第8話 覚悟を背負うための覚悟

「ナナミちゃん、ルーネちゃんはまだ閉じこもっちゃったまま?」

「はい。あれ以来一度も出てきていません」

「一度もって、三日経ってるんだけど……」


 扉の外から会話が聞こえる。

 あの本を見つけてから、あの表記を見つけてしまってから、私は一睡もせずに、何度も何度もあの本を読んでいる。

 アルディーニの冒険録。

 その最初の活躍として書かれているのは、名もなき開拓村をモンスターから守ったという、よくある話。

 そこで村長の娘と恋仲になり結婚の話も出るが、直後に自分にはやる事があると言い残して村を去っている。

 ……活躍した後、栄誉を得る寸前で去る。

 以後も同様の振る舞いを続けているが、それがいつから始まったのかは分からない。

 この話で注目すべきは、村長の娘に本名を話しているという部分。

 ローガン・アルディーニ。

 私の父親もローガン。だけどアルディーニではないはず。

 あるいは私が知らないだけだろうか。

 分からない。


「ナナミちゃんはルーネちゃんの心を分かってるんだよね?」

「はい。たぶん……もう少し。もう少しで、扉が開くんです」


 扉の外から会話が聞こえる。

 このローガン・アルディーニが私の父親でないのならば、私には何の躊躇もいらない。

 何も考えず、父親の影を追えばいい。

 だけど、もしも私の杞憂が当たってしまったならば、私には覚悟が必要になる。

 父親の影を追う娘から、父親の背中を追う私へと変わる。

 そんな覚悟。

 今までの鬱積を捨てて、胸を張ってあなたの娘だと言える人になる。

 そんな覚悟。


「その扉って、ダブルミーニング?」

「だ、だぶる?」

「一つで二つ以上の意味があるってこと」


 扉の外から会話が聞こえる。少し耳障りなほど。

 まるで、分かったうえで覚悟を促すように。……なんて。

 たぶん、そんな意図はないと思う。

 私がそう感じているだけなのだけれど、それは私自身が『覚悟をする』ことを受け入れている、という意味なのだろう。

 この一歩を踏み出す覚悟は出来ている。

 だけど、何かきっかけが欲しい。

 そして卑怯にも、それを他者に求め、自分は巻き込まれたのだという言い訳を欲している。

 鏡に映った卑屈な自分を直視できないのと同じように。


「それじゃあルーネちゃんが出てきたら伝えておいて。私たちは出発したって」

「分かりました。しかし突然ですね」

「もともと短期滞在の予定だったからね。

 別れの挨拶が出来れば良かったんだけど……って出てきた」


 当然だ。突然だ。ものすごく焦った!

 私に覚悟を決めさせる役割のアリシアさんたちがいなくなるのはダメ!

 その役をナナミに押し付けるのも罪悪感が湧くのでダメ!

 残された選択肢は、今のうちにアリシアさんたちに、私が覚悟を決めるための理由を作ってもらうしかない。


「あー、えっとー」


 とは言うものの、何も考えずに扉を開けたので、どうやってその言葉を引き出そうか分からない。

 そんな私を、してやったりとでも言いたげなにんまりとした笑顔で出迎えるアリシアさん。

 と、ナナミ。

 こいつらグルだったか!


「ふっふーん。私たちだってただ手をこまねいてただけじゃないんだよなー。

 ねーナナミちゃん?」

「はい。マスターが閉じこもった理由は明白でしたから」

「それで私たちも調べたわけだよ、ローガン・アルディーニという人物を。

 結論から言うと……」

「私の父親、ですよね」


 思わず話に割り込んだ私。

 二人はそろって頷いた。


「十年ほど前、王都でアルディーニの目撃情報がありました。

 しかし情報が少数だったため、王国は追加調査をすることなく、この件を見送っています。

 そして本日昼頃、わたしとアリシアさんで当時の目撃者二名との接触に成功し、目撃されたのはマスターの父上で間違いなく、またその人物はローガン・アルディーニであるという結論に至りました」

「一人目の目撃者は主婦で、アルディーニじゃないかって声をかけたら、自分はルタードのローガンだと言って、アルディーニであることは否定したらしいんだよね。

 それから二人目が、当時一緒にスタンピードに対処した女性剣士。

 アルディーニじゃないか久しぶり、って声をかけたら、彼は女性剣士の名前を憶えていたって。

 ただ、王国が探してるっていう話をしたら、すぐに出発すると言いだして、どこに行くのか聞いたら」

「聞いたら!?」

「あはは、顔が近いよ。

 聞いたら、【トラキ】に行くってさ」


 トラキは王国でも有数の港町だ。

 ということは、王国から離れるために船に乗った可能性が高い。

 次の目的地はトラキ。

 まだ遠いけれど、これでようやく旅の一歩が踏み出せる!

 ……あっ。


「一歩が……」


 この一歩が、私の人生の大半を否定する。

 母親のために自らを抑圧し、その原因を父親に求め、そして少なからず恨みの念を抱いて生きてきた。

 その自分を捨てることになる。

 足がすくむ。

 そんな私に、ナナミが「はい」と手を差し伸べた。


「マスターは、もう踏み出しています。

 だって、保護してくださったお二人の反対を押しのけてまで、父上を探すためにルタードの町を旅立ったじゃないですか。

 それってとても強い覚悟が必要だと思うんです。

 それにマスター、今のままではダメだって分かっていますよね?

 心の中では変わりたいって思っていますよね?」

「思ってるよ」

「だったら躊躇なんていりませんよ。

 マスターはわたしが守ります。だからこの手を掴んでください。

 私には分かっています。マスターにはそれができるって」


 ナナミの言葉は、私が思っていた以上にしっかりとしたもの。

 何よりも私の心を読んで、しっかりと考えることが出来ている。

 だけど、一つだけ勘違いをしている。


「残念だけど、その手を掴むわけにはいかない。

 これは私の問題で、私自身で一歩を踏み出さなきゃいけない。

 ……じゃないと、あなたのマスターは弱いままになるからね」


 ナナミは首をかしげて少し考えた後、手を引っ込めた。


 ため息をついてから頭の中を整理をする。

 この躊躇の正体は、つまりはとても単純。

 それは十年遅れてやってきた反抗期なのだ。

 所詮私は十三歳、世間的には子供であり、一般的には思春期ど真ん中。

 旅の重圧や【変質者】という足かせを、父親への恨みを原動力に跳ね返してきた。

 そこに来て実は父親が英雄だったと知り、恨む気持ちを否定されてしまった。

 旅が始まって、まだ十日と経っていない時点でだ。

 本当の大人ならば別の答えを、正しい答えを導けたのだろう。

 だけど十三歳子供には無理だった。

 その結果、私は『覚悟を背負うための覚悟』という回りくどい言葉で自分を偽り、事実から目をそらし結論を先延ばしにしようとした。

 しかしその抵抗は杜撰なもので、あちらこちらへと揺れ動いてしまい、あっさりと看破されてしまう。


「きっと私に必要なのは、諦めることなんだろうな」

「意固地になるのをですか?」

「……中々言うようになったねー。正解だけど」


 私は難しく考えすぎていたのかもしれない。

 もっと気楽でいいのかもしれない。

 旅を楽しんでもいいのかもしれない。

 そう思っていると、お腹も空いてきた。

 閉じこもっている間、ナナミが差し入れにまずいサンドイッチを持ってきてくれていたのだけど、今日はまだ何も食べていない。


「朝焼けがまぶしい。お腹空いた」

「えっとね、ルーネちゃん。あれ、夕焼け」

「……え?」


 振り向いて窓の外に目をやると、確かに空が紅い。

 次の瞬間、空腹と疲労と睡眠不足が重なり、意識が飛んだ。




「おっ、ルーネちゃん起きられたのか。おはよう」

「おはようございます。もう出発するんですね」

「次まで結構遠いからな」


 私とナナミは、デリックさんたちを見送るために、城門前まで来ている

 気絶した後、私はナナミに担がれてベッドで就寝。

 その様子から、私は起きてこないのだと思っていたようだ。

 残念、たとえ私が寝ていても、ナナミが起こさないはずがないのだ。


「ナナミから、突然出発することに決めたって聞きました。

 何かあったんですか?」

「こう見えても忙しいんだよ。……ルーネちゃん、口は堅いか?」

「はい。当然」


 口は堅いつもりだ。ガーゴイルよりも。

 しかしデリックさんのこの真剣な眼差しは、今までに見たことがない。

 何か重大な事件でも発生したのだろうか?

 私の中に少しの不安が見えたところで、後ろから「私の都合だ」という、聞き慣れない低音ボイスが響く。

 振り向いたそこにいたのは、なんとノーマンさん。

 初めて声を聞いた。


「ノーマンさん……いい声してますね。

 じゃなくて、何かあったんですか?」

「私の本名は、ノーマン・クラウン・ペンハウアーという」

「ペ、ペンハウアー!?」

「声が大きい」

「あっ! 申し訳ありません!」


 ペンハウアーと言えば、隣国インテグラル王国の王家の名前。

 しかもミドルネームにクラウン、つまり王冠が入っている。本物!

 でも、えっ……どういうこと??


「ノーマンはインテグラル王国の元第二王子なんだよ。

 んで、家督争いで暗殺されそうになったのを俺とミリアムが助けた。

 俺の本職な、インテグラル王国第二騎士隊の副隊長なんだよ。んでミリアムが第一魔術師団の団長さん。胸と態度がデカいのはそういうことだ」

「誰の態度がデカいですって? 全く。

 ルーネちゃん、騙すつもりはなかったんだけど、黙っててごめんなさいね」

「い、いえ……」


 唖然茫然。

 だけど思い返してみれば、確かに三人の力関係はその通りだった。

 デリックさんはミリアムさんの尻に敷かれていて、ミリアムさんはノーマンさんの傍に立って何かと気を使っていた。

 ……となると、アリシアさんとクラウスさんは?


「実は僕たちもインテグラルの人間でね、どっちも侍者の家系なんだ」

「二人とも王家直属ではないんだけど、おかげでしがらみ無くノーマン様にお力添えが出来ているってわけ」

「じゃあ……そのために学校に? クロス王国にいるのはなんで?」

「学校と陛下とは関係ないよ。僕たちがこのパーティーに所属したのも、奇跡のような偶然だったからね。

 クロス王国で冒険者をやっている理由は、政治的理由でここが一番インテグラル王国の目が届かないから。暗殺者も送り込みにくいからね」


 そういうことか。

 暗殺者が送られたという情報が五人の耳に入ったから、見つかる前に急いで王都を出るんだ。

 でも、それは辛くないのだろうか?

 血を分けた兄弟から刃を向けられ続ける生活。

 私だったら心が折れるかもしれない。


「陛下。その……辛くはないんですか? 兄弟から命を狙われ続ける生活を送らないといけないって」

「庶民は武力で血を流すが、為政者は計略で血を流す。

 それが王家に生まれた者の背負う宿命なのだ。

 しかし……辛くないかと言えば、それは嘘だ。

 いつ襲われるやもしれない宿屋のベッドよりも、いつ襲われてもおかしくない草原での野宿のほうが深く眠れるのだからな」

「それって……皆さんがいるからってことですか?」

「ああ、その通り。

 心強い仲間がいるからこそ、私は自由でいられるのだ。

 ルーネ君。きみも多くの仲間を持つといい。

 そして、その背に負う覚悟を、皆で分かち合うといい」


 私の覚悟を、みんなで分かち合う。

 ……ああ、そうか。勘違いしていたのは、私のほうだったんだ。

 手を引くのでも、引かれるのでもなく、繋ぐだけでよかったんだ。


「ナナミ、手」

「手を……はい、繋ぎます」

「待たせてごめん」

「いえ。だって、分かっていましたから」


 前でも後でもなく、横に並ぶ。

 これでいいんだ。


「よしっと、準備完了だよ」

「ルーネちゃん、僕たちも行く先でローガンさんの目撃情報を探ってみる。

 入れ違いにならないようにね」

「ありがとうございます。本当に、何もかも。

 ……いつかまた会いましょう。その時は、私の冒険譚を聞かせます」

「はっはっはっ! いいねぇ、楽しみだ!」


 ようやく覚悟の決まった私は、ナナミの手を握りながら、両手を振ってデリックさんたちを見送った。

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