第17話 英雄

 公園には子どもの笑い声があふれている。俺はその中で遊んでいる悠一と翔を眺めいていた。まるで兄弟みたいだ。翔は年上のお兄さんとして、よく悠一の面倒をみてくれている。二人は揃ってこちらへ走ってきた。

「ひでおさん」

「でおー」

 悠一は翔の影響で俺のことを名前で呼ぶ。正直、悔しいって気持ちがない訳じゃない。とはいえ、現実的な問題として、幸一郎と俺の両方を「パパ」って呼ばれてもいろいろ困る。

 将来的なことを考えたら、幸一郎にパパの称号を譲ってやった方がいいんだろう。俺はしゃがみこんで、二人と目線を合わせる。

「ん? どうした」

「どんぐり、集めたよ」

「たよー」

 二人とも手のひらを開いて、俺に見せる。この前は、だんご虫だったっけ。

「おぉ、いっぱい集めたな」

 俺は二人の頭をなでると、誇らしそうに笑った。

「翔。悠一と遊んでくれてありがと」

「うん。だって、ぼく。ゆういちのおにいちゃんになるんだもん」

「そうか。翔がそう言ってくれると頼もしいよ」

「だって、ひでおさんはゆういちのパパなんでしょ。ぼくがゆういちのおにいちゃんなら、ひでおさんは『ぼくのパパになる』ってことだよね」

 子どもは大人が想像しないようなことを言う。けれども、大切にすべきは、その気持ちだ。翔は俺に家族になって欲しいと思ってくれている。それを常識で否定するなんて、野暮なことだ。それに血のつながりなんて、俺みたいな庶民にとって、たいして意味はない。

「そうだな。これからも悠一と遊んでやってくれよ」

「うん」

 翔は周りの人がこちらを振り返るくらい大きな声で返事をした。


 翔を玲の元に送り、家に帰って悠一のためにおやつの準備をしていたら、チャイムが鳴った。誰だろう。俺は玄関のドアを開ける。

「はーい」

 そこには老婦人が立っていた。ライトグレーのストールを巻いている彼女は、怪訝な目で俺を見る。

「幸一郎はいないのかしら。私、あの子の母親なんですけど」

 なるほど。これがウワサのお母さんか。確かになかなか手強そうだ。

「二人ともちょっと買い物に行ってまして。俺が留守番をさせて頂いてます」

 お母さんの顔は「お前は誰なんだ」と言いたげだ。俺はその要望に応える。

「自己紹介が遅れました。はじめまして、村上英雄と申します。二人とは仲良くさせて頂いていて」

「えっ? あなたがーー」

 彼女は大きくその瞳を見開いた。そして、状況を察したのだろう。気まずそうな表情を浮かべる。

「そうなの。なら、また改めて来ます」

「いや、せっかく来て頂いたんですから。上がってください」

「でもーー」

「行き先は近くの量販店なので、すぐ帰ってきますよ」

 後ろでキッチンのドアが開く音がした。

「でおー?」

 悠一だ。俺のことを探していたのだろう。ドタドタと音を立てて、こちらへ近付いてきた。彼女を見つけると声をあげる。

「ばーば」

 その言葉がお母さんの強張りをほどいたようだ。悠一に微笑みかける。

「悠一も一緒にいたいみたいですから」

「そうねぇ。じゃあ、待たせていただこうかしら」

 俺はお母さんをキッチンへお通しして、椅子へ座ってもらう。そして、紅茶の準備をはじめた。だが、お母さんはそれを制止する。

「お気遣いなく」

「ちょうど悠一におやつをあげようと思っていたんです。一緒に召し上がっていただけたら、悠一もよろこぶと思います」

「わかったわ。いただきます」

 よし。老若男女、心の距離を縮めるには胃袋をつかむのが手っ取り早い。今日のおやつは自信作だ。きっとうまくいくだろう。

 俺は冷蔵庫からタッパーを取り出し、アイスクリームを皿に盛りつけた。紅茶もいい具合だ。それらをお母さんに出す。

 俺は悠一が食べるのを手伝うために、その隣へ座った。お母さんは一口食べると、声を漏らす。

「美味しい。ただのバニラじゃなくて、ヨーグルトが入っているのね」

「はい。悠一はこっちの方が好きなんで」

 よろこびの声をあげて、食べこぼしている悠一の口元を拭きながら答える。

「これくらい家事ができるなら、いつでもお嫁さんがもらえそうね。ちょうど良いお嬢さんがいるの。ご紹介するわ」

「ありがとうございます。でも、今は考えていないんで」

「あら、もったいない。食わず嫌いは良くないわ。やっぱり男の人は結婚して一人前なんだから」

 自分の息子は一人前になったんだから、俺もそうなれ、とでも言いたげだ。ついでに俺を幸一郎とその家族から引き離したい、っていうのもあるのだろう。

「そうですね。幸一郎を見て、家族を持つことで変わる部分があるんだろうなって思います」

「でしょ」

「俺も結婚したいって思った人はいたんです。けど、いろいろあって。相手は結婚してしまって」

「そう。でも、しょうがないわね。若い頃の惚れた腫れたなんて、一時の気の迷いよ。さっさと別の相手に出会って、昔の恋なんて忘れてしまった方がいいわ」

「わかってます。俺も最近、そう思えるようになってきました」

「それは良かったわね」

「はい。それは幸一郎のおかげなんです」

 お母さんは紅茶を一口飲んで、俺の顔を見た。俺は言葉を選びながら続ける。

「俺はしがないダンサーで、家賃を節約したかった。そんな時に幸一郎が『一緒に住まないか』って言ってくれたんです」

「そうなのね。でも、普通は幸一郎が結婚するって言った時点で、引っ越さないかしら」

「俺もすぐ出ていくつもりでした。けど、実際にはそうはできなくて」

「何故?」

「すぐ引っ越しをするお金がなかったんです。そうこうしているうちに、一大イベントに付き合うことになって。引き際を逃してしまいました」

「これまで三人のことを助けてくれて、ありがとう」

 お母さんは俺に頭を下げた。感謝を示してはいるが、これ以上近づくことを拒絶する。そんな意思を感じる深々としたお辞儀だ。

「けど、もういいんじゃないかしら。だって、あなたには関係ないことでしょ」

 そう。俺はいつでも逃げることができる。だって、幸一郎も茜ちゃんもそれを責めることはできない。「存在しないことにしているウソ」だけが、俺をつなぎ止める鎖だからだ。それを白日の元にさらせば、全てが壊れてしまう。

「俺は自由気ままな人間です。けど、縛られてみてわかりました。どういう形であれ、人生を共有できる人がいるのは良いなって」

 悠一がこっくりこっくりと船を漕ぎはじめたので、頭をぶつけないような姿勢にした。

「それを知る機会をくれたのが、幸一郎です。アイツは俺を家族の中にいさせてくれました。それがなかったら、一生わからなかったかもしれません」

 俺が父親でいれるのは、相手が幸一郎と茜ちゃんの二人だったからだ。この三人じゃなかったら、今のようにはならなかっただろう。

「だから、二人を手伝っているのは、恩返しでもあるんです。それに悠一」

「悠一があなたにどんな関係があると言うの?」

「そうですね。悠一は幸一郎と茜ちゃんの息子です。でも、生まれる前から一緒に過ごしたからでしょうか。もう少しだけ見届けたいんです」

「正直、私にはわからないわ」

 お母さんはため息をついた。

「けど、悠一があなたを好きなのはわかる。お婆ちゃんとして、孫の悲しむ顔は見たくないわ。あなたの気が済むまで、一緒にいてあげたらいいんじゃない?」

「ありがとうございます」

「別にお礼を言われるようなことじゃないわよ。にしても、結婚もしないで子育てするなんてもったいない。誰か紹介しましょうか」

「実は『家族になりたい』って思える、新しい人がいまして」

 お母さんは目を見開いたかと思ったら、笑い出した。

「あら、振られちゃったのね。でも、まあ。それはそうよね」

 その時、ドアが急に開いた。幸一郎と茜ちゃんだ。幸一郎は抗議の声を上げる。

「ただいま。って母さん? また連絡しないで。急に来ないでよ」

「別にいいじゃない。息子の家なんだから。それにもう帰るわよ」

「えっ、もう?」

「あなたたちの元気そうな顔はもう見られたもの。それに英雄くんともお話できたから」

「そうなの? また余計なこと言ってないよね」

「またそういう憎まれ口をきいて。まあ、あなたが一番悪いことはよくわかりました」

 お母さんは幸一郎の頭をポカリと叩いた。

「ってぇ。なにするんだよ」

 痛がる幸一郎の姿を見て、なんだか胸がスーっとした気がした。

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