第7話 新しい靴を君に
「はい、じゃあここ座って。」
靴屋に到着すると、遥希はさっそく何やら靴を物色し始めた。
「遥希さん、歩ければなんでもいいですよ…そんなに探さなくっても…」
「いーのいーの!俺が選びたいの!トアは待ってて!」
目の前にどんどん並べられていく、色とりどりのヒールやスニーカー、ローファー。
真っ赤で大きなリボンがついたど派手な靴もあれば、黒い革のタッセルがついたクラシックなデザインのものまである。
「彼女さんですか?」
遥希がにこにこした人の良さそうな店員さんに話しかけられている。
そう見えているのだったらまだ、ましか。大型犬の散歩に見えていなくてよかった。
「あ、いや、うちのメイドなんです!」
「(はるきさぁぁぁぁぁぁん!!!!!!)」
少し離れた席で硬直していると、店員がものすごい顔でちらっとこちらを盗み見た。もう微笑み返すしかない。
トアは家で一瞬でももっさり犬でかわいいなぁなどと呑気に思った自分を恨んだ。
−遥希さん、知ってました?最近の家にメイドなんかいないんですよ…
トアの魂の抜けた呟きは、空へと昇っていく。
思い返せば、お姫様抱っこでこのお店に入った時点でもう立派な不審者だった。
あぁ走って帰りたい、もし健康な足があるなら、今すぐにでも走って!
トアが頭の中で大暴走をしている途中、気づかないうちに別の店員に話しかけられていたらしい。
「仲良しですね。あちらの方は彼氏さんですか?とっても優しくて素敵です」
「いえ、ペットです。」
間髪入れず、棚を物色する遥希を見つめたまま答える。
「ぺ…?」
「あ!いいいいえ!ぺ、ペットの犬をすごくかわいがっている、兄です。」
「あ、そうなんです、ね」
「そうなんです、あはは。」
「は、はは。」
ぎこちない笑顔の応酬を繰り返していると、遥希が今日一番の笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。
「トア!ぴったりなのみつけたよ!履いてみて?」
「か、かわいい…」
遥希さんがニコニコしながら差し出したのは、淡い水色のベルベット素材の控えめな高さのヒールの靴だった。足首を留めるバンドには品の良いビジューが並び、普段だったらかわいいとは思っても、買えないようなとても上品なデザインだった。
「まず左足から」
「ちょ、ちょっと、さすがに自分で履けますよ…!」
足に伸ばされた遥希の腕を慌てて押し返せば、遥希は、しーっと、指を唇にあてて耳打ちした。
「痛いの、こっちの足でしょ?こっちだけ履かせてあげる」
掠れた声で囁かれ、また耳に色がついてしまう。
遥希はトアが黙ったのを確認してにこ、と微笑むと、両手でそっと左足を包み込んだ。
履いていた靴をゆっくりと脱がせ、少し腫れた足首に手を触れる。
遥希の冷たい手が、熱を持った肌に心地よかった。
気づけば右の靴も履き替えさせられていた。
「はい、完成。痛くない靴選んだから、立ってみて?」
「ヒールだし、立てるでしょうか…。」
「うん、つかまって」
下からどこかの国の王子のように手を差し出す遥希に、口パクでやめてくださいと訴えるも、頭にはてなを浮かべて嬉しそうに手をさらに差し出したので、無駄な努力だと悟った。
差し出された手をとって恐る恐る立ち上がると、
「ほんとだ…あれ、痛くない…ような…でも、どうして…」
さっきまでの足首の痛みは不思議と感じられなった。
「かっわいい!すっごく似合うよ!?ね?この靴にしよう?」
「とても似合いますし、サイズもぴったりですね!」
遥希は店員と顔を見合わせてうんうん、と頷いている。
「本当に優しいお兄さんですね!仲が良いご兄妹で羨ましいです。」
店員が手早く靴のタグを切りながらそうつづけた。
「え…?」
遥希が目を見開いて、こちらを振り返る。
ショックを受けたような表情にも見えなくもないが、そもそもどういう心境でメイドと二人この店に買い物に来たのか、トアにはまるで検討がつかなかった。
「そ、そんなことないですよ、家ではよくケンカもします!」
「あはは、それではお会計は…」
遥希は財布から枢木家秘密のクレジットカードを取り出すと、靴を購入した。
「こんなかわいい靴…ありがとうございます!」
「いや、もとはといえば俺が壊しちゃったからさ」
新しい靴を履き、店を出て2、3歩行くと、遥希が立ち止まって振り返った。
「トア、俺…。」
「ん…?」
トアが不思議に思い遥希を見上げれば、遥希は泣きそうな顔でつづけた。
「…っいや。腹減った。やっばい。」
くしゃと綻ぶ笑顔に隠れた寂しさは、トアに悟られることはない。
「あはは、私もです!近くに美味しいカフェがあるので行きましょう!」
「よーしよしよし!よくいったー!」
わしゃわしゃと頭を撫でられ、せっかく編み込んだ頭からアホ毛が飛び出してぱやぱやになってしまった。
「そこなに食えんの?早くいこ!」
「遥希さん!またヒール折れます!!手は繋がなくて大丈夫ですって!」
遥希はまたトアの手を取ると歩き出した。
−−−
事のトドメは2人で入ったカフェで起こった。
パスタやケーキを頼んだ後、他愛もない話しをしていたら、ウェイターがワイングラスに入ったお水を持って歩いてくる。
「トアの働いてるカフェって何がうまいのー?」
「えーっと、おすすめはオムライスですよ」
笑顔で会話を続けながらも、ついウェイターの行動を目で追ってしまうトア。嫌な予感が胸を過ぎった。
華奢な女性の店員が細いヒールで、気持ち心細そうにグラグラしながらこちらに歩いてくる。
−あぁ、この席に来る…
最近散々水には気をつけて生活しているせいで無意識に反応してしまう。トアは心の中で祈った。
「おまたせいたしました」
−ウェイターさん、絶対無事にお水置いてくださいお願いしま–
―ガチャ!
「あっ!」
トアの嫌な予感は不幸なことに、的中してしまった。
細いグラスが不安定に揺れ、トレーの上で倒れた。
グラスはトレーの上で跳ね、遥希の胸に向かってスローモーションで水が飛び散る。
「だめっ…!遥希さん!」
「え……?」
ワイングラスを始終目で追い、倒れる想像までしてしまっていたからだろう。体が勝手に動いてしまった。トアは気づけば身を挺して、全ての水を浴びることに成功してしまっていた。
「え…トア…?」
「つ、めたい…」
トアは文字通り、氷水を浴びせられ、我に帰った。
「お、お客様!申し訳ございません!!」
泣きそうな顔で謝る店員。しかし、自分の顔にはっきり驚きと冷やかしが表れてしまっていることに気づいていない。
「…うそ…」
椅子に座ったまま動けなかった遥希が、呆然とした顔でこっちを見上げている。瞬間、みるみるうちにそのエメラルドは潤い、揺れ始める。
「ありがとう…!お、俺さ、こんな風にされたの…久しぶりで…。すっげー嬉しいっ…嬉しい…」
「え?えっ、ちょ、ちょっと遥希さん…!何でっ」
ついに感極まって目にたくさん涙を浮かべてしまった遥希。モデルのような成人男子がカフェで目をうるうるさせて、代わりに水をかぶったトアを見上げている。
−まずい。この状況は、かなりまずい。
「す、すみません!お会計してください!この人、の、飲みすぎちゃったかな…あ、はは」
作り笑いを顔に張り付けながら、荷物と上着をできるだけ手早くまとめて席を立つ。ノンアルコールを頼んでおいてそんなことあるかと、自分自身にツッコミを入れつつ、もうそうでも言わなければこの状況は説明できない。
「トア、どこいくの…?」
「ほ、ほら、約束の時間、過ぎちゃってるしね?帰ろう?ねっ?」
「でもまだ、おれの、ぱすたがっ…」
「お家で作ってあげますから、ね?」
まだ涙声の遥希をなんとか立ち上がらせつつ、ことの事態に駆け寄ってきた店員の相手をする。
「あの、お客様、もしよろしければお詫びに、パフェを…」
「あっ、だ、大丈夫です!ほんとに!また来た時に頼みますね!」
「で、では、次回お会計はいただきませんので、また、いらしてくださいね」
「えっ、いいんですか…?ありがとうございます!」
一刻も早くお店を出たくて、その申し出はふたつ返事で受けることにした。
「わぁあー!もー腹減ったー…ぐすっ」
「遥希さんはい!ジャケット着て!」
まだべそべそしている遥希に椅子にかかっていたジャケットを乱暴に渡す。
「今回はこちらの不手際で、大変ご迷惑をおかけいたしました!」
尚も深々と頭を下げるこの店の店長と思われる男性。手には大量のタオルを持っている。
「いえ!遥希さんにかからなかったので全然大丈夫です!」
タオルを受け取り適当に水を拭きながらトアは言葉を返したが、そう答えた瞬間その場に崩れ落ちたくなる衝動に駆られる。
「え…?」
「あっ、いや、その…私は乾くので…」
その言葉を聞くや否や、すまなそうな顔をしていたさっきのウェイターがぼっと音がしそうな勢いで顔を赤らめた。
トアの顔は言わずもがな、その倍以上に赤くなっていた。
「またいらしてくださいね!」
やけにしつこい店長を振り払い、遥希を入り口に向かって引っ張る。
泣きながら抱き着こうとしてくる遥希をよしよしと抑えながら、真っ赤な顔のトアは、そそくさとカフェを後にしたのだった。
−−−
結局トアはくたくたに、さらにびしょびしょになって帰宅した。
「おっ帰りー。」
カナトが物凄く楽しそうに顔を出した時には、やはり軽く殺意を覚えた。
「それでね?トアが『遥希さんっ!』て叫んで、かばってくれたんだよ!」
まだ元気が有り余ってる遥希は、さっきからハイテンションで演技を続けている。ちなみについ先程パスタを平らげたばかりだった。
「そんな人間いるわけないだろ…。」
その言葉の直後、トアの心外だ、という不満満載の視線を受けて慌ててリオは目を逸らした。
「勝手に盛ってるんじゃ…」
「ほんとだってぇ~!マジかっこよかった…やばいな~。これはくるわ…」
「あっそ、勝手に言ってろ。トアさん、買い出しありがとう。」
「い、いえ、これくらい…。」
ソファでぐったりしてるトアのところに、パタパタとカナタが駆け寄ってくる。
「トア、お土産。」
くれ、と言わんばかりに手を差し出してる。
「あ、はい、カナタ君の好きなさくらんぼ。」
「ふん…。」
鼻で笑って、去っていった。しかし、しっかりサクランボのパックは持って行った。あれは嬉しいという意味なのだと、トアは最近知った。
そうこうしているうちに、遠夜が近づいてきて、ドライヤーを当ててくれた。冷えた体に温風が心地好い。
「あ…遠夜さん…」
「乾かしますね?」
振り返ろうとすると、正面に腰かけていたリオが優しく首を振った。
「ありがとうございます…」
リビングに不釣り合いなドライヤーの音だけが響く。
「なんか僕、とりまーみたいじゃないですか…?」
穏やかな昼下がり。
遠夜の綺麗な声がドライヤーの音に重なった。
「へぇトリマーなんて言葉知ってるんだ、遠夜。」
面白そうに笑いながら、淹れたてのコーヒーが入ったマグカップに口をつけるリオ。
「まかせてください」
遠夜は、なぜか、右手でドライヤーを持ち、左手はぴったり体の横につけて立っている。
「遠夜…やっぱトアには使えないんだ…?」
それに気づいたらしいリオの一言に珍しくビクッと肩を竦めた遠夜。
「い、いぇ、…僕、」
「わかりやすいですよ…遠夜さぁん…。」
長いソファーでクッションを抱えてゴロゴロしているカナトの少し同情が籠った呆れ声がする。
ふふふ、と誤魔化すように遠夜が笑う。
後からわかったことだったのだが、このピンと伸ばされた左手には意味があった。遠夜には大きな秘密があったのだ。
つづく
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