第4話 深紅の輝き

リビングに戻ると、アンティークの可愛らしいティーセットに紅茶が用意されその横に、大粒のイチゴが乗ったショートケーキが置いてあった。


頭が痛むことはまだ口に出さず、トアは大人しく席に座った。


「おいしいです…!」


「それはよかった。」


ケーキを頬張るトアを見て、遠夜は安心したようにふ、と息をついた。


「あ、すみません、私ばっかり…。みなさんは食べないんですか?」


「私たちは普段あまり甘いものは食べないんです。」


遠夜が、気にしないで、と言うように左手でどうぞ、とお皿を差し出した。そんなことをされたところで、残り7ピースはあるであろうケーキを食べ切れるわけもないのだけれど。


「ところで〜」


ソファの背もたれに浅く腰掛けたカナトの声が続く


「僕たち…何…食べると思う?」


下を向いて表情の見えないカナトの声にトアが違和感を覚えたのはその時だった。


その言葉に嫌な緊張感が部屋を走り抜けた。


カナタに初めて会った時に感じた違和感は今でもはっきり覚えていた。それが今急に色濃くフラッシュバックし始める。

急に焦りにも似た感情が湧き起こる。

いつもと同じ日常から、少し違う道に踏み込んだ。たったそれだけだったのに。

明らかにいつもと違う空気に触れて、心のどこかで新しく動き出した未来に、希望を抱いてしまっていた。


それは恐怖にも似た感覚で。逃げたいという気持ちと隣り合わせだったというのに。


カナタとカナトのあの動きが、遠夜が触れた瞬間、あっという間に乾いた服が…


遥希が口走った変な言葉が。走馬灯のようにトアの脳裏をよぎった。


―ガチャン!


トアの手から銀のフォークが落ちて甲高い音をたてる。


「トアさん、どうかしたんですか…?」


遠夜もどこか遠く冷たい目をして問いかける。


−部屋が、寒い。


トアは思わずブルっと身震いした。


「ほらお前も食べる?イチゴ。」


そう言って真っ赤な苺を兎の口元に持っていく遥希。

潰れた苺から真っ赤な汁が滴り、白い陶器のような腕を伝っていく。

その毒々しさに思わず目を背けたくなる。


トアの心拍数は上昇し、こめかみの痛みは増していく。


心臓の拍動にあわせて、視界が一定のリズムでぼやけはじめた。


「あ、あの私、そろそろ帰りま…」


立ち上がって横を向いたトアの目の前には、予想していたかのようにカナタがいた。


「…どこ行くんだよ。」


出会った時と変わらないカナタの鋭い目が、怖い。


そしてトアは、その瞳を見つめた瞬間、悟った。


それはあの運命の瞬間を思い起こさせるには十分だった。


簡単なことだった。美しく光を湛えるアメジストの瞳。


それはどの人間とも違う神秘的な輝きを秘めていた。


「バカな人間…なーんにも知らずのこのこやってきて…ふふふっ、くくっ」


カナトが甘ったるい猫撫で声で呟く声が聞こえる。


蔑むような視線が突き刺さる。


「あっ……っ…あなた、たち、…何者…なんで、すか…。」


呼吸が速くなって声が上ずる。ゆっくり息をしようと言い聞かせるもそれは叶わず、冷たい汗が額を濡らした。頭のなかが焼き切れそうに、回っている。


トアはついにその場に手をつき、崩れ落ちた。



−−−



「…っ、…」


目を開けると、高い天井が見えた。

天井には綺麗な女の人や天使が描かれている。

一瞬、自分の家のように慕っていた教会の壁に描かれた絵を思い出す。

意識を自身の体に戻せば、どうやら知らないベッドで寝かされているようだった。


トアが体を動かすと、左の手首がズキンと痛んだ。動かそうとすると、腫れているのか、思うように動かすことができなかった。毛布の下から腕をひっぱりだしてみると、そこにはキレイに包帯が巻かれていた。


何か忘れているようで、ふと横を見ると


「わっ!」


目の前でベッドに顎を乗せてつまらなさそうにこっちを見てる少年が一人。


「カナタ君…。」


「あ、起きた。」


天蓋付きで、人が3人くらい大の字で寝られそうな大きなベッドの上。


飼い主を待ってた子犬みたいにカナタがぱっと目を輝かせた。


続け様に、いい?と首を傾げ、カーテンを開けて遥希が入ってきた。


「カナトが怖い思いさせてごめんね。大丈夫?」


「えっと、遥希さん…ですよね」


「うん。えっと、トアちゃんだっけ、大丈夫?その、具合悪いの気づかなくてごめんね。」


へへっと笑った、その手にはまた2匹うさぎを抱いてる。服は毛皮ではなく、普通のシャツに戻っていた。


「こっちがラピスでこっちがラズリ。トアがわかるように、リボンつけたよ。よろしくぅ!よろしくぅ!」


ラピスとラズリの代わりに、2匹の手を持って、遥希が挨拶をした。


「ふふっ。よろしく。」


無表情のまま、腕を遥希に操られた兎が可愛くて、トアはこらえきれずにクスクスと笑った。


「トアさん、具合が悪かったんですね。水を被ったからでしょう…すみません、配慮が足りませんでした。」


遠夜が少し遅れてカーテンをちらっとめくって顔を出した。


「い、いえ、自分でも気づかなくって、ご迷惑をおかけしました。」


慌てて佇まいを直して、起き上がる。頭を動かすとまだズキズキとこめかみが痛んだ。


「ほんと、人の家に来てすぐぶっ倒れて、か弱いふり?そういうのは人間のお家芸だもんね。」


カナトが部屋にある椅子に腰掛け鏡越しにこちらを見つめ、きつい言葉を投げてくる。


「カナト、いい加減にしろ。」


カナタがたしなめるも、カナトはプイッとそっぽを向いてしまった。


「あぁー遠夜!俺やっぱりもっとトア観察したい…!お願い!」


遥希が遠夜に絡みに行く。


「だめですよ…。」


遠夜は揺さぶられながら、遥希と視線を合わせないように斜め上に視線をさまよわせた。


そのとき、ついに、決定的なことをカナトが口にした。


「別にいいじゃん人間の一人や二人くらい。どーせすぐ死んじゃうんだし。」


「え…。」


みぞおちがスッとしたに下がるような気持ち悪さを覚え、腕には鳥肌が立った。


−スグシンジャウンダシ


カナトの無邪気な声が、何度も頭に響く。


「カナト!」


その時、間髪を入れずにカナタの声怒鳴り声が響いた。


遥希は視線を彷徨わせ、俯く。


「あっ、カナが怒った…。ひどい、ほんとのことなのにっ…だいたい、この人間のなにがいいの!?」


カナトはどことなく潤んだ目でトアを睨むと、扉を乱暴に開け、出て行った。


「…あの、ご迷惑をおかけしました…私、そろそろ」


重たい頭を持ち上げて、平気なふりをした。


この気まずすぎる空気を、一刻も早く抜け出したい。


その一心で、ベッドから抜け出そうと毛布を押しのける。


「だめだ。トアは具合悪いだろ。」


しかし、せっかく苦労して起こした頭を、カナタ君に無情にも押し戻された。


「この部屋使っていいよね?遠夜?」


遥希は遠夜の両肩に手を置き、圧力をかけている。


「どうしてそんなにこの子に執着するんです…だめなんですよ…。トアさん、今日は怖い思いをさせてばかりで本当にすみません…。私が必ず無事にお家にお返しすると約束します…。」


遠夜は諦めたようにとぼとぼと部屋を後にした。


「本当にごめんなさい…。風邪かな…頭が痛くて…」


「水、被ったからな…。トアはここにいればいい。」


「でもっ…」


トアが言いかけて、顔を上げると


「ずっと…」


「ずっと?」


カナタはその綺麗なアメジストを揺らしながら、悲しみを堪えた顔をしていた。


「ずっと、ここにいてもいい…」


ぎゅと服の端を掴むその仕草に、心が締め付けられるように痛んだ。


神秘的に笑ったカナタを思い出す。カナタは笑っていた方がいい、とトアは唐突に思うのだった。


「さ、カナタ行こ?」


 遥希に連れられてカナタはしぶしぶ歩き出した。


「トアが寝るまでいる…。」


「いやいや、それは無理でしょ…。」


「…。いいだろ。」


「よくないって。」


「なんでだよ。」


「まぁまぁ…、」


遥希に背中を押され、扉に向かっていく。


「ラピスとラズリはここにいてもいいよっ。あ、鍵は閉めておくからね、あ…意味ないか」


遠ざかっていくそんな会話に耳を傾けながらもトアは意識を手放した。





−−−


再び目を開けると、またあの天井の天使がこちらに微笑みかけていた。


「…はぁ…」


重すぎる体に、我ながら情けないなとため息をつく。


「ん……ん!?」


しかし、自分の体のあまりの動かなさを疑問に思い、首を持ち上げてみて、トアはパニックに陥った。


厚手のブランケットの上から、誰かが腕を被せるように、俯せに寝ている。


その体格からしてみるに、それは男性だった。


体の重みが、知らない男性の腕の重みだと気づき、またその男性の上半身が裸であると気づき、心臓がどきりと大きく脈打つ。


「っ、誰…ですか…?」


顔が見えず誰なのかもわからず、トアはその人影に恐る恐る声をかけた。


「…夢か…よかった…。…俺…。」


 こっちを向かず、何かをうわごとのように言う声が聞こえる。


残念ながら今日聞いた他の誰の声とも違う声だった。


「ちょ、ちょっとこれ、まずい…かもしれません…」


「…っ………」


その瞬間、すーっと深く息を吸う音とともに、不意に、寝返りを打ったその人。


柔らかく閉じられた目には長い睫毛。綺麗な形の唇。

真っ直ぐ通った鼻筋に整った輪郭。

寝癖だらけの、柔らかそうな紅茶色の髪が、顔に無造作にかかっている。


私の声がうるさいのか、何かの傷が痛むかのように自身の動きに合わせて、ピクッと眉間にシワが寄る。


その赤髪の青年はトアを腕の中に包んだまま、再び眠りだした。今度は顔がこちらを向いたままで、近すぎる距離に、トアの心臓が硬直した。


「と、とりあえずどいてくださいっ!今譲りますから!」


「痛っ…つー、動くなよ…」


ぐいっと肩を押して離れようと試みるも、その瞬間鬱陶しそうに手首を捕まえられ、動くなと言わんばかりに抱きすくめられた。


どうやらやはりどこかの傷が痛むようで、うずくまっているようだった。


視線を落とせば、ほとんどが塞がっているようだけれど上半身だけでもいくつも傷があった。


しかしそれに反するように当の本人は穏やかな顔をしてすぅすぅと寝息を立てている。


「ぁ…の」


上手く喋れない。もとから話すのは上手くはないけれど、それ以上に言葉に詰まる。


限界まで近づいた鼻先で、ピクリとその長いまつ毛が揺れた。


その先に見えた血のように濃いルビーの瞳は、自分でも何をしてるかわからないというような目をしてこっちを見ていた。


「っ…」


掠れた声がして、シーツの隙間から覗く、くしゃくしゃの前髪が揺れる。


瞳には動揺…よりも強く、なにかを探すような表情が浮かんでいる。


「………」


ゆっくりゆっくり、覗き込むように赤毛の青年の顔が傾いて。


磁石に引き寄せられるように、トアは動けず、瞼はどんどん重くなった。


しかしその唇は、触れる前にスッと下へと下がる。


首筋にキスを落とされる。指を絡められる。


気づけば握られた指が、痛むほどに、力が籠っている−


ふーふーと、獣のような息遣いが首筋にかかる。


抵抗しなければと頭ではわかっていても、トアの全身には甘い衝動が走る。


しかし、鋭い何かが、自分の頸動脈に当たった瞬間に、


ドクリと命の危険を知らせる震えが心臓を打った。


冷水を浴びせられたようにトアは我に返って叫ぶ。


「…っ…、ま、まって…!に、んげんです!…にん…げん!」


「に、んげん…。」


「そうです、人間!」


その言葉をだんだんと理解したのか、


ゆっくり気怠そうに、その人は上半身を持ち上げた


炎の輝きのような深紅の瞳が


まっすぐ、ぴたりと、合わせられた。


くりっとしたアーモンド型の大きな瞳。


端正な顔立ちや細い腰周りからは色気が溢れ出て、目に毒だ。


傷跡だらけの肌に、赤い石のはまったロザリオがかかっているのが見える。


その人は目を細めて、顔にかかった髪を邪魔そうにかき上げた。


肉食獣のようなその鋭い妖艶な視線に、一気に心臓が飛び跳ねる。


しかし、トアのその心配は跡形もなく吹き飛んだー


「……わぁぁぁっぁぁぁ!」


お屋敷に絶叫が轟いた。












 つづく

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