第3話 茜
こんな綺麗な人、初めて会った。
それが彼に対する第一印象だ。まるでテレビに出てくる俳優さんみたい。思わず私はぼぉーとその顔を眺めてしまった。婚約者の幸一郎くんが私の名前を呼ぶのを聞いて、そんな自分に気付く。
「茜ちゃん、これが同居人の英雄」
「英雄さん、はじめまして。私、今井茜です」
「ふぅん。よろしくね」
英雄さんは私のことを一瞥したが、すぐに幸一郎くんをにらむ。私、何か気に障ることをしてしまっただろうか。そうか。私が急に家へ来たのが、嫌だったのかもしれない。
「すみません。急にこちらへお邪魔して。私が幸一郎くんに『せっかくだから部屋を見せて欲しい』って言っちゃったんです」
「そうなんだ。誰かと住んでるって聞いて、女とでも一緒に住んでるのか心配になっちゃった?」
「違うんです。私、自分の大切な人が、どんなところで暮らしているのか知りたくて」
「どういうこと?」
「相手の人生で見える風景を実際に味わったら、より心が近付けるんじゃないかなって思うんです」
「へぇ。それは俺もわかるな」
良かった。なんとか英雄さんとも共通点を見つけられたみたいだ。幸一郎くんも取りなすチャンスを得た、とばかりに話へ入ってきた。
「英雄と茜ちゃんって似たところあるよね。まあ、立ち話もなんだからさ。中で座って話そうよ」
「ああ」
そう答えたら、英雄さんはさっさと部屋の奥へ言ってしまった。私は幸一郎くんに尋ねる。
「やっぱり、急に来ちゃったのはダメでしたかね」
「えっ? そんなことないよ。アイツ、寝起きみたいだから、機嫌が悪いだけじゃないのかな」
本当にそうなんだろうか。英雄さんの態度を見ていると、別の理由がある気がする。私は幸一郎くんの後ろを歩きながら、そんなことを考えていた。
ダイニングルームに入ったら、英雄さんは冷蔵庫の中を眺めていた。私たちが部屋に入ってきたことに気付くと、振り返る。
「茜さん、お酒は飲める?」
「はい。少しですけど」
「じゃあ、飲まない? 結婚の祝い酒ってことで」
幸一郎くんが声を上げる。
「ちょっと待てよ、英雄。まだ昼間だぞ。それに茜ちゃん、そんなにお酒は強くないんだ」
「いいえ。せっかくなので、お付き合いします」
英雄さんはきっと何か私に怒っているんだろう。私が無理を言って連れてきてもらったことで、幸一郎くんとの関係が悪くなってしまうのも申し訳ない。
「いいね、茜ちゃん。じゃあ、飲もっか」
英雄さんはグラスに赤ワインをなみなみ注いで、私と幸一郎くんに手渡す。
「これ、多くないか」
幸一郎くんが抗議する。
「別に全部飲まなきゃいいだけだろ」
英雄さんは何でもないかのように答える。
「じゃあ、かんぱーい」
私たちはグラスを鳴らす。英雄さんは一気に半分くらい飲み干してしまった。私もお付き合いしなくちゃ。私もいつもよりペースを上げる。
目を開けたら、天上が見える。あれ、私どうしちゃったんだろう。頭に鈍い痛みが走る。
痛っ。
そうだ。私、幸一郎くんと、英雄さんとお酒を飲んでいたんだっけ。緊張して、どうやら飲み過ぎちゃったみたいだ。話の途中で寝てしまったのだろう。とりあえず起きなくちゃ。私はソファから起き上がろうとしたが、バランスを崩してしまった。なんだか身体が熱い。二日酔い以外にも、風邪でもひいてしまったんだろうか。
「大丈夫?」
英雄さんの声だ。ひたひたと足音が近付いてくる。
「大丈夫です」
私はもう一度起き上がろうとする。けれども、またダメだった。
「無理しなくていいから。そのまま寝てて」
英雄さんは冷蔵庫を開けて、ペットボトルを取り出すとコップに注ぐ。そして私のところに来た。
「水、飲んだ方がいいよ」
「ありがとうございます」
私は彼からグラスを受け取り、口をつけた。ひんやりとした液体は、私の身体の悪いところを洗い流してくれるかのようだ。
「無理させちゃってごめん」
彼の声からは、最初のトゲトゲしさがなくなっていた。むしろ、私を慈しむかのようだ。私はそのギャップにドキッとしてしまった。
「そんなことないです。私こそ、お二人のお家で倒れてしまってすみません」
「いや、俺が悪かったんだ。俺さ、茜ちゃんにやきもち妬いてたんだ」
「私に?」
「ああ、幸一郎を茜ちゃんに取られるって。おかしな話だろ」
「そんなことないです。お二人は一緒に住んでたんですよね。だったら、家族みたいな関係だったんじゃないですか」
「家族か。本当にそうなれたら良かったんだけど、俺じゃダメだな」
英雄さんの悲しそうな顔にキュンとしてしまう。えっ? なにこれ。いや、これは飼い犬がしょんぼりしている時に感じるものと同じハズだ。
「顔、赤い気がするけれど。大丈夫?」
英雄さんは手の甲で私のおでこに触れる。なんだか気持ちいい。って、私何を考えているんだろう。
「ちょっと熱があるみたいだね。薬、飲む?」
「平気です。そういえば、幸一郎くんは?」
私は慌てて話題を変えた。
「もう寝てる」
「そうですか」
「いや。アイツも『起きて、待ってる』って言ってたんだ。でも、茜ちゃんが倒れちゃったのは、俺のせいだからさ。俺がワガママを通させてもらったんだ」
「わかりました。でも、英雄さんも、もう寝ちゃってください。お水を頂いて、落ち着きましたから」
「本当?」
「本当です」
「まあ、男の俺が一緒だと、茜ちゃんも気を使うか。じゃあ、ゆっくりと休んでね」
「はい、お休みなさい」
「お休み」
そう言って、英雄さんは部屋を出て行った。
彼の姿が見えなくなって、私は頭を整理する。さっきの私は何かおかしかった。私には幸一郎さんという婚約者がいる。英雄さんはその友だちだ。話を聞いている限り、彼らは親友といっても良い関係だろう。変に意識しちゃいけない相手だ。やっぱりお酒の飲み過ぎだろうか。考えているうちにまぶたが再び落ちてきた。
初めて幸一郎くんと英雄くんの家に行って以来、私たちは何回か三人で会っている。
英雄くんとは同じ小説が好きだという共通点もあって、次第に打ち解けていった。今でも私に対してぎこちなさはあるけれども、それは私が幸一郎くんの婚約者だからだろう。
むしろ問題は私にあった。英雄くんのことをどうしても、男性として意識してしまう。彼が恋人に振られたばかりだという話を聞いた時も、嬉しくなってしまった。別に幸一郎くんのことが嫌いになった訳じゃない。でも、一緒にいる時につい目で追ってしまう。
幸一郎くんはそんな私の変化に気付いていないようだ。しかし、彼が私の心の中を知ったらなんて思うだろうか。
私は深いため息をつく。どうしたらいいんだろう。スマートフォンを眺める。あれ? もうバッテリーがほとんどない。充電しなくちゃ。私はカバンの中に入れた充電器を探す。あれ? ない。おかしいな。私は自分の記憶をたどる。
そうだ。昨日、幸一郎くんの部屋へ泊まった時、彼の部屋に置いてきてしまったかもしれない。私は幸一郎くんにメッセージを送る。
彼からはすぐ返事が返ってきた。今日は出張で彼は家にいないが、英雄くんはいるので、連絡をしておいてくれるという。あんまり待たせてしまうのも申し訳ない。私はすぐ彼らの家へ向かった。
私はチャイムを押す。しばらくして、英雄くんが出てきた。
「いらっしゃい。さっき、幸一郎から話は聞いた。充電器、ないと大変だよね」
「そうなの」
「どこに忘れたかわかる?」
「幸一郎くんの部屋だと思うんだけど」
「そっか。まあ、上がってよ」
英雄くんは私を幸一郎くんの部屋に通して、部屋を出ていった。充電器はベッドの下にあるテーブルタップに刺さっていた。これでひとまず安心だ。私はさっそくスマートフォンを充電器につなぐ。
その時、ベッドの下にほこりをかぶったデジタルフォトフレームが置いてあるのを見つけた。私は手に取って、スイッチを入れてみる。幸一郎くんと英雄くん、景色の写真が並ぶ。二人で遊びに行った時のもののようだ。何気なく見ていて、ひとつの写真で目が止まった。
そこには幸一郎くんと、英雄くんがキスをしている姿が写っていた。ふざけて、という感じではない。これは恋人同士のものに見える。えっ、どういうこと? 混乱している私のことなどお構い無しに、ドアが開く音がした。
「茜ちゃん、充電器見つかった?」
英雄さんがお盆を持って、部屋へ入ってきた。私の目の前にお茶を置いてくれる。
「何見てるの?」
英雄さんは私の脇から、フォトフレームの画面を覗きこんだ。彼の笑顔が一瞬で凍りつく。やっぱりそうなんだ。そう考えたら、最初の英雄くんの態度もわかる。私の口から言葉がこぼれ落ちた。
「あの。手伝って欲しいことがあるんです」
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