セヤへの留学

 ――セヤ国の王立学園に、今年からの留学を決めたのは…、このためだったのかも知れない…。



 今年、十六歳になるヴィオラは、大きな『学園ホール』の新入生席に座り、そこから壇上だんじょうの三年生を見上げていた。


 壇上では、学園の制服に身を包んだノワール王太子殿下が『新入生歓迎』の挨拶をしている。


 今日はセヤ国 王立学園の入学式だ。


 ――この姿を見たいが為に、今年の入学を決めた?


 ――違う。


 一年間、同じ学園に通うことは確かに楽しみでもある…。


 でも、私はノワール殿下と仲良くなれるとは思っていないつもりだし、仲良くなるつもりもないはず。


 隣国の王太子と王女という関係上、何かと関わりはあるだろうけれど、スィートピー王女の毒殺を阻止することに集中して、程よい関係を築ければいい。

 

 そう。大事なことは、スィートピー王女の毒殺を阻止すること。


 私が毒殺される心配が無くなった今、セヤ国王女の毒殺を阻止すれば、その先は平穏に暮らせる。


 スィートピー王女の毒殺の対象年は、来年だ。




 ヴィオラは当初、対象年の一年間だけ留学することも考えた。

 だが、その一年間だけで何をどうすれば他国の王女の毒殺を阻止できるか検討がつかなかった彼女は、前世だのゲームだのと言った余計なことを話さずに、とにかく王女に毒を見る力を複写しさえすれば世界の平安を保つことが出来るという考えに至っていた。



 その為には、時間をかけてセヤの王女と仲良くなり、王女の自室に招かれたり、二人きりで話が出来るような関係になる必要がある。


 スィートピー王女とは、幼い頃には手紙のやり取りをしていたが、今では年に一度お誕生日のカードを贈りあう程度の関係だ。


 王女の友人に相応しいかどうかは、兄のノワール殿下が厳しい目で見極めているらしい。

 非常に人気が高いと噂のノワールは、自分めあてで妹王女に近づく相手には、誰であれ容赦のない拒絶をするときく。


 あくまでも「スィートピー王女の友人として相応しい。」と、時間をかけてノワール殿下に認められる必要があるのだ。


 ――三年間の留学を決めたのはその為。


 でも…、理由はそれだけではなかったのかも知れない…。


 落ち着いた声で挨拶しながら時折笑顔を見せる制服姿の王太子を見られたことに、心が躍りこれから同じ学園で生活できることを喜んでいる自分は、おそらく再びノワールに惹かれているのだ…。

 ヴィオラは鈍い衝撃を受けた。



 スラリと引き締まった身体に、艶やかな短い黒髪とほんの少し日焼けした肌、精悍な顔立ちだが、笑うと少年のような表情になる。


 美しい男性なら兄のルチェドラトで見慣れているが、淡い色の髪色が多いタラの国の男性とは異なる別の美しさがノワールにはあった。


 「素敵な方だわ…。」


 ヴィオラは、素直にそう思った。


『一回目』のように嫌われたり、冷たい眼差しを向けられる事は避けたい。 

 今、彼の目に自分がどう映るかを心配せずに遠慮なくノワールを見ることが出来ることは、とてもありがたかった。


 無理して近づかなくても、留学している隣国の王女として、宮殿に招かれることもあるだろうし、近いうちに王太子から挨拶されることもあるだろう。


 立場的に、「未来の王太子妃候補では」と周囲に思われる可能性もあるが、丁寧に否定しながら充実した学園生活を送るつもりだ。



 弟のルイが成人する頃には、タラの国にも立派な王立学園を創設する。

 これが、兄ルチェドラトと自分の夢だ。

 これからの三年間、その夢の実現の為に学ぶべきことも多いはず。


 第一に、スィートピー王女への特殊能力複写。

 第二に、タラ国王立学園創設のための多角的な調査。

 第三に、社会経験の乏しい自分を高める。



 そう、この観点から言っても、私の中でノワール殿下とスィートピー王女はあくまでも同列だ。

 むしろ、スィートピー王女の方が重要なのだ。


 それを忘れないようにすれば大丈夫。

 きっとよい関係を築くことが出来る。

 それに…。隣国の王族同士、あくまでもその関係の中でなら最大限に親しくなるくらいは許されるだろう。

 王族の友人は貴重だもの…。


 ――昔、池の畔でお話したことを殿下は覚えているかしら…。


 ヴィオラは、否定してもすぐに淡い期待の方に気持ちが傾く自分に気がついて、重ね合わせた両手をギュッと握りしめた。


 留学から帰って、やっとまた一緒に過ごせると喜んでいた兄のルチェドラトに寂しい思いをさせてまで…、今年四歳になる可愛い弟のルイと離れてまで…、セヤへの留学を決めたのだから、この三年間を無駄にすることがあってはならない。


 決意を持って、壇上のノワールを見つめた。


「一年間だけでも、同じ学園で生活できれば…それで十分だわ。」

「誠実に行動していれば、『一回目』よりも良好な関係が築けるのでは…。」

「もしかしたら、とても仲良くなれるかも…。」


 またもや次々と沸き起こる淡い期待を、再び精一杯打ち消し、切ない気持ちにのまれそうな自分を落ち着かせ、これからの学園生活の楽しみだけを考えた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 王太子殿下との対面は、おそらくもう少し落ち着いたらであろうと思っていたヴィオラだが、意外にも入学式のすぐ後で、ノワールが側近を伴って教室にやって来た。


 ノワールはヴィオラの席の前に立ち、低いが温かい声色で声をかけた。


「ヴィオラ王女。ご無沙汰しております。ご入学おめでとう。」


「!!」


 突然現れた王太子に、教室は静まり返った。


 ヴィオラは内心の動揺を悟られないよう、微笑みながら王女としての気品たっぷりに立ち上がる。


「殿下」

 そう言って、カーテシーと呼ばれるお辞儀をすると、その優雅さに教室はどよめいた。


 美しいカーテシーに目を奪われながらも、ノワールはくだけた笑顔を見せた。

「ヴィオラ王女、学園ではそのように丁寧なご挨拶は不要です。あくまでも上級生として接してください。」

 ヴィオラは穏やかに微笑んで

「かしこまりました。」

 と頷いた。


 ふと、殿下の後ろに見慣れた顔があった。


 ――アーノルドだわ。


 ヴィオラの僅かな視線の動きと、その瞳が認めたものに気がついたノワールは、アーノルドを紹介した。

「彼は、アーノルド。アーノルド・ベサレー。従兄弟です。」

「ベサレー様。」


 自分よりも親しげな笑顔を向けられたアーノルドに、ノワールが不機嫌そうに一瞥をくれると、アーノルドは戸惑いながらも真面目な表情を崩さなかった。


 ノワールは、親しげな笑顔をヴィオラに向けると少し屈んでこう言った。


「よろしければ、これから学園内をご案内いたしましょう。」


 ヴィオラは驚いたが、感謝を述べて大人しくノワールについて行った。



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