第11話 英雄
ふと目をやると、自分の存在を伝えるようにピカピカ光る。俺はスマートフォンを手に取り、画面をチェックした。幸一郎からの返事だ。内容を確認して、俺は画面を下にしてスマートフォンをテーブルへ置く。深いため息が漏れる。空気と一緒にエネルギーが抜けたかのようだ。力が入らない。だらりと体重を椅子に預けていたら、後ろから声がした。
「どうだった?」
水野さんはバスタオルで髪を拭きながら、ローライズのボクサーブリーフ一丁で、俺の方へ歩いてきた。服を着ている時にはわからなかったが、身体にはほどよく筋肉が付いている。「自宅で仕事をしていると身体を動かさなくなるから、意識的に運動をしている」。そう言っていたが、想像以上だ。俺には刺激的過ぎる。
「水野さん、服くらい着てくださいよ」
「えっ、いいじゃん。男同士なんだから」
「何言ってるんですか、ダメですよ。翔くんがいるでしょ」
「あいつはもう寝てるじゃん」
水野さんは俺の言葉を無視して、隣の椅子に座った。むき出しの足を俺の足にくっつけてくる。俺が水野さんの顔を見たら、にっこり微笑み返してきた。
この人が三年前まで男を知らなかった、だなんて思えない。「遅咲きの狂い咲き」とは、よく言ったものだ。年を取ってから目覚めた男は、解き放たれた本性に対して、それまでの遅れを取り戻すかのように、忠実になってしまうものらしい。
奥さんとは女性不信になるくらい揉めたあげくに別れて、そのさみしさを埋めてくれたのが最初の男だ、と言っていた。
水野さんはバスタオルを首に掛け直すと、俺に聞いてきた。
「で、どうだった?」
「泊まっても良いって」
「ふぅん」
彼の声色は何か言いたげだ。そう思うのは自意識過剰だろうか。
水野さんの家に泊まる。そう伝えたら何か言われるんじゃないかと思っていたが、幸一郎の返事は、あっさりしたものだった。
とはいえ、あいつと恋人同士だったのは、二年以上も前の話だ。特に「別れよう」と言われた訳じゃないが、この状況で「まだ続いている」って思えるほど、俺もバカじゃない。身体の関係だって、幸一郎が茜ちゃんを連れてきた日から途絶えている。
幸一郎が育休を取るって聞いた時、何も考えなかった訳じゃない。実際に二人で悠一の世話をしている時、良い雰囲気になったこともある。だが、あいつは俺に指一本すら触れてこなかった。いや、指を絡めるくらいはあったか。でも、それくらいだ。
まあ、子育て中にのんびりそんなことをしている暇なんてないんだが。仮に迫られたとしても、きっと殴ってただろう。一時の快楽に溺れたところで、誰も幸せにならない。悠一のためにも、それは避けなくちゃいけないことだ。
だが、チャンスはあるのに何もないっていうのも、満たされない。そんなすきまに入りこんで来たのが水野さんだ。
前からアプローチはされていたが、最近グッと距離が縮まった。幸一郎が家事と子育てに参加したことで、俺自身に余裕ができたからかもしれない。
水野さんは独り言のようにつぶやいた。
「そういえばさ。先週、幸一郎さんに会って、お茶したよ」
「えっ、どこであったんですか?」
「量販店で警察官に職質されてた。悠一くんが大泣きしてたからなんだろうね」
「あぁ」
どんくさい幸一郎らしい。きっと焦って、挙動不審にでもなっていたんだろう。
「で、ボクが助けたんだ」
「ありがとうございます」
「その後、ボクたちが最初に出会ったカフェへ行って」
ああ、あそこか。子どもを連れて行くにはピッタリだ。
メディアでいくらもてはやされていても、実際に子育てしてる男なんてほとんどいない。
二人の前では難なくこなしているように見せていたが、最初は戸惑いの連続だった。誰かに相談したい。そう思っていた時にあのカフェで知り合ったのが、水野さんだ。
当初は「気安く話せる相手ができた」ってくらいの気持ちだった。そもそも彼が俺と同類だなんて、想像すらしてなかったんだから、当たり前だが。いろいろ相談しているうちに、けっこう仲良くなった。
だが、俺は仕事帰りの繁華街で見てしまった。水野さんが男と二人でいるのを。その時は「同じようなイクメン仲間で飲みにでも行ってるんだろう」と思った。
けれども、別の日に「今度、紹介してくださいよ」と軽いノリで言った後、何故か気まずい雰囲気になった。で、よくよく話を聞いてみたら、水野さんがゲイだということがわかったのだ。その時に俺も、自分のことをポロっと言ってしまった。以来、どんどん遠慮がなくなっている。
「で、言っちゃった」
聞き流していた水野さんの言葉に引っかかりを覚えた俺は、彼に尋ねる。
「何を?」
「ボクが英雄と同類だってこと」
幸一郎はそれを知っていて、俺が水野さんの家に泊まることを許可した。やっぱりあいつは、俺のことなんて、もう興味がないんだろうか。でもーー。
「あいつ、何か言ってましたか?」
「別に」
そうか。薄々わかってはいたが、まるで目の前で、ドアが閉じられてしまったような気がする。つまり、もうお役御免ってことか。思わずため息が漏れた。
「ショック? まだ彼のこと、好きだったんだね」
「いや。ちょっと気が抜けただけです」
「ふぅん」
水野さんは僕の心の中を伺うような目で、僕を見つめている。そして、手を伸ばして俺の髪を撫でた。
「まあ、英雄もあの家族からは、もう解放されても良いと思うよ」
彼の手は耳を伝って首筋を流れると、肩で止まった。触れられたところから、身体に熱がこもっていく。その瞳は俺を捕らえて離さない。魔法にでも、かけられたみたいだ。頭の中がぼぉっとする。
「ん、水野さぁん」
「まだ『水野さん』?」
水野さんは動きを止めて、俺に尋ねる。俺は続きをねだるように、言い直す。
「玲」
玲はにっこりと笑みを浮かべて、再び顔を近付けてきた。俺もその引力に引き寄せられていく。そしてーー。
キィ。
後ろで金属の擦れる音がした。俺は慌てて玲から離れて、振り返る。すると、ドアが開いた。その陰から現れたのは、寝間着姿の翔だ。俺は近づいていき、目線を翔に合わせるために身体を屈める。
「翔、どうした?」
「あのね、ゆめをみたの。まっくらなところで、オバケに追いかけられて」
「そっか。だから、怖くなったんだ」
「うん」
翔が抱きついてきたので、俺はそれを受け止めた。自分の世話で苦労しているのを目の当たりにしているからなのだろう。翔は玲には、なかなか甘えない。しかし、俺にはこんな調子だ。きっと翔にとって、ちょうど良い距離感なのだろう。
「じゃあ、翔が寝れるまで、俺が付いていてあげようか」
「ほんと?」
翔は瞳をキラキラさせて、俺の顔を見上げた。その視線が保護欲をくすぐる。
「もちろん」
俺がそう答えたら、後ろから抱きつかれた。玲は俺の耳元から顔を出して、翔に言う。
「寝たら、ボクに返せよ」
「パパ、大人じゃん」
「大人には、大人の話があるの」
「ふぅん。大人だっていうなら、服ぐらい着たら? カゼひいちゃうよ」
「いいんだよ、別に」
夫と息子に取り合われるお母さんみたいだな。だとしたら、どんな解決案が良いだろう。今、玲と翔は別々に寝てると聞いている。玲には考えがあるみたいだが、翔はまださみしい時もあるんじゃないか。
そうだ。
俺は翔に提案してみることにした。
「じゃあ、みんなで寝ようか?」
「えっ? なんだか、家族みたい」
翔の言葉に玲もまんざらでもない顔だ。
「しょうがないな。たまにはそういうのもいいか」
その夜、俺と玲は翔を間に挟んでいろいろ話をした。最初に翔がうとうとし始め、俺も気が付いたら、夢の世界へ沈んでいた。
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