第10話 幸一郎

 僕の胸元にいる悠一は、静かに寝息を立てている。ちゃんと寝てくれているみたいだ。安心してポケットの中から、メモを取り出す。英雄が出勤する前に頼まれた買い物リストに書かれたものを、ひとつずつカゴに入れていく。

 やっぱり僕よりも、英雄の方が悠一の父親としてはピッタリなんだろうか。僕は先週、茜ちゃんから言われた言葉を思い出す。

「英雄に恋人ができたら、どうする?」

 その問いに僕は「祝福する」って答えた。茜ちゃんは僕をびっくりした顔で見ていた。あの驚きは、なんだったんだろう。

 もしかしたら、彼女は僕と二人だけで悠一を育てることが不安なのかもしれない。これまで僕と茜ちゃん、英雄の三人で一緒に悠一の世話をしてきた。

 子育てという面では、一番得意なのは英雄だ。あいつがいなくなった時、僕か茜ちゃんのどちらかは、仕事を辞めなくちゃいけなくなるかもしれない。

 いや、そもそも英雄が欠けた時、僕と茜ちゃんの関係は今の状況を保てるんだろうか。

 だからといって、こちらの都合でいつまでも英雄のことを縛るのは、ただのわがままだ。

 だとしたらーー。

 突然、悠一がぐずりはじめた。慌ててなだめたが、その勢いは止まらない。まるで火が点いたようだ。どうしよう? その時、後ろから声がした。振り向いたら、警察官らしき格好の男が立っている。

「どうしましたか?」

「すみません。ちょっと泣きはじめてしまって。多分、寝起きで機嫌が悪いんだと思います」

「そう。ところで、あなた。この子と、どういう関係?」

 えっ、なんでそんなことを聞かれるんだろうか。落ち着いて考えたいが、悠一の声は大きくなるばかりで、頭が回らない。

「ぼ、僕はこの子の父親です」

「本当? 仕事は?」

「今は育休を取ってまして」

「ふぅん。奥さんはどうしてるの?」

「今日は仕事に行ってます」

「こんな小さい子がいるのに仕事ね。誰か、あなたがこの子の父親だ、って証明できる人はいる?」

 どうやら僕のことを誘拐犯じゃないか、とでも疑っているらしい。困った。茜ちゃんは仕事中だ。英雄に連絡したら、もっと厄介なことになるだろう。こんなことだったら、車の免許くらい取っておけば良かった。悠一は泣き止んでくれない。僕が答えられないでいるのを見て、警察官の表情は険しくなっていく。周りにいる人たちも僕と悠一を見て、こそこそ話をしはじめた。誰か助けてくれないだろうか。僕が周りを見回していたら、見慣れた顔の人と目があった。その人はこちらに近付いてくる。確か水野さんだっけ。英雄と一緒にいる時、一度会った記憶がある。

「幸一郎さんじゃないですか。どうされたんですか?」

 警察官は不審そうな顔で、水野さんを見る。

「あなた、誰? この人とどういう関係?」

「私は水野と申します。幸一郎さんとはイクメン仲間なんですよ」

 水野さんは財布から保険証を出して、警察官に見せた。そうだ、保険証だったら、僕と悠一のがある。焦って忘れてた。急いで財布から取り出して、差し出す。警察官は二枚のカードをなめ回すように裏表を確認する。そして、微妙な表情で僕に言った。

「確認できました。ご協力ありがとうございます」

 警察官は僕たちの前を通り過ぎて、歩いて行った。悠一はひとしきり泣いて、疲れてしまったのだろう。静かになっている。僕はすぐ水野さんに頭を下げた。

「ありがとうございます」

「いや、ボクも同じ目には良く合うから。世の中、イクメンブームって言われてるけど、まだまだ男一人で子どもを連れていると不審者扱いされるんで、気を付けた方がいいですよ」

「本当に助かりました。そうだ。良かったら、お礼にお茶でもおごらせてください」

 僕の言葉に水野さんは腕を組んで、首を傾げる。だが、すぐに笑って答えた。

「そうですね。同じ育児をする男同士だ。ボクも幸一郎さんとは『一度、お話をしたい』と思っていたんで」


 温かい光が差し込む店内には、子どもたちのにぎやかな声があふれている。大きなスクリーンに写し出されている幼児が好きなアニメ作品を見ている子もいれば、遊具で遊んでいる子もいる。悠一がもう少し大きくなったら、みんなで遊びに来るのも良いかもしれない。

 水野さんは何人かのお母さんに声を掛けられて、挨拶がてら僕の紹介をしてくれた。どうやら英雄と水野さんは、このカフェでは有名人らしい。まあ、二人とも人の目を惹くルックスだ。当然の結果だろう。

 席に通されて、オーダーを済ませると水野さんは改めて自己紹介をしてくれた。

「水野玲です。よろしく」

「澤田幸一郎です。こちらの店は、よくいらっしゃるんですか」

「ええ。ここだと子ども連れでも、気にしなくていいんで」

「わかります。ちなみに、水野さんのところのお子さんは、おいくつなんですか」

「翔はーー。いや、うちの息子は、五歳です」

「へぇ。お写真とかありますか」

「はい」

 水野さんはスマートフォンを取り出して、写真を見せてくれた。翔くんは水野さん似だ。でも、五歳児って、こんなだったっけ。思ったよりも大人っぽい。悠一が五歳になったら、どんな風に育っているんだろうか。

「五歳になったら、こんなにお兄ちゃんっぽくなるんですね」

「うちのは、周りの子よりも大人びていて。一人親だからっていうのも、あるんでしょうね。翔、僕には甘えてくれないんです。英雄くんには、甘えるのに」

「わかります。悠一も三人の中で一番好きなのは、英雄なんで」

 本人の性格もあるのだろうが、英雄は子どもと心の距離が近いみたいだ。そういえば、あいつが「自分の担当している子ども向けのダンスレッスンは、評判が良い」って自慢してたっけ。

 店員さんが飲み物を持ってきたので、僕はアップルジュースを受け取った。彼女がお辞儀をして立ち去ると、水野さんはハーブティに口をつける。

「だから、今も三人で暮らしているんですか?」

 何故、三人でいるのか。僕たちの現状を知っていれば、誰しもが当然考える疑問だろう。だが、本当のことは言えない。僕は頭を掻きながら、お決まりのセリフで答える。

「英雄とはずっとルームメイトで。僕が結婚する時に引っ越しをする、って話もあったんですけど。当時、あいつ、お金がなくて。そうこうしてたら、今の状況に」

「もう開放してあげたら、どうですか。幸一郎さん、知っているんでしょう。英雄くんのこと」

 突然の言葉に、僕は言葉を失う。水野さんは、どこまで知っているんだろう。英雄が彼にどこまで話をしているか、わからない。

「何でーー」

「ボクも、彼と同類ですから」

「水野さん、結婚してたんじゃ」

「ええ。ボクは結婚して、翔が生まれてから、気が付いたんです」

 そこまでの話か。僕は密かに胸を撫で下ろす。ある程度歳をとってから、自分の指向に気が付く人もいるとは聞くが、こうやって会ったのは初めてだ。にしても、この様子ーー。水野さんは、英雄に対して恋愛感情を持っているんだろう。

 でも、それがわかっても、想像以上に僕の心は静かだ。けど、これが余裕じゃないことも、わかっている。無関心という訳でもない。だったら、この感情は何なんだろう。

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