凹むノワール

「殿下…またチャンスがありますから…。」

 

 つい先程までヴィオラが使っていたティーカップを見つめ、わかりやすく落ち込んでうなだれているノワールに、アーノルドが気の毒そうに声をかける。


「失敗した…。」


 本当に泣いているんじゃなかろうかと呆れるほど落ち込み、両手で顔をおおって小さくなっているノワールを見てアーノルドはため息をついた。

「緊張したんですね…。仕方ないですよ。初恋の相手と久しぶりに再会したんですから…。次また頑張りましょう。」


 ヴィオラ姫は、ノワールから聞いて想像していたよりも、ずっと美しかった。


 真珠の柔らかい輝きに、淡い青紫の色水をこぼしたような艶やかな髪、慎ましやかな振る舞いを心がけている様子だが、時おり表情豊かにきらめく黒に近い紫の瞳。

 相手の厚意を素直に受け取り、誠実であろうとする穏やかな受け答え。


 何の下地が無くても、「この女性にどうにか気に入られたい。」と思うような魅力的な女性だった。


 幼い頃から、彼女に好意を抱いている下地たっぷりのノワールにとっては、ヴィオラが美しい女性に成長していたことは、嬉しくもあり、不幸でもあった。


 ――あんなに美しくなければ、こんなに急いで接触することもなかったのに…。


 ノワールは、美しい顔を苦しげに歪めた。


 入学式で、生徒会長として新入生歓迎のスピーチをしながら、一目でヴィオラだとわかる髪色の女性を見つけた時、予想よりもはるかに美しく成長していたことに彼はショックを受けた。

 目を奪われ、珍しく言葉を失った為にアーノルド達をヒヤヒヤさせたが、すぐに立て直してみせた。


 もともとは…、ヴィオラの入学後、城下町にあるタラ国大使館のヴィオラ付き女官宛に茶会の招待状を届け、一ヶ月以内に宮殿で面会する予定であった。


 だが、そんな悠長なことを言っていられなくなったノワールは、入学式が終わると

「行くぞ。」

 と、ヴィオラの教室に向かい、学園の案内を申し出て最終的にはサロンでお茶を振る舞うことになった。


 そこまでは、側近達も王太子の積極性を褒めてやりたい気持ちだった。


 ヴィオラ姫も、戸惑っている様子は無かったし、王太子自ら案内してくれることに感謝していたのは明らかだ。


 サロンで茶を勧めながら

「いかがでしたか。ザッとしたご案内になってしまいましたが…。」

 ノワールが笑顔を見せると

「広くて立派な設備ばかりで驚きました。これから三年間こちらで学ぶのが楽しみです。これだけの設備を有しているのに自然も豊かですし、寮もとても広々としていて快適です。様々なご配慮をいただきまして大変ありがたく存じます。」

 朗らかに答えたヴィオラを見て、今更ながらすぐ目の前に初恋の相手が座っていることを自覚した彼は固まった。


「うん…。」


 この辺りから様子がおかしくなり始めた。

 

 ヴィオラが自国に留学してくることになった時、宮殿から一緒に通えると信じて疑わなかったノワールは、タラ国大使館から王女の入寮申請書が届くと、しばらく放心するほどガッカリした。


 ヴィオラの兄のルチェドラトが留学中にはセヤの宮殿から通っており、不自由はなかったはずだ。

 それなのに、ヴィオラは何故、宮殿ではなく寮に入ることにしたのか…。と再びモヤモヤとしだしたらしく、この美しい女性にその辺りの話をきいてよいものだろうか…とフワフワし始めた。


 フワフワし続ける王太子を見て、座るつもりのなかったアーノルドやディビッド、リカルドと言った側近達が示しあわせて席につき、

「寮には大きな桜の木があるはずですが、咲き始めたでしょうか。」

 と、会話を繋ぐ。


「はい。部屋から大きな桜の木が見えますが、咲き始めたところです。満開になるのが楽しみです。他にどこか、桜の名所はありますか?休日に行ってみたいのですが。」

「それでしたら、学園から馬車で十分ほどのところに桜並木のある公園がございます。天気のよい日に屋根のない馬車で行かれるとよろしいかと。」

 会話を引き受けたディビッドが勧めると、ヴィオラは嬉しそうに公園の名前や学園から馬車で出掛ける際の注意事項等を聞き始めた。


 ――そういえば、ヴィオラ姫は植物に興味があると聞いたことがある。


 アーノルドは、ノワールにヴィオラを誘ってはどうかと促すつもりで会話に加わった。

「宮殿の庭園にも見事な桜がございますよね。まだ蕾ですが…。」

 アーノルドがチラとノワールを見たにも関わらず、ノワールが上の空でヴィオラを凝視しているので、アーノルドはごく自然にヴィオラに視線を移して笑顔を見せた。

 ノワールの様子を不審に思われはしないかと、アーノルドは内心ヒヤヒヤしたが、有り難いことにヴィオラは気にした様子を見せずに感じよく話し始めた。

「そう言えば、留学中に観たセヤの宮殿の桜がとても見事だったと兄が申しておりました。帰国後に兄も庭に桜を数本植えて、春には花見をしようと楽しみにしておりました。桜は花の時期になると急に存在感を放ちますよね。うちの桜はまだ若いので花が咲いても可愛らしいものだと思いますが…。」


 ノワールが、全然ヴィオラを誘わないのでアーノルドはもう一歩踏み込んだ。

「ヴィオラ様、大使館を通じて宮殿の茶会にご招待させていただくことになるかと存じますので、その際には是非庭園の桜をご堪能ください。」

「まぁ、それは楽しみです。」

「……。」


 あまり、アシストしすぎるとノワールがアホの子のように思われてしまうが、ここはノワールにとってヴィオラを庭園デートに誘う最大のチャンスのはずだ。


 側近達はノワールの様子をうかがったが、ノワールは穏やかな笑顔と呼べるギリギリの顔で、うっとりとヴィオラを見つめるばかりで会話に加わらない。


 その後も、側近達とそつなく会話を弾ませるヴィオラ姫に対して、ノワールは優秀な側近達の作った多くのチャンスも活かせず、会話に加わっているとさえも言えなかった。


 これでは、せっかく積極的にヴィオラを誘ったノワールの好意が儀礼的なものだった印象になってしまう。



「学園生活においてもそれ以外のことでも、困ったことがあったら何でもご相談ください。このサロンにいらしてくだされば、いつでも歓迎いたします。」

 別れ際に心を込めて伝えた王太子に対して、ヴィオラ姫は笑顔で感謝を伝えたが、あくまでも隣国の王女に対する社交辞令として受け取ったに違いなかった。


 最後の最後で頑張りはしたが、側近から観てもノワールは女性に好意を伝えるには経験不足だったと言わざるを得ない。



 学園の寮まで、ヴィオラを送ったアーノルドがサロンに戻ると、リカルドとディビッドによって、「あんなことではダメだ。」と散々ダメ出しを喰らった後のノワールがしょげ返っていたのだ。


「いいですか?あなたの良さは、いつもの自信に満ちたような不敵な笑顔と、少年のような笑顔、この二つのギャップなんです。それがなんですか?先程のあのぼんやりとしか言い様のないアホそうな態度は…。終始モジモジして!あれじゃただの恥じらう少年ですよ。」

「ヴィオラ姫はご立派でした。初めての異国で、上級生である異国の王太子と側近相手に上品さを保ちながらも朗らかに会話をなさっておいででした。」

「……。」


「殿下も、美しい年下の女性ならば妹君様で慣れておいででしょうに…。」

「ヴィオラは妹とは違う…。」

「そんなことはわかっております!」

「とにかく…、今回のような態度ではヴィオラ姫に好意を持たれるどころか尊敬すらされません。本来の貴方を知って貰うためには、いつものようにキリッとした表情で接するように努力されるか、慣れるまで会話は私達に任せて寡黙な人柄であるという印象を持たれるようにするかしかありません。」


 文武両道ぶんぶりょうどう眉目秀麗びもくしゅうれい、リーダーシップもあり、その美しい漆黒しっこくの瞳で見つめられれば男女問わず舞い上がることが珍しくないノワールは、側近達にとってどこに出しても恥ずかしくない王子のはずだった。


 これまで、秋波しゅうはを送ってくる多くのご令嬢や異国の女性に対しても、そつなく対応していたのを何度も見てきた。


 それがここに来て、王子の「少年のような恥じらい」と言う、有り難くもない新たな一面を知るとともに、このままではヴィオラ姫に距離を置かれるに違いないと言う先行き不安な状況が、優秀な側近達をピリつかせた。


 王子の初恋の相手ヴィオラ姫は、数年前から急に豊かになったタラの国の王女だ。

 薬の開発に、乾燥パスタ、瓶詰めされた長期保存可能な食物、オリーブオイル、繊細なガラス細工。

 次々と国を豊かにする特産品が作られ、観光にも力を入れ始めている。


 これまで、どちらかと言えば貧しい国であったタラは、今や飛び抜けて豊かになり、他国への援助も積極的に行えるほどの国になった。

 各国の王太子の中で最優良物件となったルチェドラト王子の婚約者も、名乗りをあげる候補者が多すぎる故か未だ決まっていない。

 

 ヴィオラに至っては、病弱との理由で公務も国内のごく僅かなものに限定されているらしく、数年前のルチェドラト王子の成人式に出席したのを最後に、外交の場には姿を見せていない。

 その証拠に、異国の王族や貴族と話しても、噂には必ずのぼるが最近の王女の姿を見たものは皆無に等しかった。


 あくまでも噂だが…、ルチェドラト王太子殿下の成人式において、十二歳のヴィオラ姫を見た異国の王族達から、婚姻の申し入れが相次いだ為、国王と王太子が機嫌を損ね、外交の場に王女を出さないことにしたという話がまことしやかに広まっていた。


 セヤにヴィオラ姫留学の申し入れがあったことが近隣国に驚きを持って伝わったほどなのだから婚約者等いるはずもない。


 セヤとタラは、なんといっても隣国ではあるし、王太子であるルチェドラトも留学生として三年間過ごしたほどの友好国。

 おまけに、タラの王女はノワールが幼い頃から思い続ける初恋の相手である。


 王子にとっても、国にとっても、こんなに条件のよい結婚相手はいない。


 セヤの国王は、息子ノワールの想いをずいぶん前から把握していたが、親友であるタラの国王レオドラトをよく理解しており、婚姻の申し入れが早過ぎれば失策すると考えていた。


 ともすればヴィオラを嫁がせる気すらないかも知れないタラの国王と王太子。


 彼女が結婚するとすれば…、「彼女自身が望んだ時」以外にはないに違いない。


 これは、セヤの国王と王太子の側近にとってかなり重要な情報共有であった。


 王子の初恋を実らせ、ヴィオラ姫をセヤ国の王太子妃にすることは、王太子の側近達にとって、国王陛下から直々に命じられた一大プロジェクトだった。


「息子である王太子に悟られぬよう、あくまでも友として協力すること。」

「ヴィオラ姫の健康状態が王太子妃に相応しいか見極めること。」

「友好国の姫に対する礼節を重んじること。」


 この三つは念を押されていたが、あとは優秀な側近達の判断に任されていた。


 若い側近達にとって、非常に大きな任務ではあったが

「あの美しく優秀なルチェドラト殿下に溺愛されているヴィオラ姫は、きっと男性に対して求める理想が高いに違いないが、うちの王子ならきっとお眼鏡に叶うに違いない。」

 と言う自信があった。

 つい先ほどまでは…。


 


 当面の目標は、ノワールとヴィオラの信頼関係を築くことだが、今回のような状況では、会う機会が多いほど二人の距離があいてしまうだろう。


 なるべく自然に、だがふんだんに二人が会う機会を作りさえすれば、自然と良い関係が築けるに違いないと思っていた側近達は、焦燥感を募らせ、緊急会議の必要性を感じていた。

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