第5話 英雄
にぎやかな女性の声で満たされた店内で、俺はフィッティングルームのカーテンが開くのを待つ。
女性たちの視線が、この場所では自分が異物であることを意識させる。別に俺だっていたくてここにいる訳じゃない。昔からどうもこの空気は苦手だ。
カーテンが音を立てた。ようやくお姫様の準備が終わったらしい。さっき選んだ服を着た茜ちゃんは俺の顔を伺う。
「どうかな?」
「似合ってるよ。茜ちゃん、品があるからバイオレットと相性良いと思ったんだ」
「そうかな?でも、こういうの着たことないから」
「大丈夫だって。ねぇ?」
俺は店員さんに同意を求める。
「はい。本当にピッタリでびっくりです。流石、彼氏さん。お客様が持っている魅力をわかっていらっしゃる」
茜ちゃんは照れた顔でうなずいた。
「わかった。じゃあ、これにする。すみません、これこのまま着てお会計できますか」
「もちろんです」
店員さんはハサミでタグを取り、茜ちゃんがもともと着ていた服を受け取ると、会計を済ませてくれた。
「ありがとうございます」
頭を下げる店員さんに見送られて、俺と茜ちゃんは店を出る。彼女は俺に小声で耳打ちする。
「彼女さんだって。また間違えられちゃった」
「そりゃあね。男と女が二人で買い物をしてたらカップルだって思うでしょ。俺と幸一郎だったら、そうは言われない」
「ふぅん。英雄くん、幸一郎くんと洋服見に行ったりするんだ」
「ああ。でも、男二人だと『コイツらどういう関係なんだ』って顔で見られるけど」
「それさぁ、英雄くんに問題あると思うよ」
「えぇ、どこが?」
「だって、店員さん以上に勧めてくるじゃん」
「ははは、確かに。でも、俺。目の前にいる相手には魅力的でいて欲しい、って思うんだよね」
「目の前にいる相手、か」
どういうつもりなんだろう、彼女は。幸一郎と付き合っていたことがバレてから、今日みたいに買い物に付き合わされるようになった。
俺は罪悪感から茜ちゃんに付き合っているが、彼女の真意はよくわからない。幸一郎のことを知りたいから。口ではそう言っているが、今みたいな顔をする。それにーー。俺は気まずい雰囲気から逃れるために話をそらす。
「茜ちゃん、疲れてない? どこか喫茶店に入ろうか」
「そうだね。ちょっとお茶しよ」
俺は頭の中にある地図の検索をはじめる。確か、この辺りだったら紅茶専門店がプロデュースしているお店があったハズだ。意外に人が少ないところだから、スッと入れるだろう。名前はなんだっけ。
俺はスマートフォンを操作して、店のホームページを出すと、茜ちゃんに見せる。
「こことかどう?」
「へぇ。行ってみたい」
「じゃあ、ここにしよ。ちょっと歩くけど大丈夫?」
「うん」
俺は茜ちゃんの足元を確認する。ヒールは高くない。これだったら大丈夫だろうか。
「一応、服は持つよ」
「ありがとう」
俺は茜ちゃんから洋服屋のバックを受け取り、ゆっくりと目的地に向かって歩きはじめた。
お目当てのお店は思った通り席が空いていたので、すぐ入ることができた。内装はイギリスのヴィクトリア朝を意識しているらしい。置かれている椅子も、アンティークのしっかりしたものだ。やはり女性客が多い。
俺たちは窓際の席に案内された。外には緑あふれる小さな庭が見える。席へ座る前に、俺は彼女に尋ねた。
「茜ちゃん、空調寒くない」
「実はちょっとーー」
「じゃあ、席変わる? こっちの方がマシだと思うよ」
「えっ? ありがとう」
俺たちは場所を交換した。茜ちゃんが座るのを確認して、俺も腰をおろす。
「うん、こっちの方が寒くない」
「良かった。何にしよっか」
俺はメニューを茜ちゃんの方へ向ける。
「へぇ。いろいろな種類の紅茶があるんだ」
「うん。輸入会社が直接やってるお店だから」
「こんなにあると選びきれないかも」
「そっか。じゃあ、どんなのが好きなのか、教えてよ。それで俺が茜ちゃんの好みに合いそうなのを選ぶって、どうだい?」
「面白そう。英雄くん、紅茶詳しいの?」
「一時期、凝ってたことがあってさ」
「そうなんだ。英雄くんっぽい」
茜ちゃんの要望を聞いて、俺は自分の分も合わせてオーダーを済ませた。運ばれてきた紅茶を一口飲んだ彼女の口から言葉が漏れる。
「美味しい」
「良かった。好みに合ったみたいで」
俺も運ばれてきた紅茶で一息ついたところで、茜ちゃんが呟いた。
「英雄くん、優しいよね」
「何が?」
「荷物持ったり、私に歩く速度を合わせてくれたりするでしょ。幸一郎くん、そういうのあんまり気にしてくれないから」
「そっか。まあ、幸一郎は女の子と付き合ったのって高校の時に一回だけみたいだから、意識がないだけだって。言ったらやると思うよ」
「ふぅん。ちなみに、英雄くんは女の子と付き合ってたことあるの?」
当時は随分と遊んでたが、それを正直に言うのは気が引ける。
「ああ。当時は女の子が大好きだったから」
「そういうのって、生まれつきじゃないの?」
「最初から自覚があるヤツもいれば、そうじゃない場合もあるみたいだな。俺の場合は、後で気が付いたってだけだよ」
幸一郎は先天的なタイプだ。しかし、そのことを勝手に俺が彼女へ伝えるべきではないだろう。
「そうなんだ。ちなみに、どんなきっかけで気が付いたの?」
「えーと、大学時代。当時付き合ってた彼女にフラれて、友だちになぐさめてもらったんだ。その時に流れでーー。それからかな」
「へぇ、そういうことってあるんだ。その人とは付き合わなかったの?」
「そいつとはその一回限り。この前結婚したから、『一夜の間違い』ってヤツだったんだろ。俺もすぐ別の相手が見つかったから、あんまり気にしてないけど」
「そんなにすぐ見つかるものなの?」
「ネットを使えば」
「じゃあ、幸一郎くんともネットで会ったの?」
話がなんだかまずい方へ進んでる気がする。まるで正妻に問い詰められる愛人みたいだ。
「いや、そうなんだけどさ。茜ちゃん、自分の旦那のそういう話を聞くの嫌でしょ」
「そんなことない。私、幸一郎くんと知り合って、そんなに時間が経ってないでしょ。だから、彼のことを知りたいの」
茜ちゃんは訴えるような顔で俺のことをじっと見つめる。本来は幸一郎が自分で話すべき内容だと思う。けど、アイツのことだ。きっと茜ちゃんにきちんと話していないんだろう。
友だちの彼女にそいつとのことを教えるのと同じか。そうだ。そういうスタンスでいこう。
「オッケー。そう、最初はネットだった」
「うんうん。で、英雄くんは幸一郎くんのどういうところが気になったの?」
顔。だが、正直に言うのは気まずい。他に何かなかったっけ。俺は天井を仰ぐ。
「雰囲気かな。あと詩みたいなことを書いててさ。それが妙に気になって」
「ふぅん。ちなみに、どんなことが書いてあったの?」
「『ふと会話が途切れた瞬間。そこに生まれた沈黙を共有したい』だったかな」
「どういう意味なんだろう?」
「んー、確かーー。『話が途切れた時に、それを無理矢理取り繕わなくても大丈夫な関係がいい』っていう意味だって言ってたと思う」
「話が続かなくても、相手との信頼感が深ければ、気にならないもんね。幸一郎くんらしいな」
茜ちゃんの言葉に胸がチリっとした。俺の方が幸一郎のことを知っている。そんな言葉が頭に浮かんできた。彼女に嫉妬しているみたいだ。
「そうそう。アイツ、人見知りだからさ。そういうの気にしちゃうみたい」
「英雄くんも同じ?」
「どうだろ。でも、つまりは安心感でしょ。それは大事かな。実際、幸一郎とは『一緒にいて自然』だったから」
「そっか。私は幸一郎くんが私のことを『女性』として扱わないところが好きなんだ。私自身を見てくれる気がして」
それは幸一郎がゲイだからじゃないんだろうか。女性は対象ではないから、女性を特別視しない。でも、俺に対する態度を考えると彼女は矛盾している。夫には違うものを求めるものなんだろうか。
茜ちゃんはカップに視線を落して、言葉を続ける。
「私、英雄くんには負けちゃうのかな」
「えっ、なんで?」
「だって、男の人って気が合う人同士だと、女の子が入るすき間がないでしょ」
「でも、アイツは俺じゃなくて、茜ちゃんを選んだじゃん」
やべ、思わず声が大きくなった。茜ちゃんも目を丸くしている。
「いや、ゴメン。急に大きな声出してーー」
言葉を続けようとする俺を彼女は遮る。
「そっか。私と英雄くんって同じなんだね」
そう言い終えると、茜ちゃんが笑いはじめた。俺もつられて笑う。
悪いのは幸一郎だ。俺たちがそのせいで意識し過ぎなくてもいい。
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