第15話 等価交換


「頼みがあってきました…レヴィア。」


「ん~もうその名前は好きじゃぁないの。レディと呼んでくださる?そして私は忙しいのよ~わざわざ来てくれたのは嬉しいけど、帰ってくださる?リリス、リコリス、お返しして−」


わざとらしくにこっと微笑むと、レディと名乗ったその女性はまた水に潜ろうと後ろを向いた。


それと同時に頷いた少女がふたり、まったく同じ動作でこちらに向かってずんずん歩いてくる。


「ま、待ってください!レヴィア!」


「ちょ、ちょっと!だからその名前は嫌いよ。」


レディは勢いよく振り返り遠夜を手で制すと、不機嫌そうに髪を撫でた。


リリスとリコリスと呼ばれた少女は目を丸く見開き、顔を見合わせた後、指示をもらいたそうにレディに視線を戻した。


「ふぅん、、それが吸血鬼が人にものを頼む態度なのね~」


さっすが遠夜。いい度胸をしているわ。


レディと名乗るその人魚は、すっと目を細めあたりを一周見回すと、そのまま視線をカナトまで戻し、あら、と微笑みかけた。


「ひっ…!こ、こ、ここ怖い…!」


カナトは文字通り蛇に睨まれたカエルのように、縮こまり、カナタの後ろに隠れた。


「気づかなかったけどずいぶんと美味しそうな子連れてるじゃな~い!なぁに?早く望みを言って?対価はその子でいいわ~」


遠夜には目もくれず、レディはカナトを下から上まで舐め回すように見つめている。


甘ったるい語尾には息が詰まるほどの妖艶さが漂っている。


「もっと近くでお話ししましょう…?」


「ひっっ」


その瞬間黒い竜の胴体に見えていた体が水に包まれ、その揺らめきの中に一瞬人間の足が見えた。


「リリス、リコリス、見張りを頼むわね」


洞窟に響く声に、二人はこくりと首を縦に振ると、双頭の大蛇になり、泉の中へと消えた。


瞬きをした間に、レディはあっという間に人間の姿になり、その右足ははだしのまま地面をとらえていた。


鱗に見えていた体には、漆黒の重厚感のあるドレスを身にまとい、足取りも軽やかにカナトにどんどん詰め寄っていく。


そのドレスは水晶の光を浴びて、鱗のようの時折怪しく紫色に光って見えた。


「まぁ~美味しそうなこと。貴方、『今どーせこいつ水の中から動けないし大丈夫』とか思ったでしょう?」


「ひっ、く、くるなっ…うわーん!心読まれてるっ…!」


「心は読めないわよ~?貴方の顔に出てるだけ」


長く伸びた美しい爪がカナトの頬に触れそうになる。


「…俺もいるけど。」


触れるか触れないかというすんでのところで、少し不機嫌そうなカナタが間に割って入るようにレディの鼻先に現れた。


「まぁ、かわいい、焼きもち妬いちゃったの~?兄弟想いなのね~。でもね?おんなじ顔でも私には魔力の味がわかるのよ~」


その瞬間カナタはぴくっと反応し、さらにレディを睨む目に力がこもった。レディは伸ばす手を止めず、カナタの顔を両手で包み込んで、するりと撫でた。


カナタは表情ひとつ崩さずじっとその目を見つめ返している。


「金髪のほうが美味しそうだけど~でもこっちも悪くないわ~まだ熟していない青い果実」


「…おばさん、やめて」


表情一つ変えずに、言い放つカナタ。悔しそうに拳が握られ、震えている。


「お、おば…。まぁ…生意気なところも悪くないわね~」


「か、カナに触るな~!」


その背中に隠れるようにしがみついているカナトがなけなしの一言で応戦する。


「ちょっと、レヴィア、話が逸れてるんだけど」


「!!?」


リオの声にレディがものすごい顔で振り返った。


「俺たち今日は頼み事があってきたんです。とりあえず水道とそいつのロザリオひとつ欲しいんです、が…。」


見かねたリオが、後ろ姿に声をかけたのだった。


「いきなり呼び捨てに無賃労働。ほんっとうに失礼な吸血鬼ね…。」


プリプリと怒りながら体の向きを変えたレディは、リオの頭の先から爪先までを眺めた。


「ふぅん…あなたは~そうね~私みたいなタイプは苦手そうね~?」


タッタッと軽やかに岩場を飛び越え、今度は一瞬でリオの目の前に現れた。


「遠夜は私には興味なかったみたいだったけど~?あなたはどうかしら~?」


レディは今度は美しい髪を払い、わざと奏君の頬を髪の毛で撫でた。


「なっ…!?お前、何考えてっ…!よ、よるなっ…変態!」


「なあに~?もっと近くにきてってことよね~?」


目をわざとトロンとさせて、リオに擦り寄る。


「貴方からは危険な男の香りがする…そういうのキライじゃない…私ともっと楽しみましょう?」


女神のように神々しい微笑みをたたえて、レディはリオに歩み寄る。


レディはふわりと奏くんの身体に寄り添うと、シャツの隙間からするりと手を入れ、腰回りの肌を撫でた。


あまりの衝撃に誰もが言葉を失った。


リオはヘビに睨まれたように身体を強張らせている。


「この戦い抜いた逞しい腕…背中や肩も…あら、ここには傷も…、」


「っ……やめ、ろって!」


「ねぇ、貴方の戦いは、」


レディは顔を背けるリオの顎を掴んで無理やり前を向かせると、じっと目を見て続けた。


「いったいいつから続いているの…?」


レディはその美しい唇を三日月にしてぞっとするほど綺麗に微笑み、リオに顔を近づけ囁いた。その言葉にリオの目が凍る。確かに一瞬、怯えているように見えた。


レディの言葉には妖艶さとは違う何かが漂っていて、さっきまでの熱が嘘のように引いていく。


「おっ、おいっ、変なことを言うなっ…拘束を解け!」


ボリュームのあるドレスに隠れて見えないが、レディに身体を触られ何やらリオは身もだえているようだった。


「…っ…触る…な!」


「ふふふ~思った通り免疫はナシね、可愛いわぁ。ミカケダオシ」


「ぎ、ぎゃーーーーー!」


他の5人からの視線が降り注ぐ中、レディに抱き着かれたリオはみっともなく後ずさり、半ば転びそうになりながら彼女を振り払うと遥希の後ろに隠れた。


「ちょ、ちょっとリオ…」


「ふぅん…あなたが噂に聞いてた弟ね~?」


レディは飽きたようにリオに一瞥を投げると、視線を隣の遥希へとうつした。


「そ、そうだけど…」


遥希は少し警戒したように言葉を返し、その間にもうしろでゼイゼイいっているリオを心配そうに振り返った。


「あなたは、免疫はあるのかしら~?」


「め、めんえき?」


レディはじっと、遥希を見つめ、3秒も経たないうちに邪気の抜けた声でつづけた。


「…あら、いい男じゃない。こーゆー好青年は興味ないわ。」


「「「え"っ・・・・!?」」」


その瞬間、双子とリオが同じリアクションで遥希をにらみつけた。


「あ…。…あ、あぁ!俺、露出してるよりチラリズム派だか–」


「お前せっかく株上がったんだから黙っとけ!!」


慌てて付け加えた遥希に対してさらに慌ててリオが口をふさぐ。


「そして、人間の女の子がひとりね…?ふぅん…」


最後にレディはトアの前で立ち止まると、ぐるりと一周見て回った。


「顔は中の中、器量はよさそうね。」


さっきの色っぽい声とは打って変わって棒読みだ。


トアの髪をピッとつまみ、鼻をつつき、顎を持ち上げ、骨董品を品定めするかのように見ている。


「まぁどこにでもいるふつうの女ね…」


まぁ、あえて一つ言うとすれば。


トアの瞳をじっとのぞき込むレディ。


ガーネットのような深い赤をたたえる瞳がまっすぐにトアを見つめる。


表情は変わらず、彼女が何を思っているのか、その欠片だって読み取ることはできない。


「あなたたちや私のことを怖がってないってことくらいかしら。」


そう静かに言い放つと、レディは一呼吸おいて遠夜を振り返り言った。


遠夜もじっとレディを見つめ返している。


「…でも基本的に女は嫌いよ。もうここにはこさせないでちょうだい。」


「え…。」


「うわ、心狭っ」


カナトの攻撃にもびくともせず、レディはにこ、と愛想笑いをすると、遠夜の近くへと戻っていった。


「んもう!一度にたくさん仕事させすぎよっ、まったくこんなうら若き女性にまた水道工事させるの~?正気なの~?」


レディはカナタの手首を掴み、なにやら測っているようなそぶりを見せながら文句を呟く。


「うら若き…って、君はもう」


「ま、ま、まー、仕方ないわね。これくらいの力だったら創るのはそんなに難しくないわ…。」


静かに口を挟んだ遠夜を華麗に無視すると、レディはさっとカナタの傍へと進んだ。


怒りをその瞳に宿し、心を落ち着けるかのようにすぅっと息を吸ったカナタに対し、妖艶なウインクをするレディ。


「対価は、吸血鬼の血でいいわよ?それか、唾液でも…。そう、キスってことだけど…」


そのまま手首を引き、自分の顔の前までカナタを引いた。


表情を変えずに、レディと至近距離で見つめあうカナタ。


美しく形の整った真っ赤な唇が、カナタの唇に触れそうになる-


漂うあまりの色香に頬に熱が集まってしまうのを感じる。


リオが横で息を飲む音が聞こえた。


その瞬間、レディの頬にカナタ君が軽いキスを落とした。


「うっ、うわぁぁぁぁぁぁっ!か、カナぁぁぁっ!」


その瞬間、なぜかカナトの絶叫が洞窟に響き渡り、その声に呼応するかのようにある一点からぶわっと空間が膨らみ肌に圧力を感じた。


目の前のレディとカナタを中心に風が広がった。


その見えない力に押されて、一歩後ずさるふたり。


「それ以上、カナに触るな!」


カナトの低い声が響いた。手をふたりの方向に翳している。


自分の身に起こったことを気にも留めず、嬉しそうにニコニコとレディは首を傾げた。


「これじゃ唾液を摂取できないのだけれど…」


「どこかって指定しなかったのはあんたでしょ?払ったんだからさっさと作って」


ふっと暗い影を落として笑うカナタに対し、たまらないとばかりに目を輝かせるレディは嬉しそうだ。


「まぁ~!なんってかわいいの!かわいいからいいのよっ!ロザリオの対価にしてあげるわっ」


「お、お前なっ…!」


そこまでやっても通じないと悟ったのか、カナタは呆れたように言葉を切った。


「今の力はあなたね?なんて魅力的な力なの…?な~んなら、もうひとつは貴方でもいいのよ?私は対価が手に入りさえすれば、それでいいのだから−」


レディの余裕たっぷりの微笑みにはっとしたカナト。レディは美味しい果物を見つけたかのように舐めるような視線を送っている。


「えっ!?ちょ、無理っ、無理無理無理!無理だってば!」


カナトは急いでカナタの腕を掴むと、そのままぴゃーっと音がしそうな勢いで遠夜の後ろに隠れてしまった。


「か、カナに触るな~!!!」


必死にしっしっとレディを追い払おうとするカナト。


「はいはい、でもね?触ってきたのはそっちよ~?」


幸せそうに頬を撫でるレディを見て、カナトの魂は体を飛び出し、洞窟の壁にぶつかって地面に落ちたようだった。


「レディ…対価は僕が払いますね。」


そんなカナト君を見て、はぁと小さなため息をつくと、遠夜はレディにそう告げた。


「…おま、なに、してんの」


(ごしごしごしごしごし…)


「…。」


遠夜の後ろでは、カナトが無心に服の袖でカナタの口をこすっている。


こまったようにカナタがもごもごと話しているのがなんだか微笑ましかった。


「…。わかったわ。はぁ~貴方じゃちっとも面白くないわ。でも、水道とロザリオの対価としては充分。その依頼受けてあげてもよくってよ。」


レディの声が再びつまらなさそうに棒読みに戻った。


どうやら遠夜とは古くからの知り合いのようだった。


遠夜は表情を変えぬままレディについて、洞窟の奥の小部屋へと進んでいった。


「と、遠夜さぁん!」


不安そうにその後ろ姿に叫ぶカナト。


「大丈夫です、すぐ、済みますから…」


遠夜は安心させるように微笑むと、部屋のカーテンは閉ざされた。



ーーーーーーーー



「さぁて、遠夜、やっとふたりっきりになれたわね…。対価はなににしようかしらぁ?血液か…それとも、唾液か…痛ぁい注射と、キス…どちらがお好みかしら~?動かないように縛ってもよくて?」


「レディ、やめてください…」


「ふふふ、あなた、見かけによらず力は強いものね、昔か~らっ。はい、ここに掛けて手はこっちよ。」


「…早く終わらせてください…」


薄い布越しに聞こえてくる会話に嫌でも全員の神経が集中してしまう。


その場にいた全員の頭に否応がなしに、めくるめく想像が頭の中に広がってしまう。


布の後ろでは、それを楽しむかのように、わざと大きな声で話すレディがいた。


口ではあんなことやこんなこと、想像を掻き立てるような言葉を使いつつ、目の前にはおどろおどろしい、なにやらドロっとした液体が入った大きな壺を引きずってきた。


そして、ガラスの小瓶でさっと中身を掬うと、遠夜の鼻先に突き出した。


「まさか…本気で…うっ」


香水のようにむせかえるあまりの香りに、遠夜は手で鼻と口を同時にふさいだ。


「遠夜~あたしね?また新しい薬を開発したのよ~」


「そ、そう・・・げほっ」


「いい香りでしょう~?カラダにいい薬草がたぁっくさん入っているのよ?」


もちろん美容のためよ?耳元に頬をよせそっと呟くレディ。クスクスとおかしそうに笑っている。


「もうすぐ完成なの~。ここに貴重な貴重な吸血鬼の唾液、入れてくれたら引き受けてもいいわよ?」


レディはついにはガラスの小瓶の中で怪しく光る液体をぐいっと遠夜の顔に近づけた。


「えっ…。これを?」


遠夜の顔がいよいよ強張る。


「さぁ、口を開けて…?舌を出すのよ…?」


「ま、待ってください… 」


そう口にしつつも、遠夜の口は恐怖のあまり半開きになった。あれの液体が口ではなく顔や首に流れると想像しただけでぞっとした。


「そうよ、上手じゃない…?」


「んっ、わかっ…はっ…」


レディがなんのためらいもなく、小瓶を傾けた。


ーーーーーーーー


「う、うわぁぁぁ…!」


カナトが耳を抑えて絶叫した。


その絶叫の途中ではっとして両手を今度は全力でトアの耳に当ててきた。


「・・・・。」


カナタもリオも気まずそうに視線をそらして、そわそわしている。


「・・・・・。」


今や布のこちら側も散々な状態になりつつあった。


「遠夜頑張るな~」


遥希だけは悪戯っぽくニヤニヤ笑っているだけで、地面から生えている水晶をつついて遊んでいた。


ーーーーーーーーーーーーーー


椅子に座らされ、遠夜の目の前に傾けられる、小瓶のなかのワインのように濃い紫をした液体。


「ちょっと、遠夜、もっと舌だして…?じゃなきゃこぼれちゃうわよ?少しでいいっていったのはあなたよ?」


「で、でも…香りがっ…やっぱり、む、むりだ…。あぁっ!」


顔面を蒼白にしてふるふると必死に顔を振る遠夜。また手で口と鼻を覆い隠した。


それに対し、たいして哀れみも見せないレディは少しイラついた声でつづける。


「んもうっ!私にただ働きさせる気なのっ…!?じゃぁ手首切り落として血液もらってもいいのね!?」


「……。」


「話が早いわ。口に含んで、また戻せばいいのよ。一気にいくわよ?」


-グイッ


「うっ、!? んっ…げほっ……!」


口にその薬が流し込まれた瞬間、遠夜は目を見開き盛大にむせ込み、椅子から崩れ落ちた。


瞳が辛そうに細められる。


「も~こんな回りくどいことしなくたって、直接くれてもいいのに~ふふ、頑なね~少し飲んだ?」


「・・・。」


床に四つん這いになって崩れたままふるふると首を振る遠夜を見て、うふふと面白そうに笑うと、レディは慣れた手つきで背中をさすりながら採取を終えた。


綺麗な赤紫色に発光し始めた小瓶を見て満足そうに振る。


「では契約成立ね。仕事はさっさとやる主義なの、明日の朝には直しておくわ。その間誰も部屋には立ち寄らせないで頂戴ね?」


レディは壺を引きずってもとに戻すと、遠夜に綺麗な水の入った小瓶を渡した。


「どうぞ?飲める水よ?あなたのお人よしは変わらないのね、あの子たちは幸せね。」


レディは後ろ姿のまま、そう付け足した。


「…感謝…………します…レディ…」


お大事に~と妖艶に微笑み布を引きながらひらひらと手を振るレディに、手の甲で唇をぬぐいながら、キミが変わったんだよ、と心の中で呟く遠夜は一人苦笑いを浮かべるのだった。




つづく


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