お茶会の思い出 オリーブとトマトの話題
来月十一歳になるヴィオラは、夏の陽射しが入らないガゼボで、母とお茶を飲んでいた。
あと一時間ほどすれば、ここも暑くなるだろうが、午前中いっぱいは木陰の涼しい風を感じながらのんびりできる。
膝で寝ているルルを撫でながら、ぼんやりとしている娘を見て、王妃は小さくため息を漏らした。
春から初夏までの怒涛のお茶会シーズンが終わり、忙しかった母も、出席するだけだった私も、ホッと一息ついたところで夏が来た。
「今年のお茶会は、大変だったわね。せっかく今年はベルちゃんの初めてのお茶会だったのに、オリーブとトマトの話ばかりで…。」
「お母様。私はそれなりに楽しみましたわ。」
ヴィオラは正直に感想を述べた。
確かにオリーブとトマトの話で持ちきりだったけど、緊張していたヴィオラは拍子抜けして楽しめたのも事実だ。
「そうお?確かにベルちゃんは立派に出来ていたわね。ただ、今年は本当に特別だったのよ。」
「はい。確かに聞いていたよりもずっと賑やかなお茶会でした。」
「本当にね。四月から三ヶ月。六回のお茶会全てが賑やかだったわ。毎回お天気が良くて本当によかったこと…。庭園でのお茶会はやっぱり気分がいいもの。室内だったらきっと大変だったわ…。いつもは皆様もっと静かに…いえ、穏やかに楽しまれるのだけれど…、とにかく今は、王家に注目が集まっているし、国が豊かになってきている事に皆さま興奮なさっているのよ。それぞれの領地にも関わることだから…。」
確かに全ての日程が晴天だったことで、庭園で開催できた。
室内での茶会よりも騒々しさが緩和され、賑やかと言える程度で済んだに違いない。
ヴィオラは、母が天気が良くてよかったと安堵していることに納得して頷いた。
「そう言えば、お兄様は一度もご出席なさいませんでしたね。」
王妃は可笑しそうに笑った。
「そうね。でも、いいのよ。陛下のご意向でもあるし、ルチェはまだ婚約者を見つけるつもりもないし…。全てに出席出来ないなら全く出席しない方が混乱が無いわ。いずれにせよ。忙しいのだからお茶会は私たち二人に任せていただいた方が私も安心だわ。」
「皆様、お父様に感謝なさっていましたね。私、とても誇らしかったです。」
「ああ、ベルちゃん。私もよ。あんなに賑やかな全てのお茶会をどうにか乗りきれたのは、『陛下の事を誰もが尊敬しているのだから、私もそれに相応しい王妃でなくては』と思って頑張れたからだわ。そうでなければ、『皆様もう少しお静かに。そんなに大きな声でなくとも聞こえます。』って言ってしまったに違いないわ。」
「まぁ。お母様はいつでも優美でいらっしゃいましたわ。」
ヴィオラは、あの全てのお茶会において、至極おっとりとして見えた母が内心はそんな風に思っていたのかと可笑しくなりクスクスと笑った。
「ベルちゃん。あなたも素敵だったわよ。緊張したでしょうけれど、所作もとても美しくて、何をしていても輝いて見えたわ。私誇らしかったのよ。」
ヴィオラは、会話にはほとんど加われず、静かに相づちをうつのが精一杯だったが、母にそう思われていたなら嬉しいことだと微笑んだ。
タラ国における王妃主催のお茶会は、国内の貴族婦人と令嬢が家格別に招待され、男性は出席しない。
成人していない男子だけは同席が許されるが、今年は王太子であるルチェドラトが出席しないとあって、出席者は殆どが女性であった。
華やかなドレスに身を包んだ女性達が、庭園をよりいっそう華やかに彩り、王妃自慢の花々を楽しんで、美しく設えられたテーブルセットでお茶を楽しむ。
招待客の美しいドレスや髪飾り等を、ヴィオラは毎回楽しんだが、終わってみるとさすがに身体の疲れを感じていた。
――こんなに満たされた気持ちで母とのんびりお茶が飲めるのは、お兄様のおかげなのだわ。
ヴィオラは、再びお茶会シーズンの間のことを考え始めた。
六歳から約五年間。
つい先日まで、飢饉に備えたい一心で拙いながらも出来ることを探していたが、全く何の手がかりも掴めないまま焦燥感が募るばかりだった。
だが、気がついた時には、十三歳の兄が驚くべき手腕で父とともに国を豊かにし始めていたのだ。
ヴィオラは、その事をお茶会で初めて知った。
「ベルちゃん。今年のお茶会は特別よ。タラの国は今変わろうとしているの。」
茶会のシーズンが始まる前、王妃は娘にそう言ったが、彼女はよくわかっていなかった。
今年初めて、正式なお茶会にデビューした十一歳の王女は、お茶会とはこんなに活気のあるものなのかとまず驚いた。
――お作法の先生に聞いていたお茶会は、もっと静かな、ゆったりしたものだったのに…。
どの階級の貴族も、招待された貴族達は皆興奮気味で、毎回必ず話題に出てきたものがある。
「オリーブオイル」
「乾燥パスタ」
「トマトの瓶詰め」
その料理や食材を、口にしたことのある貴族もそうでない貴族も、それはもう興味津々で、口々に父を褒めそやした。
「国王陛下のおかげで領民は豊かになった。この調子で行けば国全体が豊かになる日も遠くない。」
「ここのところの王都の活気は大したものだ。」
「嫡男ばかりでなく、次男三男も領地を賜り…。」
「異国からも買い付けに来るほどの人気だそうだ。」
「次はどんな事に着手されるのだろう…。」
「全ては国王陛下の優れた手腕によるもの。」
愛する夫が褒めちぎられ、母はいつものようにおっとりと構えながらも上機嫌で茶会シーズンを終えた。
城から出たことのない私は、とにかく世間知らずで、国で起きていることをよくわかっておらず、王女として当然知っておくべき事を何も知らなかった事に愕然とした。
「オリーブオイル」
「乾燥パスタ」
「トマトの瓶詰め」
これは、兄が関わっていることは確実だった。
だが、兄とオリーブや乾燥パスタについて話したのは昨年の秋頃だ。
あれから、まだ七ヶ月ほどしか経っていない。
いったいどうしたことだろう。
昨年の晩秋に、兄と二人で『バーモントの庭』を眺めながらお茶を飲み、何気なく聞かれたのがオリーブの事だった。
「ヴィオラ…。オリーブという木を知っている?」
――オリーブって、あのオリーブオイルのオリーブかしら…。
「知ってると思います…。緑色だった実が、だんだん黒くなる木ですよね?」
「うん。そうらしい。タラに新しく入ってきた木なんだけど、ヴィオラは、植物の本をよく読んでいるから、オリーブのことについて何か知らないかなと思って…。」
自分の知識が兄の役に立つことなど思いもよらなかったヴィオラは大いに喜んだ。
「お兄様!私…。お役にたてるかも知れません!」
「うん!どんなことを知っている?」
兄は、喜んでいる私を見て嬉しそうに聞いてくれた。
「オリーブの木にも…様々な種類があるようですが、その多くが、実を塩漬けにして食べる事も出来ますし、実を潰して濾してオイルをとることもできるはずです。一種類の木だけだと実がつかないこともあるらしくて…。数種類のオリーブの木を混在させるように植えると実がつきやすかった気がします。オイルは、食用にも、石鹸の材料にも使えるので、実がたくさん採れたらオリーブオイルを作るといいと思います。石臼があれば楽に作れるはずです。あとは…、オリーブの葉は焙じることで身体によいお茶にもなると読んだような…。それから…。」
ヴィオラは、今話していることが前世の記憶か、今世での読書の記憶かよくわからなくなっていたが、こんなチャンスは無い。
国の為に何が役に立つかわからない今、知っている知識は何でも兄に話したかった。
一気に話したので、その私の勢いに驚いたのか、知識におどろいたのかは不明だが、兄はかなり驚きながら、喜んでくれていることもよくわかった。
「ヴィオ!詳しいんだね!よかったらそう言った知識をまとめたものを僕にくれないかな。もし、他にも何かあれば、僕が探してみせるから、何でもどんどん書いておいて欲しいんだ。」
「まぁ…。お兄様。私、上手に説明できるかが心配ですけれど、出来るだけわかりやすく書くよう努力します。お兄様にお知らせできてとても嬉しいです。」
「そうか…。もっと早くヴィオに相談するんだったよ。こんなに近くに博士がいたんだね。」
兄はいつもより興奮した様子で、嬉しそうに笑顔を見せてくれた。
何度も書き直した膨大な量の書類を兄に渡したのが、それから三日後。
七ヶ月後のお茶会で、ここまで話題にのぼるからには、結果が出るには早すぎる気がした。
視察から戻った兄にお茶会の話題で気になったことをを聞いてみると、兄は、「ん?」と不思議そうに笑った。
「ヴィオ。僕は魔法が使えるんだよ。ヴィオだって使えるでしょ?」
「まほう…。」
「うん。僕と二人でお茶を飲んだり、散歩をしたりしている間にヴィオが話してくれた事がとても役に立ったんだよ。」
私の書いたことが始まりだとしても、このあまりにも急速な変化はいったい何故なのだろう。
ヴィオラには、さっぱりわからなかった。
「そうだな…。オリーブの木の成長を早めたり、実が多く採れる木を増やしたり…。これは、もちろん父上が僕を信じて任せてくれたから出来た事だけど、元々はヴィオラの助言のおかげなんだ。」
「木の成長を早める…?」
ここまで来て、ルチェドラトは初めてヴィオラが何をわかっていないのかに気がついた。
「そうか…。ヴィオはそう言う使い方をしたことがないんだね…。」
まだよくわかっていない様子の妹にルチェドラトは丁寧に説明し始めた。
「僕も父上も、そしてヴィオラも大きな魔力を持っていることは知ってるよね?王家に与えられたこの大きな魔力をいたずらに使うことは許されないけど、国を豊かにするために、最初のきっかけとして使ったんだ。まずはヴィオラが教えてくれたオリーブの実を採るために、オリーブに適した土地を探した。それから土壌の環境を整えて、木を植えて、成長を早めて実を採って、実を食べる為の処理を試行錯誤して、もっと熟した実でオイルを作った。そう言うことに魔法を使ったんだよ。ほら、本当は自然の流れで発芽するとか実が完熟するまで待つとかってところを早めたり…。せっかくヴィオが教えてくれた保存食だから、早く結果を出したかったんだ。結果が出れば、今後は僕の魔力を使わなくても国の民が自分達の力で工夫しながら作っていける。乾燥パスタも、トマトの瓶詰めも、そうして作ったんだよ。そのために僕の魔力を使ったんだ。大きな魔力ではあるけれど、一度に何もかもできる訳じゃない。だから、少しずつ。」
「少しずつ…。」
「うん。ヴィオが僕にくれた資料で、これからも少しずつ国を豊かにするつもりだよ。だけど、君が注目され過ぎると危険だから、ヴィオが作った資料の事は、父上と僕しか知らない。君の手柄なのに申し訳ない気持ちもあるけど…。」
兄はそう言ったが、あんな抜けだらけの私の説明で、よくぞここまでというほど様々な製品が作られていた。
この世界には魔法があるとは言っても…、私がもし仮に王太子で外出が自由な身だったとしても、私にはきっと出来なかった。
「お兄様、私…。ただ、思い付いたことをお兄様に話しただけですし…。お渡ししたものも、資料だなんて呼ぶほどのものでも…。私にはそれをどう実行すれば国が豊かになるかなんて思い付くことは出来ませんでしたわ。魔力があってもよい使い道や使い方を知らなければ、宝の持ち腐れですね…。もっと学ばなければ…。」
「ううん。僕のブルーベル姫はすごい女の子だよ。でも、今はまだ君の名前は表に出ない方がいい。大きくなって君が自分の功績が世に出ない事を残念に思う日が来たら、その時には、僕が全力で世に広めるから…。」
どうやら兄は本気で私の功績だと思っているらしかった。
――絶対に違うのに。
「お兄様…。たぶん…。そんな日は来ないと思います…。それに…、どう考えても私の功績じゃないもの。」
ヴィオラは楽しそうに笑った。
ああ、優秀なお兄様のおかげで国が豊かになる!
――素晴らしいお兄様がいるってなんて素敵なのだろう。
目がおかしくなったと不安になった春の一件も、兄の調査により特殊能力とわかった。
今では薬剤師長補佐のダッチェス・サークとも仲良しだ。
この能力があれば母を毒殺することは難しいだろう。
『一回目』の時には普段から顔色が青白くて華奢だった母も、今はとても元気そうだし…。
――もう、何も心配いらないんだわ…。
ヴィオラは安堵のため息をついた。
「ベルちゃん。来月には十一歳になるのね。そしてルチェは十四歳。来年には成人するのね…。来年の式典の準備もそろそろ始まるわね。でも…その前に秋にはいくつか舞踏会や晩餐会があるから、私もそろそろどんなドレスを作るか考え始めないと…。ベルちゃんも、もう少し体調が安定したら昼餐会に出席なさいね。お茶会よりも負担が大きいから無理はしちゃダメよ。お父様は、あなたにはしばらく公務よりも体調を優先させるつもりなのよ。でも、公務で着るドレスはいつものドレスとは違うもの。着たいわよね。ああ、でもダメだわ。やっぱり今年はまだ負担が大きいわね。来年のルチェの成人式と昼餐会をあなたのデビューにした方がいいわ。」
娘を前に次々と思ったことを口にして、「でもでも」と改めながら考えをまとめていく寛いだ母を前に、ヴィオラは微笑んでいたが、急にあることに気がついて愕然とした。
――そうだ…。私がいつも母と一緒にいられるわけではないんだわ…。
来年は、どんなに怪しまれようとも母から離れずにいようと決めていたが、未成年の私は、同席を許されないお茶会も晩餐会もある。しかも母には遠方や異国での公務もあるのだ。
そう、母の毒殺。
こちらの方が時間がない。
満たされた気持ちでのんびりお茶を楽しんでいる場合ではなかったのだ。
朗らかだった娘が、急に何か深刻そうに考え始めたのを見守っていた王妃は、声をかけた。
「ベルちゃん?どうしたの?」
「お母様…。ごめんなさい。とても…暑くて…。」
「そうねぇ。本当に急に暑くなってきたものね。」
そう言いながらも王妃は元気そのものと言った様子で扇を優雅に動かしながら朗らかに微笑む。
――母が元気なのはとても喜ばしい。
あと一年で兄は十五歳、なんとかよい解決策を見つけなければ…。
ヴィオラは、元気な時には「バーモントの庭」にも馬車ではなく歩いて行かれるようになり、「ブルーベルの森」へも花の時季には毎日のように行くことが出来るようにはなったが、未だに半年に一度の高熱で家族に心配をかけている。
庭園以外の外出は許されないヴィオラにとって、頼りに出来るのは兄だけだ。
兄だけは、「誰にも信じて貰えまい。」と思うような突拍子もない相談も真剣に聞いてくれる。
でも、「お兄様が十五歳の間に、お母様が毒殺されるかもしれない。」と相談する事は、それに付随する様々な事柄も説明しなくてはならないことを意味した。
それについては、これまでに何度も考えたが、どうしても勇気が出ないヴィオラは青ざめた。
飢饉の心配はない。
ダッチェスに解毒剤も作って貰った。
でも、母自身に毒を見分ける力がなければ、毒殺の心配はなくならない。
王宮に働く者の中には、不穏な空気を持つものはいないし、そのような事が無いように毒味は徹底されている。
でも、ゲームの登場人物と今の世界にいる人々が同じである以上、油断は出来ない。
毒殺は王宮のなかで行われるとは限らないのだ。
「ベルちゃん。明日にはルチェが帰ってくるから、何か心配ごとがあるならお兄様に相談しなさいな。」
両親に相談出来ることならとっくにしているであろう娘が、何やら思い悩んでいるようなので、母は努めて朗らかに助言した。
ティーカップを見つめて難しい顔をしていたヴィオラは、優しい母を見て笑顔になった。
――お母様には絶対に長生きしていただかなくては!
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