第17話 本当の心


「…カナ、思ったより遅い。外さなくていける。」


「…だな。任せた」



カナトは余裕の表情で、すべての水球が体に触れる前に、手を翳し目に見えない力ではじき返しはじめた。


その幻想的な光景に、目を奪われる。


逸れた水球が飛んできては、近くの壁や地面に当たり弾け散る。カナトによって起動を曲げられ加速する水は数メートル先でも、その飛沫が降りかかった。


「リオ君!水が…!」


「大丈夫、俺のことはいいから…。トア、立てる?」


リオは降りかかる水滴にも微動だにせず、トアをそっと立たせた。


「カナ、このままっ、行って!」


「…わかった!」


カナトが切り開いた軌道を、カナタが駆け抜けた。


今度はカナトが封じられている分、カナタと男の一騎打ちになる。


男の元まで辿り着いたカナタが飛びかかる。


目にも留まらぬ速さで繰り出されるカナタの拳を弾く男の掌。


何度も何度も、腕と腕が交差し、拳と掌がぶつかり合う。


水に包まれた男の腕に触れるたびカナタにはそれ相応の痛みが走っているはずだった。しかし、カナタ君は表情を変えず鋭い視線で男を射抜く。


一瞬の間を置いて、攻守が逆転した。


今度は防戦一方だった男が、水を纏った腕を振り抜く。


しかしカナタはその腕を躱すとそのまま後ろに回り込み、逆に男の二の腕を掴んだ。


そのまま流れたカナタの肘が、動きを封じられた男の額にキマる。


しかし痛みに呻くこともなく、男はにやりと口角を吊り上げた。


その瞬間、男の肩から突き出した黒い骨のような何か。


間一髪でカナタは首を反らせ、鋭利な骨がこめかみに突き刺さるのをなんとか避けた。


「うっ…」


「カナっ!?」


カナトの絶叫が響いた。


「カナっ、、大丈夫…?」


「…当たり前。かすっただけ。」


カナタは一気に飛び退り距離を取ると、駆け寄ってきたカナトと顔を見合わせて頷いた。


頬に走る一筋の赤を、悔しそうに乱暴にぬぐう。


「……くも…」


「え?」


その時小さな声にリオとカナタの視線が動いた。


「カナに…よくも…」


「カナト…お前!」


カナタのおびえたような声に、リオがはっと表情を変えた。


「ゆるさない…許さない…!」


カナトの氷のような視線が、男を射抜いた。


カナトの身体を取り巻く空気が一瞬無重力になったように、服や彼の髪がふわりと浮き上がる。


その瞬間、男は空中で苦しそうに首を押さえ悶え始めた。


「カナタを…傷つける奴は…!」


カナトの震える右手は、首にかかってるロザリオをしっかりと握っている。


鎖が空気を震わせ、キリキリと悲鳴のような音を立てる。


あれを外すと、彼らはどうなってしまうのだろう?


ついに男は微動だにせず、その場に膝を折った。


ミシ、ミシ、と、骨が軋むような音が微かに聞こえてくる。


「カナト君…!」


不意に、その先に起こることがわかってしまった。


「カナト!」


トアの悲鳴にリオが頷いて駆け出そうとした、その瞬間。


「カナト。」


男の目の前まで歩み寄ったカナトの腕を掴んだ者がいた。


カナタだ。


「もういい…俺は平気だ。」


カナタの切なさを帯びた優しい声が、カナトを揺さぶる。


「…カナ…。なーんてね、わかってる。わかってるよ…。…もう悪いこと、しちゃだめですよ。おじさん。」


俯いたままカナトがえへへ、と笑った。


「ぽーい」


跪く男の額に向かってデコピンの動作をすれば、男は吹っ飛び、木に背中を打ち付け崩れ落ちた。


「捕まえて黒幕吐かそーっ…ってあれ?」


カナトが素っ頓狂な声を上げ、振り返って不服そうな顔をした。


視線の先にはもう、何者の姿も見当たらなかった。


さっきの男は一体何者で、なんの目的でこんなことをしたのか。


謎は深まるばかりだった。



ーーーーー



争いが過ぎ去り、まだ何が起こったのかもわからず、混乱する頭。


声が行き交い、バタバタと情報が共有された。


その間にもトアは慌ただしくリビングに戻される。


頭の中で繰り返されるのは、今まで存在するとすら思っていなかった数々の不思議な現象と異変。


黒い男の腕や、薄気味悪い無表情な顔。


双子の人間離れした動き。


そしてカナトが持っていた魔力。


この家に来てすぐの頃、水の入ったグラスが砕けたことも。体についた水滴が飛び散ったことも。


全ての理由が今明らかになった。


恐怖以上の何が頭の中を覆ってしまったかのようにぼーっと頭には靄がかかっている。


立ち尽くしていると、誰かの手が肩に触れた。


「っ…!」


先ほどの体験が目に焼き付き離れないせいで、ものすごい勢いで振り返る。


「…と、トア…?」


振り返れば、リオが驚いて後ずさっていた。


傷ついたような表情を隠すように、慌てて視線を逸らすリオ。


「ご、ごめんなさい…さっきのことがあって、つい…!」


慌ててトアが謝ると、リオは優しく首をふり、


そっと床に膝をつき、トアを見上げた。


「…無理ないよな…。ごめん。これで、怖くないか…?」


「リオくん…」


困ったように眉を下げて微笑み、トアを見上げる紅の瞳。怖がらせないだろうかと伺うように、悲しそうな笑顔を浮かべている。


突然、きゅんと心臓のあたりが苦しくなり、失われていた感情が急速に息を吹き返し始めた。


途端に、目頭に熱を感じる。


緊張しすぎて凍り付いていた感情が動き出し、恐怖や安心感が一度に戻ってきてしまった。


生理的に潤んでしまう目を隠し、トアはなんとか感情を飲み込むと、笑顔で答えた。


「リオ君は怖くないんです…助けていただいて、ありがとうございました…。」


お礼を言うとリオは、小さく笑って恥ずかしそうにつづけた。


「まぁ、助けたのはカナタとカナトなんだけどな。」


「リオ君がいなかったら、私…。」


「い、いや…別に…俺は、ただ…トアが…。」


再び訪れそうになる沈黙に、心臓の鼓動が徐々に不規則になって行くように感じてしまう。


焦り、戸惑い、慌てて続ける。


「か、カナタ君とカナト君、強いんですね…」


「そ、そうなんだ…俺でも二人相手に喧嘩したら勝てねぇよ」


ははと乾いた声で笑いリオは一瞬、考え事をするように押し黙った。


そして口を開き、少し神妙な面持ちで訊いた。


「カナトのあれ、びっくりした…?」


「あ、はい…。あんな魔法みたいなことができるんですね。」


思ったままを口にするとリオは目を一瞬細め、驚いた表情を見せた。


「魔法、な…。その、…怖…かったか…?」


「あ、え、いいえ…なんていうか、うまく言えないんですけど、カナト君の力は別に…」


「…本当に、怖くなかったの?」


リオは恐る恐る探るように付け足した。


「はい。上手く言えないんですけど…でも恐怖だとかそんな気持ちにはならなかったんです。体に感じた時も…何故か、優しくて」


「そ、そっか…よかった。じ、実はさ…。」


そこまで言いかけたとき、遥希の大声が聞こえた。


「えっ、なにこの庭!めっちゃ壊されてんじゃん!うぇ!?どしたの!?」


どたばたと足音を響かせ、遥希がリビングに顔をのぞかせた。


手には兎を抱いている。どうやら、お世話をしていたようだ。


「…。遥希…おせーよ…。」


はぁ、と大きく肩を落としリオがやれやれと首を振った。


「説明はあと。トアを部屋まで送ってくるから、待ってて」


「ほーい。」


広く長い廊下を、リオについてゆっくりと進む。


「あの男の人…」


「あぁ…」


ずっと気になっていたことを口にする。


人間じゃ、ないですよね、と。


「…。そうだな、」


「…一体何だったんでしょう…」


「…気に、しなくていいよ。」


リオが明らかに言葉に詰まったのがわかった。


二人は無言のまま、廊下を進み続け、ついに部屋の前に到着した。


「リオ君、わたし…みなさんのことが心配で」


「トアは心配しなくていい!俺たちのことは、俺たちがなんとかするから。」


はっきりと、言葉を遮られた。


あまりの突き放し方に扉の前でリオに向き直ると、リオは顔を背けて視線を外した。


涼しげに澄ました視線を見ればいつも通りのリオだったが、唇が少しだけ悔しそうに引き結ばれている。


「リオ君…?」


「あっ、…いや、大丈夫。ごめん。ゆっくり休めよ。」


声をかければリオは笑顔を顔に張り付け、部屋のドアにもたれかかりぽんぽんと頭を撫でて余裕を見せる。


いつだってそうだ。リオは大丈夫、とだけ言って、本当の心を見せない。


脳内に、出会ってからのリオがフラッシュバックする。


強く、優しくて。


かと思えば笑顔は歪み、私を翻弄し、消えてしまう。


寝惚け目に大絶叫し、取り乱した純粋さ。


降ってくる痛みに向かって背を向け、表情一つ変えずにトアを守った姿。


慣れたような手つきで手を握り、髪を撫でる指先。春風のように軽く愛を囁く唇。


どれが本当のリオかわからない。


ひたすらに自分の心を隠して、それでも笑顔を向けて。その笑顔に近づこうと歩みを進めると、彼は決まって距離を取る。振り回される。乱される。思い返せばもう何度も彼に助けられた。怖いと思った時、もうダメだと思った時、何故かいつも傍に居てくれた。


−リオ君の本当の心に触れてみたい…。


そこまで考えが巡り、何を考えてるんだと自分に言い聞かせた。


「…どした?」


「…。あ、ありがとうございます!では私はこれで!」


「……っ…」


リオとトアの視線が一瞬だけ絡まった。


胸が苦しくて、言葉が出ない。


リオは目を見開いて、酷くショックを受けた顔で固まっていた。


こみ上げる涙を、赤くなった頬を隠すように、慌ててリオに背を向け、トアは扉のノブに手をかけるー


「トア…!」


「っ…あ、の…」


一瞬の出来事に、身体がフリーズする。


確かに感じるのは、首にまわされた逞しい腕の感触。


すぐ耳元で聞こえる、名前を呼ぶ声。


「…なんで…。…なんでそんな顔、するんだ…」


絞り出したような、震えたリオの声。


「…り、リオく…ん」


心臓を突き破りそうなくらい、鼓動が強く脈打ってるいる。


身体が燃えているように熱い。トアの口はぱくぱくと空気を食べ、脳には酸素が回らなくなる。


「俺、トアが傷つくのが…怖かった…」


突然、剥き出しの感情がぶつかってきた。


さっきまでトアの視界に入っていた彼とは全く違う、弱々しい声。何が起こったのかわからず、頭が混乱する。


「わ、わたしっ…」


驚いて振り返るために体を離そうと動けば、腕がさらにトアを引き寄せしっかりと抱きしめた。


「…無事で…よかった。」


首筋に顔を埋めて、絞り出すようにそう呟いたリオ。


それは安堵の言葉にも関わらず、何故か悲しみに満ちていて、彼にとても酷いことをしてしまったのだと錯覚させられる。


何も返せず、身動きも取れず、ただ無言の時が過ぎていく。


たった数秒が、とても長く感じられる。


「…どうしようもなく…不安…なんだ…っ、…トアを…見てると…。」


「…どうして…?」


「…説明…できないけど…」


辛そうに掠れた、擦り切れそうなリオの声が耳元に聞こえる。


「辛いことがあるなら…話してください…わ、私でよければ、少しでも」


「ごめん、忘れていいから。…忘れていいから、少しだけこのまま」


言葉に乱暴に被せられる、言葉。


リオの腕はトアが消えてしまうかのように、体温を求めるかのように、しっかりと抱いて離さない。


押し寄せる感情を、少しでも落ち着かせてあげられればと、咄嗟に回された腕をそっと握った。


「…っ…、トアって…あったかいよな…」


「…リオくんだって」


「…ふふ…でも、体温、人間ほどはないよ。」


「それでも…」


ぽつり、ぽつりと、会話をした。


知りたかった話はなにひとつできなかったけれど。どんな顔をしているのか、どんな表情をしているのかは見えないけれど。


それでも初めて、本当のリオと話せた気がした。


その時窓の外で物音がした。


「…ごめん。俺、何やってんだろ……。」


はっと我に返ったリオの動揺と後悔を含んだ声が追いかけるように聞こえてくる。


だけど、トアの首元にまわしてしまった手の処理をどうしたらいいのかわからず動けないようで。身体は密着したままで。


「…こ、これ、」


リオは片手でポケットからなにか取り出すと、そっと体を離し、トアの首にそれをかけた。


振り返りたいけれど、顔が真っ赤で、どんな顔でリオと目を合わせていいかわからず首を動かせない。カナトの魔法がかかってしまったかのように、強い力がトアを引き止めた。


胸元を見れば、それは控えめに光を反射する、小さな十字架がついた時計のペンダントだった。


「ペンダント…?」


「こ、これ、偶然町で見かけて渡そうと、思って…。ほら、カナタがロザリオ、取っちゃっただろ。」


「…そう、だったんですね!あ、ありがとう、ございます…」


言葉がまともに紡げずに、何度も噛みながらやっとのことでお礼を言った。


手に取りじっと眺めるトアを見て、リオは慌てて付け足した。


「そ、それ…安物だから!いらなかったら、捨てていいから!」


「あ、あの…!」


不意に体が離れる気配がした。


思い切って振り返ると、もう、そこにリオはいなかった。








つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虚空の幻月 ゆきうさぎ @stukisekai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ