第14話 深淵の魔女
「壊された…?」
「はい。」
リビングには、双子以外の3人が集まっていた。
「今回のカナトの事故は、偶然ではないと思います。」
遠夜が小さな声で呟いた。
それでも偶然ではないと言い切ったその言葉に、リビングの空気がピンと張り詰める。
「偶然じゃないって…それじゃ、誰かが俺たちの屋敷に入って壊したとでも…」
リオが、まだ信じられないといった表情のまま言葉を返す。
「故障じゃないの~?ほら人間界隈じゃよくあるじゃん?10年経ったら電化製品壊れたりさ!」
遥希がソファからぐいっと身を乗り出して遠夜に詰め寄った。
「僕もそれならいいと思ったんですが…明らかに、僕たちと同じものを持っている何かの仕業でした。」
「同じ…もの…?」
遠夜に再びドライヤーを当てられたまま、目を丸くするトアに、リオが、あぁ、と補足を加えてくれた。
「トアにはわかんないだろうけど…吸血鬼にも普通なのとそうじゃないのがいるんだよ。」
「そうなんですね…。みなさんは、草食だから普通じゃない、んですよね…?」
「うーん…まぁ、どっちかっつーと…。」
トアが尋ねると、リオさんと遥希はちらっと目線を合わせ、困ったように笑った。
「そっか…、えーっ、てことは俺たち風呂入れないの!?」
遥希がハッと気づいて、リオの肩を揺さぶった。
「そーだよ、だからその話してんじゃん…」
「えー!やだよっ!遠夜、なんとかして!」
皆の視線が集まった先の遠夜は、はぁと小さくため息をつき、言った。
「僕の昔の知り合いに、直せる人がいます。頼みに行きましょう。」
「まさか…」
その言葉を聞くや否や、リオがうぅ…と頭を抱えた。どうやら思い当たる人がいるようだった。
「リオ。僕たち2人でと言いたいところなんですが…。カナタを連れて行かなければいけないので、3人ですね。」
「あー…既に俺含まれてるんだ、そっか。…と、たぶん4人だな、遠夜。」
リオが目を閉じたまま、残念そうに付け加える。その横では遥希が小学生の初めての参観日ばりに手を挙げてアピールしている。
「えぇ…まぁ。」
遠夜も目を閉じたまま答えた。ただ、時折ピクピクっと眉間が引きつっているのが見て取れた。
「ただ、カナトを狙ったのか偶然だったのか…どっちにせよ俺ら吸血鬼を狙ったものだよな…。イタズラにしてはちょっと手が込んでんな。」
「そうですね」
リオの放った言葉を飲み込む遠夜の声は、今日一番の沈み具合を見せた。
「狙うって…」
聞こえてくる不穏な言葉を聞いたトアの不安そうな顔を見たのか、遥希がソファを立って隣まで来てくれた。
「大丈夫、大丈夫!何かのイタズラだって!気にしないどこ?」
「はい…。」
「でもやっぱりカナトとトアを家に残していくのも心配だな」
リオのその発言に、遠夜はしばらく顔を見合わせ、うん、と頷いたのだった。
–––
各々が外出の準備を整え、屋敷を出てガレージに集合した。
「さートアっ、車乗るよっ、僕の隣ね?」
「う、うん…。」
カナトに押されるがままに、車の後部座席に乗り込んだトア。
「こ、この車動くんですか…?てっきり廃車かと…」
「すみません、普段あまり外出しないもので…。」
思っていたことを正直に伝えるトアに遠夜が苦笑いする。
「…失礼だな。ちゃんと動く。」
カナタが左に乗り込めば、
「事故ったら僕がシートベルトになってあげるからねっ?」
カナトが右に座り、ついでにトアの腰に抱き着いた。
「みんなちゃんと乗ったー?」
遥希が背中をかがめて、運転席から車内をのぞき込んだ。
「乗った」
「乗りましたぁ」
双子の返事が綺麗にかぶった。
そして空いている助手席に、意外にも遠夜が乗り込んだ。
消去法で行くと、リオか遥希が運転席に座ることになる。
そういえば車庫に来てからリオの姿を見ていない。
「そういえば、リオ君は…。」
トアが心配そうに屋敷のほうを振り返れば、ちょうど大きな鉄の門を閉める人影が目に入った。
「あ…」
そこには黒いライダースを着て、ヘルメットを着けるリオの姿があった。
「リオはバイクできます。6人は乗れないので。リオは普段仕事で乗っているんですよ。」
遠夜はリオが屋敷を閉じたことを確認すると、遥希に目で合図する。
「5人でもぎゅうぎゅうですもんねー」
わざとぎゅううっと音がしそうなほどにトアに抱き着き嬉しそうなカナト。ちなみにトアは最近、二重人格なのではと疑ってしまうほどに、カナトから手のひらを返した対応をされている。
「おい…カナト、押すな…。」
狭さにイライラしたような声を出すカナタ。
カナタは迷惑そうに壁側に追いやられ、カナトに押され気味なトアを仕方なく受け止めている。
「来ましたね。」
その瞬間。エンジンをうならせて、黒いバイクは車を追い抜かし、道の先を曲がって消えた。
「僕たちも行きましょう」
「ほーい」
「え、遥希さん、運転できるんですか?」
まさか、と一瞬にして後頭部をゾワっと嫌なものが駆け上がった。
「んー、ちゃんと免許も持ってるよ?人間用だけどね~」
ふんふん鼻歌を歌いながらエンジンをかける遥希。
「えっ…。」
遥希も車のギアを入れ、アクセルを踏んだ。
頭が真っ白になるトアをそのままに、車は車庫からゆっくりと走り出した。
−−−
車で2時間ほど走っただろうか。
トアたちの乗った車は人気の少ない海辺に到着した。
遥希の運転は想像したよりもずっと丁寧で、ハンドルを握る見慣れない大人びた横顔に、少し戸惑いを覚えた。
砂浜まで車で降りていき、適当に止めるとエンジンを切って遥希は車を降りた。
「ついたーっ!」
「あの…」
トアの蚊の鳴くような声を聴いて、助手席から振り返った遠夜が苦笑した。
「あぁ…すみません、寝ちゃったんですね。」
カナタとカナトが左右からもたれかかり絶妙なバランスを保っているせいで、トアは真ん中で背筋一つ曲げることなくこのドライブを終えてしまった。
起こされたふたりが降りた後車を降りると、背中がバキボキと嫌な音を立てた。
「いた…。」
背伸びをし、首筋を左右に伸ばし、何気なく海に目をやる。
眼前には分厚い雲がかかる空を映し、どこまでも黒く、吸い込まれそうな海が広がっていた。
寄せて返す波を見つめているだけで、ザワザワと心が落ち着かなくなってくる。
きっとそれはこの海の果てしなさを知っているから。
きっとこの波がどこへ行くのかを知り得ないから。
波の音に混じって、双子が話す声が聞こえる。
その時、その話し声に混じって、不思議な声が聞こえてきた。
「…ん…?」
思わず顔をあげて、聞こえてくる方向を探そうと辺りを見回す。
その拍子に遠夜と目が合い、不思議そうな顔をされた。
「何か、捜しものですか…?」
「い、いえ!なんでもありません!」
穏やかに問いかけられ、慌てて首を振った。
もう一度耳を澄まして声を探す。
リオが乗るバイクの音。
双子がじゃれ合う声。
波のさざめき。風の音。
それらに混じって、再びはっきりと、その声は聞こえた。
「……歌ってる…?」
「え…?」
思わず独り言がこぼれた。それを聞いていた遠夜の驚いたような声が追いかけてくる。
「…歌が聞こえるんですか?」
声だと思っていたそれは、確かに何か旋律を奏でているように聞こえた。
その不思議な音階はトアの心を揺さぶった。
言葉まではわからないけれど、少女のようなその歌声は、鈴の音のように透明で、凛としていて、それでいて豊かに表情を変える。
何かを求めている。何かを願っている。思わず聞き入ってしまう。
その時、遠くで聞こえていたバイクの音が急に近づいてきた。
「トアさん、」
「あ…」
遠夜が何か言おうと口を開いた瞬間、声はそれっきり、そこで途切れてしまった。
視線を移せば、少し離れた砂浜より高台になっている護岸に、リオがバイクを止めたのが見えた。
そのままヘルメットに手をやり脱ぐと、押さえつけられていた髪をわしゃわしゃと乱暴に乱す。
灰色の空に綺麗なシルエットが映えて、染めたのとは少し違う、紅茶のような赤茶色の髪が風にバサバサと無造作に靡いた。
一瞬胸を襲う動揺。そのリオの姿は、かっこいい、とか、キレイ、という言葉では表せない、この世には無いような儚さを纏っていた。
リオの姿をぼんやりと眺めながら、さっきの歌のことを何度も思い返す。
「…!」
しかし、その途端、リオと目が合った。
トアが見ていたことに気づいたのか、気づいていないのか、ヘルメットをバイクに置きこっちを見つめている。
トアは動揺を隠せず、目を逸らした。
隣では遠夜がすーっと深呼吸をする。
「海はやっぱり、いつ見ても不安な気持ちになります。」
穏やかに微笑みを浮かべたまま、そう呟く遠夜。
「み、水…。」
そのさらに隣にはなるべく海を見ないようにしているカナト、カナタが見える。
そこへバイクを止めたリオが歩み寄ってきた。
「待たせた。行くか…」
「はい。こっちです。」
遠夜は海岸線上に見える大きな断崖へと歩き始める。
大きな岩をひとつ回り込むと、やっと人一人が通れるくらいの小さな穴が空いている。
「まさか…」
トアの息を飲む音が、冷たい空気に反響した。
「これから…ここに入ります」
遠夜が先頭を切って、洞窟に足を踏み入れた。
「はー?ここに入るの!?暗いし寒いし、…や、やだ!怖い!」
さっそく駄々をこねはじめるカナトを置いて、一行は歩き始める。カナトだけが、歩こうとしない。
「カナト」
「…。わ、わかった!い、行くよっ!もう!」
最後にカナトが、差し出されたカナタの手に縋るように歩き出した。
「…ばーか、手なんか繋がねーよ。」
ギリギリのところで手を引っ込めてしまうカナタ。
「えっ、騙された!騙されたっ!カナのばかっ!」
泣きそうなカナトの声をBGMに、1メートル、2メートルと進むうちに、どんどん入り口から射す太陽光が減っていく。
「リオ…。」
「あぁ」
先頭を進む遠夜の声に呼応して、ライターの擦れる音がした。
かと思えば、ふわっとオレンジ色の炎が洞窟の奥のほうまで灯る。
「わぁ…」
「トアは遠夜の傍、離れるなよ。」
不思議な光景に見とれていると、リオが注意するよう促した。
「はい!」
「一番慣れてるのはあいつだからさ。俺も…その…いや、あいつの傍が一番安全だよ。」
リオがなにかを考え直し言い淀んだそのとき、目の前が開けた。
「しっ…」
遠夜の視線の先には黒くて大きな岩があった。
その岩の表面は松明の光を反射して油をぬったように怪しく光っている。
「な、なんですか、これ?」
カナトが、声に嫌悪感をたっぷりと含ませて言い放った。
洞窟も一気に天井が高くなり、宇宙のように暗いその天井には、黄色い蛍のような光がポツン、ポツンと光ったり消えたりを繰り返していた。
「…。」
遠夜が拳をぎゅっと握り、意を決したように、一歩前に足を踏み出した。
その瞬間−
シュルシュルシュルと衣擦れのような音がして、岩が一瞬にしてほどけた。
「ひっ…!」
足元に広がってくる濡れたように黒く光るとぐろに、心臓が凍り付く。
1本1本が人間の両手を回しても届かないくらいの太さで、そこから想像する頭の大きさに、恐ろしすぎて顔を上げることを躊躇った。
その間にもとぐろは黒く濡れたように蠢き、恐怖心が背中を駆け上がる。
トア達に大きな影を落とし、首をもたげたのは、見たこともないくらい大きな蛇だった。
「へ、蛇…!」
響くカナトの悲鳴のような声。
蛇だと分かったその瞬間、遥希とリオが、ダッと地面を蹴り、みんなの前に立ちふさがった。
「下がって…!」
遥希が蛇から目を離さずに叫んだ。
「遠夜、トアを!」
リオは、トアをぐいっと後ろに押すと、片手を出して後ろにいるトア達を庇うように蛇を睨みつけた。
二人とも首にかかっているロザリオに片手をかけている。
蛇の一番近くにいた遠夜は、足元に広がるとぐろを避けて後ずさり2、3歩よろめいた。
「ま、前はこんなこと…」
遠夜は混乱しているようだった。
「ゆっくり下がって…俺が話しかけてみる」
落ち着いた遥希の声がする。
その声に、硬直したトア達も顔を見合わせ頷くと蛇を刺激しないようゆっくりと下がり始めた。
独特の動きで左右に頭を振る蛇に、張り詰めた空気が続く。
「どうするリオ。…話しかけても答えない」
「…よし、遥希。俺の合図で…。…!?」
そういいかけたリオが大蛇を見上げたまま、息を飲んで言葉を切った。
真っ赤な目をしたその蛇が右へと首を大きく振った瞬間、その瞳が目の覚めるようなコバルトブルーへと変わった。
否、変わったんじゃない…-
二対の双眸が、4つの光が、暗闇の中こちらをじっと見つめている。
衣擦れの音が、どんどん近づいてくる。
後ずさるトア達の足音がドタドタと大きくなる。
「嘘だろ…」
松明の火に照らし出されたその首は、二又に裂け、ふたつの頭がこちらをギロリと睨みつけた。
「双頭の…蛇…」
遠夜が大蛇の動く振動で天井から降り注ぐ砂を手で防ぎながら、呟いた。
「双頭…?」
「あ、頭が二つあるっ!うぇぇ!カナーっ!」
「お、おい!」
もう地面に足をつけていることもできないのか、カナトがカナタの背中にしがみついた。対するカナタは動きにくくなったことに不安を覚えたのか声が焦りを増していた。
大蛇は頭を揺らしながら、こちらへと近づいてくる。
二つの頭が食らいつく準備をするかのように、弓なりにしなり、後ろへと引かれた…
「頭が、二つ…!」
その瞬間、遠夜がはっとしたように顔を上げ、叫んだ。
「キミは…!いや、キミ た ち は、あの門番じゃないですか…!?」
大蛇はその声に反応し、大きな二つの首をこちらへ向けた。
(何か御用ですか…)
その時、トアの頭の中に声が響いた。辺りには蛇の唸り声なのか、波のようなさざめきが広がっている。
「こ、声が…!」
「声?」
リオの焦った声が、トアの声を追いかける。
「…。レディに会いに来ました…遠夜が来たと、伝えてもらえればわかります」
(…遠夜……)
名前を繰り返すその声は大蛇の姿に似合わず、少女の声のように聞こえた。
大蛇は洞窟内に広げていた体をするすると引き寄せ再び岩のようにとぐろを巻いた。
その中心が淡く光り、とぐろが一瞬にして霞む。
「あの方に用があると」
「言ったのは貴方ですね」
そこには、二人の少女が身を寄せ合い、立っていた。
無表情に近いふたりの顔は、鏡に映したように瓜二つ。
暗闇と同化してしまいそうな漆黒の髪は、本当に真ん中に鏡があるのかと思うくらい、左右対称になるようアシンメトリーに切りそろえられている。
頬骨の高さで切りそろえられた横髪は、少女たちが動く度に玉暖簾のようにさらさらと規則正しく揺れた。
和服のような合わせ目があり、袖も大きく広がっている服を着ているけれど、それは着物と呼ぶには少々見慣れない様相をしていた。
「…お待ちください。」
「…お伝えいたします。」
「ふ、双子…?僕たちとおんなじ…?」
やっとカナタの背中から降りたカナトが不思議そうに呟いた。
「…。」
双子は黙ったまま、くるりと背を向け、洞窟の行き止まりの壁に向かって歩き去った。
その体が洞窟の岩に食い込むと同時に、岩の壁は消え、奥に暗い通路が見えた。
「行きましょう」
遠夜がほっとしたように呟いた。
通路を抜けると、ひと際天井が高い場所へと誘われた。
岩で囲まれた空間の内側は蛇の間よりもさらに広く明るく、岩場から突き出す輝く水晶によって染められている。
「水の匂いがするな…。」
「うん、かなりキツイ…。」
リオと、遥希は、痛そうに出ている手の甲や頬をさすっている。
洞窟の奥には王座のように大きな壇上と美しい装飾が施された椅子があり、椅子の背後からは美しい竜の彫刻がキラキラと水を吐き出し続けていた。
そのためか、周囲には水の香りが漂ってる。
そして何より目についたのは、椅子の周りをぐるりと囲むように広がる美しい泉だった。
「わっ…!」
のぞき込むと、身の毛がよだつほど深く透明で、水底にはキラキラと色とりどりの何かが光っているように見えた。
その水面が震え、ボコボコと泡があふれ出した。
あわてて、水面から離れ、後ずさる。
「トアさん、こっちに」
「はい!」
遠夜の横まで走っていく。
その瞬間水を纏った竜のような何かが水柱のように高く天井に上がった。
辺りには雨のように水滴が飛び散り、吸血鬼である4人が顔に恐怖の表情を浮かべて後ろに飛び退るのが見えた。
遠夜だけは、その何かとトアの間に壁を創るように、ほんの少しだけ腕を広げ、一歩下がっただけだった。
しかしそれは一瞬のできごとで、その何かがくるりと回転したかと思えば、美しい女性がこちらを見つめていた。
長く豊かな銀色に輝く髪は不自然なほどにまっすぐと額のところで切りそろえられている。
水を纏い、神秘的に輝く体は腰から下が鱗のようなもので覆われ、黒い竜のようにも見えた。
本来耳のあるべき場所には、宝石があしらわれた美しい半透明のヒレ。
体のあちこちにはぼんやりと光る不思議な刺青のような模様が浮かんだり消えたりしている。
人魚…彼女の姿を見た瞬間、私は存在するはずもなかったその伝説上の生き物が、目の前に居るのだとトアは確信した。
「あら~久しぶりね?遠夜?何十年ぶりかしら?」
しかしその神秘的な大きな瞳をぱちぱちと動かしながら近寄ってきた彼女の声は、想像したよりも柔らかく妖艶で、そして懐かしんでいるような響きを含んでいた。
つづく
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