第13話 幸一郎

 花火が破裂したかのように、大きな泣き声が部屋の中に鳴り響いた。悠一だ。母さんが慣れた手つきで、あやし始める。

 ああ、僕はなんて愚かなんだろうか。茜ちゃん、そして悠一のことを言われて、つい感情的になってしまった。でも、今の僕は悠一を泣かすことしかできていない。

 母さんの発言は怒る必要がある内容だった。それは間違いない。けれども、やり方を工夫しなくちゃダメだ。

 結婚式の夜、僕は茜ちゃんを守るって決めた。それが他人を自分のエゴに付き合わせる自身に課した誓いだ。今は家族も増えた。僕の家族を守るための方法を考えなくちゃいけない。

 さっきまでの話を聞く限り、母さんは親切な誰かさんから、英雄のことを聞いたんだろう。

 普通じゃない。

 それは母さんが最も恐れることだ。いてもたってもいられなくなって、突然乗り込んだってところか。

 だとしたら、どうするべきだろう。僕は頭をフル回転させる。にしても、悠一には助けられた。悠一が泣いたことで、僕はクールダウンする時間ができた。怒り狂ったまま、ケンカをはじめて、良いことなんてひとつもない。それは母さんにとっても同じだろう。

 悠一の泣き声が徐々に収まってきた。茜ちゃんは母さんにお礼を言って、悠一を受け取る。僕が向かいの椅子に座ると、母さんは気まずそうな顔で僕のことを見た。

 子どもの頃は母さんの言うことが絶対だった。僕がすることに口を挟み、時に無理矢理従わせる。だから、つい母さんの言葉を「自分に対する侵略だ」と決めつけてしまう。けど、僕はもう無力な子どもじゃない。それに干渉は少なからず、心配を含んでいた。子の親になった今なら、やり方の是非はともかく、理解はできる。

 そう、敵じゃない。歩み寄れる余地はあるハズだ。僕は自分自身を落ち着かせるために、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「母さん、ごめん。急に大きな声を出して」

 僕に何か言われたら、どう言い返そうかと身構えていたんだろう。母さんは、とまどいの表情を浮かべた。そして、ゆっくり目を閉じてから、僕のことを見つめる。

「いいえ、いいのよ」

「悠一のこと、茜ちゃんのことだったから、つい感情的になっちゃったんだ」

「でも、母さん心配で」

「うん。それはわかるよ。でも、僕は母さんの息子であると同時に悠一の父親だから。守らなくちゃいけないだろ。家族を」

「そうね。あなたも父親になったのよね」

 母さんは目をふせる。けれども、口元は緩やかだ。

「うん、僕は悠一の父親だよ。悠一がどんな子でも、僕は守る。母さんも同じことを考えたでしょ」

「もちろん。あなたは何があっても、私の大切な息子だもの」

「良かった。母さんが育ててくれたお陰で、僕も家族を持つことができたよ。僕にとってみんな自分と同じくらい大切なんだ。母さんにも、そう思って欲しいな」

「そうね、わかったわ。さっきはあんなことを言って、ごめんなさい。大切なあなたの家族ですもの。私も大切にするわ」

「ありがとう」

 この調子なら少しは大人しくなってくれるだろう。けど、心配性な母さんのことだ。またいつ騒ぎだすか、わからない。別の方法でも釘を刺しておいた方がいいだろう。

「そういえば、母さんが気にしている人のことを説明しておかなくちゃね」

「もういいわよ」

「そんな訳にはいかないさ。そもそも僕がきちんと説明しなかったから、不安にさせちゃったんでしょ」

「まあねぇ」

「そいつ、英雄っていうんだ。元々僕の友だちでさ。茜ちゃんと結婚する前は、ずっと一緒に住んでたんだ。だから、お互いに知らないことがないくらいで」

 きっと母さんには、わかっただろう。僕と英雄が実際にはどういう関係なのか。普通を愛する母さんは、本当の僕を知っていても、それをなかったことにする人だ。僕の言いたいことを理解してくれるだろう。

「あ、あら。そうなの」

 母さんの声は震えている。僕は母さんの肩に手を置き、にっこりと微笑む。

「本当にいい奴でさ。今も僕と茜ちゃんのことを助けてくれるんだ。昼には帰ってくるから、紹介するよ。きっと母さんも気に入ってくれるんじゃないかな」

「えっ? い、いや。やめておくわ。今日は急に来て、迷惑をかけちゃったでしょ。もう帰るわ」

 母さんは急に立ち上がったが、バランスを崩してよろけてしまった。僕は素早くそれを支える。

「大丈夫?」

「ええ、ありがとう」

「なんか心配だなぁ。僕が家まで送るよ」

「で、でも」

「遠慮しないでよ。僕も父さんの顔、久しぶりに見たいから。どうかな?」

 僕は茜ちゃんの方を向く。彼女は一瞬ビクッとしたが、すぐにうなずいた。

「私は大丈夫。英雄くんもすぐに帰ってくるだろうから」

 改めて、僕は母さんの顔を見た。

「じゃあ、お願いするわ」

「良かった。じゃあ、準備してくるから、ちょっと待っててね」

 僕は自分の部屋へ行き、外出するための準備をはじめた。後ろで部屋のドアをノックする音がしたから「いいよ」と答えたら、茜ちゃんが入ってきた。

「幸一郎くん」

 僕の名前を呼ぶ茜ちゃんの瞳はガラス玉みたいだ。身体が震えている。僕は彼女をぎゅっと抱き締めた。

「ごめんね、母さんが変なこと言って」

「ううん。私ね、うれしかったんだ」

「どういうこと?」

 母さんからあんなことを言われたのに。僕は茜ちゃんの真意がわからず、彼女に尋ねた。

「これまで、幸一郎くんにとって私ってどんな存在なんだろうって、わからなかったから」

 ああ、そうか。僕は英雄に恋人の影が見えるまで、茜ちゃんと向き合ってこなかったんだ。結婚する時、僕にとって彼女は、母さんや世間を納得させるための証拠だった。悠一が生まれてからも、自分が育休を取るまで、家のことは全部任せっきり。そればかりか、なし崩し的に英雄のことも受け入れてもらった。茜ちゃんには感謝しかない。だけど、僕はそれを一度でも彼女にハッキリ言葉にして、伝えたことがあっただろうか。いや、ない。

「僕、茜ちゃんに甘えてた。思っているだけじゃ伝わらないよね。ちゃんと言葉にするってことをサボってた」

 僕は茜ちゃんの瞳をじっと見つめる。

「茜ちゃんには感謝してる。君とじゃなかったら、僕は結婚しようなんて考えなかった。君は僕にとって大切なパートナーだよ」

「ふふっ。まるでプロポーズみたい」

「そうかな。でも、本心だから。これ以外に言い様がない」

 自然と二人の間に笑いが起きる。

「そろそろ戻らないと。母さんがしびれを切らしちゃう」

「そうだね」

「じゃあ、行ってくるね」

「うん。いってらっしゃい」

 僕は茜ちゃんに口付けをする。彼女が求めることに全て答えられる訳じゃない。けれど、僕ができることは全てしよう。そう誓いを込めて。

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