第11話 本棚より愛を込めて 

迫ったはずの床は何故か優しくトアを受け止めた。


床に叩きつけられる衝撃が明らかに柔らかい。


「ひっ……!」


「…っ… 痛ってぇ…。」


トアの体をしっかりと抱きとめたリオが、床に背中を打ち付けて呻いた。


大きく上下する胸の上で、驚いて止まっていた呼吸を思い出したように再開する。


トアは、不思議なことに手にしっかりと本を握ったままだった。顔のすぐ横で、リオがいつも身に着けている血のように赤い石が嵌った重々しいロザリオが控えめに光る。


「…!」


その時、下敷きになっていたリオが目を見開き、今度は逆にトアを床に押し付けた。


体制が逆になり、天井を見上げるトアの目に飛び込んできたのは、棚から降ってくるたくさんの本だった。


落ちた拍子に外れた梯子がぶつかって 、本を追うように倒れてくる。


リオは私を床に押し付けたまま上に被さると、迫り来る衝撃に耐えるように呼吸を止めた。


瞳が全くと言っていいほど揺れていない。


焦り、恐怖、動揺。


そんな感情を微塵も感じさせない、その紅い瞳が永遠にも似た数秒に焼きついた。


「リオさん…!ま、まさか、背中で… 」


「うっ…!いって…。」


痛みにその綺麗な瞳を歪めるリオの背中に何冊も、何冊も、辞書のように重たい本が直撃した。


そして追い討ちをかけるように木製の梯子がリオの肩に当たる。


わかっていたはずだった。彼の反射神経なら、簡単に避けられたはずだった。梯子の傾きがゆっくりに感じられるほどに、リオの行動や視線の動きは全てを捉えていた。


「り、リオ…さん…ごめん…なさい…!」


「っ・・・・・大・・丈夫か・・・?」


細められた瞳が安心したように笑った。


「・・・・・は、い・・・」


呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、口が上手く動かない。溺れてしまったかのように、とにかく必死で空気を求める。


「だい、じょうぶ・・・です」


一瞬の間を置いて、リオが止めてた呼吸を再開した。


リオは腕を乱暴に動かし、重たい梯子を軽々と退かすと、トアの手を取り引っ張り起こしてくれた。


「…た、助けてくださって…ありが、とう、ございます…」


「…あぁ…。ねぇ、今気づいたんだけどさ…俺も変わってた…。」


「え?」


リオは不思議そうに本棚を見上げながらぽつり、ぽつりと続けた。


少し痛そうに肩をさすっている。


「体を盾にするのは慣れてるんだけどさ…。」


リオは一瞬、何かを考えるように、眉を顰めた。

そして諦めるように、笑って言った。


「でも前まで、こんなダサくなかった、かな。ははははっ…」


リオはたった今起こった出来事を思い返して、なぜか笑っていた。


「リオさん、怪我、してるんじゃ」


トアが乱れた髪もそのままにリオを見上げる。


「いや、あいにく身体は丈夫にできてるんで。」


リオはジャケットの皺を軽く叩いて直しながら、つぶやいた。


「落ちてきた人間を受け止めて、おまけに本が背中に当たるなんて…。今までじゃ考えられなかったなって思ってさ。なんでだろうな。」


倒れた梯子を立てかけ直し、落ちてきた本を拾おうと屈むリオとトアの目に、ちらほらと人の目が映った。


「行かないとまずいみたいだね」


気づけば音を聞きつけて、ざわざわと人が集まってきていた。


周りに人が寄ってくる前にと、リオはトアの手を取り、足早に歩きだした。


「あ、あの、本…」


カウンター通してません、と言いかけたトアに、シーっと指を唇に当てて見せるリオ。


繋いだ手に、どうしても意識が集まってしまう。


人だらけの館内をするすると進み、ガードマンの厳しい視線を難なく潜り抜け、出入り口までたどり着いた。


会話を控えるよう張り紙のあるスペースを抜け、ついに人であふれるざわつくロビーまでたどり着いた。


「あ、ね、俺のこと…。」


慣れたように手を繋ぎ、歩いていくリオが前を見たまま話しかける。


「リオって呼べば?」


「り、リオさん?」


表情ひとつ崩さないその横顔は、一体何を考えているのか、表情を読むことができない。


その瞬間、カウンターで手続きをしていない本に入り口のセンサーが反応して、ビーっと、けたたましい音が鳴り響いた。


「そうだよな…。」


リオはそれでも歩みを止めず、センサーの機械をくぐり抜け、人の波に紛れた。


ビクっと反応しておろおろしてしまうトアをよそに、リオは憂鬱そうに眉を顰めただけだった。


ガードマンが真っ直ぐこちらに向かってくる。


「ど、どうしましょう、ガードマンがこっちに…」


「盗むわけじゃないんだし…ちゃんと返す。でも今関わるのはめんどうだな…。ごめん、こっちきて。」



そう言うや否や、リオは私の腕を軽く引っ張って、壁側に誘導した。


「えっ?」


いきなり軽く壁に押しつけられ、見つめられる。


二人の体で作った死角に上手く本が数冊入った袋を隠す。


さっきまでの冷静な顔はどこへ行ったのか、無邪気な、そう、例えるならば遥希のような笑顔を浮かべている。



「じゃあこの後は映画見てー、カフェ行こうな」


「あの…はい?」


「すげー楽しみでさ、色々調べたんだ」


「リオさん…ど、どうしたんですか、やっぱり頭…打って…!」


そこまで言いかけると、突然乱暴に本を抱えていない空いているほうの手に指が絡められた。


甘い絡みつくような視線に心臓が飛び上がる。


「り、リオさん…!?」


「話、合わせて。」


その合間にも、低い声で指示される。


ガードマンはまだリオのすぐ後ろで辺りを見回している。そのうちの一人がトアの方に向かってくる。


リオは近づいてくる足音に一瞬だけ悔しそうに目を細めた。


「それとも、このまま俺の家に来てもいいんだよ…トア…?」


リオは少し低く優しい声を出すと、手を離してトアの柔らかな髪を撫でた。


「ひっ…」


近づいていた足音が止まる。


「…ま、帰さないけど。」


綺麗な長い指の間を流れる髪。


心の奥を覗き込むように深い真っ赤な瞳。


壁に向かって伸ばされた程よく逞しい腕。


刺激的なものたちに視覚を奪われ、トアの頭はパニックになる。


「ね、どうする?」


「じゃ、じゃァ、イキマス…」


「そしたら俺カフェ調べるな…!」


リオはにこっと笑うと、空いているほうの手をおもむろにポケットに手を入れてスマートフォンを探し始めた。


ごそごそしているリオの肩越しに、ちらりとガードマンと目があう。


だけど、彼は気まずそうに視線をすぐに外し、こちらを特に気に留める様子もなく、鋭い視線を他へと向けた。足音が遠ざかっていく。


「えっと…ここからだと近くは」


「…リオさん、行きましたよ」


しどろもどろになりながらも、なんとか小さな声で耳元で囁く。


「……。」


リオは壁に手を付いたまま、ふぅと浅くため息をついた。


「よし、出よ」


手をつないだまま、二人は図書館の入り口の扉を押し開け、外へ出た。


本の香りとは違う、新鮮な空気が肺に流れ込んできて、気持ちがぐんと上向きになる。


飛び出したい気持ちをなんとか抑えて、自然に見えるように歩いた。


無言で200メートルくらい歩いただろうか。


図書館の前に広がる公園の大きな木の陰までくると、リオは聞こえるくらい大きな深呼吸をして、私の方を振り返った。


目が合ったその瞬間、手を離した。


「上手く巻けたな」


木の影から図書館の入り口を覗くリオ。さっきまでの人懐っこい笑顔とのギャップが凄まじく、その冷めた目つきにぞくっと一瞬冷たいものが背中を走った。


しかし、それもこれも全ては自分のせいだったと思い返し、トアは即座に謝った。


「リオさんが人間に見つからなくてよかったです…。ごめんなさい。不注意で落ちて、迷惑をかけてしまって…。」


「いや、俺こそ…あー…ごめん。」


リオはさっきまでの出来事を思い出すように目を閉じ、その表情は徐々に後悔しているように苦々しいものへと変わった。


「…ごめん、決して、常日頃女性にああいう態度をしているわけでは…。」


「あぁいうの…って、ナンー」


「なっ…!ち、違う!」


リオは一瞬目を見開き、非常に辛そうな顔をした。


驚いて見つめていれば、余程誤解を解きたかったのか、小さな声で教えてくれた。


「…昔、ちょっと言えない仕事、してて」


「えっ…!!」


「まぁ、昔の話だし忘れて。」


リオはクールな表情を装っているものの、ナンパ師と間違われたのが相当ショックだったのか、眉間がピクピクと引きつっていた。


言えない、と言われると、余計に詮索したくなる。人に怪しまれずに任務を遂行する仕事、と想像すると自ずといくつかの仕事が頭に浮かんだ。


どうりでかわしかたがスマートだったわけだ。


「まー、俺たちは人間の街で怪しまれたり、経歴を調べられるのはまずいんだ…だから、自分でも気づいたら、つい。」


「そうだったんですね…。」


「…疑ってるよね」


「あ、いえ、納得してました!」


「え!?」


リオは冷静なその態度以上に気にしているらしく、すごい勢いで顔を上げた。


反応速度に驚きつつも言葉を続ける。


「こんな風に咄嗟に誰かを守れるなんてどうしてなんだろうって、思ってたんです…」


「いや、でも…俺のは…そんなんじゃなくて」


リオは明らかに視線を彷徨わせた。後ろ暗いこと、本当に人には言えないようなこと。気を抜けばいつも過去たちがリオを暗闇に引き摺り込もうとする。


それを祓ったのはトアの澄んだ声だった。


「いえ。リオさんのおかげで、私大怪我しなくて済んだんです。」


「トア…。」


リオは少し驚いた様にこちらを見つめたあと、表情を隠す様に俯いて、言った。


「…だから、リオって呼べば?」


「な、なんで急に。」


「いや、深い意味は…。でも、まぁ遠夜と遥希はちょっと年上っぽいし、カナトとカナタはちょっと年下っぽいけど、俺ら絶対見た目年一緒くらいだって。多分俺がこうなったときと同じくらいの年じゃないかなーって…」


こうなったとき。

トアは美しく輝く赤い瞳を見つめながら、その言葉を頭の中で反芻した。

その言葉が正しければ、リオは生まれた時から吸血鬼だったわけではないという意味になる。


「……!い、いや、ただなんとなく思っただけだよ。帰ろーぜ。」


リオは言ってはいけなかったことを口にしてしまったように慌てて話題を変えると、足早に歩いて行ってしまう。


歩きだしたその後ろ姿を見て、トアは思い出したように叫んだ。


「あ…!!病院!!」


あわててリオの行く手をふさぐ。


「俺、そんな体弱くないんだな、あいにく。」


へらっと笑うと無視して歩いて行ってしまうリオの腕を掴む。


「いや、でもほら、痣になってたら…!」


「は?だから大丈夫だって!行くよ?なんのためにガードマンかわしたと思ってんだよ…」


「ほ、本持ちますから!」


ムキになって食い下がるトアをリオは適当にあしらう。


「ゼッテー無理。ていうか、俺が持てるからこんなにたくさん借りたんじゃないの?」


「い、いえ…、何にも考えてませんでした…。」


「ぷははは、最悪。」


笑ってどんどん歩いていってしまう。


「……あれ、本当にトアが、落ちたの…?」


リオは確かにそう強調した。探るような視線が刺さる。


「そ、れは…。」


あの瞬間を思い返す。本に触れた瞬間、身体に走った衝撃。遠夜に触れた瞬間と同じように、それは鮮明に思い出せるようなものだった。


不注意、そう一言で片付けるには確かに不可思議な出来事だったように思う。


「ま、なんでもいいよ…怪我ないなら。本当によく事件起こすよな、お前は。」


言葉を探していると、気まずいと感じたのかリオが話を切ってしまった。


「…本当にごめんなさい。怪我診せて下さい。荷物持たせてください。」


「怪我なんかしてねーよ、俺たちの身体は丈夫にできてんの。」


トアが荷物に手を伸ばすと、リオはひょいっと音がしそうなほど軽々と、反対の手に持ち替えてしまう。


「診せてください…!」


「やだよ。」


「リオくん!だから…!」


半分叫び声のようなトアの声がリオの名を呼ぶ。


「…ん?」


今までなかった違和感にリオは振り返った。


「…急には無理みたいです。」


笑ってごまかすトアにリオは呆れたように、でも優しく笑った。


「ま、仕方ないか。いいよ、それでも。」



−−−


それからトアとリオは頼まれていたゲームを買って、ついでにコントローラーも買って、屋敷に帰った。


帰宅してもなお、リオの怪我のことが気がかりで、トアはその背中を追いかけまわす。


「ちょ、やっぱりさすがにあれは痛いですよ!まくって診せてください!シップありますから…!」


「や、やだよ!なんで俺が脱がなきゃいけないんだよ!」


乙女のように両腕を胸の前でクロスさせ、後ずさるリオ。


「脱げなんて誰も言ってません。捲ればダイジョウブです。カナタくん!そっちの腕捕まえてくださいっ!」


「まかせろ!」


カナタが間髪入れずにリオの腕に向かって美しく飛んだ。


「や、やめろ!来るな!シップ臭いからやなんだよ!その大丈夫の言い方全然大丈夫じゃ–」


「なんでもいいから診せてください!」


「もとはと言えば、お前が!ひぃー!」



それからしばらくリオはトアを見つけると、逃げ回るようになったのは言うまでもない。



「今度はトアさんが積極的です」


ははは、と笑うのんきな遠夜。


「こ、怖い…怖すぎる…。あー人間甘く見てたよ僕…。」


カナトは眉間にしわを寄せてその光景を見守ってる。


「あ、遠夜さん!これ見てぞんびのゲームじゃない!?」


と思えば、袋を漁ってゲームを発見したらしく、嬉しそうに遠夜のところに走っていった。


「あ、ほんとですね…やりましょうか、遥希もやりましょう?」


「あ、うん!リオのほうも面白そうだし、先に俺脱がすの手伝ってくるね~!セットしといて~!」


「なんです、釣れませんね。…。カナト、相手してください。」


「遠夜さぁん、ゲームはまっちゃったんですか?んふふ、やりましょっ。僕は奏ちゃんのハダカなんて興味ないですし~、ずぅーっと、ふたりで引きこもってましょうね~♪」



遠夜の腕に抱き着く、カナトの幸せそうな声が屋敷に響いた。





つづく


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