今回の結果に満足していた。
五月の王都は、活気に溢れていた。
大きな通りには、老舗とわかる大きな店が建ち並び、綺麗に舗装された明るい路地裏には、比較的新しい店も混在しながら、ところ狭しと並んでいる。
お菓子や衣服、装身具の流行の発信地として有名なセヤ国の王都は、静かな通りも賑やかな通りも、どこを観ても明るい雰囲気で、その街並みを眺めて歩くだけでも楽しめた。
長い間、経済が安定しているせいか、その大きな王都は薄暗いところが見当たらず、誰もがのんびりと街を歩いている。
「気に入った?」
「はい。とても。」
王都の街に、制服で来るようになってからヴィオラは自由に街を歩き回れる楽しさに解放感を覚えていた。
今日もまた、初めて訪れた路地裏の可愛らしい看板や窓辺のディスプレーを時間をかけて堪能している。
街では、誰もが「王太子」と「タラ国の王女」を知っていたが、制服を着て歩き回る二人を「あら…。」と言ったように眺めはするが、無闇に話しかけてくることもなければ、深々とお辞儀をするようなこともなかった。
店に入っても、ただ学園の生徒として、ほんの少し他の生徒より丁寧に接客するだけだった。
王都は、一日ではとても回りきれず、また石畳の街を長時間歩くととても疲れるので、週に一回から二回、三十分ほど歩き回り、ティールームやカフェでお茶を飲んでから寮に帰る流れが出来ていた。
「あなたが好む街並みや店構えが段々わかってきた。」
ノワールが、ヴィオラを見て微笑んだ。
こんな時、ヴィオラは何も話せなくなる。
何か気の利いた言葉で返したいが、とにかく頬が紅潮することに動揺してしまい、ノワールの瞳を見て微笑むのが精一杯だ。
「さぁ、そろそろお茶を飲みに行こう。先日のカフェでは、まるいケーキを気に入っていたね。今日行くのはティールームだが、ケーキの方に力を入れていて、紅茶よりもケーキめあての客の方が多いらしい。スィのお気に入りだそうだ。あなたもきっと気に入るはずだと自信たっぷりだった。果物のケーキが有名らしいが、まるいケーキもあるはずだから。」
「まぁ…。楽しみです。」
まるいケーキ…。
先日のカフェと言うことは、ロールケーキのことよね…。
ノワールが『まるいケーキ』と何度も言うので、ヴィオラは思わず吹き出しそうになった。
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