第16話 双生の牙
「ありがとうございます、レヴィア」
「礼なんて必要ないわ。あなたは対価を払ったじゃない?等価交換よ、とーかこーかん。」
屋敷から少し離れた静まり返った森の中。
レディはふん、と不機嫌そうに髪を払うと、手の甲をさすり日焼けしちゃったかしら…。と呟いた。
「まぁ、たしかにそうですね…。」
薬の味を思い出して苦笑いする遠夜に気づきレディは面白そうに続ける。
「なぁに?採取させてくれるならいつでも大歓迎よ?やっぱり地面の感触は嫌ね…。」
レディの魔力のせいか、辺りには普段よりもずっと濃く霧がかかり、濡れた木々がより深く青みを増している。
木の枝や枯れ葉の積もる足元を嫌そうに何度も踏みなおすレディに、尚も遠夜が話しかける。
「…一体家に、なにが…」
「何か良くないものが入り込んできているのは間違いないわね~?でも、それくらいは気づいているんでしょう?」
大判のストールを肩に巻き直し、レディは遠夜に背を向ける。
「あぁ…。」
「ま、用心したほうがいいわよね。なにか質の違う魔力の痕跡だったもの。」
「質が、違う?」
問い返す遠夜に、レディは肩越しに振り返る。
「そう。この世にあってこの世のものじゃない。」
レディはじっとそのガーネットの瞳で、遠夜を見据える。
「あまり厄介者を抱え込まないほうがいいんじゃない?ふふ、これ以上の調査は追加料金よ~じゃあね、気が向いたらまた売りにいらっしゃい」
言葉を失う遠夜に手を振り、レディはもさもさと足元に絡みつく植物をうっとうしそうに払いながら、森の奥へと姿を消した。
そのふたりのやり取りを見つめる視線が一つ。
影は、屋敷の方向へと動き出した。
−−−
「ふぅーっ」
トアは雑草の束を横に置くと、深く息をついた。
穏やかな昼下がりの風が髪を揺らす。
−あんまり外側は綺麗にしないでよね、人間が寄ってくるから。
そうカナトには言いつけられてはいたけれど、
「せめて、せめて、窓から見える所だけでも…。」
お化け屋敷と見間違えるような屋敷の外観を気にしたトアは隙を見て庭にやってきたのだった。
「お化け屋敷って思われるのも、無理ないか…うん。」
庭の手入れをしながら、つい独り言が漏れる。
しかし、背の高い雑草を取ってしまえば、種が飛んできたのか、カモミールやハーブの類がちらほらと生えているのが目についた。
「お花、咲いてるのになぁ。」
独り言を言いながら、ぷちぷちとひたすら無心に雑草をむしっていく。
そのとき、強い風が吹き、木々がざわざわと大きく揺れた。
「ん…」
舞い上がる砂埃に、慌てて目を閉じる。
再び目を開けたとき、見慣れた風景に違和感を覚える。
目の前に広がる庭のちょうど対角線上。森のはずれに黒ずくめの服を着た男性が佇んでいる。
「どなた…ですか?」
立ち上がり、問いかける。声は聞こえる距離のはずだった。
もしも誰かが迷い込んでしまったのなら、急いで遠夜に知らせるようにと言われていた。
「…。」
じっとこちらを見つめ微動だにしないその異常な様子に違和感を覚えて、自然と足が一歩後ろへとさがった。
「あの、みなさんのお知合いですか?」
「…。」
一歩、男の足が前に踏み出された。
「あの、…!」
変わることのない冷たい視線に一瞬、心に不安がよぎる。よく見れば踏み出された足は懸命に咲いていた野の花を踏みつけていた。そこにあるのは、小さくても確かな殺気。風が異常に強く吹いている。
「…!」
その男が、歩き始めた。それはだんだんと早まり、小走りになり、まっすぐとこちらに走ってくるのがすぐにわかった。
背中を恐怖が駆け上がった。
何か確信があったわけではないけれど本能に近い何かが、全力で逃げろと叫び始める。
しかしその警告とは反対に、迫りくる恐怖に支配された体はこわばり、すくんでしまう。
男は目の前に迫ると、トアの首を掴もうと手を伸ばした。
「きゃぁ…!」
体をかがめ、間一髪、腕から逃れる。
しかし、信じがたい光景が飛び込んでくる。
突き出された右手は透明な膜に包まれていいるかのように大量の水を纏っていて、とうてい人間の皮膚とは思えない黒い皮膚で覆われ、爬虫類のようにトゲや鱗のような模様がある。
空を掴んだ手がゆっくりと開き、男がこちらに向き直った。
「こっ、こないで…!」
咄嗟に逃げる前に手首を掴まれてしまった。
逃れようと動く度に、辺りに水が飛び散る。
怖い。気持ちが悪い。掴まれている腕に震えが走った。
「離してっ!!」
叫びたいのに、肺の中で空気が空回り、悲鳴のような声が上がってしまう。
腕を振り逃れようとするトアを見て、変わらず表情のないその瞳がじっと見つめ、口を開く。
「ナゼダ……」
「っ、…」
だけど言葉の意味を考える暇もなく、男は掴んでいる腕を引き寄せると、空いているほうの手で首を絞めにかかった。
恐怖で体がガクガクと震え、足からは力が抜けて立っていられなくなる。
−誰か、誰か助けて、私はここにいる…
必死に心の中で叫び、目をぎゅっと閉じた。
「その子を離せ…!」
その瞬間、空気を切り裂く声が耳に届いた。
トアと男の間の空間が、膨張するように外側に力が働き、瞬きをする間の刹那、トアの体は無重力の中を漂った。
その瞬間走る強い衝撃にはじかれ身体が飛ばされ、屋敷の壁が迫る。
「トアっ…!」
しかし壁に当たる衝撃ではなく、優しい体が私を包んだ。
「リオ…君…」
「大丈夫かっ!?怪我は!?」
崩れ落ちるトアの身体を支えたまま、一緒にしゃがみ込むリオ。
目は動揺して大きく揺れて、身体をかがめて、懸命にトアの掴まれていた手首や腕などに触れる。
「ごめんな…怖かっただろ…もう、大丈夫だから」
「ありが…とう…」
その言葉に応えるように、リオはトアの手をぎゅっと握った。
リオの肌が触れるたび、トアの震える体に安心感が押し寄せた。
しかしその瞬間、リオが弾かれたように立ち上がった。
「…!」
瞬間、ものすごい勢いで走ってきた男の拳を躱すと、綺麗なフォームで背負い投げる。
地面に押さえつけ、身動きを封じると、叫ぶ。
「トア、逃げろ!カナトの方に!」
恐怖に駆られながらも頷くトアに、カナトの声が聞こえてきた。
「りーちゃんタイミングばっちりでしたねっ!トアこっち!」
声にたっぷりと余裕を含ませた声のするほうを見上げれば、2階の窓枠に立ち上がったカナト君が右手を男に向けたまま、左手でピースをしていた。
「はい…!」
「カナト…!助かった!」
「もちろん利子付きの貸しですよ」
2階の窓から男を見下ろし、背筋も凍るような冷たい猫なで声を放つカナト。
「ふぅん…。あんた、何者?僕がこないだお世話になった人って認識で、いい?」
まるで獲物を見つけた猫のように、美しい黄金の瞳が爛々と輝いていた。
あの声が少し前まで自分に向けられていたかと思うと、少しぞっとした。
「お前…何したかわかってんだろうな…」
かと思えば、追い打ちをかけるかのような低い声。
すぐ横の1階の窓枠にヤンキー座りをしたカナタがいた。
「「潰す。」」
楽しそうに謳う天使のようなカナトの声と、悪魔のように凄んだカナタの声が綺麗に重なった。
男が二人からの殺気に気づいたようだった。
リオの拘束を抜け出し、瞬時に二人との距離を測るように視線を走らせ、その男は二人に向き直る。
瞬間、迷わず腕をカナタ君に向けた。
「やっぱりな…。」
カナタが薄っすらと自虐的に笑った。
間髪入れずに、男の掌から迸る水流。
「カナタくんっ…!」
トア思わず叫んでいた。
しかし、じっと二人を見守るリオは微動だにしない。
「大丈夫…見て。」
「えっ…!」
しかしその水流は明らかに軌道を曲げられ、トアが種を植えたばかりの花壇へと降り注いだ。
「水やりご苦労様でーす♪トア、お仕事減りましたよ?」
「カナト君…?」
驚き目を見開くトアのそばに来て、頭をそっと撫でリオが呟く。
「黙っててごめんな…カナトはテレパスなんだ。」
「テレパス…?」
(そ、人間で例えれば、ですけど。)
「わ!こ、声が…頭に…。」
カナトの声は確かに直接頭の中に響いた。
「魔力があるんだ。触れずに物を動かしたり、心を読んだり、その逆も。」
リオの言葉に慌てて視線を向ければヒラヒラと手を振り微笑むカナトの眼下、カナタが窓枠を蹴って、一気に男との距離を詰める。
「チっ…。」
舌打ちをする男に容赦なく向けられるカナタの右ストレート。
男は人間離れした動きでそれをかわすと、振り向き様にカナタのがら空きの左側に拳をたたき込んだ。
「はいはい、わかってるよ~。空いたら普通殴るよね。けどもーすこし、頭つかったほーがいいよ?」
その手を待ってましたとばかりに掴んだのはカナト。
カナタがわざと大きく腕を振っている間に、2階から距離を詰めていた。
カナタの大きな動きに目を奪われていたせいで反応が遅れた男は、カナトの接近を許す。
カナトはそのまま両手で男の手を持って、特に何をするでもなくしゃがみ込んだ。
カナトに下へと引かれる男の身体に対し、上へと突き上げるカナタの渾身のアッパーがキマった。
男の呻き声が響く。
「っ……手痛ぇ。カナト、次はお前がやって。」
拳をほどいた手を慣らすかのようにぶらぶらさせ、ふっと笑うカナタ。
その辺のヤンキーよりも余裕で怖いそのキレ顔。
「やだ~痛そ~。僕はそんな野蛮なことしないよ?」
ふたりは余裕の笑みを浮かべ、指先をちょいちょいと動かし、綺麗にリンクした動作で挑発をかけた。
「す、すごい…。」
「あぁ、あいつら昔から意気ぴったり」
思わず零れた言葉にリオも首を縦に振った。
その時、ゆらりと男が立ち上がった。
特に痛がる素振りも見せず、体を立て直すと再び双子に向き直る。
「お、おい…普通今ので肋骨砕けてるぞ…!?な、なんで立ってんだ…」
リオがトアを庇うように抱きかかえたまま、呟いた。
その言葉に双子の眉がピクっと動く。
男は表情一つ変えず、ゆっくりと両手を大きく広げた。
男の手の動きをなぞるように、水でできた球体が空中に漂った。
「俺たちの弱点を…。」
リオの悔しそうな声。
「っ…カナ、来るよ。」
「…あぁ。」
双子が身構えた次の瞬間、無数の水球が意思を持ったように一斉にふたりに襲い掛かった。
法則性のない動きをする水球が物凄い速さで360度から向かってくる。
なす術もない、そう思った。
だけど、聞こえてきたのは思いもしない一言だった。
つづく
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