兄の成人式
緑の葉がキラキラと眩しく輝く八月。
ヴィオラは先日、十二歳になった。
お誕生日当日、庭園師長の翁が届けた可憐な花々で飾りつけられたテーブルには、いつもより少し豪華な食器が並べられていた。
部屋に入るなり「お誕生日おめでとう。」と家族に温かく迎えられ、その心尽くしのテーブルに気がついて喜んだヴィオラだが、自分の席に家族からの手書きのバースデーカードが置かれているのを見つけると更に嬉しそうな笑顔を見せた。
ヴィオラはそれを大事そうに読んで、元に戻すと、お返しにそれぞれに心を込めて刺繍したハンカチを贈った。
「ヴィオラ、また刺繍の腕をあげたな…。このハンカチは執務室に飾りたい気もするが、ここぞと言うときに持ち歩きたい気もする…。」
元来、余計なものをごちゃごちゃと置きたくない国王は、執務室には必要最低限の物しか飾っていなかった。
だが、いつの間にか息子ルチェドラトの執務室が、ヴィオラの贈った刺繍で華やかに飾られているのを知ってから、じわじわと羨ましく思い始めており、自分の紋章が繊細に刺繍されたハンカチを贈られた今、そうして執務室を華やかにしていくのもいいかもしれないと思いつつ、真剣に悩んでいた。
「お父様。お父様が執務室に飾ってくださるなら、お見せしたい大きな作品があるんです。」
「大きな作品?」
「はい。まだ完成には時間がかかると思うのですが…、出来上がってお父様の許可を頂けたら、宮殿かお城のどこかに飾って頂くつもりだったのですけれど…。お父様の執務室に飾っていただけるなら、頑張れますわ。大きすぎて、私にはまだこんなに大きな作品に挑戦するのは早かったのではないかしらと切なくなっていたところなのです。」
「よし!完成したら飾ろう。」
「まぁ…。お父様。作品を観てから考えてください…。お父様のお好みかどうかわかりませんもの…。」
「ヴィオラ。父上が好みじゃなければ僕の部屋に飾るよ。」
「お兄様…。お兄様の執務室には、飾る場所がありませんわ…。とても大きな作品なんですもの。お兄様にはもうたくさん受け取って頂いて、申し訳ないくらいですし…。」
ヴィオラの作品なら、いくらでも喜んで受け取るつもりのルチェドラトは、何か言いかけたが、父に割り込まれた。
「いや、ヴィオラ。完成したら私の部屋に絶対に飾るから安心して仕上げてくれ。ルチェドラトの部屋にはもう充分あるだろう。」
「…!」
ルチェドラトは何か言いかけたが、今度は母が朗らかに割り込んだ。
「本当に…。私のドレスを仕立ててくれるマダムもこんなに複雑で繊細な刺繍が出来る者は、抱えている職人にも数名しかいないと話していたわ。このハンカチもさっそく自慢するつもり。ベルちゃん、ありがとう。」
父に続いて母にも割り込まれたルチェドラトはほんの少し不穏な空気を残したまま妹に笑顔を向けた。
「ヴィオラ、ありがとう。このハンカチも僕の部屋に飾らせてもらうね。執務室の額縁も少しずつ、宮殿の部屋に移しているんだ。だから場所は気にせず、思う存分大きな作品を…。」
自分の作品を喜んで飾ってくれる兄が嬉しいヴィオラは、兄が話し終えたら感謝の言葉で応じようとしていたのだが、国王がまた何か言いかけたのを見た王妃が、優雅に三人に割り込んだ。
「本当にベルちゃんの刺繍は素晴らしいけれど、趣味としてのんびり楽しむものにしておかないとダメよ。刺繍を完成させるためにこんをつめてしまっては身体によくないわ。長く楽しめる趣味としてずっと大好きでいるためにのんびり続けるのよ。いいこと?のんびりよ。」
娘の刺繍の争奪戦を繰り広げて、娘に無理をさせるつもりじゃないわよね。と、夫と息子を朗らかに黙らせた王妃は、娘に笑顔を向けながら優雅にナフキンを置いて朝食を終わらせた。
午後のお茶は、家族揃って『バーモントの庭』でヴィオラの大好きなアイスクリームのケーキとバタークリームのモカロールを食べ、その後はヴィオラとヴィオラのお付きの者達で、宮殿と城を歩き回った。
宮殿内で働く者と城で働く者に、『ヴィオラからの感謝の印』として、菫の刺繍が入った上質なハンカチを贈る為である。
いつもは入れない父の執務室や、母のサロン、兄の執務室等も、この日ばかりはヴィオラを待ち構えており、皆が「ヴィオラ姫がいつ来るか。」とそわそわしていた。
少し恥ずかしそうに、だがワクワクした様子で姫が現れると、皆が口々に「お誕生日おめでとうございます。」と、温かく迎え入れるのだ。
感謝の印として手渡される千枚を超えるハンカチは、全てにヴィオラが丁寧に刺繍したもので、刺繍糸はルチェドラトによって「魔除け」が施されたものが使われていた。
王女の刺繍に王太子の魔除け。
貴重な品を受け取った者達は、病弱だった王女が、最近とても元気そうなことを心から喜び、王女が心から愛する王太子の式典準備にも俄然やる気が
――先日のお誕生日は本当に楽しかったわ…。
お母様への特殊能力の複写が成功してから一年、今月末にお兄様は十五歳になる。
ゲームでは恐ろしい一年の始まりだが、今では家族全員が毒を見る能力を持っている。
相変わらずお父様の毒味役は存在するが、毒味役にもお父様が特殊能力を授けた為、私の長年の心配は無くなった。
お兄様が十五歳になる日が怖くてしかたがなかった頃が、遠い昔のことのように思えるほど、最近の私はウキウキとした日々を過ごしている。
八月に入って王宮はお祝いムード一色だし、今月は毎日のように国のどこかでお祭りが開かれるらしい。
今日も午前中は王都でパレードだ。
お父様は宮殿で国賓と会談。
私とお母様はお留守番だけど、お兄様のパレードの衣装や馬車の飾りつけは二人で大いに口を出した。
国民全員に、記念の銀貨が配られ、お兄様が選出した十五の団体には、さらに金貨が贈られた。
宮殿の祝賀会に出席する国賓の数も父の成人式の時よりもずいぶん多いらしい。
それもこれも国が豊かになったおかげだ。
国が豊かになったことももちろん嬉しいが、お母様が毒を見分ける力を持ったおかげで、晴れ晴れとした気持ちで式典に出席できる。
背が伸びたせいか、体調が安定しているヴィオラは、今日も早朝から母と庭園に散歩に出た。
「お母様、お身体お辛くないですか?」
「大丈夫よ。ベルちゃん。疲れたらすぐに休むから。夏でも早朝は涼しくていいわね…。朝こうして運動すると朝食も美味しいし、ベルちゃんとルチェのおかげで美味しい苺も毎日食べられるから、なんだか本当に体調がいいのよ。これならルチェの祝賀会にも出席出来ると思うのだけれど…。」
「まぁ、お母様。それはおやめください。お腹の赤ちゃんにもお母様にも負担が大きすぎますわ。今日は私とお留守番のお約束ですよ。」
母はふっくらしてきたお腹をさすりながらお腹に向かって優しく声をかけた。
「そうね。今日は三人でお留守番よ。」
侍医の見立てでは、母は今年の冬に出産予定だ。
三十三歳での出産は、この国では大変珍しく難しいらしいが、豊かな食生活と日々の運動により、私を妊娠したときよりも健康状態ははるかに良好らしく母は輝いている。
「でも、ベルちゃんはお式に出席出来るのに、私はダメだなんて残念だわ。一生に一度のルチェドラトの成人式なのに…。」
「お式の前にはお母様のところにご挨拶に行くつもりだってお兄様おっしゃっていましたよ。」
「式服で来てくれるかしら。」
「もちろんですよ。お母様に式服をお見せしたいに決まってますもの…。お母様?大丈夫ですか?」
少し疲れたのか、母は椅子を用意させて座った。
「ええ、大丈夫。でも、これではお式も夜会も無理ね。ルチェが式服を見せに来てくれるならそれを楽しみにするわ。」
「お兄様の式服姿、素敵でしょうね。」
「それは、そうよ。だってお父様の息子だもの。レオの成人式もとっても素敵だったのよ。私はまだ成人していなかったから夜会には出られなかったけれど、お式は出席したの。あの時のあの美しい王太子殿下…。あの方と結婚できるなんて夢にも思っていなかったけれど…ううん。あの方のお妃様になれたらどんなに素敵かしらとは思ったわ。あの日から王太子妃になれるよう猛勉強したものよ。「ダンスが上手いだけでは王太子妃にはなれない。」なんて家庭教師にしごかれて…。懐かしいわね…。ああ、私ったら夫の成人式の夜会だけでなく、息子の成人式にも出席出来ないのね…。でも、残念だけど何も不満はないわ。小さかったあの子が立派になって、ベルちゃんがいてこの子がいて、こんなに幸せなんだもの。来年、ルチェが元気で留学出来るように、私たちもあの子を心配させないように楽しく暮らさないとね。」
うっとりと幸せそうに昔を思い出し、来年の春には息子が留学する寂しさを、努めて前向きな気持ちで迎えようとする母を見て、ヴィオラも頷いた。
来年から三年間、ルチェドラトはセヤ国に留学することになっている。
時々帰っては来られるが、今までのようにいつでも会えるわけではなくなるのだ。
今想像しているより、ずっと寂しいに違いない。
でも、『一回目』の時には留学する余裕など無かった国が、今では王太子の三年間の留学等痛くもない財政状況なのは喜ばしいことだ。
兄は、少なくとも二ヶ月に一度は帰ってくると約束してくれたし、夏休みは長く一緒に過ごせる。
短いが冬休みも春休みもあるらしいから、それを楽しみに、冬に生まれる赤ちゃんのお世話をして、ダッチェスと薬草を見つけて兄に報告しよう。
さぁ、今日は兄の成人式だ。
兄はどんな式服にしたのだろう。
私の描いたいくつものデザイン画を参考にしてくれたらしいけれど、完成したものは見ていない。今日の楽しみにと、見ないようにしたのだ。
『金の魔王と黒の魔王 完全攻略大辞典』の愛読者として、『金の魔王』に負けないくらいの『金の王太子』の式服デザインを一年間かけて何枚も描いた。
背が高くスラリと長い手足に、肩までの美しい金の髪。
涼やかな眼差しは、将来色気たっぷりになるに違いないが、今はまだ「さわやか」な兄の魅力を最大限に活かす式服のデザインを心がけた。
ああ、こんな日が来るなんて!
シャンデリア煌めく舞踏室で、兄の夜会服が見られないのは確かに残念だけれど、兄の事だから夜会服も見せに来てくれるだろう。
――しっかりと目に焼き付けなくちゃ。
「さぁ、ベルちゃん。もうそろそろ帰りましょう。お食事の前に着替えないと。ベルちゃんも今日は時間をかけてお支度しないとね。」
「はい。お母様。」
国の行事に出席するのは、私にとって初めてのことだ。
昨年の父の在位十周年も、私は体調が整わず欠席せざるを得なかった。
今日は、私は立っているだけだが、初めてご挨拶する方々の方が多い。
兄が一緒に選んでくれたドレスを着て、父と母が私のために作らせてくれた小さくて繊細なティアラをつけて、美しい姿勢で立っていられるように一生懸命頑張ろう。
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