第3話 エメラルドの憂鬱
入り口は重たい鉄の装飾が施された扉で固く閉ざされていた。
手入れされていない枯れ草が生えた庭園を横切り、進んでいく。
ついに、辿り着いた屋敷の目の前、遠夜が重厚感のある屋敷のドアを押し開けた。
「どうぞ。」
「家…ですか…これ」
外観からは到底、人が住んでいるとは、思えなかった。
立派すぎる作りは歴史的建造物か何かを思わせ、そしてその古さが廃墟じみた風貌を漂わせている。
「…はぁ。」
リビングに通されると、先に入っていたカナトが疲れたようにソファに倒れ込み、クッションを抱いていた。
「これ、お屋敷っていうんじゃ…」
「まぁ…そうですね」
問いかけられた上の空の言葉に、遠夜は困ったように返事をした。
カナトとは対照的に、トアの傍を離れようとしないカナタ。
ぴたりとくっつき、その他を油断なく睨みつけている。
混乱する頭をなんとか整理する。トアは自分が町で出会った男の子に連れられて町はずれの森の中に立っている古びた洋館にやってきたということを再認識した。
足を踏み入れてみれば、内装はリノベーションしたとしか思えない綺麗さで、モダンな家具などが並び、広い空間を生かしてある想像以上に居心地の良さそうな豪邸だった。
「うわ~ほんとについてきたよこいつ。カナ~もういいでしょ~早くどっかやってよ~もう僕飽きた~」
「カナト、少し黙ってて」
驚いてキョロキョロするトアを面白くなさそうに観察しているカナト。それを制するカナタ。カナトに明らかに嫌悪感を漂わせられている気まずさも手伝って、トアは屋敷のあちこちを見て回ることにした。
「俺もついていく」
「カナはだめ!僕といるの!あんなやつ放っておいて!」
「…トア、気を付けて。廊下はいいけど部屋は入るな」
一緒に部屋を出ようとし、すかさず絡むカナトに対処仕切れなかったらしい、カナタの声が後ろから飛んでくる。
「わかりました」
トアは、恐る恐る廊下に出て、3人がいるリビングを後にした。
扉を閉める前に、話し声が聞こえた。
「カナタ、ロザリオはどうしたんですか?」
遠夜が少し困ったような声で問いかけている。
「…。なくした。」
「では、新しいの頼まなきゃいけませんね。」
「…。しばらくはこれでいい。」
「それは…?」
これ、と言ってカナタが差し出した手にはトアの持ち物だった千切れたロザリオ。
ツヤの消されたチェーンに、木でできたビーズが通され、重々しい荘厳な装飾が施された、決して可愛いとは言えないそのロザリオは遠くからであってもトアが見間違えるはずもなかった。
確かにカナタは、あの時迷いもせずにトアの胸にかかるロザリオに手を伸ばした。
一体なぜ、と急速に思考が引き戻される。
「はい、ごゆっくり~戻ってこなくてもいいですよ〜」
トアの視線に気づいたカナトが余計な詮索はするなと言わんばかりに、わざとらしく微笑んだ。
トアは直視できなくなり、慌てて扉を閉める。
どうやら、カナトには相当に嫌われているらしかった。
聞いてはいけない話を聞いてしまったと反省しながらトアはとりあえず廊下を出て、落ち着こうと深呼吸して視線を落とした。
足元でなにかふわふわしたものが動いている。
「兎…?」
あたりを見回したが、特に誰も見当たらない。
不自然に1匹だけいたその兎をそっと抱き上げる。
白兎は大人しく腕のなかに収まった。
「ふふっ…可愛い、どこからきたの…?」
何故かお屋敷の中にいたその兎を撫でていると、近くの部屋からどたんばたんと物音がして、声が聞こえてきた。
「あぁ…!だめだったら!こらっ!あっ!かじらないでっ!痛いっ!」
「他にも誰かいるのかな…?」
深い意味もなく兎に話し掛けながら扉の近くに行ってみる。
すると突然ぱっとドアが開いて、中から背の高い男が顔を覗かせた。
「うわっ!誰…!?」
驚き目を丸くする男性の顔には、ゆるくウェーブした長めの栗色の髪が少しかかっている。
「あっ!すみません!私トアっていいます。あの、さっき町でカナタくんと偶然知り合って…!」
一歩近づく気配を感じて目をあげてみると、白いふわふわの毛皮のガウンを羽織ったはだしの男性がびっくりしたようにこちらを見つめながら近づいてきていた。
吸い込まれるように深く透き通るダークグリーンの瞳が、宝石みたいだと、トアは思った。
−そういえばカナタ君も綺麗な目をしていたっけ
ふと重なるアメジストの輝きを思い出していたトアは、その男性はトアと同じく手に白兎を抱いていることに気づいた。
「君…」
「うわぁ!」
いきなり顔を近づけられた。あまりの唐突さにトアは驚き後ろに飛び退り、拍子に兎が逃げ出してしまった。心臓の拍動がぐんと強くなる。
そういえば、頭が妙にぼーっとする。トアのこめかみはズキズキと心臓の拍動に合わせて痛み出した。
「君、いい匂い…するね」
変なことを言わないでください…。そう返そうとした瞬間だった。あろうことか、その人はトアを引き寄せ優しく、抱きしめた。
毛皮のなかにすっぽりと埋まる形になったトアは、ふわふわな動物に抱きしめられている不思議な心地でその腕の主を見上げた。
顔を横にむけると腕の中に兎もいた。
今にも消えそうな声で呟く彼は、兎とトアを撫でながら顔を埋めている。
「やっぱり生き物って、食べちゃいたいくらい可愛い…。生きてるんだね。俺…やっぱ大好き…。久しぶりだなあ…。」
「んん…?」
目を閉じ、掠れる声で呟く彼。声は次第に震え、不安定になっていく…。
毛皮の中には驚くことに何も着ていないようで、逞しい胸板に押し付けられ、震える肌越しに寂しさが伝わってくる。
「あ、あの…」
「遥希…!」
事情を説明しようと口を開いたそのとき、広間の方から冷たい遠夜の声がした。
「っ…え?」
冷水を浴びせられたように顔を上げた
「ハル兄っ、それ以上近づくなっ!」
「大丈夫ですよ…!カナタ落ち着いて…」
カナタが廊下の先の方で遠夜に腕を掴まれ止められながら、じたばたしているのが見えた。
「あー、惜しかったなー」
カナトがクスクス笑いながらドアにもたれかかってこっちを見ている。
「あ……ご、ごめん、ごめんねっ?」
「…っあの、離していただけませんか…」
抱きしめられたまま、自由に動けず硬直しているトアをほうって話はつづく。
「あ、遠夜、この人間どしたの…?記憶は?」
「きおくって…!」
毛皮のせいで上手く話せないトアの叫びはもはや誰に届くこともなく、
虚しく廊下に響くだけだった。
「遥希…今お客様が来ているんです。よかったら顔を出してください」
遠夜は遥希を一瞥するととぼとぼと部屋に戻っていった。
この家に来て出会った4人目の人間も、またトアのことを人間と呼び、記憶という単語を口にした。違和感を拭えきれず、俯いていると
「トア、こっちきて。」
カナタがリビングの扉の前で手招きした。
「あ、はい。あの、失礼します。」
「…うん…。またね…」
遥希の腕を離れ、廊下を小走りに戻るトア。
最後に見上げた優しいグリーンはどこまでも不安げで。
隠しきれない寂しさを湛えていたことが気がかりだった。
「よかった、無事で。もう俺の側から離れるな。」
「う、うん。」
カナタが扉の前でトアを迎え、すぐに両手で手を捕まえると、中へと招き入れた。
つづく
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