第14話 英雄

 扉が開く音がしたので、俺は読んでいた雑誌から目線を上げた。幸一郎だ。コイツ、実家に帰ってたんだっけ。

「おかえり」

「ただいま」

 幸一郎は手に持っていた紙袋をテーブルの上へ置く。

「何だ、それ?」

「いやぁ。いらないって言ったんだけど、無理矢理持たされて」

 袋の中身を見ると、果物だの、料理が入っているらしいタッパーで、いっぱいだった。

「ずいぶん多いな」

「だろ。過保護なんだよ、母さんは」

「まあ、いくつになっても『親にとっては子どもだ』っていうからな。にしても、お手柄たったみたいじゃん」

「何が?」

「茜ちゃんから聞いた。お母さんに啖呵切ったんだろ」

「ああ。当然のことをしたまでだよ」

「言うなぁ。茜ちゃん、本当に嬉しそうに話してくれたぜ」

「そっか」

 幸一郎の表情がくもった。

「どうしたんだよ、そんな顔して」

「えっ? ああ、だって茜ちゃんが英雄に話したのは、それが特別なことだったからだろ」

「はぁ? 何を言いたいの、お前は。喜んどけば、いいじゃん」

「だってさ、それは僕がこれまで彼女に安心感を与えられてなかったってことだろ」

「まあ、確かにお前は自分勝手なところがあるから。考えてること、茜ちゃんに全然説明しないだろ」

「ごめん」

 幸一郎が頭を下げている姿は、飼い主に怒られてしょんぼりしている犬みたいだ。ちょっと苛め過ぎたか。

「でもさ。気付いたんだったら、これからでも変えていけば、いいんじゃね。終わったことより、これからの方が大事だろ」

「うん、そうだな。ありがとう」

 幸一郎の顔がぱぁっと明るさを取り戻す。

「そういえば、水野さん家はどうだったの?」

 あの日は翔も一緒に寝たので、いたって健全なお泊まり会になってしまった。けれども、それを幸一郎へ正直に言うのも癪だ。ちょっとは驚かせてやろう。

「いやぁ、夢みたいな一晩だった。お陰様で二人のつながりを再確認できたよ」

「そっか。それは良かったね」

 幸一郎の瞳の端がキラリと光った。えっ?どうしたんだ、コイツ。俺が目を擦っていたら、ぽろぽろと雫がヤツの頬を伝って落ちていく。

「はぁ? 何でお前、泣いてんの?」

「ごめん。英雄が大切な人を見つけたんだから、本当は笑ってお祝いすべきなのに」

 幸一郎は言葉に詰まる。なんなんだろう、この涙は。コイツは俺がいつまでも自分の側にいるとでも思ってたんだろうか。散々尽くさせて、何のご褒美もよこさない癖に。

「僕、茜ちゃんにも言ったんだよ。『英雄に大切な人ができたら全力で応援したい』って。でもさ、いざ現実になったら、こんなんだ」

 幸一郎はいい子ぶって平気で人の心を踏み荒らすところがある。全力で応援したいだと? 俺の好意に甘えるだけ甘えておきながら、それが俺自身の選択だと突き放してるだけだろ。でも、いざ失うとなれば、途端に引き留めようって魂胆か。あー、だんだんイライラしてきた。

「僕は取り返しのつかないことをしてきたんだよな」

 コイツの茶番劇に付き合ってやれば、心置きなく玲のところに行けそうだ。俺は幸一郎に促す。

「何の話だよ」

「僕に付き合わせて、英雄の人生の時間を使わせてた。何の代償も支払わず。本当にお前のことが大切だっていうなら、すぐ開放すべきだったのに」

 なんてずるいヤツなんだ。こちらが見切りをつけて、手を離そうとした時に、そんな話をするなんて。

 しかも、さっき俺が「失敗に気付いても、その時点から変えれば良い」って言ったばかりのタイミングだ。俺が幸一郎を責めれば、自分で言ったことがウソになる。

 大体今さら亀裂を生むのは、悠一のためにならない。それはなんとしても避けなくちゃダメだ。クソ。俺は幸一郎にデコピンを食らわせる。

「うぬぼれてんじゃねぇよ」

 幸一郎はおでこを押さえながら、目をぱちくりさせている。本当はこんなもんじゃ全然足りない。が、せめてもの仕返しだ。

「それじゃあ、俺がお前のためにしてたみたいじゃん。違ぇよ。悠一のことは、俺自身が望んだことだっての」

 真実を全てぶちまけたい。そう思うのは、実際には自分自身がスッキリしたいだけだ。「正直に言ったんだから、許してくれ」と言いながら、相手にも自分の罪の重みを押し付ける。告白で壊れたら、許さなかったお前にも責任があると言いたげだ。

 言わないことで大切なものが保たれるならば、俺はそっちを選びたい。

「本当に?」

「ああ。お前と茜ちゃんが相手じゃなかったら、こんな展開なかっただろ」

「僕も同じこと思ってた。この三人だから、上手くいったって」

「調子に乗るんじゃねぇよ。まあ、子育てしてたおかげで、玲にも会えたんだ」

「ふぅん」

「なんだよ?」

「そんなに水野さんのこと、好きなんだ」

「そりゃあね」

「わかった。僕は英雄の意思を尊重するよ」

「だから、格好つけてんじゃねぇよ」

 幸一郎が出してきた手を俺は握り返した。


 熱が加わった音と共にチーズの香りが広がる。これは美味しくなりそうだ。わくわくしてフライパンを振るっていたら、背中に体重がのし掛かってきた。そして、細長い手が身体をまさぐる。俺は抗議の声をあげた。

「玲。何してるんだよ」

「美味しそうだったから」

「何がだよ」

「わかってる癖に」

 俺の両手が塞がっているのをいいことに、玲は好き勝手しはじめた。思わず声が洩れる。ヤバい。俺はフライパンをコンロに置いて火を落とす。そして、玲の頭を一発殴る。

「痛てっ。何すんだよ」

「火を使ってるのに危ないだろ。できたから、食おうぜ」

 俺は完成したじゃがいもとチーズのガレットを盛って、テーブルへ向かう。そして、買ってきた赤ワインで乾杯する。美味いメシと美味い酒があれば、幸せになるのは簡単だ。ほろ酔い気分で玲に尋ねる。

「翔は?」

「ボクの実家」

「へぇ。この前も行ってなかったっけ?」

「親父も、お袋も何かといえば、預かりたがるから。やっぱり孫はかわいいんだろ。英雄のところは大丈夫なの?」

「ん、幸一郎が面倒みてるから。今頃、茜ちゃんと三人で楽しくやってるんじゃないか」

「ふぅん。じゃあ、ボクたちも楽しくやろうよ」

 いつの間にか玲の手は俺の腰に回っている。ワイングラスをテーブルに置くとそのままソファへ押し倒された。こんな風に男の香りを感じるのは久しぶりだ。甘美な刺激が俺の中に眠っていた本能を疼かせる。でも、流されそうになる前に、聞いておかなくちゃ。俺は玲に尋ねる。

「あのさ」

「ん?」

「玲は俺のどこが好きなの?」

「そうだねぇ。格好良かったから」

 玲のあまりに即物的な答えに思わず、吹き出してしまった。

「見た目かよ」

「それもあるけどさ、ボクが好きなのは英雄の生き様の話」

「はぁ?」

「英雄は『普通』に流されないじゃん。子育ての場って、女ばかりだろ。男が入っていくと変な目で見られがちだ。でも、平気で入っていけるだろ」

「玲もあんまり気にしないじゃん」

「うん。世間の常識とやらよりも、自分がどうしたいかの方が大事だからね。英雄もそうだろ」

「まあな」

「だからさ、ボクたち上手くやっていけると思うんだ。一緒に住もうよ」

 幸一郎とは相性自体は良かったと思う。けれども、アイツは俺よりも世間体を選んだ。

 だとしたら、世間体よりも俺を選んでくれる相手の方が良いんじゃないか。実際、俺といることで玲は周りからいろいろウワサされている。だが、気にしている素振りはない。俺も平気だ。もしも人生を共にするなら、その辺の価値観は似ていた方が、良い気がする。

「玲がそう思ってくれるなんてうれしいよ」

「じゃあーー」

 玲はその瞳をキラキラさせて、今にも飛び付いて来そうだ。俺は玲との間に人差し指を差し挟む。

「でも、もう少し時間をくれないか」

「何で?」

「見届けたいものがあるんだ」

「それって、今の家族のこと?」

「ああ、ダメかな」

「ふぅん」

 玲は宙を仰ぎ見る。普通の男だったら、前の男にまだ未練があるって思うだろう。それを待つ道理はない。だから、これは賭けだ。

 さ迷っていた視線は俺の瞳に戻り、沈黙したままだ。心臓はバクバクと悲鳴をあげている。けれども、目をそらさずにその答えを待つ。

「いいよ。ボク、待つのは得意だから。別にその間、会えない訳じゃないんだろ」

「もちろん」

「でも、たった今、目の前にある美味しそうなご馳走は待てないよ」

「ふふふ。それはどうぞ召し上がれ」

 玲はその身体で返事をした。

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